9-16 北畠小夜(7)
後衛を引き付けていた政長が大きく後ろに下がった。敵の後衛がそれを機と見たのか再び支援のために数万の軍勢を進めて来る。
そこに師行と勇人が追い立てた騎馬隊が敗走して逃げ場を求めるように駆け込んで行く。
どうにかして方向を変えようとする敵を、さらに二千騎で小夜は左右から追い込んだ。
統制を失った味方が騎馬で駆けこんで来れば、どんな軍勢でも混乱する。敵なら迎え撃つ事も出来るが、味方であればそうも行かないからだ。
混乱した敵の数万に、さらに師行と勇人が突っ込むと、鮮やかに断ち割った。
「全軍、押せ」
小夜は和政と合流すると、騎馬隊と徒の力を合わせて主力で敵の前衛を押した。敵の退路を脅かしていた正家も迅速に陣形と力の方向を変えると、敵の退路を開け、敵を後衛の方へと押しやっている。
正家の軍の内、時行が指揮をする五百の軍勢が突出しているのが見えた。遮二無二、突き進んでいるように見える。しかも時行自身が先頭に立っていた。
その動きは周囲の敵を圧倒してはいた。しかし全体としては遥かに敵の数の方が多い。無謀だ、と思ったが小夜の位置からはまだどうしようもなかった。
時行の勢いに乗るようにして攻めかかる以外に出来る事はなかった。
前衛の敵が完全に崩れる。それと同時に時行の兵が押し潰される。そう見えたが、しかし後ろに付いていた正家が強引に突き進むと、時行の所まで辿り着いていた。
崩れた敵の前衛はそのまま混乱している敵の後衛と合流する。しかしその敵の後衛も師行と勇人、そして政長がすでにかき乱していた。
いつものように敵の軍勢を貫くのではなく、敵の陣形の中で縦横無尽に動き、暴れ回っている。
敵の前衛、後衛が共に崩れ、そして一つになった。
「敵に立ち直る暇を与えるな。攻めろ、攻め続けろ」
敵の数はまだ遥かに多い。後は敵の混乱と味方の勢いに乗じて、どれだけ多くの敵を倒せるかだった。
小夜自身も太刀を抜き、敵兵を切り倒す。いつの間にか横にぴたりと和政が付いて来ていた。そしてその周囲に旗本の五十騎が小さく固まる。
敵は二十五万である。どれだけ進み、倒しても、敵の陣形は重く、堅いままだ。
進み続けた。もう攪乱など試みる時期でもない。進もうとする先で、師行と勇人が駆けている。二人は思うがままに敵陣を駆け回り、行く先々で敵を倒しているように見えた。
それでも、まだ敵は踏み止まっている。二十五万と言う数の兵その物が、敵の支えになっている。
どれだけ、殺せばいいのか。どれだけ人を死なせれば、この戦は終わるのか。
崩れる敵の中で、核のようにしてまとまり始めている軍勢がいた。上杉憲顕が意外なほどの迅速さで軍勢を立て直している。
「そろそろ、あの男との戦いも終わりにしたいものですな」
横で和政が呟いていた。それに答える余裕は、小夜は無い。
上杉憲顕の姿が見えた。自ら太刀を振るい、兵達を叱咤しながら戦っている。
あの男のせいで、時家と斯波家長は死んだ。そう思っても、憎しみのような物は小夜の心には浮かんでこなかった。
上杉憲顕も、随分、成長した。そんな場違いな感想だけが、頭のどこかに浮かぶ。
師行と勇人が挟み撃つようにして襲い掛かる。それでも、上杉憲顕は踏み止まっていた。
あの二人の騎馬隊に攻められる事を全く恐れていない。その勢いに乗せられて周囲の兵も必死になっているので、二人も攻め切れていないようだ。
こちらを見付けたのか、上杉憲顕が先頭に立って向かって来た。さすがに、師行と勇人の攻撃に耐え切れなくなったのか、兵は崩れ始めている。しかし、上杉憲顕は止まらない。
目が合う。
来る。小夜が太刀を構え直し、手綱を入れようとした時、上杉憲顕の体が馬上でのけぞった。
