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2-6 左近

 寒さが、厳しくなっている。

 左近はかじかむ指の震えを抑え、火を灯すと、自分で書いた地図を広げた。地図には、陸奥の簡単な地形の他に、玉の字がいくつも書いてある。ここ数日の内に配下の者達が見付けた、足利方の忍びの数だった。今まで表立って姿を見せなかった足利直義の忍び達が、各地で活発に動き始めている。

 それが何のための動きなのか、どうしても読み切れなかった。

 いや、動き一つ一つは、おかしな物ではない。あちらもこちらの動きを掴もうとし、数を活かして広がり、網を張ろうとしている。こちらも各地でそれに捉えられないように構えている。そう見える。だが、左近はずっとどこかに違和感を抱き続けていた。

 敵の動きが、どこかで、本気に見えないのだった。こうして毎日敵の動きを探り、睨み合っていても、これから命を掛けた忍び同士の狩り合いを始めると言う気分に、どうしてもなれない。

 横に気配を感じた。目を動かすと、闇の中にちあめが立っている。


「ちあめ、お前はどう思う?」


 左近がそう尋ねると、ちあめは地図にじっと目を落とした。闇の中、しばらくその姿勢のまま小さな灯だけで地図を睨んだ後、地図の一点を指差す。多賀国府だった。


「多賀国府?」


 その意味を考えた。今は次の敵の動きが見えない状況だ。そして左近の役目はあくまで陸奥守の身を守る事である。下手な動きはせず、陸奥守の身辺を固めてじっと耐えろ、と言う事だろうか。

 無駄に動けば、隙が出来る。それは一対一の立ち合いでも、多対多のにらみ合いでも変わらない。


「分かった。ちあめはしばらく陸奥守様に付いていてくれ。俺の部下もしばらくまとめて陸奥守様に付ける」


 こちらが人数で劣っている以上、ただ守りを固めるだけ、と言うのは危険な事でもあったが、左近はちあめの勘を信じる事にした。ちあめがこくりと頷くと立ち上がり闇の中に消える。

 再び一人になった左近はもう一度だけ地図を見ると火を消し立ち上がった。

 一つ、ある予感があった。陸奥守は定期的に僅かな供回りだけで領内を見て回る事をしている。ちょうど明日もその予定の日のはずだった。

 敵がその予定を掴んでいるとしたら、そして今の忍び達の動きが全てその陸奥守を狙うための下準備だとしたら。敵の忍びがどこかで固まって動くのだとしたら、それは必ず途中でこちらの目に留まり、止められる。だが、全くの別の目的、別の動きをしているのだと思っていた忍び達が突然一斉に陸奥守へと向いて動き出せば、動き出してからではそれを止めるのは難しい。

 全ては憶測だった。これ、と言う根拠がある訳でもなく、ただの憶測で陸奥守に予定を変えるように進言したり、あるいは影太郎や楓に人を回すように要求する訳にも行かなかった。

 それが憶測でないと確かめる方法、今の敵の構えが見せかけだけの物だと見切る方法を、ようやく左近は思い付き始めていた。

 接触してきた部下に連絡用の者を残してちあめに合流するよう指示を出し、左近は一人で目的の場所へと向かい始めた。

 暗闇の中、雪を踏みしめながら進み始めた。雪が降っており、星も出ていない。それでも、よほど視界が失われるような吹雪でもない限り、道を誤るつもりはなかった。

 一刻ほど掛けて歩き、着いた先は、小さな村落の中にある納屋だった。

 村に入る時、確かに誰かに見られる気配がした。予想の上だった。この村には陸奥守が拾い、多賀国府から流れた一人の男がいて、そして足利方の忍び達に見張られている。実際にはもう陸奥守とは何の繋がりも無いはずで、せいぜい囮になってくれればいい、と言う程度の人間のはずだった。それでも楓が気に掛けていた事もあり、左近の方もしばらくの間、部下に遠巻きに見張らせていた。つまり忍び同士で睨み合いになっている場所の一つで、その中でもこちらにとっては最もどうでもいい場所だった。

