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3-3 左近

 日が暮れる中、山道を歩いていた。

 雪の上に一筋の足跡が付いている。それを注意深く同じように踏み、辿っている。

 足利方に通じている気配がある武士の家の下男に僅かな銭を渡し、調べさせる事をしている。今日は山の中でその下男と落ち合って話を聞く予定だった。

 敵の忍びの動きは、今はかなり鈍くなっている、と左近は感じていた。

 陸奥守の暗殺失敗で相当の数を失った事から、まだ立ち直れていないのだろう。

 もっとも、それで左近が暇になるかと言えばそんな事は無く、今は多賀国府に近い場所に位置する武士達と、新たに白河以北に入ってくる忍び達との監視に手一杯だった。

 人手は、こちらも足りている訳ではなかった。以前に失った四人の配下も、代わりになる者がようやく二人だけ、影太郎から送られてきた所だ。

 元々からして、影太郎が集めたはぐれ者の忍びの集まりである。伊賀や甲賀のような、忍びの技に長けた者達の郎党や大きな集落が背後に付いている訳ではない。戦いが続けば、こちらの人が減って行くのは仕方が無い事だった。それなりに腕が立ち、かつ信用出来る新たな忍びを探すと言うのは、簡単な事ではない。

 影太郎は、口減らしのために捨てられた子どもや売られている子どもの中から、素質のありそうな者を探して忍びとして育てる事もしているようだが、当然それもすぐに成果の上がる事ではなかった。

 ほんの一年ほどで忍びとしてはほぼ完成の域に達したちあめは、例外中の例外だ。

 山道の先に、山小屋が見えてきた。

 ふと、左近はそこで視線を下に落とした。足元の雪の上に一筋の足跡が真っ直ぐ小屋に向けて伸びている。落ち合う予定の下男が付けた物だろう。左近は自分の足跡を付けないように、ずっとそれを同じように踏んで辿って来た。

 咄嗟に身を翻したのと、二つの殺気が身を打ったのはほぼ同時だった。

 山小屋の方角からの手裏剣。そして横合いの木の影から飛び出してきた斬撃。ほとんどぎりぎりの所で左近はそれをかわしていた。

 敵は二人。木こりのような恰好をしており、知らない顔だった。しかし、同じ人間かと思えるほど良く似ている。ただ小屋にいた方は薄笑いを浮かべており、木の影に隠れていた方は無表情だ。


「良くかわしたな。何故気付いた」


 小屋にいた方が口を開いた。

 途中で、雪の踏込の深さが僅かに違っていた。小屋の方から、ある部分まで踏み込みが深くなっていたのだ。誰かが小屋から後ろ向きに足跡を辿って途中まで進み、そして横の木へと跳躍したのだろう、と、咄嗟に判断して跳んだ。

 しかしそう答える事はせず、左近は鎖鎌を構えた。

 二人が動いた。二人の姿が一人になる。そして手裏剣が飛んで来た。一本を弾き飛ばし、もう一本をかわす。しかしその時には一人から二人に戻った敵が、かわした所へ挟み込むように斬撃を繰り出してくる。

 鎖を使って薄笑いを浮かべている方の斬撃を受け止めながら姿勢を大きく崩し、無表情の方の斬撃をかわそうとする。しかし右肩に熱さが走った。

 どうしようもなかった。一対一であっても自分よりもずっと強い相手だ。それが二人、息の合った連携でこちらを追い詰めてくる。

 無理な体制のまま全身で跳躍するように身を翻した。しかし次は足に痛みが走る。

 気にせず走ろうとした時、薄笑いの方がすでに目の前にいた。薄笑いが嘲笑になる。腹の立つ相手だ、と思った。白刃が閃く。

 同時に、小さな黒い影が飛び込んできていた。

 鋼がぶつかる音がし、敵が後ろに飛び退る。

 ちあめが短い刀を構え、割り込んで来ていた。態勢を崩し掛けている左近の首に手を回すと、そのまま強引に横に引き倒し、もう一人の方からも庇う姿勢を作る。

 一呼吸の間も置かず敵の二人はまた一人に重なり、そして手裏剣を四本同時に打ってきた。

 左近は思わず息を呑んだ。ちあめはその場を一歩も動かず、刀を捨てもせず、飛んで来た手裏剣を片手で二本ずつ宙で掴み取ると、振り被る事も無く手首の動きだけでそれを投げ返したのだ。

 手裏剣に続いて二人重なり合う斬撃を繰り出そうとしていた敵が、身をかわす。その顔には驚愕の色が浮かんでいた。左近も度肝を抜かれるような技なのだから、当然だった。一瞬だけ迷うような素振りを見せ、それから二人は身を翻して逃げ出した。

 ちあめは二人を追う事はせず、ちらと左近の方を見る。そこからは表情は読み取れないが、その眼は左近の肩と足の傷に向いているような気がしていた。


「傷は大丈夫だよ、大した事無い。お前が来てくれなきゃ殺されてただろうけど」


 何故ここに、と尋ねるのは二重に意味が無い事だった。いなくてはならないからそこにいた。ちあめはそう言う忍びだ。

 ちあめは少し背を伸ばし、傷に触れないように左近の両肩を横からつかむと下に力を込めた。座って手当てをさせろ、と言う事だろう。近くにまだ敵が残っていないが気になったが、左近は大人しくそれに従った。ちあめが大丈夫だと思うのならば大丈夫のはずだ。

