表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

健康で健全な飲酒部の活動についての簡潔な報告

作者: 笹見

「今年は躍動元年にしたいんですよ」


そう言うとRは目を細めジョッキに口をつける。並々と注がれたレモンサワーが吸い込まれ、カラリと氷が音を立てた。いつにも増して突拍子の無い事を言うものだ。普段Rという人物は、常識が服を着て歩いているような私の後輩であり飲み友達であるが、そういえば酔いが回ると常識を脱ぎ捨てて奇天烈なことを口走る癖があったような気もする。


寒空から一時とはいえ避難した私は愛想笑いを顔面に貼り付け、ざっと卓上を見回して状況を確認した。恐らく3,4杯程飲んだ後だろう、散らばった皿を避け電子パネルを指先で乱雑に操作し、ビールを3杯注文する。今日は後二人は遅刻だろうか、欠席だろうか。いずれにせよ今しばらくはRの「議題」を聞く事になるだろう。それにしても店員を呼ばずとも注文できるこのシステムは実に画期的である。世の飲食店は全てこのシステムを導入すべきといっても過言ではない。


店内を見回すと心なしか普段の喧騒からは幾分寂しい印象である。当たり前といえば当たり前だが、こんな年始の平日水曜日に集まって飲むなど酔狂の極みであろう。新宿とはいえ大して立地の良くないこの居酒屋は、新年会を開くには少し物悲しい気がしなくもないが、如何せんアルコールの値段が行動指標となっている私達飲酒部にとってはふさわしい新年の幕開けとも言える。


Dはといえば軽薄な笑みを浮かべながら足を組みスマートフォンを操作している。恐らくソーシャルゲームにでも勤しんでいるのだろう。古今東西スマートフォンを横に持つ理由といえばソーシャルゲームに興じる際か関数電卓の使用時である。私の知る限りDという人物は文系であるからして後者ではないだろう。


で、とRに向き直りその言葉の真意を問うた。Rが口を開こうとした微妙なタイミングで店員の提供するビールがそれを遮る。しかしカラオケと居酒屋の店員は間が良いタイミングというものが分からないのであろうか。それとも分かった上で提供しているのであろうか。およそそのような底意地の悪い店員はいないと思いたいが、いずれにせよ注文が自動化できるのであれば提供を自動化する努力をしても良い気がする。そう考えれば回転寿司とは実に素晴らしい仕組みである。


目の前に置かれたビールを前にやることは一つである。目をやるとDもRも空になったジョッキを端に寄せ、新たに追加されたビールジョッキを持ち上げていた。成程話が早い。


「乾杯」


キン、と涼しい音を立てたジョッキを最短距離で口元に運び、間髪入れず嚥下した。職場と自宅の往復が人生の大半を占める私にとって唯一心が安らぐ瞬間である。さて乾杯の1杯目は思考停止してビールを注文するようになったのはいつだっただろうか。初めて大学時代にビールを飲んだ際にはその苦みと強めの炭酸のせいで盛大に噎せた事を覚えている。いつからかその喉ごしと苦みを好んで摂取するようになったのは年を重ねたからなのか、それとも不摂生な生活による味覚の乱れなのだろうか。どちらにせよジョッキの縁に残る泡程度には些末な問題である。


「啓蒙していたんだよ」と突如Dが口を開いた。ソーシャルゲームがひと段落したのだろう、スマートフォンを置きタバコに火をつけながら、おもむろにジョッキを空け始める。それにしても啓蒙とは中々に良い言葉である。私が入店する前にさぞかし高尚な話題で談議に耽っていたことが推測できる。きっと歴史のある文学作品や映像作品、絵画や音楽に関してだろう。ビールを口に含み片手で続きを促した。


「最近何か新しいアニメ見たか」と軽薄な笑みのままDが私に問いかけた。そんなことだろうとは思っていたが実際に言われてしまうと苦笑してしまう。見てないと首を振りながら答えると、そんなことだろうとRは大仰に頷いて卓上の焼鳥を口に運ぶ。はて焼鳥は8本あったはずであるが既に皿は空であり、虚しく七味とタレが皿に残っているのみである。記憶違いでなければ私は1本も手を付けていないが、虚空に消えたのでもない限り大方RとDの胃の中であろう。次の注文タイミングで覚えていれば私の分も頼もうと心に決め、Dの二の句を待つ。