 納屋に入り、中で眠っている若い男を揺さぶった。

 男はすぐに目をさまし、一瞬だけ固まった。声を上げようとし、しかし飲み込むとゆっくり起き上がった。思った以上に冷静な男だった。だが、目は落ち着いてはいない。


「夜遅くに済まない。直接顔を合わせるのは久しぶりだが、建速勇人だな。最初にあった時も思ったが、意外と冷静じゃないか」


「開き直っているだけかも知れないけどね」


 勇人は肩を竦めて答えた。やはり目は泳いでいる。


「最初に会った時以来、かな。あの時は挨拶も助けてくれた礼も出来なかったけど。確か、左近とか言ったっけ」


「ああ。陸奥守様に仕える忍びさ」


「随分間が空いてしまったけど、あの時は君とちあめって子に助けられた。ありがとう」


「俺は大した事はしてない。君を助けたのはちあめの判断だ」


「僕が敵じゃない、って和政殿にわざわざ伝えてくれただろ、君も」


「それは、まあ」


「それで、今更僕なんかに何の用だい?縁は切ったつもりだったんだけどな、陸奥守や多賀国府とは」


「完全には、切れてない。気付いているのかどうか知らないけれど」


「忍びが、僕を見張ってる事なら気付いてるよ。多分足利の方だと思っていたけれど」


「なら、話は早い。少し、手を貸してほしい事があるんだ」


 左近はそう前置きすると、今の足利方の忍びの動きと、自分の考えを順番に話し始めた。その間、勇人は一言も口を訊かず表情も動かさず、黙って左近の話を聞いている。本当にこちらの話を聞いているのか、不安になるような顔だった。

 左近の話が途切れ、しばらくの間沈黙が流れた。左近が堪え切れなくなりもう一度口を開こうとした時、勇人はほとんど口も動かさず、声を出した。


「つまり、僕に囮になれと?」


「ああ」


 頭の回転はそれなりに早いようだった。

 勇人が囮になり、忍び達を惹き付ける動きをする。もし、左近の勘が正しく、敵が明日陸奥守を襲撃する計画を練っているのだとしたら、敵は勇人の動きを無視するか、あるいはごく少数の忍びで追うだけだろう。明日に備えての布陣を崩す危険は冒さないはずだ。もし勇人が見張られているのが見せ掛けだけでなく、勇人が捕えられるなり殺されるなりしても、こちらが失う物は何も無い。

 非情な話だが、左近には今の所これが一番いい手段だと思えた。もちろん、断られれば別の手を考えなくては行けないし、承諾してくれるともあまり期待していなかった。


「分かった、やるよ。具体的に何をすればいい?」


 だが、ほとんど考える様子も無く、勇人はそう言った。


「いいのか?もし敵が君に向かってきても、俺が助けられるかどうか分からないぞ。いや、多分助けられない」


「いいさ。あの子にはだいぶ恩知らずな事をしてしまったし、その恩を返して死ねるんなら、いい潮時かも知れない。君と、あのもう一人のちあめとか言う女の子にも助けられた恩があるし」


「たやすく、命を捨てるんだな。本当にそれでいいのか?」


「君の方が持ってきた話だろ?」


 狼狽えかけてしまった左近に対して、少しおかしそうに勇人は笑った。

ここは思い切るしかない。確かに、左近の方から言い出した話なのだ。勇人が陸奥守のために命を捨ててくれると言うのなら、それを上手く使う事に徹するしかなかった。


「分かった。じゃあ有り難く囮にさせてもらう。そんな難しい事じゃない。これから俺が納屋を出る。君はその後少しすれば、火を灯して納屋から出て、ひたすら北に、真っ直ぐ多賀国府と反対の方に進んでくれればいい」


