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10-14 建速勇人(6)

「証拠を出せ、と言われても困りますが」


「いや、まずはそうである、と信じて話は聞こう。例えそれが事実であった所で、朕は揺るがぬ」


「そうでしょうね。僕にも、僕が知る未来のこの国の方が、主上が作ろうとされている国よりも良い、と言う確信などありません」


「しかし、武士と公家がいない世が来る、と言ったな」


「はい」


「では、七百年後のこの国では朝廷と帝はどうなっておるのだ?」


「朝廷は存在していません。しかし帝はその血筋と共に、実権は持たない国の象徴として存在し続けています」


「そうか。武士も公家もいない世でも、帝だけは残るか」


「多くの民に、敬われてはいます。例え僕のような人間でも、それなりには」


「帝は、この国に必要な存在であったのか?」


「どうでしょう。帝と言う存在がいなければより多くの人が死んだ戦乱もあったでしょう。その逆に、帝と言う存在のために死ななくていい人間が死んだ事もありました」


「今は?」


「死者の全てが、主上のせいでは無いでしょう。しかし主上が人が死ぬ事を止めようと思えば、恐らくもっと人は死なずに済んだ」


「そうかも知れぬ、な」


「もう、やめませんか。主上が本気で動かれれば、足利尊氏は今からでも降るでしょう。尊氏が降り、奥州軍が京に入れば、それでひとまず二つに分かれた朝廷を一つに戻し、この乱世を陸奥守様の元で収める事が出来ます。今の機を逃せば、この乱世はますます混迷して行くでしょう」


「そこに、朕の力が必要か?顕家であれば、このまま鬼神の如き戦いを続け、自力で尊氏を倒し、京を制していずれは天下の戦乱を治めるのではないか。後は義良(六の宮)を帝位に就ければ、顕家が思うがままの世を作れよう。すでに敗者となった朕が、何かする必要もあるまい」


「これ以上、陸奥守様に戦をさせたくはありません。あの方に、人を殺してほしくはない。あの方は、鬼神ではなく、弱さを持った、一人の人間です」


「一人の人間かも知れぬ。しかし、比類なき才を持っておる。であるならば、天下のために戦い、覇者を目指すのは、宿命と言う物ではないか」


「そんな勝手な理屈を、あの方に押し付けないで下さい。あの方は戦以外の方法でも、ずっと民のために働いてこられた。少なくとも、主上よりは遥かに、民を豊かにしてこられたし、戦が終われば、またそれを始められるでしょう」


 喋っている内に、自分が本当に強い憤りを感じている事に勇人は気付いた。

 後醍醐帝によって、小夜は子どもと言っていい年齢の時から利用され、そして次は抗うために、ひたすらに戦を続けて来た。

 そこで死なせて来た人間がどれほど彼女の背に伸し掛かって来たのか、目の前の帝は分かっているのか。いや、それを想像した事すらあるのか。

 後醍醐帝の暗躍によってここまで乱世が混迷しなければ、ただひたすら奥州を安定させ、奥州に住む民達を豊かにする事だけに専念して、ずっと穏やかな日々を過ごしていたのかもしれないのだ。

 その方が、本当はずっと彼女らしい生き方だっただろう。


「ここで朕を斬るか」


 気付かない内に憤りが殺気になっていたのか、後醍醐帝は、わずかに体を震わせた。しかし、怯えは無い。


「今更ここであなたを斬っても、しょうがない。自分勝手な出来もしない夢を見て、ひたすら他の人間の力を頼り、他の人間に血を流させて、そして夢が潰えてもまだ我を通して、それで満足しているような人間を」


「言ってくれる、な。それを無礼と咎める資格は、朕には無いだろうが。しかし、朕の理想の何が間違っていた、と言うのだ」


「あなたは、今いる人間達を、信じられなかったのですよ」


「あの朝廷内で豪奢な生活を追い求める事しか知らぬ廷臣達や、恩賞がために戦を引き起こす数多の武士達を信じて政を行えば良かったと言うのか。例え一時善政を敷こうとも、公家が公家であり武士が武士である限り腐るのは、眼に見えていた」


「そんな中にも、いたはずです。本当に民の事を考え、今より少しでもましな世にしようと抗っていた人間達が。公家の中にも武士の中にも」


「確かに、いた。先程名前を上げた者達もそうであった。しかし、あまりにも少数だ」


「本当は、大勢いたのですよ。そんな人間は」


「何」


「例えば地方の小さな武士の家の中に。例えば地方の小さな寒村の中に。自分の力の及ぶほんの狭い範囲であっても、そこに住む人間の暮らしを少しでも良くし、飢えや病や戦で死ぬ数を少しでも減らそうと足掻いて来た人間が、眼を落とし、見渡せば、至る所に、無数に」


「そう言った人間は、確かにあらゆる身分に、無数にいたかもしれん。しかしそれで世が変わると信じるのは、それこそ砂を集めて城を作ろうとするような、虚しい夢ではないか」


「それでも、人の愚かさが人を傷つけるのと同じように、人の賢さも確かに人を救って来たのです。あなたがした事は人の愚かさと共に、人の賢さがわずかずつでも積み重ねて来た物を、踏み砕くような行為だった」


 考え得る限りの知恵を働かせ、周囲の人間を説き伏せ、血が滲むような苦労をして、一つの村が、冬を越すための食糧を貯える。そんな努力を、あの村長はしていた。

 そしてこの国で自分と同じ立場の人間なら誰でも同じような事をしている、と村長は語っていた。

 例えばそんな人間の努力の結晶と言えるような物が、この数年間、どれだけこの国で砕かれて来たのか。


「お主の言いたい事が、分かって来たぞ。頭で、分かるだけだが。つまり朕を阻んだのは、そんな少しでも救えるはずの命が無下に奪われる事を許そうとせぬ、人の意思か」


「何十年か何百年か先の国の形。あなたはそんな物に付いて考える前に、足元の人間達に目を向けるべきだった。自分がそんな事に付いて考える余裕があるのは、日々生きるだけで精一杯の人間達の血と汗を搾り取っているからだと、頭ではなく体で分かるべきだった。戦で人が死に、人を殺す事が、どれだけ不快で哀しい事か、身を持って知るべきだった」


 どれだけ言い訳しようが、生きている人間は死んだ人間には何も出来ない。

 戦の結果、仮にどれだけ世の中が良くなろうとも、先に死んでいった者達には何の関係もない。

 だから小夜は、血を吐くような思いをしながら、それでもやらなくてはならない戦を続けている。

 そして目の前で失われて行く命から、決して目を逸らさない。

 そこが、目の前の帝と小夜の決定的な差だった。

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