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8-8 斯波家長(3)

「私にこの話を持ち掛けようと言い出したのは、陸奥守か?」


 そう言ってから家長は碗を置いた。白銀が何も言わずにそこに新しい湯を注ぐ。


「お心のどこかには、あられたかも知れません。しかし最初に言い出されたのは、師行殿です」


「戦の最中に、自分の心の中の迷いを見透かされた気分だな。戦場での事なら、そのまま討ち取られている。あの御仁が相手なら、仕方ない、と言う気もするが」


「誰にも、理解出来ない人間です、あの方は。陸奥守様は、恐らく相当に分かっておられますが。そして家長様も、恐らく同じ程に師行殿の事を分かっておられるでしょう」


「それは、誉め言葉と受け取っておこう」


 南部師行の名前が出た事で、自分が目の前の相手に羨望を感じている、と言う事にようやく気付き、家長は苦笑する気分になった。

 この男は陸奥守北畠顕家と南部師行を始めとして、どれほどの数の、尊敬し、認め合い、共に夢を語り合える人間達と共にこれまで戦い、学んで来たのか。白銀を除けば、自分にはそんな人間が果たしていたのか。


「その南部師行に鍛えられていた、と聞いたが」


「師です。そしてその言葉では済まされない程に、多くの事をあの方から学びました」


「正直な所、羨ましいな。私も戦に関しては、半分はあの御仁に育てられて一端の将になったような物ではあるが」


「今の家長様と騎馬による戦いで雌雄を決したい、と言う思いを抱いておられるでしょう、師行殿は。同時に、そのような戦いは無意味である、とも」


「私も、南部師行、そして陸奥守と雌雄を決したい。負け続け、であるからな」


「武人の誇り、ですか。それが」


「誇りではなく、つまらぬ意地であるのかも知れぬ。誇りは、己の心の中に保てていれば、それでいい物であろう。自分が正しいと信じる事が出来れば、例え負けの中でも誇りは保てる」


 陸奥守と組む事が正しいのかどうか。そして正しいと言う理由だけでその道を選ぶ事が自分に許されるのか。


「悩んでおいでですか」


「驚いた事にな」


 どのような理由を付けようとも、寝返りの誘いである。すぐさま捕えて首を刎ねてもおかしくはなかった。いや、それ以前に家長が直接会う事からしておかしいと言えた。

 ここに勇人が訪ねて来たのは最後の仕上げのような物で、本当はずっと前から、自分は説得されていたのだ。戦をする事を通して、ずっと陸奥守や南部師行と互いに人間を測り合い、語り合っていた。


「確かにそそられる話ではある。それは認めよう。しかし気に食わぬ事もあるな」


「何がでしょうか?」


「お主がどこか他人事のように語っている事だ、勇人。それがしと陸奥守が組み、同じ天下のために戦う。そのような夢を語っているのに、お主には熱さが足りぬ。お主がここで私を説き伏せられるかどうかに、その夢の成否が掛かっていると言うのに」


 家長の指摘に、勇人は苦笑気味の表情を浮かべた。


「分かりますか」


「お主にとっては、陸奥守の理想はどうでも良い物なのか?」


「陸奥守様も家長様も、私よりもさらに若い。その二人が、理想の国と言う物を見ておられる。どうでもいいと言うよりも、大き過ぎて私の理解を超えてしまっています。陸奥守様の事が理解出来ないのは、お会いしたその時からそうですが」


「ではお主は何故ここにやって来た?ただ臣下としての務めとしてか?」


「私の望みは、ただ陸奥守様に長く生きて頂く事です」


「ほう」


「あの方に長生きして頂きたい。私はその想いでここまでやってきました」


 そう言うと勇人は深々と頭を下げた。


「此度の上洛、奥州軍はこのままではほぼ孤立無援になります。そして陸奥守様は例え生還が難しいと思われても、それがこの国の民達のために必要であると考えられれば、京まで進み、命懸けで戦われるでしょう。その時、本来は奥州軍の後背を付くはずの関東一帯の足利勢が味方であれば、あの方が生き延びられる可能性は大きく上がります」


