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10-1 足利直義

 迎撃のために青野ヶ原に出した二十五万もの軍勢が追い散らされ、徹底した追撃で打ち砕かれていた。

 主だった武将の内、誰が討ち死にし、誰が生き延びたのかも、判然としない。

 軍議の場は、混乱し切っている。

 宇治、瀬田の橋を引いて京に籠ろう、などと言うのはまだいい方で、もう一度西国に落ちよう、などと言い出す者まで出る始末だった。

 誰も、ここまでの大敗を予想してはいなかった。負けるとしても、敗走した兵達がどこかで再びまとまり、京からの援軍を加えて陣を構え直せると思っていたのだろう。

 尊氏は沈黙を保ち、直義も積極的に意見は出さず、軍議の推移を見守りながらどこか冷めた感覚で情勢を分析していた。

 今、京から出せる兵は十万。二十五万の軍勢との激戦を越えた奥州軍に、間髪入れずそれとぶつかり、打ち破る余力が残っているのか。

 その余力があるのならば、このまま奥州軍は単独で京に進軍してくるだろう。その場合は、もう足利にも、そして裏で暗躍している先帝にも出来る事はない。

 陸奥守が独力で京を回復し、その功績を持って太政大臣に昇れば、その実力と声望は圧倒的な物になる。二つに割れた朝廷を一つに戻して天下を平定する事も、容易くやってのけるのは目に見えていた。

 だから、その場合の事を今更考えても仕方が無い。

 今考えるべきは、そうでなかった場合の事だ。

 奥州軍単独での進軍が無理なら、普通に考えれば北陸の越前にいる新田義貞との合流をまずは目指すだろう。

 今越前の新田義貞は斯波高経の軍勢が向き合って完全に抑え込んでいるが、ここで奥州軍が北に転進し、斯波高経の背後を衝けば、挟撃の形になって斯波高経は容易く崩れる。それを防ぐためにさらに奥州軍を追う余裕は、畿内の武家方には無い。

 新田の軍勢は今はせいぜい三万から四万と行った所だが、それでも陸奥守と新田義貞が合流し、さらにそこにもし吉野の先帝も自ら加われば、相当数の武士が改めて靡くだろう。

 だが、それをやればその軍勢はもう陸奥守の軍勢ではなく、先帝の軍勢、と言う事になる。全てを先帝を戴いた上での新田義貞との合議で決めざるを得なくなり、陸奥守が自分の意思で軍勢を動かす事は不可能になる。

 ここまで奥州軍単独での進撃に拘り、関東で敢えて北条勢や新田義興を振り切ってまで進んで来た陸奥守が、ここに来て戦場での勝利のためだけに新田義貞と合流する事を肯ずるのか。

 先帝の企みを止めるためには奥州軍のみの力で勝利を得なくてはいけない。陸奥守が本来の目的を見失っていなければ、新田義貞と合流する事は避けるだろう。

 ならば後考えられる動きは、一度伊勢に下がり、軍勢を休ませてから再度奥州軍だけで京を目指す、と言う物だった。

 その場合、先帝はそれにどう応じるのか。奥州軍が態勢を整え直すのを大人しく待つのか、それとも何か動きを見せるのか。

 奥州軍単独でここまで勝ち続ける事は、先帝にとっても大きな誤算だったはずだ。

 軍議では高師泰が積極的な迎撃を主張し始めていた。師直を除く他の高一族が真っ先に賛同し、佐々木道誉と言ったそれ以外の一部の武士達も賛同する。

 師直以外の高一族には、先帝と五辻宮からの調略が相当に及んでいる、と言うのは調べが付いていた。

 尊氏が幕府を開き、様々な役職を定めてから、武断派の武士達の間では、自分達の戦での働きと比べて恩賞が薄い、と言う不満が高まっている。

 その筆頭と言えるのが師直の兄である師泰だった。

 戦で功を立てても、生まれ持った家柄の低さ故に下風に立たざるを得ない。

 そんな思いを抱く武士達に取っては、先帝が思い描く実力だけが全てを決する真の乱世、と言う物は、魅力的に映るのかも知れない。

 結局、軍議では、師泰を大将にして、佐々木道誉、氏頼(うじより)秀綱(ひでつな)細川(ほそかわ)頼春(よりはる)と言った者達に残る十万の軍勢を率いさせ、黒地川で最後の防衛線を敷く事になった。