そのまま落馬し、その上杉憲顕を包み込むようにして敵の軍勢は下がっていく。そこに師行と勇人の攻撃が続き、上杉勢は崩れる。
「余計な事だったでしょうか」
思わず横を見やった小夜に和政が答えた。
和政が放った飛礫が上杉憲顕を打ったのだと言う事に気付いた者が、前線に何人いただろうか。
どこに当たったかまでは、小夜にも分からなかった。あれで討ち取れたかどうかは微妙な所だろう。
「いや。あれと正面からぶつかればこちらにも相応の犠牲は出ただろう。今は、少しでも味方の犠牲を抑えたまま勝たねばならぬ」
ぶつかるだけぶつかり合ってしまえば、確実に討ち取れただろう。それが出来なかったのは、やはり上杉憲顕の運が生き残る方に傾いたのだ。
最後まで踏み止まっていた上杉勢が崩れた事で、敵はまとまる中心を失い、潰走を始めた。それをさらに追い討ちに討った。
兵達は血に酔ったようになって逃げる敵を狩り立てている。
あちこちに屍の山が出来たが、小夜はそれを止めようとはしなかった。
ここでまとまった退却を許せば、敵は京からの増援を受けてまた大軍として立ち直る。それでは、この激戦の意味がない。
「楠木正家殿が、負傷されたとの事です」
逃げる敵に合わせて新たに陣を進めた所で和政が報告して来た。
時行を救った時にだろう、と小夜は思った。
「傷の具合は?」
「かなりの深手だったようですが、血は止まったと」
「そうか。無理をせず、場合によっては河内に戻る事も考えるよう伝えよ」
この激戦である。味方も誰が負傷したり、あるいは死んでいてもおかしくはない。
そう思い、小夜はそれ以上心を動かさないように努めた。
逃げる敵を追い討つ事無く、師行は騎馬隊の動きを止めていた。
追撃はある意味でもっとも騎馬隊の力を発揮できる戦だが、馬の脚を休ませる事を優先したのかも知れない。
もうこの先は戦ではなくただの人殺しだ、と師行に言われた気もした。
師行の旗本も、百騎ほどは失っているように見えた。奥州軍全体では、どれほどの犠牲が出たのか。
それでも、追撃する兵は止まらなかった。
勇人が馬を寄せて来る。傷を負っているようには見えないが、勇人も朝雲も、返り血で真っ赤だった。
「勝ったね。大勝だ」
勇人がぽつりと言った。
「うん」
小夜も兵達から少し離れて勇人に並ぶと頷く。
激戦に勝ち、大勝した。
それでも小夜には高揚のような物は無かった。逆にどこか荒涼とした思いだけが、心の中に漂っている。
師行と勇人の騎馬隊の動きは、鮮やかと言う他なかった。
勇人の力量が増している、と言うだけでなく、勇人が師行の要求する水準に達して動けるようになった事で、師行もそれを踏まえた上で動けるようになっているのが見ていて分かった。
今の二人は、小夜が今までに見た事も無かった、いや、頭の中で思い描いたどんな戦よりも見事な戦をしている。それは最早美しいとさえ言えた。
ただそれでも、戦である以上、そこで実際に行われるのは殺し合いであり、後に残るのは血生臭い、見るに絶えないほどに傷付いた屍だ。
正しい戦など、本当にあるのか。戦の先に流した血の量に見合うだけの政があるなど、幻想なのではないか。
「泣いているのかい?」
勇人が訊ねて来た。
「泣いてなんかいないよ」
泣いていた所で、陵王の面の上から分かる訳が無かった。
そしてこの戦場で涙を流す事など、例え勇人の前であっても自分に許される訳が無かった。
だから自分が泣いているのかどうか、小夜は確かめようとは思わなかった。
面白い・続きを読みたいと思われたら是非ブックマークや評価をお願いします。励みになります。
また感想やレビューも気軽にどうぞ。