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4-6 北条時家

 南部師行麾下の精強さは、尋常では無かった。

 時家も自分の麾下の強さに相当の自信を持っていたが、騎馬隊と徒の差はあるとはいえ、そもそもの兵の質が違っていた。

 五百騎の騎馬隊が、風のように駆けて行く。駆けながら一糸乱れなく自在に陣形を変える。

 それだけでも練度の高さは伺い知れたが、師行の騎馬隊は林や森、果ては山ででも日常的に調練を行っているようだった。

 師行の騎馬隊は馬では通り辛い地形でも、即座に馬に乗ったまま進むか馬を降りるか判断して足を止める事無く進んで行く。そしてどんな場所の行軍でも決してまとまりを失わない。

 師行の旗本として五百騎の選り分けられた騎馬隊がおり、それ以外に二千五百の騎馬と徒が入り混じった兵がいる。糠部南部の相勢では恐らく軍勢は六千を超えるほどになるだろうが、残りの兵は弟である政長に任されているようだった。

 五百騎の騎馬隊は徒と混ざる事はせず、常に騎馬隊だけで動くように調練された異質な軍勢だった。関東の騎馬武者達も時に騎馬だけで戦場で戦う事はあったが、完全に徒と分けられた騎馬隊は見た事が無い。

 そもそも師行と麾下その物が、南部家の中で他と隔絶しているような所があった。波木井(はきい)南部家の惣領だと言うのに師行自身はほとんど領内の経営には関わらず、政長が家中のほとんどの事を取り仕切っている。そして南部家の他の者達は、戦だけをする師行の立場に少なくとも表向きは納得している。

 武士の中で完全ではないにせよ戦と政が分けられている、と考えると、これは驚くべき事だった。

 戦に関する事で師行は軍議を開くような事はせず、副将らしい副将もいない。唯一、女忍びである楓があれこれと口を出しているようだが、それも本当の所は師行の考えを知るために会話している節があった。

 時家は南部師行の下に置かれた、と言う形だが、実際には自分と率いてきた家臣達は陸奥守の郎党に組み入れられていた。陸奥全体から上がる年貢の量と比べれば、陸奥守が自身の麾下として率いている兵数はわずかな物で、いくらでも余裕はあったのだろう。

 流浪の軍から官軍になったと言う事だが、嬉しさよりも北条徳宗家の人間を容易く配下に加える陸奥守への驚きの方が強かった。

 時家の父である泰家は、ひとかどの武人ではあったが、どこか最後で煮え切らない人物だった。執権であり、実の兄であった高時は柔弱な人物で、泰家が本気で執権の座を狙えば、いくらでも機会はあったはずだ。実際に高時の跡を伺うと思える姿勢も見せ、それがきっかけで幕府内での小さな争いも起きはしたが、結局は本気で権力を握る意思は無かったように見えた。

 今思えば、泰家はどこまでも権威の側の人間であって、実力を持ってして地位を奪う、と言う事に抵抗があったのだろう、と言う事が分かる。庶子であった自分が能力を認められながらも、幕府の中では居場所を得る事が無かったのも、北条家の中の序列を乱す事を嫌う泰家のその性分のせいだ。

 その北条家その物が外からの力で滅びた今となっては、泰家の遠慮など皮肉で滑稽な物だったとしか時家には思えなかった。新田義貞が鎌倉を攻めた時、泰家が北条家の全軍をしっかりまとめており、そして自分がそれを支えていれば、鎌倉幕府がああも簡単に滅びる事は無かったはずだ。

 今自分に付いて来ている兵達は、負けた事では無く、力を出し切れなかった事に無念を感じている者達ばかりだ。そして時家の能力を、皆が認めている。


「見事な物だろう、兄上の騎馬隊は。初めてあれを見て、目を見張らない者はいない」


 横にいた南部政長(まさなが)が声を掛けてきた。南部師行の弟であるらしいが、堂々とした体躯以外にはあまり似ている所は無かった。


「関東でも、あそこまで見事な騎馬隊は見た事がありません」


「南部は昔から騎馬隊の勇猛さで名を馳せていたが、兄上が波木井の当主になってからあのような異質な騎馬隊を作り上げた。我が兄とは言え、私には測れぬ所が多い人間だ」


 南部家は数多くの支族が集まり、家系が絡み合うようにして存在している。師行は嫡流から庶流の波木井南部に養子に出ており、弟の政長は嫡流に残っている。しかし政長も師行に従って波木井南部に合流しているのだから、南部家の中でも嫡流と庶流の力関係が変わりかけているのだろう。


「孤高ですか、師行殿は」


「孤高だな。誰にも、兄上の事は本当は測れないのではないかと思う。一つだけ、誰にでも分かる事があるが」


「それは?」


「とてつもなく強い、と言う事だ」


「それだけで、師行殿は南部家の全員から認められていると」


「そうだな。戦の事は兄上に任せておけば良いと、誰もが思っている。逆に戦の全てを引き受けさせていると言う負い目もあるだろう。兄上にその気が無くても、今は南部家全体が兄上に依って行っている」