 師泰が軍議をそう進めたのが先帝の意図であるのかどうかまでは分からないが、少なくともその意図に反する事では無いのだろう。

 尊氏も直義も師直も、最後まで積極的な発言をする事は無かった。

 軍議の後、諸将が出て行った後で直義と師直が残った。

 尊氏はすぐ自室に戻り、いつも通り写経を始めたようだ。


「これで退くだろうかな、奥州軍は」


「さて、此度は直接当たった訳では無いので、それがしにもそれは何とも」


 師直はいつも通りの、どこか不遜とも思えるような態度で答えた。


「ならばお主も出て行ってみるか?師直」


「大殿からの命があれば、いつでも打って出たい物ですが」


 ここしばらく、尊氏は戦で師直を使おうとはしていなかった。

 師直は、清濁併せ呑む武将だが、同時に主上からの調略などを受け付ける人間では無かった。尊氏からの命令が無ければ、絶対に独自の動きをしたりはしない。

 そして尊氏は今の所、自分の先帝に対する忠誠心は自分一人の物、と思い定めているようで、裏で師直を抱き込もうとはしていなかった。

 つまり、師直は宙に浮いた状態になっている。


「私からの命であればどうする?師直」


 そう切り込んでみた。


「ほう、それがしに何か仕事をせよと」


「今の所、何かある訳ではないが。いや、何を命ずるべきか分かっていないと言うべきだな」


 自分が師直に裏で何か命じ、師直がそれに応じて尊氏に自分から具申すれば、戦に関する事であれば尊氏はそれを拒否する事は無いだろう。


「大殿ではなく、直義様に従え。そう言われるのですかな?」


「今だけは、だ。今の兄上は先帝に惑わされておられる。お主とて、足利が先帝と五辻宮の二人に好きなようにされるのは愉快な事ではあるまい」


「確かに愉快な事ではありませんが」


 師直はそう答えた後、この男にしては珍しく一瞬、逡巡のような物を見せた。


「どうした」


「武士とは、快不快で主君への仕え方を変える物ではありますまい」


 その答えに直義は瞑目した。

 一見、どれほど型破りに見えていても、師直は本質的には見事過ぎるほどに見事な武士だった。

 足利家の執事として尊氏に仕える自分の生き方に、師直は寸分たりとも疑問を感じてはいない。

 その師直を裏側でこちらに取り込もう、などと言うのは侮辱ですらあったのかもしれない。


「お前はどこまでも兄上に従うか、師直。兄上がどうあろうとも」


「我らの間では、敢えて口に出すまでも無い事だと思っておりました」


「私も分かっていたつもりではあった。許せ」


「いえ。大殿と直義様がいつまでも一体である、と呑気に信じ込んでおったそれがしが愚かであったのでしょう」


「一時の事だ、と私は思っている」


「それがしもそう願ってはおりますが、お二人とも昔から最後は意地っ張りな所がおありでしたからなあ」


 師直の言葉が胸に刺さった。


「どちらにせよ苦労する事になるぞ、恐らく。あの兄上にこの先も従うのであればな」


「忠義とはそう言う物でございますからな」


 師直が不敵な表情を作ると応えた。どこか強がっているようにも見える。

 師直は足利の忠臣であり、尊氏の忠臣である。だから自分の忠臣でもある、と言う事は直義にとってずっと当然の事だった。

 思えばそれは、ただの甘えだったのかも知れない。尊氏と対立するとは、兄に忠誠を誓う武士達とも対立する、と言う事なのだ。

 師直は一つ頭を下げると、部屋から出て行った。

 尊氏を通してではなく、ただ自分一人に忠義を尽くす武士はいるのか、と、しばし直義は考えた。

 思い浮かべたのは淵辺義博である。自分はあの男の忠義をそれと自覚する前に使い潰し、何も報いる事も出来ず死なせてしまった。

 師直の尊氏に対する忠義もまた、何も報われる物が無い虚しい物に終わるかもしれない、と言うほとんど確信めいた予感が直義にはあった。ただそうなっても、師直は微塵も後悔はしないだろう。

 奥州軍が黒地川に布陣した軍勢とはぶつからず、伊勢へと転身した、と言う報せが届いたのは、二月六日になってからだった。

 ひとまず、考える時間はもう少しだけ出来た。その報を聞いて、直義はそう思った。

お待たせしました

9章を最終章とする予定でしたが思ったより長くなりそうなので一度区切ります。

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