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4-10 斯波家長(3)

 陸奥守の軍勢はこちらを向いてはいるが、しっかりとした堅陣を組んではいない。戦いながら、後ろに退ける構えだった。こちらから見て後方、つまり本来陸奥守が進む方向に、六の宮を奉じた軍勢がいるようだ。ひとまず六の宮だけでも白河の関は越えさせようと言う事か。

 しかしそれでも堂々たる陣形だった。逃げの陣形だと言う事からくる動揺のような物は一切無い。風林火山の旗が、見事にはためいている。


「南部勢は?」


「進軍速度が落ちています。約五千が我が勢の後方三十里に(この場合の一里は約六五五メートル)」


 家臣の一人が報告してきた。


「三十里か。どれほど急いでもここに着くのは日暮れ近くになるな。良し、ここで一戦するぞ」


 無理に勝たなくてもいい。南部勢に後背を突かれるまでの間に陸奥守と派手にぶつかり、陣容を乱して疲弊させ、その進軍を遅らせられれば良かった。


「ただ、一つ気になるのですが」


 報告してきた家臣が戸惑いがちな顔で言った。


「何だ?」


「後方に物見に出した中で、数騎、まだ戻っていない者がいます」


「何だと?」


 そう言われて家長はしばしその意味を考えた。途中で事故を起こしたり、あるいは運悪く敵の小集団とぶつかって逃げ切れなかったりする事はあり得る。しかしそれが数騎と言うのは少し多い気がした。だが、南部勢の位置は掴めているのだ。


「いや、今は背後は気にすまい。ぶつかるぞ。敵は最初から逃げの構えだ。こちらは騎馬を前面に押し出して敵の後退を敗走に変えさせる」


 諸将に下知を出した。伝令が散り、全軍が動き始める。

 何かを見落としている。そんな予感がした。後方三十里の南部勢は五千。根城で出陣の用意をしていたのは六千では無かったのか。残りの一千は根城に残ったのか、あるいは道中で離脱したのか。


「家長様」


 気付けば横に兵の格好をした白銀がいた。家長が出陣してからは、軍とはしばらく離れて動いていた。


「後方の様子が妙です。お気をつけ下さい」


「後方には、まだ敵はいないはずだが」


 そう言いながら、家長は少しずつ自分の顔が青くなっていくのを感じていた。


「五十ほどの小さな集団が、分かれて進んで来ています。距離を取ってばらばらに、それぞれは小さくまとまっての進軍でしたので、直接ぶつかった者以外は物見も見落としていたのでしょう。しかし後方で驚くほど迅速に集結しています」


「くそ」


 言われた瞬間、家長はうめいた。後方に徒を向けろ。そう命じようとした瞬間、背後に一千ほどの敵が現れたとの注進が入る。

 騎馬が五百、徒が五百。南部の旗が上がっていた。

 狼狽えるな、小勢だ。そう言おうとした時には、騎馬五百が砂煙を残し、消えていた。消えた。いや、味方の後方に突っ込んできている。

 後方と言っても、全ての兵が前を向いている訳ではない。ここは敵地と言っても良く、最低限の備えは常にしていた。しかしその備えを容易く突き崩し、五百騎が味方を蹴散らしている。


「慌てるな、弓だ。弓で射落とせ」


 叫ぶ。一度突っ込み、反転していく騎馬隊に向けて慌てて弓隊が陣を組む。しかし次の瞬間にはそこに、地から湧き出すようにして現れた徒が襲い掛かっていた。共に現れた五百。旗は掲げていない。こちらが騎馬に目を奪われている内に、地に伏せ、近付いて来ていた。

 この徒も、動きに一切の無駄がない。五百がまるで水のように動き、広がり、弓兵を斬り倒すと、しかし散る事無くまた固まって味方の陣を押していく。

 新たに側面から回した徒が一千ずつ左右からその五百に向かい、退路を断って押し込もうとしたが、その内の片方にまた敵の騎馬隊が突っ込む。

 先頭でひと際大きな馬に乗り、槍を振るう武士が見えた。ぶつかるごとにその一人に、こちらの兵が十人は倒されていっている。遠目に見ていても、その槍さばきは、尋常でない、と言う以外に言いようが無かった。到底見切れる物ではない。