 落ち合う予定だった下男の方は、もう死んでいるだろう。


「けど、あの二人は何者だったんだろうな。かなり、いや相当腕の立つ忍びだった」


 ちあめの手当てを受けながら左近は呟いた。


「双子のようにも見えた。二人だけで動いてるんだろうか。そんな訳は無いよな。同じような強さの忍びが新しく何人も入ってるんだったら、ちょっとぞっとしないな」


 ちあめは特に反応するそぶりも見せず、手当てを続けている。当然左近も返事は期待していない。それでもこうして時々左近は自分の考えを一方的にちあめに語りたくなる時があった。そうしていないと、いつのまにか自分とちあめの間で考えが大きくずれていないか、不安になるのだ。


「やっぱり新しく陸奥に入って来た斯波家長の配下なのかな」


「いや、足利直義の配下だ、あれも」


 答える声は、ちあめのさらに背後から聞こえた。左近は反射的に体を緊張させ、しかし聞き覚えのある声だと気付き、すぐに警戒を解いた。ちあめは最初からその気配に気付いていたようで、特に反応もしていない。


「いつの間にこっちに来たんだ、鷹丸(たかまる)


 振り向きながら左近は尋ねた。今は斯波家長に張り付いて紀州にいるはずの鷹丸が木にもたれかかるようにして立っていた。

 影太郎の下で配下を任されている忍びの一人で、自分とは一応同格と言う事になっているが、腕は鷹丸の方がずっと良かった。気配も見せず自分の背後に回るのはたやすい事だろう。


「鎌倉の方で影太郎殿が人手を必要としていてな。一旦俺が奥州に回り、お前とちあめが鎌倉で影太郎殿の下に付くように、と言う命令だ」


「鎌倉で?」


「京の方がきな臭い。恐らくそれに合わせていずれ北条時行が鎌倉で叛乱を起こす。その時の混乱を機と見て大塔宮を救う算段を影太郎が付けている。それに人手が必要なのさ。必要なのはお前では無くちあめの方だろうがな」


 鷹丸は形の良い唇を吊り上げ、少し皮肉な笑いを浮かべた。思わず見惚れてしまいそうなほどの整った顔立ちをした男である。人に紛れるのは少し不便そうな顔だが、それでも様々な忍び働きをそつなくこなす。


「斯波家長の方は?」


「腕のいい忍びはいるが、まだ派手には動いていない。それよりもあの二人から陸奥守様を守る方が重要だと俺も影太郎殿も判断した」


「何者なんだ、あの二人は?」


「少し前から突然足利直義の配下として動き出した忍び達だ。恐らく直義が直接手の内に飼っていたが、今まで使っていなかったんだろう。影太郎殿も鎌倉で手を焼いたらしく、配下が二人殺されている」


「相当に腕が立つ」


「暗殺だけを生業にしてる連中だろう、と言うのが影太郎殿の見立てだ。連中が陸奥に入ったのを知らせて俺が陸奥守様の護衛を引き継ぐつもりだったが、一手遅れた。まあ、どの道ちあめがどうにかするとは思っていたが」


 本当はちあめの戦いぶりを黙って見ていたのかもしなかった。露骨に表には出さないが、鷹丸はちあめの事を得体の知れない女だと警戒している所がある、と左近は思っていた。もっともそう見えるのは、単に左近が鷹丸の事を嫌いだからかもしれない。

 それにまともな感覚の持ち主なら、ちあめの事を忌避するのは当然と言えば当然だった。


「実際にぶつかりあって腕の程が知れた。顔も見れた。それだけで今回は儲け物だろうな。ま、向こうもそう思っているかも知れないが。こんなのがいると分かったのだから」


 ちあめの方を見ながらおかしそうに鷹丸は言った。お前は話の外だ、と言われている気に左近はなった。

 実際の所、ちあめが来てくれなければ恐らくなす術なく殺されていたし、敵にとっては腕の悪い忍びを一人始末した、と言う程度の事で終わったはずだ。


「鷹丸、お前に任せて大丈夫なのか、陸奥守様の事は」


「あの二人とまともにぶつかり合いたいとは思わないがな。まあ鎌倉での事が済むまでの間ぐらいは何とかするさ。陸奥守様の護衛も並ではないしな」


 少しだけ鷹丸に言い返したくなり、挑発的な物言いをしてみたが、鷹丸はすんなりとそれを流した。


「俺の部下達はどうする?」


「このまま俺が引き継ぐ。お前達は二人で鎌倉に迎えばいい」


 そう言い残して鷹丸は暗闇に姿を消す。左近はその気配を追おうとしたが、すぐに見失ってしまった。


「鎌倉に行け、だそうだ。ちあめ」


 二人きりになった後、また左近はちあめに話しかけた。ちあめはもう左近の手当てを終え、佇んでいる。


「必要なのは俺じゃなくお前、と言うのは当たってるんだろうなあ。何も言い返せなかったよ」


 どれだけ努力しても埋められない差、と言う物が人の間にはある。自分がちあめより弱いのはどうしようも無い事だ、と左近は日頃から自分に言い聞かせている。

 日頃からそう言い聞かせなければ行けないのは、本当は納得出来ていないからだろう。


「鎌倉までは馬を使って急ぎで五、六日か」


 暗い気分になり掛けた自分を振り払うように左近は話を変えた。


「二人で体を動かしながら行こうか。少しこっちでは息が詰まる事が多かったし、鍛え直したい」


 こくり、とちあめは小さく頷いた。向こうで何が待っているにせよ、鎌倉までのちあめとの旅路は息抜きにはなるだろう、と左近は思った。

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