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10-30 建速勇人(18)

「逃げないのですね」


 初めて、こちらから声を掛けた。

 残った部下をまとめて退くのであれば、この辺りが潮時だろう。


「ここで逃げた所でな、と言うのはある」


 互いに、馬上で剣を構える。同時に、気が満ちて来た。

 周囲の戦いの気配は、聞こえて来なくなった。ただ、二人だけの戦場が、そこに出来上がる。

 一対一で向き合うと、五辻宮のあの場を支配するような異様な気が全く衰えていないのが良く分かった。むしろ、あの時よりも気は強くなっているような気もする。

 年齢は、四十の半ばと言った所か。武士のように、生涯の最初から戦いを生業にしていた訳では無いだろう。

 何故、剣の技を磨き始めたのか。そしてどれほどの鍛錬を積んで、ここまでの域に達したのか。

 自分は、どうなのか。あの頃から、本当はどれほど強くなっているのか。

 交差した。

 互いに馬の位置を入れ替えただけのような形になった。しかしやはりわき腹に光のような凄まじい物が通り過ぎた感覚が残っている。

 五辻宮は変わらぬ姿勢でまた剣を構えている。このまま、丸一日でも構えていられるのではないか、と言う自然さだ。

 そのまま固着する。

 周囲に、近寄ってくるような兵はいなかった。二人の気に、押されているのか。それとも、長く固着しているようで、本当は束の間に過ぎないのか。

 また、動く。動いたと言う意識さえおぼろげで、剣を振ったと言う感覚は最早無かった。

 肩に痛みが走った。ふと見ると、わずかに血が滲み始めている。もう少しずれていれば、首の動脈が切れていただろう。

 勇人の剣は、五辻宮に届いた感覚は無かった。

 やはり、この男は強い。恐ろしく、強い。

 その強さの底にあるのは何なのか。何故この男はこれほどまでに高貴な者による支配を拒絶するのか。

 向き合いながら、束の間、他にも様々な思考が、頭の中をよぎった。

 それは結局は、剣に対する思考へと帰結する。

 自分の剣の道は、師行との出会いから始まった。

 師行は槍だけでなく剣も十分に使えたが、それでも型から教えるような事はしなかった。

 槍も剣も代々の絶えない戦の中で武士が磨いて来た集団での殺し合いのための技であり、本質的には戦場で人を殺し、自分が殺されないための、体と心と気の使い方に過ぎない。

 自分の死を恐れ過ぎては目前の敵を殺せない。しかし自分が死ねば次の敵は殺せない。

 その矛盾の中でぎりぎりの答えを出すための術。

 本当の命の捨て所は、見える所のずっと先にある、と言う事を師行はしっかりと教えてくれていた。


「腕は上げた。しかしそれ以上に、あの頃とは変わったな」


 五辻宮が構えを変えないまま呟いた。


「随分と、生きた人間になったか」


 答えなかった。ただ思考だけが次々と別の物に移り変わる。

 師行殿。思考はいつのまにかそんな呼びかけに変わっていた。

 あなたは怒るでしょうね。戦場で死んだ人間に頼るな、と。それでも今、あなたに訊ねたいと思ってしまう弟子の弱さぐらいは、分かってくれませんか。

 あなたなら、この男に勝てますか。勝てるのなら、どう戦って勝ちますか。

 倒すだけなら、相打ちを狙うのが一番なのは分かっています。僕は出来るなら、まだ死にたくはない。

 無論答えなど無かった。ただ、頭の中に今まで自分がして来た師行とのやり取りと。師行の戦い方が浮かぶだけだ。

 やがてそれは全て消え、透明な物になった。


「謝っておきます」


 それでもしばらくそのまま向き合い、圧し掛かってくるような気の重圧を押しのけ、そう口を開いた。


「ほう、何をだ?」


「僕と言う存在は、あなたにとって恐らく本当はとても理不尽な物ですから」


「何?」


 五辻宮がわずかに怪訝そうな顔をする。無論、その程度では構えは揺るがない。

 もう何も考えなかった。

 踏み出す。交差する。向き合う。

 右肩に焼けるような熱さが走った。五辻宮は馬上で先程と同じように剣を構えている。

 やがて、その剣が上下に揺れ始めた。


「何だ、今の技は」


 五辻宮が小さく呟く。


「相打ち狙いであれば、突きを放って来るかも知れぬ、とは思っていた。突きであれば、斬撃よりも深く入るからな。しかし、突きはそれが分かっていればかわす事は難しくない」


 喋る内に、次第に五辻宮の声に苦しそうな息が混ざって来た。


「ぶつかる瞬間、かわせる、と思った。だからこそ踏み込んだ。しかしそちの突きは、私の想像以上に鋭く、速く、そして深く伸びた」


 口から吐く物に、血が混ざった。胸もとの当たりに赤い染みが広がっているが、それは吐いた血によるだけの物では無さそうだ。


「槍、だな。あの瞬間だけ、そちは刀を使いながら、槍の技を使った。実際には無い柄を使うようにして、右手だけでぎりぎりまで刀を伸ばし、突いた。そち自身の技では無かったな、あれは。だから、私にも読めなかった。全く、何の予兆も無く、他人の技を使えるものなのか。そち自身も、今まで一度も真似てみようとはしなかった技なのか」


「この国で最も強かった武士の技です」


「ほう」


「出来れば、自分の技で勝ちたかった」


「勝ちは勝ちであろう。それにどうせ、後一年もすればそち自身の技で私を討てるようになれた」


「最後に一つ聞いてもいいでしょうか?」


「何だ?」


「何故、途中で勝負を投げたのです?」


 途中から小夜を狙う事をやめ、強引に和政を討ち、そして勇人達を標的に変えた。

 もっと粘り強く小夜を狙えば、まだ戦い続けられたはずだ。


「余計な事を忘れ、一剣士としてそちと戦って見たくなった、等と言っても信じはすまい。まあ、自分で考えるのだな。生き残った側には、考える時間だけはある」


「そうですか」


「私からも一つ聞きたいのだが」


「何でしょう」


「先程、そちが言った理不尽、とはどう言う意味だったのだ」


「それは」


 勇人が答えようとした時、五辻宮が落馬した。

 死んでいるのがはっきり分かった。今まで喋り続ける事が出来たのが、不思議なぐらいだった。

 ひょっとしたら自分は、この男を殺すためにこの時代に来たのかもしれない。

 その予感のような物は何故か勇人の中で確信に近くなっていたが、口に出してそう答える事はしなかった。

 もう、相手は死体である。

 勝利を確認するかのように、朝雲が一度嘶いた。

 勇人は朝雲の首を撫でた。

 最後の一撃の瞬間、朝雲は勇人の意図を察したように自ら一歩踏み出してくれた。それが無ければ、自分は負けていたかもしれない。

 朝雲から降りると、刀の下げ緒で、右肩の傷口を縛った。かなり、深くはある。

 いつしか、周囲の戦いは終わっていた。残っていた五辻宮の護衛達も斬り死にしている。高師直の騎馬隊も、小夜がようやく敗走させたようだ。

 足利軍の本隊も奥州軍の本隊に押され、戦が始まった時よりずっと小さな陣形で、甲羅に籠った亀のように後ろに下がっている。

 それでも高師直は未だに軍勢をしっかりとまとめていた。やはり、尋常でない粘り腰である。

決着。

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