 この夜更けに左近と接触した勇人がそんな動きをすれば、敵はきっと何かしら使命を受けたと思うだろう。だが、左近の勘が正しければ、敵は動かない。


「俺は隠れて、君を追う」


「これで僕が死ななければ、その時はあの子が危ない訳か。複雑な気分だな」


「俺や俺の仲間達もかなり危ない橋を渡る事になると思う。まあ、お互い様だと思ってこっちの無事も祈ってくれ」


「君は、だいぶあの楓とか言う子とは違うな」


 不意に、勇人はそんな事を言った。


「楓は、俺の仲間達の中では随分変わってる方さ」


「君は、何で忍びをやってるんだ。生と死の、すれすれの中で生きる事になるんだろ?」


「どうして、いきなりそんな事を聞いてくるんだ?あまり、無駄話をしている時間も無いんだが」


「これが自分の生き方、と言う物が、僕には無いんだ。あったかもしれないけれど、思い出せない。もしこれから死ぬのなら、せめてそれを思い出したくなったんだ」


「それが、俺が忍びをやってる理由とどう関係あるんだ」


 戸惑いながら、左近は答えた。


「何となく、君は死ぬのを怖がってる人間に見えた。あの子や楓と比べれば、まだ僕にも分かる理由で、命を掛けてる人間のような気がした。だから、聞いて見たくなったのかな。君がどうして生きて、どうして死ぬのか」


 分かるような分からないような理屈だった。だが、それより前に、生き方や死に方と言う物に対する何か身を切られるような悲痛な物が、左近に迫っていた。

 この男の目が泳いでいるのは、そんな風に自分自身の事に付いてずっと考え込んでいるからなのか、と左近は思った。


「俺が忍びを続けてるのは、つまらない意地だよ」


 気が付いたら、口を開き話し始めていた。


「ちあめは、俺が縁があって拾った子なんだ。本当の名前は、誰も知らない。血の雨に中にいたから、ちあめ。酷い名前だろ?俺が付けた訳じゃない」


「なるほど。だからちあめか。確かにちょっと凄い名前だな」


「酷い経験しか、してない子でね。最初に拾った時から、どこか壊れてたけど、俺と出会って、余計に壊れる事になった。そして俺のせいで、人を殺す事にもなった。あの子が人殺しにならなきゃ、俺の方が死んでいたと思う」


 そこまで言って、左近は少し言葉を切った。


「具体的に何があったのかは、悪いけど、ちょっと話す気にはならない。ただ、結局は俺が弱かったせいで、そうなった」


 明るいとはとても言えない忍びとしての左近の人生の中でも、とりわけ暗く、苦い記憶の一つだ。仲間の忍び達にも、話した事は無い。出会ったばかりの勇人にそれを語る気にはなれなかった。

 勇人は、やはり黙って無表情で聞いている。ただ、目の動きはぴたりと止まっていた。


「ちあめは多分、この先も忍びとして、人殺しとしてしか生きていけないと思う。だから、俺もそこからは離れられない。ちあめに人生を間違わせた上に、命を助けられた。借りがあるんだ」


 そこまで言って、左近は笑った。


「もっとも、今は俺よりちあめの方がずっと強いんで、一緒に忍びをやってるとその借りがどんどん増えていくんだけど」


「終わりは、見えているのかい?」


「さあ。俺が死ぬか、ちあめが死ぬか、それぐらいかな。いつかちあめを人間に戻せればいい、と思ってるけど、それは本当にそうただ思ってるだけだ」


 口に出してみれば、女一人にこだわっているだけ、と言われても別におかしくないような、本当につまらない意地だった。


「つまらない話だろ。参考にもならなかったら済まない」


「いや、ありがとう。時間を取らせたね」


「じゃあ、囮を頼む。次に会う事があるかどうか分からないけど」


「ああ、そっちも万一の時は頑張ってくれ」


 左近は頷き、小さな灯を一つ勇人に手渡すと、用心深く納屋から出た。やはり見られている気配はする。しかし、そこから感じる気配に強い物は無かった。こちらとまともにぶつかり合う気があるようには、どうしても思えない。

 身を隠し、しばらく待てば納屋から小さな火を灯し、勇人が出て来た。左近は少しだけ間隔を開けてそれを追った。勇人を追う人間の気配は、はっきりしないが自分以外に一つだけはある。それで全てかどうかはまだ分からない。左近ごと捕えようと、大きく罠を張っている可能性もあるのだ。

 夜明け前までの数刻、左近は慎重に勇人を追った。

 動きは無く、左近は一人だけ連絡用に付けて来た部下に、楓に急を知らせるように命じると、自分はそのまま多賀国府の方へと駆け始めた。

 駆けながら、最大でどれほどの数の敵が来るのか、考えていた。自分の判断は遅すぎたのかもしれない、と思ったが、後ろ向きな考えはひとまず捨てる事にした。

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