「最近新しいコンテンツ追ってるか」と問われ私は答えに窮した。最近の私は十年以上前のアニメや漫画を片手間に消費し居酒屋で過去の名作を語るような生産性の欠片もない行動を積み重ねているが、それはDもRも同様である。そしてまた飲酒部全員に当てはまる問題ではないか。


飲酒部などというおよそ輝かしい社会人生活からほど遠くそしてほど良く意識の低いコミュニティは、私とDとR、そしてSとYという5人で構成される部活動である。会社も居住地も統一感の全く無い飲酒部のメンバーはただ一点、趣味でのみ繋がっており、飲酒部はその趣味の交流を計る飲み会サークルである。早い話がつまるところただのオタクの集まりである。


「いやー、昔のアニメの話ばっかですよね」とやや自嘲気味にRが口を開く。確かにそのとおりであるが突然どうしたのだろうか。飲酒部といえば数年どころか十数年前、私達が幼稚園の頃見ていたアニメや漫画、ゲームといったコンテンツについて酩酊しながら数時間管を巻き、駅前で解散後終電で乗り過ごさないことに全神経を集中し、帰宅して最後の力でシャワーを浴び泥のように倒れこみ、翌朝大半失った記憶と二日酔いの頭を抱え二度と飲酒をしないと心に誓いながら出勤するまでが活動内容ではないのか。


「そろそろ色々やばい気がするんですよね」とRはへらへらと続けるが何となくそのふわふわとした危機感に苛まされる気持ちも理解できた。ただでさえ絵を描く、曲を作るといったオタクの憧れる生産的行動を行わないまま二十六年の歳月を無駄に積み重ね、その上毎年毎月毎日津波の如く押し寄せる新たなコンテンツを受け入れられず忌避し、過去の思い出に浸り続ける生活は本当に何かが『やばい』と感じられた。この危機感を言語化出来るほどの語彙力は残念ながら私には備わっていないのだが、確かに漠然とした『やばい』という感情は心の底に焦げ付いていた。私の家の台所の数日放置してしまったフライパン程度には。


帰りに覚えていたら洗剤買おう、ついでに歯ブラシとキッチンペーパーもと思案しつつビールを追加し、二人にはレモンサワーを注文しておく。しかしレモンサワーがワンコインで飲めるというのは実に素晴らしい。コンビニでCCレモンを買うよりも安上がりではないか。ビールに飽きたら頼むのも悪くはないかなとおそらく当分頼まないタイプの決意をして危機感への同意を示すと、Rは分かりますか、口を開いた。


「だから今年は躍動元年なんですよ」

順接の接続詞が苦手なのだろうか、私も人の事は言えないがきっと国語はあまり得意ではないのだろう。そもそも躍動とはあまりにも漠然としすぎている。小学生の将来の夢でももう少し明確な目標があるだろう。小学校の時パイロットになりたいと言っていたクラスメイトは、そういえば大学の頃久々にSNSを見ると怪しげな自己啓発にどっぷりと肩まで浸かっていた事実を思い出し寂寥感に襲われた。


「お疲れっす」と後ろから疲労感9割眠気1割の声がかかり、振り返る間もなく目の前にSが座る。恐らく私達の中で最も勤労しているこのSは私の友人の後輩である。社会人には到底見えない派手な髪色とピアスで装備を固めているが、蓋を開けてみれば他の飲酒部メンバー同様ただのオタクである。そういえばSが来たということは既に20時を回ったという事か、であれば本日はYは欠席だろう。


とりあえずSのビールを追加で注文し、杯が揃ったところで再度乾杯をすると私が着席した時と同様に「今年は躍動元年ですよ」とRが仕切り直し始めた。そういえば焼鳥を注文していなかったが次の注文タイミングで覚えていれば私とSの分も頼もうと心に決め、漠然とした危機感と私達が抱える問題についてSに問いかけてみると「分かりますね」と予想通りの回答が返ってくる。


