4-7 建速勇人(2)
十一月になっていた。
また、陸奥は身を切るような寒さになりつつある。
もう自分がここに来てから一年以上経っているのだ、と勇人は思った。
足利尊氏は鎌倉で征夷大将軍を自称した上で新田義貞の討伐を上奏し、それに対して朝廷が逆に尊氏討伐の綸旨を新田義貞に下した、と言う報せが、小夜あての尊氏討伐の綸旨と共に多賀国府に届いていた。
小夜はその綸旨を使って陸奥全土で足利討伐の兵を募り、多賀国府に出入りしている武士達も多くは一旦領地に帰って遠征の準備を始めているようだった。宗広も行朝も、今はそれぞれ南にある自分の領地にいて、主要な武将では和政だけが多賀国府で陸奥守麾下の軍勢に戦支度をさせていた。
そしてこれを機に多賀国府から離れて斯波家長の側へと走る武士達も出ている。
自分が知る歴史では、これから半世紀続く南北朝の動乱が、遂に始まろうとしている。
「せめて義貞さんより先に私に綸旨を送ってくれてたらな」
討伐軍に参加してくる武士達との間でやり取りされる大量の書状を相手にしながら、小夜は愚痴のように呟いていた。予想はしていた事だが、彼女は大きな戦いを前にしても気後れは無いようだ。むしろ別の部分で辟易しているように見える。
「京から出る討伐軍と奥州から出る君とで上手く合わせられない、って事かい」
「奥州で私が兵を集めるよりも、鎌倉と京で尊氏さんと義貞さんが武士を集める方がずっと速い。土地の差もあるし、何より二人は清和源氏の棟梁だから。それに、この時期に奥州から関東まで出て行くのも、大変な行軍になる」
「朝廷も、君と新田義貞で挟撃する形にすればずっと楽な戦になる、って分からない訳でも無いだろうに」
「討伐軍の準備にどれだけ時間が掛かるかとか、奥州からの遠征がどれだけ大変かとか、実際に分かってる人がいないからね、今の朝廷には。それに、何よりまずは京で大軍を集めさせないと不安だったんじゃないかな」
朝廷が思う通りに動いてくれないのを最初から予想しきっていたような口調だった。それでもこの先の事を考えれば愚痴も出てしまうのだろう。
「朝廷だけじゃないんじゃないかな」
「かも知れないね。もうこれ以上は考えたくもないけどさ」
書状の上に突っ伏すようにしながら小夜が半ばうめくような声を上げる。奥州軍が出て来るより早く、足利尊氏を自分の手だけで倒したい、と新田義貞が功に逸っていたとしても何もおかしくなかった。義貞のその考えが軍の動きにも表れれば、ますます連携は難しくなるだろう。
「私は官位は義貞さんより上だけど、義貞さんは京で主上から直接錦旗を賜ってる。おかげで誰が総大将かすら曖昧だから、実際に顔を合わせて軍議をする以外に統率の取り用もないかなあ、これは」
「もう行くのやめたら?」
「そう言う訳にも行かないからさ」
自分が知っている知識では、ここで小夜が征西軍を出しても尊氏は討ち取れない。それでも彼女が行かなければ、足利尊氏は京を抑え、奥州以外の日本の全ても手に入れる事になるだろう。
半端に未来を知っていても、今は小夜の選択以上の選択肢を示せないのだからどうしようもなかった。
「征西にはお父さんも六の宮もついてくるけど、やっぱり、勇人も付いてくる?」
「邪魔にならないのならついて行かせてもらうよ。どんな使い方をしてくれてもいい。そのために、あの人に鍛えられたんだからね」
師行が北に戻ってからもずっと剣を振り、最近は馬に乗る鍛錬もしていた。力が付いて来た、と言う感覚はあったが、自分がどれほど戦場で役に立つのかどうかは良く分からなかった。ただ、小夜が戦場に出ると言うのに、自分がそれ以外の場所にいると言う事はしたくない。
そして今の自分なら戦場に出ても多分簡単には死にはしないだろう、と言う感覚だけは、何故かはっきりと掴めている。
「ありがとう」
