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4-4 建速勇人

 多賀国府に戻ってからは、勇人は多くの時間を馬の世話に費やしていた。餌をやり、厩の掃除をし、馬の手入れをし、馬を駆けさせ、馴れさせる。

 馬は勇人が思っていたよりもずっと賢い生き物だったが、同時に人間よりずっと大きく、力が強く、何より重い生き物でもある。ちょっとした事故でも大怪我に繋がるので、馬の扱いは最初の内、とても丁寧に慎重に、そして厳しく教えられた。少し馴れて来たかと思えば強い口調で怒られるような事を繰り返し、力仕事である事も相まって疲れ果てる日々だった。

 それでも一日の仕事が終われば、それからは木の棒と真剣を毎日振るっている。

 棒は重量があり、いくらでも乱暴に扱えるので鍛錬には便利だが、真剣を振る事でしか掴めない物と言うのが確かにあった。それが何なのかは、言葉にするのは難しい。

 師行が訊ねて来たのは、そんな風に厩の横で棒を振るっている時だった。すでに日は落ちていて、月と星以外に灯りは無い。

 小夜に招かれて楓とあの北条時家を伴って多賀国府を訪れている、とは聞いていたが、顔を合わせる事は今までしていなかった。


「どうされました?」


 棒を振る手を止めて師行の方に向きなおった。師行は槍を持っている。


「太刀を持ってついて来い。棒はいらん」


 それだけ言うと師行は背を向けた。鍛錬と言う事だろう。唐突な事だったが、いまさら驚きは無かった。師行が言い出す事に、一々説明を求めても無駄だった。意味は自分で考えるしかないし、例え意味が分からなくても従うしかない。ずっと後になってから、意味が分かる事が何度もあったのだ。

 真剣を使った鍛錬も、今まで何度もやった事だった。さすがに真剣で斬り合う鍛錬をした事は無いが、ただ持って向かい合うだけでも、棒と真剣では受ける圧が違うのだ。

 勇人は棒を置き、代わりに太刀を腰に佩くと師行に続いた。師行はそのまま多賀国府の外に出ると、(すすき)原の中で足を止めた。

 そしてそのまま惚れ惚れするような動作で槍を構えると、勇人へと向けて来た。

 骨の髄まで貫かれるような感覚が走り、勇人は咄嗟に一歩後ろに飛び退いた。太刀は自分でも気づかない内に抜き放っている。風が走る。風では無かった。勇人が一瞬前までいた場所に、師行の槍が伸びて来ていた。かわさなければ、胸に突き立っていただろう。

 師行はまた元のように、まるで最初から動いていなかったかのように槍を構え直している。ただ勇人が一歩後ろに下がった分だけ、一歩踏み込んでいた。

 本気だった。今までの鍛錬でも何度も殺されると思った事はあるが、自分が力を付け、実際の斬り合いを経験したからこそ分かる。今の師行は本気で勇人を殺すつもりで槍を向けて来ている。

 高めに構えた槍が、月の光を反射する。

 何故、と考える余裕も無く勇人は太刀を上段に構えて向き直った。逃げる隙は無い。背を向けて逃げ出せば、背中に槍が飛んでくるだろう。

 凄まじい気が師行から発せられ、それが一筋になって打ち掛かってくる。勇人はどうにか腹の底から気を絞り出し、それを押し返そうとした。

 目にも見えない気と言う物が、いつのまにか肌で感じられるようになっている自分がいた。

 夏に山で見た師行の剣。あれと同じか。いや、それよりも遥かに強いように思えた。

 これが、槍を持った南部師行の本気か。

 息が詰まるような重圧が襲ってくる。一息吸い、吐く度に魂を削られる思いがするほどに呼吸が重い。秋の夜、風もわずかに吹いていると言うのに、全身から汗が流れだして来る。目の前が暗くなりそうになる。

 一撃目と同じように、次の槍をかわせるか。あるいは剣で受けられるか。無理だ、としか思えなかった。目の前にいるのは、自分を殺そうと思えばそれで殺せる相手だ。それほどまでに、師行から襲ってくる重圧は強い。

 生きる事に対する未練も、何故こんな所で訳の分からないまま味方であるはずの人間に殺されなければならないのかと言う理不尽さも、全てを押し潰されそうになる。

元々光が乏しい月明かりの中で周囲がさらに暗くなり、ただ師行と師行が構える槍だけがいやに鮮明に映った。

 もういい、と言う気持ちがどこかで湧き上がってくる。何をした所で自分は数瞬後には師行に殺されるだろう。元々目的も無く惰性で生きている人間が訳の分からないままこの時代に飛ばされただけだったのだ。自分が本気で強いと思い、その強さに憧れた人間に殺されるのなら、自分程度には十分な死に方なのではないか。

 この男なら、少なくとも鮮やかには自分を殺してくれるだろう。

 一筋になった気が、満ちる。押し返す事をやめれば、そのままこちらの構えが崩れて突き殺されるだろう。そうなってもいい。そう思っているはずなのに、勇人は何故か気を込め続けていた。

 強さに憧れた。いつ憧れたのだったろうか。あの夏の山の中での剣。違う。それより前に、あの冬の日、初めてこの男を見た時。自分が何も出来なかったあの戦いの場に颯爽としか言いような姿で現れ、小夜を救った圧倒的な強さ。

 自分も、あんな風に小夜を守れるようになりたいとあの時思ったのではなかったのか。

 師行の槍が、わずかに動く。それは辛うじて目で捉えられた動きがそれだけだったと言うだけで、実際には凄まじい勢いで伸びて来ていた。

 死ぬ。ここで自分が死ねば、小夜は哀しむだろうか。彼女なら、哀しんではくれるだろう。その先は、どうなるのだろうか。歴史は自分が知っている通りに進むのか。あるいは、思いもよらぬ方向に進むのか。自分は結局、彼女のために何か出来たのか。