 武士は、それでもいいのだ、と時家は思った。

 戦をするのが武士の役目なのだから、戦に強い者こそが中心にいればいい。それだけでは行けないのだろうが、力の無い者でも棟梁になれる鎌倉幕府の仕組みは、どこか歪で、腐臭さえ漂っているように時家には感じられていた。

 その歪さを突き詰めて行けば、本当は戦をするはずの者が、政でも頂点に立つのがおかしい、と言う事になる。


「佐竹や相馬に叛乱の兆しが見えていると言う。色々と空気が変わってきたようだな」


 駆ける師行の騎馬隊を目を細めて眺めながら、政長は呟いた。

 糠部と多賀国府は斯波郡に本拠を置いた斯波家長によって遮断された形になっているが、それは表向きの事で多賀国府から問題なく情勢は入ってくるようだった。恐らく楓のような忍びが働いているのだろう。


「北条とは直接関係ない武士達の叛乱と言う事ですね」


 斯波家長の存在が親政に不満を持つ奥州の武士達の間に期待を巻き起こしている。今までは多賀国府の陸奥守に従うか、北条残党に与して叛乱を起こすかしかなかった所に、新しい選択肢が与えられたのだ。


「未だに表立って叛乱を起こさせない辺り、斯波家長は驚くほど腰を据えているな。動くべき時を見極めている。むしろ今は斯波家長が叛乱を抑えているようにすら見える」


「裏で叛乱を扇動する、と言う手段を軽率に選ばず、武士達に力を蓄えさせている辺り、さすがの物ですね」


 政長もそれなりにこの先の情勢を読んでいるようだった。

 いずれ尊氏が朝敵となった時、京で新田義貞と足利尊氏がぶつかり合うのと同じように、奥州では陸奥守が斯波家長とぶつかり合う事になる。

 斯波家長は無理に勝とうとするよりも、陸奥守を西上させない事に全力を尽くすだろう。そこをどうかわすかが、奥州軍の最初の関門になる。


「一度だけ聞いておきたいのだが、時家殿」


 政長が言い辛そうに口を開いた。


「何でしょう」


「北条徳宗家の人間が陸奥守様の配下になる、と言う事に、何も思う所は無いのか?無礼な言い方なのは分かっているが、私以外に訊く人間がいないのでな」


 それが本題か、と時家は苦笑する思いだった。北条家は朝敵として今の帝の勅令によって討たれた立場だ。それを味方として家中に抱え込む、と言う事に動揺する者が出ないか、不安があるのだろう。

 特に何も言わなくても師行は自分の考えを理解している、と時家は思っていたが、あの性格では家中の空気を慮ってそれを説明する、などと言う事はしないだろう。

 政長は兄の変わりに、様々な細かい部分で気を揉んでいるのかもしれない。


「俺は、北条家の人間である事は捨てました。付いて来ている者達も、それは納得しています」


「武士が家を捨てると言うのは大変な事だ、容易く出来る事ではあるまい。いや、そこを無理に訊こうとは思わない。北条の人間には北条の人間にしか分からぬ思いがあるのだろうからな。ただ、今は朝廷の側に立っている。そうしている理由だけは聞いておきたい」


「戦うべき時に、鎌倉幕府から戦う場を与えられなかった。今は、戦いの場を朝廷の側から与えられている。それだけですよ」


「勤王の志は?」


「ありません」


 時家ははっきりと言い切った。政長が考え込むように腕を組む。


「朝敵の一族が勤王など語っても、物笑いの種になるだけでしょう。ただ、幕府と言う物には嫌気が差しています。それは北条が支配する幕府だけでなく、武士が頂点に立つ幕府と言う仕組みその物に」


「戦をする事が主な目的である、と言っているようにも聞こえるが」


「否定はしません。ただ、愚かな政のための戦はしたくない、とも思っています」


「兄上と同じだな、それは。兄上が時家殿を陸奥守様に引き合わせたのが分かる気がする」


 そう言って政長はまた視線を師行の騎馬隊に向けた。師行の騎馬隊は駆けながら二つに分かれ、そのままぶつかり合う調練に入ったらしい。激しい調練だが、馬に怪我をさせるような事だけはどの兵もさせていない。


「不躾な質問だったな」


「いえ」


「南部の領内に留まる限りは、内向きの事はそれがしに任せてくれ。時家殿は兄上と共に戦に専念してほしい」


「ありがとうございます」


 政長は時家の答えに納得したようだった。


「兄上や時家殿のような武士は、戦の無い世が来たらどう生きるのだろうな」


 政長が視線を動かさないまま呟いた。時家の答えを、期待している訳でもないようだ。

 兄である師行を理解しきれない事に、どこかやるせなさを感じているのかもしれない。そして時家の事も、やはり理解しきれない、と思っているだろう。

 平和な世では生きる場所が無いのが、本来あるべき武士の形なのだ、と時家は思ったが、口には出さなかった。政長は少なくとも不快な男ではない。そして時家には、自分もまた北条家の中で不遇を囲う内に、歪んだと言う自覚があった。

この小説を書くにあたって恐らく最も扱いに頭を悩ませた登場人物がこの北条時家だったりします。

存在自体を消そうかと思った事もある男。


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