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8-10 左近

 具体的に勇人が斯波家長と何を話したのか、敢えて訊ねるつもりは左近には無かった。

 何か陸奥守と斯波家長との間で取引のような事が行われたのだろうが、それに付いて自分が今詳しく知る必要は無いだろう。

 斯波家長との話が恐らく良い方向にまとまったのだ、と言う事は、勇人の顔を見れば察しは付く。

 それでも鎌倉を離れるまでの間、気は抜けなかった。

 勇人はまるで友人を訪ねた帰りのような気楽な様子で歩いていたが、ここは敵地である。

 左近は勇人から少し離れ、商人の姿に紛れてその後を追っていた。

 赤を通して斯波家長との繋ぎを付けたが、接触はどこまでも慎重を期した。口約束の停戦をしているだけの相手である。いつ寝首を掻こうとして来るかは分からない。

 そして赤や斯波家長にそのつもりは無くても、敵地である以上何が起こるかは最後まで分からなかった。

 勇人自身がどう考えているのかは良く分からないが、もう勇人も奥州軍に取っては欠かす事の出来ない人間になっている。護衛の任務は軽い物では無かった。いくら勇人が尋常でない腕であるとは言え、決して油断する事は出来ない。

 護衛のために鎌倉まで来ているのは左近一人だった。今回は下手に部下を使うと却って不測の事態を誘発しそうだと判断したのだ。ちあめはあるいはいつも通り、またどこか近くで勝手に動いているのかもしれない。

 関東の裏情勢は、表以上に混迷を深めている。奥州では相当の数が討たれた五辻宮配下の動きも、関東では活発だ。足利の忍び達もそれに対抗するように動いている。

 眼に見えない味方がどう動いているか、左近も全てを知っている訳ではないが、影太郎や鷹丸は今も各地で激しい暗闘を行っているはずだった。

 先を歩いていた勇人が、突然足を止めた。そしてこちらに振り向く。何かあったのか。咄嗟に周囲を警戒する。まばらな人の流れ。その中に一つだけ異質な物があった。


「随分腕を上げたな、左近。お前に気付かせるつもりはなかったんだが」


 農夫が一人近付いて来た。鷹丸である。


「勇人が気付いたから気付けただけさ」


「この距離で気付かれるとはな。影太郎殿並みじゃないか、あの男」


 勇人は足を止めたまましばらくこちらを見ていたが、目立たないようにするためなのか近くの木陰に移った。寄って来る気は無いようだ。


「何かあったのか?」


 鷹丸が自ら接触してくる事は珍しかった。昔からの仲間であり、実力は認めているが、左近はどこかこの男には合わない物を感じていた。忍びにしては自尊心が高過ぎる、と思う事があるのだ。

 最近は自分の方がより重要な仕事を任されるようになっている、と言う思いも、心の底でわずかに芽生え始めている。それに関しては、気付くたびに自戒していた。


「今の所何も無い。何も無いから近付けた、とも言えるな」


「分かるように言えよ」


「腕を上げた分、図太くもなったものだな」


「だから、何の事だ」


「鎌倉までの護衛としてお前が一人で動くとは思っていなかった。以前のお前なら、あれこれと理由を付けて部下を同行させただろう。だが今はちあめの位置すら気に掛ける事無く、動いている」


「俺は今でも気を抜く事無く慎重に動いているよ。ただ、以前していた警戒の内、いくらかは無駄で余計な物だった、と思っているだけさ」


「いつの間にか、俺よりも重要な仕事を任されるようになった」


「俺が自分で仕事を決めてる訳じゃない。影太郎殿の判断だ」


「俺はお前が嫌いだったよ。臆病で大した腕でも無いくせに、何故か影太郎殿に目を掛けられ、俺と同格の立場にいる。その上、ちあめと言う得難い女と唯一無二の関係を築いている。まあ、お前も俺の事を嫌いだったろうが」


「勝手な理屈で嫌ってくれているな。まあ、俺の方がお前を嫌っているのは事実だし、その理由も随分勝手な物だと自覚してるが」


 何故鷹丸が急にこんな事を言い出してきたのか。それを考えながら左近は返事をした。


「次第にお前が重んじられるようになり、お前に対する憎しみが消し難いようになってから、それを影太郎殿に指摘された。責められるのか、と思ったが俺に向いている仕事がある、と言われてそれを任せられるようになった」