 いや、まだ何も出来ていない。

 だから、ここで死んでたまるか。

 その意志だけで体が動いていた。自分がどう動いたのかも分からなかった。剣は振るった。師行と立ち位置が入れ替わっている。わずかにぞっとするような物が首の横を通り過ぎた感覚だけが残っている。

 向き直る。息を吐く。吐けば、吸えるのだ。死んではいない。体は動く。

 槍。受ける。踏み込む。打ち込む。また体が入れ替わる。槍。かわす。踏み込む。

 先ほどまでの重圧が嘘のように、体が軽い。互いに全力で気を発し、それを剣と槍に込めてぶつけあっていた。

 月光に照らされた師行の顔が見えた。凄まじい眼光。しかし、もうそこから殺気は感じなかった。死力を尽くして戦っている。しかし、本当は殺し合っているのではない。何かを、教わっている。

もう何も考える事はしなかった。生き延びるために目の前の相手と戦う。それだけだ。

 気付けば、勇人は月を眺めていた。夜空に浮かぶ白い月。

 自分が仰向けに倒れている事に、ようやく勇人は気付いた。


「僕は生きていますか」


 自分の声を聞く者がいるか確認する前に呟いていた。死んでいるのなら、どのみち同じ事だ。


「ああ」


 仰向けのまま返事のあった方向に視線を動かせば、その先に師行がいた。激しい戦いをしたはずだったが。槍を置く事もせず平然と立っていた。


「殺す気だったが、最後は立ったまま気を失った。命より先に、気力が尽きたな」


「ありがとうございます」


 そう返事しながら体を起こそうとしたが、出来なかった。全身から力が抜けている。


「本気で生き残る気になれば、本当の死線はずっと先になる。それが、分かりました」


「忘れるな、それを。容易く命を捨てようとするな。戦場で自分の命の使い方を見誤るな。それはただ命を惜しむ事とは違う。生き延び続ける限りは、戦える。命を捨てる事を武器にするのは、最後でいい」


「はい」


 ただ言葉で言われても、きっと自分はそれを分からなかっただろう。そしてそのまま戦場に出れば、些細な事で命を捨てて、それで満足して死んでいた。だから師行は、本気で自分を殺す気で戦ってでも、それを教えてくれた。


「貴様も陸奥守に従って、西に行くのだろう?」


「許しが出れば」


「貴様はただ一人の俺の弟子だ。だから、戦場で無様な戦いはするな。それにまだ鍛錬も途中だ。勝手に死ぬ事もするな。こんな程度が、と言われたくは無いからな」


 師行は最後にそれだけ言うと、勇人に背を向け、立ち去った。立ち上がって後を追おうとしたが、やはりまだ体は動かなかった。


「おー、生きてる生きてる」


 少しして、そんな声が聞こえて来た。気配が二つ。視線を動かせば、小夜と楓だった。


「勇人、大丈夫?」


 小夜が心配そうな顔をしてのぞき込んで来た。


「どうにかこうにか。死ぬかと思ったし、ちょっと動けないけど」


 体の節々に痛みはあるが、実際に槍で突かれた傷がある訳ではなさそうだった。信じがたいが、あれでも師行はまだ加減をしていたのだろう。


「二人は、どうしてここに?」


「師行さんから言伝が来てね。勇人を死なせることになるかもしれない、って。だから楓と一緒に慌てて見に来たんだけど、ちょっと遅かったかな」


 探ってみれば二人以外にもいくつか気配が周囲にあった。恐らく和政を始めとする護衛も少し離れて付いて来ているのだろう。


「やっぱり結構本気で殺す気だったんだな」


 少し苦笑しながら、勇人はどうにか上半身を起こした。


「何があったの?」


「修行の一環、かな。容易く命を捨てようとしなきゃ、もっと命は有用に使える、って教えてくれた」


 この説明で一体何が通じるのだろうか、と自分で思ったが、小夜も楓も得心が言ったような表情だった。どうやら自分はこの二人にも同じ事を危惧されていたようだ、と勇人はまた苦笑する思いだった。


「やりたい事は分かるけどそれで本気で殺しに掛かるかねえ」


 呆れたような口調で楓が肩を竦めた。


「本当に殺されかけなきゃ僕は分からなかったんだと思う。実際に戦場に出る前に、荒療治でもどうにかしたかったんだろうな」


「もう、大丈夫?」


 また心配そうに、小夜が訊ねて来た。体が、と言う訳ではないだろう。


「大丈夫、だよ。自分でも不思議な感覚だけど、もう簡単には命は捨てない、と思う。殺され掛けてようやく分かるって言うのも、癪だけどね」


「それがあのおっちゃんなりの優しさなんだよ。無茶苦茶不器用な優しさだけどね」


「不器用、って言うのとは少し違うんじゃないかな。多分、とことんまで甘さが無いだけだと思う。あの人は。偽善も無い。戦場で人の生き死にと向き合う事だけに生きてる人間の優しさは、ああならざるを得ないんじゃないかな」


「そうかもね」


 勇人の言葉に、楓は素直に頷いた。どこか、嬉しそうでもある。


「さ、これ以上は後にして、もう戻ろう?夜にあんまり外に出てると、和政に怒られちゃうし」


「それはいいんだけど」


「何?」


「起き上がるのがせいぜいでまだ立てないんだ」


 勇人の言葉に小夜は軽く噴き出し、楓と二人で勇人を挟むと立ちあがらせた。

恐らく史実の南部師行は絶対にこんな人では無かったと思います。


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