 不意に勇人はありのままの自分を出して来た。今まで全く隙を見せていなかった相手が、相討ち覚悟で飛び込んで来た。そう感じた。


「理想も夢も志も何も無く、ただ北畠顕家一人を救うためにここにいる。そう言っているのだな」


「言葉を、選ばなければ。もっと言えば、家長様に顕家様をお救いして頂くために、ここに来ています」


 そう語る勇人の言葉に、家長はほんのわずかな違和感を覚えた。確かにこの先奥州軍と陸奥守の先に待つ戦は困難極まる物だろう。しかし勇人の言葉は、まるで陸奥守がこの先敗れて命を落とす事を、ほとんど確信しているかのような口ぶりだ。

 その違和感は、しかし勇人への不審を起こす物では無かった。むしろそこからはひたむきさが伝わって来る。


「小賢しい男かと思ったが、存外、真っ直ぐ自分の言葉も喋れるではないか」


「以前にも、同じような仕方である人間を説得しようとしました。その時は相手を動かす事は出来ませんでしたが、やはり人を本当に動かそうと思えば、ありのままの自分をぶつけるしか、僕には出来ない」


「その人間とは?」


「湊川で死んだ武士ですよ。あの人が死ぬのを、止めたかった」


「なるほど」


 楠木正成。もしあの男が今生きて陸奥守と共にいれば何が変わったか。

 動かせる兵の数だけ見れば、最初から最後まで問題になるような武士では無かった。だがそれでも、もしそうなっていれば天下の情勢は今とはまるで違う物になっていただろう、と言うのは、家長にもはっきり分かった。

 今更そんな事を考えても、何の意味も無いはずだった。楠木正成はもういないのだ。生き残っている楠木一族の中にも、正成ほどの器量を持つ者は無論いない。

 それでも、勇人は楠木正成の名をここで出してきた。


「楠木正成の代わりに、私を味方に付けよう、と言う訳か。誉れと思うべきかな、これは」


「家長様は、楠木正成殿と?」


「顔を合わせた事は、何度か。語り合った、と言えるのは、一度きりだが」


「僕も、そのようなものです。そして、僕には何も計れない人でした。最後まで、あの人の事は何一つ読み切れませんでした」


「あの男の事が分かる人間は、それこそどこにもいなかっただろう」


 それをきっかけにするように、しばらくの間、楠木正成の事に話が向いた。それから足利尊氏、北畠顕家、足利直義、北畠親房、と互いがそれぞれ良く知る人間達の事を自然に語り合った。

 人が他人に付いて語る時、多くの場合語っている相手の事よりも、語っている当人がどんな人間であるかを伝えてしまう。それはどちらも分かっているようだった。つまり、本当は自分がどんな人間であるかを、伝えようとしている。


「以前、伊賀盛光が一度だけお主に付いて少し語っていたが、確かにその通りの男だな」


 しばらく語り合い、家長はそう言った。


「何がでしょうか?」


「ただの流浪の民ではない。武士でも無ければ忍びでもなく、無論公家でもない。こうして向き合ってみても、私が知るどの人間とも違う、と言う事だけは伝わって来る。分からない人間、と言う訳ではないが、しかし何かが違う」


「なるほど」


「お主は一体何者だ?建速勇人」


「それは」


 勇人はそこで一旦言葉を切ると、一瞬うつむき、それから顔を上げると笑顔を見せた。


「家長様には、それもいずれ全てをお話しするかも知れません。しかし、今はそれを語ってもあまり意味はありません」


「そうか」


 いつの間にか、雨はかなり激しく振り出していた。


「少しだけ、考えたい。明日の朝、またここに来てくれ」


 家長のその返答に勇人は静かに小さく頷くと、ずっと沈黙を保っていた白銀にも一礼し、出て行った。


「一晩、部屋を借りる。住職にそう伝えてくれ」


「はい」


 そのまま夜になり、一人で考え続けた。部屋にいるのは他に白銀だけである。白銀は時折部屋の火を絶やさないように動く以外は、じっと家長の側で黙っている。

 天下のために戦をしているはずだった。戦で勝利を重ねれば、それは最後は自分が目指している理想へと繋がるとかつては信じていた。

 そう信じ切る事が出来なくなったのは、いつからの事だったか。一体、誰のせいでそうなったのか。

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