 あれが、南部師行か。口の中でそう呟いていた。

 そして、その南部師行が崩した所から後続の騎馬が雪崩れ込んでいく。

 五百の騎馬隊と五百の徒が一旦離れる。

 果敢に激しく動くだけでなく周到な動きだった。五百の騎馬隊。横に広がった陣形で矢の雨を降らせればそれで容易く倒せる。しかし、出来ない。こちらの陣形と矢の射程を読み切ってそれをする機を外して来る。

 狼狽えるな、と家長は今度は自分に言い聞かせた。いくら変幻の動きをしようとも、一千の兵は一千の兵だ。こちらの全軍とまともに戦える訳ではない。今一方的に翻弄されているのは、正面に陸奥守が率いる三万の軍勢がいて、こちらの全力を向けられないからだった。

 陸奥守は、動いてこない。今ここで挟撃を仕掛けて斯波家長と雌雄を決するよりも、少しでも早く征西する事を優先している。

 つまりここに南部師行が現れた目的も、まずは陸奥守と合流する事のはずだった。ならば、合流させてしまえばいい。合流してしまえば、三万と三万一千がただ向き合っている、と言うだけの事になる。

 それでほぼ互角。互角であれば、まともなぶつかり合いになった時点でこちらの勝ちになるのだ。


「一度守りを固めろ。ただ騎馬だけは分けていつでも出せるようにしろ」


 家長の命令の元、徒が堅陣を組み、その中からいつでも騎馬が出られるような陣形を組んだ。

 こちらが堅陣を組むと、南部勢はゆっくりと徒の歩調に合わし、こちらの横を通り抜けるようにして、南下して陸奥守と合流する姿勢を見せる。

 口の中は、乾ききっていた。目の前の五百の騎馬隊が、五千の騎馬隊なのではないかと錯覚してしまう程の重圧を受ける。


「行け」


 こちらの騎馬が駆け出した。南部師行は陸奥守の軍勢と合流するのか、あるいは陸奥守の方が騎馬を出して迎え撃って来るのか。どちらにせよ、それで正面からの派手なぶつかり合いになる。


「何だと」


 次の瞬間、家長は声に出して叫んでいた。南部師行の騎馬隊は進む方向を変え、陸奥守の軍勢から離れると、悠然と北へと駆けて行く、徒もそれに続いていた。そして陸奥守の軍勢は、白河の関へと進んで行く。

 こちらの騎馬は、北へ向かった南部勢の徒へと襲い掛かろうとする。それを反転してきた南部師行の騎馬隊が遮り、先頭に立っている者達が突き落とされる。一斉に突撃しても、全力で駆ければ実際には最も速い馬がわずかな差で他の者より速く敵とぶつかる事になるので、その者が倒されるのだ。そして後続が追い付くよりも速く、南部師行は方向を変え、側面からぶつかり、突き抜けている。

犠牲はわずかだが、こちらの騎馬隊は乱れ切っていた。動きが違い過ぎる。兵一人一人の力だけでなく、軍としてまとまって動く力が違う。

 南部師行は、常にその騎馬隊の先頭に立っている。

 かっとなりかけた自分を抑え、家長は騎馬隊を下がらせた。ここで数に物を言わせて徒五百を踏み潰す事は出来るように思えるが、南部師行に攪乱されれば時間が掛かる。後方には別に南部の本隊が近付いて来ているのだ。

 それにあの騎馬隊なら、いざとなれば一騎が一人ずつさらに後ろに乗せても戦場で走れるだろう。

 そして陸奥守の軍勢の方はすでにかなりの距離を取っていた。騎馬だけで追うにしても、徒との距離が開きすぎる。これ以上南部勢にかかずらっていれば、ますます追撃は不可能になる。


「合流する気など、元より無かったのか。やられたな。南部師行は征西軍の先陣を切ると、思い込み過ぎていた」


 最初から、陸奥守は南部師行を留守居の大将として陸奥に残すつもりだった。こちらは南部師行との合流が陸奥守の足かせになると読んでいた。そしてそう読む事を相手に読まれていた。陸奥に入ってからの南部師行の勇名も、多賀国府で起きたと言う伊達行朝との諍いも、全てここで師行自身を囮に使うための計算された物だったのだろう。

