10-4 左近
暗闘は熾烈を極めていた。
五辻宮の配下達は総じて忍びの技は未熟で、かわりに武芸に長けている。
見付ける事は難しくなかった。しかしそこからぶつかろうとすると、例え数で勝っていても犠牲を覚悟しなくてはいけない。
足利の軍勢の隙を埋めるようにして五辻宮の配下達は網を張っている。その先を探ろうと思えば、こちらからぶつかざるを得ないのだ。軍勢にぶつかるよりは、ましである。
奥州軍の軍勢がこちらの潜入を援護するために足利の軍勢にぶつかり、打ち破ってくれる事もあるが、それもいつもと言う訳には行かない。
直義配下の忍び達も姿を見せているが、停戦はまだ続いていて、互いに最低限の動きだけを伝えて、相手に干渉しないようにしている。
陸奥守の下にいるほとんど全ての忍び達が集まって、吉野にいるはずの後醍醐帝の動きを掴もうとしていた。
左近が率いる部下の数も一度膨れ上がり、そしてそれは次第に減って行っている。
左近自身も戦いの場で追い込まれた事が一度や二度ではない。
勇人に鍛えられていなかったら自分もとっくに死んでいただろう。
ちあめはいつも通り影のようにして自分を守っていてくれているが、それもさほど余裕が無いのは伝わってきている。
敵の軍勢の合間を縫い、五辻宮配下達と暗闘を繰り広げながら、敵の軍勢の背後へと浸透する。
ただ潜入するのではなく、そこからかなり広い地域を探らなくてはいけないのが厄介だった。静かに潜んでいるだけで探れる事ではない。
敵の軍勢の動きを追っている内に五辻宮配下に襲撃される事も多かった。
その場合は迎え撃つ事はせず、どうにか逃げる。
忍びの技では一日の長がある分、逃げに徹すれば分はこちらにあった。それでも、少しずつ配下の数は減って行く。
全員が、本来の忍びの仕事の域を超えた所で戦い続けている、と言う感覚があった。
それには限界があり、そして当にその限界は来ていた。
何故、そんな戦いを続けるのか。自分達の死に、何か意味があるのか。
そう言った問いは当の昔に左近の中では尽きていた。そんな風に自分が戦う事に迷っている者は、もう皆逃げるか、あるいは死ぬかしている。
部下達への責任、と言う事は、いつしか考える事をやめていた。
部下達もまた、忍びと言う生き方を選んだのだ。そこから逃げようと思えば、逃げる機会は今までに何度もあっただろう。
それでも小さな意地を貫き通して、あるいは別の何かのために、それぞれが、ここに立っている。それは、ただそれだけの事だった。そこには本当は自分が背負うべき物は、最後の所では何も無い。
今生きるか死ぬかよりも、最後の瞬間、自分が誰だと思って死ねるか。
自分はどんな自分として死にたいのか。どんな生き方と死に方であれば、満足して死ねるのか。
暗闘の中で、それが見えて来ている気がした。しかしそれは、ふとしたきっかけで消えるような曖昧な物だろう。
「ちあめ、俺はどこか変わったかな」
姿は見せず、ただ近くでわずかに気配を放っているちあめにそう語りかけた。
ちあめの気配を、以前より辿れるようにもなっていた。
「俺が変わったとして、その俺はお前にはどう見えているんだろうな、ちあめ」
当然ながら、返事は無かった。それでも、自分の言葉がちあめに届いているのが左近には分かっていた。
時刻は、夕刻である。
ちあめ以外の気配が、ゆっくり近付いて来ていた。数も少しずつ増えて行っている。
呼び寄せていた部下達が集まってきたようだった。数は十五人。
そのまま部下達を扇の形で配置し、身を隠させた。
風に乗って、血の匂いが漂って来た。
どんな優れた忍びでも、体から流れる血の匂いを完全に隠す事は出来ない。
だから忍びが激しい戦いを行っている時は、風向き次第で闘争の気配よりも先に、血の匂いの方が届いてくる事がある。
伏せたまま、じっと動かなかった。わずかに感じられていたちあめの気配も、消えている。左近も気配を殺す。
いつしか、日は完全に落ちていた。
闇の中、こちらに向かって駆けて来る人の姿。合わせて数十人になりそうな程の集団二つが、横に広がり、互いに入り乱れるように戦いながら、こちらに近付いてくる。
追われている方が十人程で、追う方が二十人程。予想通りだった。
まず、やり過ごした。そして、指笛を吹く。
それを合図にして、部下達が動き始めた。追っていた側のさらに背後を衝くように、襲い掛かる。それに合わせ、追われていた者達も一斉に反転した。
左近も駆けた。駆けながら投げた鎖鎌で、一人が首から血を流しながら倒れた。それに追い付くようにして鎖鎌を掴み、振り向いた敵をさらにもう一人斬り倒す。
敵は自分達が罠に掛かった事を悟ったようだった。前後からの攻撃に備えられるように、円陣を組もうとする。
さすがに反応が早かった。すでに勝負は付いていたような物だったが、しっかり守りを固められるとこちらの犠牲が大きくなる。
左近がそう思った時、横を小さい影がすり抜けていた。
ちあめが途中まで完成した敵の円陣の真ん中に真っ直ぐ斬り込んで行く。続けて追われていた側からも二人が斬り込んで行った。影太郎と鷹丸だと言うのは、動きで分かった。
左近も一呼吸遅れて斬り込む。束の間の乱戦。ちあめが跳躍しながら二人の首を下から斬り上げている。その背後を襲おうとした敵を、左近は刀で貫いた。
前後から挟まれ、さらに内側にも入り込まれた敵はそれで崩れた。後はほとんど一方的な戦いになる。
「ご苦労だったな」
動く敵がいなくなった所で、影太郎が声を掛けて来た。
影太郎が敵を引き付けて追われ、それを左近が待ち受ける。全て打ち合わせの通りだった。
「驚くほど上手く行きましたね」
「襲撃されれば、こちらが逃げる。敵はそれを予測して最初から追撃の構えを取っていた。そこに隙が出来たな」
敵はこちらが逃げる動きに慣れ過ぎていた、と言う事だろう。
この地で動いている五辻宮配下の内、暗闘を担当していると思われるのは全部で二百人程、と言うのが、親房と影太郎の一致した分析だった。その中の二十人をほぼ一方的に減らせたのは大きいだろう。
「これで、この先を塞いでいた敵はひとまずいなくなった。私と鷹丸はこのまま奥へと進む。それで、主上か、最低でも五辻宮本人の姿が見えるはずだ、と思う。影武者かもしれんが」
相手も、幾重もの偽装を行っていた。
「俺達は?」
「外側で待機。この先は私と鷹丸の組だけでいい。全滅は避けたい」
「俺とちあめは、行くべきでは?」
この先に踏み込むのはかなり際どい勝負になる、と影太郎は考えているようだった。
そんな局面なら、自分はともかく、ちあめは必ず役に立つ。いや、勝負を決する力になるのではないか。
左近はそう思ったが、影太郎は首を横に振った。
「私と鷹丸だけでいい、と言った」
「何故です。ちあめなら」
「五辻宮には、ちあめの技は通じないだろう。だから、私と鷹丸だけでいい。本当は、私一人でもいいぐらいなのだが。主上の動きを掴み、それを陸奥守様に伝える者はいるからな」
そう言われ、左近ははっとした。
「狙うのですか?」
「あの男だけは」
影太郎は短く答えた。
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