小夜が微笑んだ。
「それより、盛光殿の事だけど」
その笑顔に引き込まれるような気になってしまい、勇人は思わず少し目を逸らして話題を変えた。途端に、小夜の表情がまた憂鬱そうな物に変わる。
「宗広さんも行朝さんも、同じ事を心配してたよ。盛光さんが足利に付くんじゃないかって」
伊賀盛光も多賀国府から離れ、遠征の準備をしている。だが斯波家長や、すでに明確に足利方の旗幟を示している常陸の佐竹と通じていると言う噂が立っていた。
「勇人も盛光さんとは面識があったね」
「少しだけね」
勇人はどこか翳が差していた盛光の顔を思い出していた。
「僕が知っている限りでは近い内に足利に付くよ、あの人は。それに、僕もこのままだとあの人は足利に付くと思う」
「あの人が離れる理由、分かる?」
「多分、分かる。僕も、ほとんど同じ事を考えてるからね」
「それは?」
「君に遠征してもらいたくない。君のためにも、奥州のためにも」
それだけで、小夜は意味を悟ったようだった。
「見ていた物が、最初から違った。ううん、同じ物を見ていても、見方が違った。そう言う事かな」
「君の方が、見てる物が大きかったし、広かった。それは盛光殿がその分小さいと言う事でもあるし、君より真摯に物を見ているとも言えるかも知れないね」
「勇人は?」
「見てる物は盛光殿よりもさらに小さいし、大して真摯でも無いよ。ただ、僕はどこまで行っても自分の身一つだからね。一族郎党を背負ってる盛光殿とはそこが違う。迷いながらでも、君に付いていける」
「新しい政の仕組みを作りたい、って言う私の思いは、人に響く物じゃないのかな」
「宗広殿や師行殿には響いてる。足利兄弟には、絶対に響かないだろうね」
「勇人には?」
また、小夜が聞いてきた。
「同じ事を君以外の人間が言っても、心は動かされないかもしれない。君が別の事を言っても心は動かされなかったかもしれない。結局はそれも含めて君と言う人間に動かされてるだけだよ、僕は」
小夜が正しいのかどうか、勇人は最後の所では真剣に考えようとは思っていなかった。自分は彼女のために生きると決めたのだ。それが間違っているのなら、どこかでその代償を払う事になるだけだろう。
「遠征軍を出すまでに、まだ半月ぐらいはあると思う。勇人、一度盛光さんに、会って来てくれない?」
「僕が会って、何を話せと」
「勇人が思った通りの事でいいよ」
「引き留める自信はないよ。それこそ、逆に背を押すような事を言ってしまうかもしれない」
「それなら、それでもいいよ。ただ、盛光さんと戦う事になるのかもしれないのに、何もしないままじゃいたくないから。出来れば、自分で会いたいんだけどね」
遠征の準備に忙殺される中、小夜が盛光一人に時間を取る訳には行かないのは当然だった。勇人に頼むのは、彼女なりの妥協点だろう。
多賀国府で暮らす以上は勇人もここで雑用のような仕事はしていたが、それ以外で自分が彼女にはっきり仕事を頼まれるのは、思えばこれが初めてだった。
「繋ぎのために、誰か忍びを借りても?」
話す内容など何も思い浮かばなかったが、やる気になっていた。平時の小夜があまりに気さく過ぎてうっかり忘れそうになるが、そもそも自分は彼女に臣従した身でもある。
「左近がいいかな。数日なら空けられると思う」
左近は、一時期は京の方に行っていたようだったが、今はまた奥州に帰って来ている。
一度本音のような物を晒したせいか、勇人があまり気負わず話せる相手の一人になっていた。妙に馬が合う、と言う所があるのかもしれない。
友人、と呼べる相手かも知れない。そんな物を新しく作ったのはいつぶりだったろうか、と勇人はわずかに考えた。
建武の乱、前夜と言った所です。
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