 思い返せば、何故この可能性に思い当たらなかったのか、と自分の愚かさを呪う気分だった。


「あれほどの武士が留守居役や囮役を肯ずるとは思っていなかった。そう思い込まされていたのも、全て計算か」


 一人で、呟いていた。出し抜かれた屈辱を紛らわすためだろう、と自分で思った。横にいる白銀の耳には届いているだろうが、何も言ってこない。


「軍をまとめろ。南部勢はこれ以上相手にするな。陸奥守の軍勢を追うぞ。それと常陸の佐竹貞義に早馬で使いを出せ。少しでも陸奥守の進軍を遅らせろ」


 常陸の佐竹貞義は東海道で足利への旗幟を鮮明にしている武士の中では、一番東に位置する有力な武士だった。長く陸奥守の麾下として働いていた磐城の伊賀盛光も引き込んだのだと言う。

 呆然としていた家臣が家長の声を受け、我に返ったように駆け出す。

 追い付けないかもしれない、と家長は思い始めていた。

 単純にここでしてやられた、と言うだけでなく、陸奥守がずっと前から征西の事を考え、その準備をしてきていた、と言うのが今の事で分かったからだ。家長も陸奥に来てからはどのようにして陸奥守を止めるかについて考え続け、準備をしていたつもりだったが、陸奥守と比べれば使えた時間はずっと少ない。

 恐らく東海道に出てからの行軍に関しても、様々な事を計算し、準備しているだろう。

 急に叫びだしたくなった。三万の兵を出しながらたった一千に一方的に翻弄され、戦う事すら出来ずにおめおめと陸奥守を逃がした。こんな無様さを見せるぐらいなら、いっそ大敗して討ち死にした方がましだった、と言う感情が湧き上がってくる。

 今ここで喚けば、無様さを上塗りするだけでなく、兵達も動揺させる。頭ではそう分かっていても、堪え切れない。

 そう思った時、横から手が伸びてきた。柔らかく温かい手が、軽く家長の口を抑える。


「どうかお堪え下さい、家長様」


「童扱いするな、白銀」


 しばらくの間をおいて、家長は口に出した。頭は、冷えて来ている。


「申し訳ありません」


 白銀が家長の口から手を放す。


「私は無様だったか、白銀」


「まだ時間以外の何も失ってはおられません。こういう時は開き直っていち早く次の手を打つべきです。そして家長様はそれが出来ておいでです」


 慰められている、と感じる一方で、白銀に慰められる事を恥とは思わなかった。


「しかし、凄まじい物だったな、南部師行。あそこまで精強な騎馬は、関東の原野にもいなかった。しかも、動きも巧みだ。ただ果敢なだけでなく、的確にこちらの隙を付いてくる」


 頭が冷えて来れば、出て来るのは敵に対する称賛の言葉だった。


「破る手段は、あるでしょうか」


「あそこまでの動きが出来るのは、少ない数で自由に動いているからだ。大きな戦に勝とうと思えば、他の味方と連携しなくてはならないし、そうなればどうしても味方が足かせになる事もあるだろう。今回は失敗したが、やり方としては間違っていなかったと思う」


「安心しました」


「何がだ?」


「家長様が冷静で」


 白銀のおかげだ、と言おうとしたが気恥ずかしくなり、家長は横を向いた。


「それと、あの徒の方は何だろうか。旗を上げてはいなかったが」


 横を向いたまま話を変えた。騎馬隊と同時に戦場に現れ、姿を消し、また現れた。徒にしか出来ない動きで、南部師行と見事な連携を見せたのだ。


「南部家の武将の一人でしょうか。今までの南部師行の戦歴の中には、あんな異質な徒の話はありませんでしたが」


「旗を上げていなかった、と言う所が少し気になる。調べておいてくれ」


「はい」


 もう南部勢も姿を消している。また仕掛けて来るのか、あるいは一度北に戻って陸奥を固めるのか、考えるのはやめにした。どちらにも備えておけばいいだけの話だ。

 混乱から立ち直った軍が進発し始めた。陸奥守を追い切れなかった場合、どうするのか、家長はまた考え始めていた。

最近出たばかりの本によると、今は南部師行も一度目の征西軍に従っていた、と言う説の方が有力みたいですね。

しかしここを書き直すと全面的にここから先の展開が変わってしまうのでこの小説では通説に従う事にしました。


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