2-7 建速勇人(3)
雪が降る暗闇の中、左近に言われた通りに歩き続けた。日が昇っても、結局何も起きなかった。
勇人はその辺りの切株の雪を払い、腰を下ろした。手足は冷え切り、息も切れていた。
左近はもう、小夜の元に向かったのだろうか。自分に何事もなかったと言う事は、恐らく左近の勘が当たっていたのだろう。
また、死に損ねた。うんざりするような思いが襲ってくるのかと思っていたら、襲ってきたのは猛烈な後悔で、勇人は戸惑っていた。
どうせ命を捨てる気になるのであれば、そのまま左近についていけば良かった、と思っている自分がいた。いや、雪の中、歩き出した時から、その思いはあった。それでも、小夜のためにこれ以上踏み出す勇気が出なかった。
自分は結局臆病なだけだったのだ。誰かのために必死にやってそれでも力が及ばない事が怖いだけだったのだ。そう自覚した時、叫び出したくなるほどの悔恨が襲って来ていた。
声を掛けられたのは、さほど時間も経たない内だった。
「酷い顔をしてるね、お兄さん」
息を弾ませながら、勇人の目の前に楓が立っていた。
「君か。小夜の所に行かなくてもいいのかい?」
上擦った声で、何とかそれだけを口に出した。
「これから行くよ。助っ人も呼んだ。ただ行く前にお兄さんを付いて来ないか誘いに来ただけ」
「どうして」
どうして自分を誘いに来たのか、と尋ねるべきなのか、どうして自分が付いて行きたいと言う事が分かったのか、と尋ねるべきなのか迷い、その先は言葉にならなかった。
「別に。左近から報せを聞いて何となくこの辺にお兄さんがいるのかな、って見当を付けただけだよ。通り道じゃなきゃ、声も掛けなかったと思う。たまたま通り道にお兄さんがいたのは、そりゃ巡り合わせだね」
勇人が次の言葉を紡ぐよりも早く、楓は答えていた。相変わらず、良く喋り、そしてこんな状況だと言うのににこにこしている。
「巡り合わせか。便利な言葉だね」
自分の大切な人間が次々と死ぬのが巡り合わせなら、この時代でどうあっても小夜とその周りが付いて回るのも巡り合わせだろうか。そして今はその巡り合わせを、悪いとは思わなくなっている。
「ま、時間が無いから簡単に聞くよ。小夜を助けて上げたい?」
「僕は」
「お兄さんに何が出来るかとか、何をしなくちゃいけないかとかじゃなくて、お兄さんがやりたい事の中に、小夜を助けるって事は入ってる?」
一瞬だけうつむき、それから楓の目を正面から見た。これで動かなければ今度こそ終わりだ。楓ではない別の何かに、そう言われた気がした。
どこかで、捻じ曲がっていた。その捻じ曲がった自分を見つめ直した時、心の奥底になあるのは単純な感情だった。
「僕は、小夜を助けたい。あのお人好しで、優しくて、賢くて、重い物を背負っていて、天下万民のために命を掛ける、と迷いなく言えて、そしてその通りに死んでしまうはずのあの子の事を、助けたい」
そう吐き出していた。言ってしまえば、何故、今までそう言えなかったのだ、と不思議な気分だった。
「うん」
楓が頷く。
「それじゃ、助けにいこっか、男の子」
楓はそう言うとくるりと背を向け、森の中を走り始めた。