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8-11 楓

 軍勢の質、と言う事で言えば、それほど高い物であるはずが無かった。

 宮方と武家方のどちら側からも討伐を受け続けた北条残党の寄せ集めである。数だけはそれなりにいても、まとめ役となるような名のある武士はほとんどいない。

 それでも楓は、北条時行の軍勢に忍び込める隙を全く見付けられなかった。

 戦の気配が近付くにつれて、元々軍全体が纏っていた異様な気配が高揚し、膨れ上がっている。

そこに入り込もうとするのは一頭の巨大な獣の体に触れるような物で、たちまち気付かれるだろう、と言うのがはっきり分かった。

 夜になって早々に、時行の軍勢に潜入するのを諦めると、楓は時家の本営の方へと向かった。元より、今潜入しなくてはいけない理由はない。

 鎌倉攻撃に向けて奥州軍から時行へと送られた表向きの使者に混ざっての、時行への使いである。時行への使者は一応体裁を保つための見せかけのような物で、自分の役目の方が本命だろう、と楓は思っていた。

 時家は本営の奥で床几に腰を下ろしていた。篝火が焚いており目の前には地図が広げてあるが、それを見る事も無く眼を閉じている。

 楓が入って来たのに気付くと、眼をゆっくり開けた。


「楓か。表の使者に混ざっているだろうとは思っていた」


 時家と顔を合わせるのは数か月ぶりになる。

 どんな戦場であっても涼しげな顔を崩す事だけはしない男だった。出会った当初は血筋の良さが出ているのかと思っていたが、どうやらそれが武人としての時家の型でもあるらしい。つまりどんな時でも、本当には余裕を失ってはいない。

 今もこの大戦の最中にいると言うのに、楓に向けるのはいつも通りの表情だった。

 以前はその余裕の中に才気走った所と気位の高さが見え隠れしていたが、時行の軍勢と行動を共にしている内にその辺りも見えなくなったようだ。


「表の使者とのやり取りはどうでした?」


「型通りの鎌倉攻めの段取りを決めただけだったな。時行殿は神妙な顔で聴いてらしたが、俺が口を出すような事は何も無かった」


「また口頭で陸奥守様からの命令をお伝えします。陸奥守様は関東の北条勢と新田勢を斯波家長に任せられると言う密約を結ばれました。時家殿は折を見て北条勢を離れ、再び奥州軍に合流せよ、との事です。ただしもしその必要があるなら関東での独自行動を取る事は構わない、と」


 楓の言葉に時家は驚いたような様子も見せず、小さく頷いた。


「やはり陸奥守様は斯波家長と組む事にされたか」


「あまり。いえ、全く驚かれていませんね」


「同じ立場に置かれれば俺でも斯波家長と組めないか、とは考えるだろう。それで実際に組めるかどうかは陸奥守様と斯波家長との器の勝負になるから、策として口には出せなかったが」


 斯波家長と影で手を組んだ、という話を小夜から聞かされた時、楓には驚きしかなかった。説明されてみれば奇策でも何でも無い当然の選択のようにも思えたが、それでも楓にはそんな発想は聞かされるまでは微塵も無かった。

 それを時家は奥州軍の本隊から遠く離れたこの場所から、見通していたのか。


「斯波家長が実際には味方、と言う事になれば、奥州軍は関東では余計な戦いをせず、とにかく先に進んで足利勢、そして北条勢と新田勢を振り切る事を目指す事になるな」


「ええ。斯波家長も表向き奥州軍と戦う姿勢だけは見せなくては行けないでしょうから、時家様の軍勢が残っていれば無用な混乱の原因になるかもしれません」


 時家が腕組をして少し考える姿勢を見せた。


「関東に残りたい、と思われていますか?」


「良く分かったな」


「それぐらいの事は。陸奥守様も必要であれば独自行動を取っても良い、と言われていますし」


 時家が床几から立ち上がり、時行の本陣の方へと眼をやった。集まっている武士の数はこちらよりも遥かに多い。しかし不気味なほどに静まり返っている。


「あの軍勢は、異常だ。実戦が近付くにつれて、ますますその気配が強まっている」


「それは、私も感じていました」


「斯波家長は確かに陸奥守様に並ぶほどの武人ではある。だが、実戦では何が起こるか分からない

。ましてや味方をも欺きながら戦わなくてはならない戦場だ。そこで、あの軍勢を相手にする事になる」


「斯波家長が負けるかも知れないと?」


「あるいは」


 時家にそう言われても楓は釈然としなかった。確かに北条時行の軍勢には何か常識では測れない物がある。だがそれでも集まっている兵はようやく二万を超える程度だ。それに新田義興を足しても、斯波家長は圧倒的な優勢で挑む事が出来るだろう。


「こればかりは、陸奥守様にも納得して頂けないかもしれない。だが、実際に数か月あの軍勢、そして時行殿をすぐ側で見続けていた事によって、ようやく掴めて来た物もあるのだ」


 そう言って時家は再び床几に腰を下ろすと、地図に眼を落とした。釣られて、楓もそこに眼をやる。


「陸奥守様が上洛され、関東で斯波家長が時行殿と戦う。もしそこで時行殿が勝てば。そしてもし新田義興が後醍醐帝の意思に従ってそのまま奥州軍の跡を追い、時行殿が鎌倉に留まる事をしたら」


「空白地になった関東で北条が三度鎌倉を支配する事になる。鎌倉と時行殿を旗印にして武士が集まり、あの異常な軍勢が一気に膨れ上がる事になる、と言う事ですか」


 時家の言葉を楓は引き継いだ。時家が頷く。


「今の時行殿は、二年前に鎌倉を奪い返した時とは別人だ。あの怨念に鎌倉を取らせる事だけは、避けなくてはいけない、と言う気がする。恐らく何か本当に手に負えない物がこの地に生まれてしまう」


 そう語る時家の口調や表情には、厄介な敵に付いてと言うよりも、困った身内に付いて語っているような色があった。


「だから、関東に残るんですか?」


「その場にいれば何か出来る事があるだろうからな。斯波家長とも、私ならば上手くやれる、とは思う」


 時家の言う事はそれなりに理が適っていた。直接北条勢の内側に入り込んだ者にしか分からない事、と言う物も確かにあるのかもしれない。しかし、何か違和感がある。


「時家様」


「何だ?」


「今更腹の探り合いもしたくありませんから率直に聞きますが、時行殿を助けたい、とどこかで思っておられませんか?」


 一瞬、時家の表情が固まった。そしてそれからやはりいつも通りの涼しげな顔に戻る。

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