「向いている仕事?」


「裏切り者を探す仕事さ。感情で目を曇らせているような奴が密かに裏切っている訳が無いから信用できる、と」


「俺達の中の裏切り者を探っていたのか?」


「五辻宮配下達と戦いながらな」


 自分達の中に裏切り者がいるのか、と言う事に付いて左近は今まで真剣に考えた事が無かった。影太郎が選んで信じているのだから、自分が疑う理由はない、と割り切っていた所がある。

 だが逆に影太郎の立場であれば、裏切り者がいないかどうか探すのは当然と言えた。


「それで?まさか俺がその裏切り者だとでも?」


「それならそれで面白かったんだがな。仮にそう判断したなら、こうして声を掛けたりはしない」


「まあ、それはそうか」


「裏切り者を探す事を始めて、仲間達の仕事を少し離れた所で見るようになってから、俺に欠けていてお前にある物が少しだけ分かったよ。俺なら直義配下の忍び達と停戦を持ちかけられた時、その裏にある物を見抜いて手柄を立てようとし、何かをしくじっただろう。今もこの状況で、何も考える事無く護衛だけに徹する、と言う事は出来ない」


「人には向き不向きがあるってだけの事だろ、それは」


 鷹丸がしてくる話の流れが読めず、どう返答するべきか、迷ったまま左近は答えた。


「そうだな。だから逆に言えば俺に向いていて、お前にはどうしても向いていない事もある」


「とにかくくどいな、今日は。あまりのんびり話していられる状況でもないんだが」


「俺はお前の配下の中に裏切り者がいると思っている。それを伝えに来た」


「誰だ?」


「まだ、分からん。絞り切れてはいない。お前の配下の中だと言うのも、そうだと思うだけで、確証は無い」


「何でそんな曖昧な話を、今ここで伝える?」


「お前は裏切り者じゃない、と思っているからさ。影太郎殿のやり方は徹底していて、お前や楓が裏切り者だと言う可能性も未だに排除していないから、これは俺の勝手な行動だ」


「確証が得られてからでいいだろう、それこそ」


「この先の戦いの中、裏切り者を見付ける前に俺も影太郎殿も死ぬかもしれない。それを考えると忠告だけはしておこう、と思ってな。ま、実際に死ぬのならお前の方が先だろうが」


 鷹丸は最後でこの男らしい皮肉へと逃げ込んだ。それは自分を相手にここまで本音を見せる事に対するせめてもの抵抗なのかもしれない。


「お前は甘いよ、左近。その甘さを臆病さと慎重さで補って来たから、今まで生き延びて来たんだろう。腕を上げた分、臆病さを殺して動くのはいい。だが、甘さを消さないのなら最後の慎重さだけは忘れるなよ。お前が仲間だと思っている人間が、お前を背後から刺して来る。刺されるのは別の人間かも知れないが」


「忠告は、受け取っておくよ」


 言われるまでも無い、とはもう思わなかった。鷹丸は影太郎と共に裏切り者を探す仕事をする内に、何か言葉に仕切れない、それでも確かな物を感じたのだろう。

 今左近は勇人の護衛のために部下を連れず敢えて一人で動いている。鷹丸は左近の部下がいない所でこの話が出来る時を待っていたのかも知れなかった。

 裏切り者を見付ける、と言う仕事の事だけ考えれば、鷹丸がやっている事はかなり微妙な事だろう。それでも左近の事を信じ、案じて忠告に来たのだ。

 お互いに嫌い合ってはいても、仲間ではあった。


「この先の戦いだが」


「止せよ。互いに、この先生き残れよ、と言えるような立場でも関係でもないだろ、俺達は。お前はせいぜいちあめにでも優しい言葉を掛けてやれ。意味があるのかどうかは俺には分からないがな」


 左近の言葉を途中で遮り、鷹丸は唇を釣り上げて笑うと、背を向けた。遠ざかった気配はすぐに人の流れに紛れ、分からなくなる。

 左近はほんの一瞬鷹丸の言葉を思い起こすと、正面に向き直った。

 話が終わった事を見て取ったのか、すでに勇人は、再び歩を進め始めている。

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