「新しいもの、何かやりたいっすね」とやはり漠然としたSの答えにRは待ってましたと口を開く。

「今年は色々ガチりたいんですよ。1年って12か月あるじゃないですか。大体の事は1か月ガチでやったら初心者抜けられるんですよ」と続ける。聞けば昨月から巷で流行の格闘ゲームに興じているようで、どうやら寸暇を惜しんで練習をしたらしくかなりの腕前になったようである。言われた通りSNSを見れば成程、学生時代格闘ゲーム上級者であったRの同期もその上達ぶりを称賛しているようである。格闘ゲームというものは私にとって縁遠いコンテンツであり、友人の家やゲームセンターでもステージから落ちないことを第一に考える程度には苦手であるため、同様に1か月前は初心者であったRの話はにわかに信じられないものであった。


「だから1か月に1つなんでもいいからコンテンツを決めて、それだけをガチで追及するって奴やりたいんですよね」とレモンサワーを飲み干したRは唐揚げを注文する。私は被せる様に自分の分のビールを追加し、残り少ない泡の無くなった手持ちのジョッキを煽るとやはり温いからか妙に喉ごしが悪い。そうか今の私はこの泡の無いビールの様な物であったか、と柄にもないことを思う。


とはいえ本気を出すという行為はオタクにとって最も難しい事の一つである。これまで本気を出せなかったからこそ今の私がいて、恐らく飲酒部のメンバーも同様であることは想像に難くない。三日坊主そのまま辞書から飛び出してきたような私達がいきなり本気を出そうものなら翌日から精神の筋肉痛必至である。


「だから飲酒部でやろうってわけよ」とDが話すと成程合点がいった。Sも同様に理解したようである。


「つまり毎月のテーマを決めて、皆でガチろうって事です」とRは届いたビールを私にパスしながら器用に空いたジョッキを片付ける。初心者が集まって12か月で12個のコンテンツを頑張るなどまるで手探りの笑い者であるがそんな無粋なことは言うまい。口をつけるとやはり冷たいビールは喉ごしが良い。大切なのは泡か。


何を頑張るかはおいおい決めるとして、と前置きしたうえでやりたい事を各々挙げていくと随分と乱雑な方針になってしまったが致し方ない。おもちゃ箱をひっくり返したような計画だがどうせ定期的に集まるメンバーである。進捗報告も目標も適度に飲酒しながら柔軟にこなせるだろうと普段の私達からはおよそ想像もつかないほどに前向きな議論をしてしまった。酩酊状態とはかくも恐ろしいものだ。


店員のラストオーダーでふと気づけばどうやら残った客は私達だけのようである。水曜日夜だというのに随分と深酒をしてしまったが新年会なら仕方ないと自分に言い聞かせ会計を確認する。一人二千円を切るとはやはり良心的な店である。余談であるがこの店は私の信頼できる友人にしか紹介をしていない。決して店内で偶然微妙な関係の知人に会いたくないといった消極的理由ではなく、単に混雑することを恐れているのみである。今年もよろしくお願いしますと思いながら会計を済ませ、結局注文し損ねた焼鳥に思いを馳せながら帰路に就いた。


私とDの家は一駅違いであるため帰路はほぼ同じであり、普段であればコンビニで一本缶チューハイ等を買ってだらだらと話しながら帰るのが常であったが、その日は幾分飲みすぎたようでDはまっすぐ帰宅してしまった。明日も仕事があると思いつつも駅から自宅までの寒空は一人では耐えきれず、つい煌々と輝くコンビニに吸い込まれた私は、気が付くとワンカップ大関を買いレンチンしていた。二日酔い確定の音である。


およそ10分程度の徒歩移動は考えを整理するのに丁度よい塩梅である。思えば色々な趣味に手を付けては来たがどれも全く大成していない。果たして最後に本気で何かに取り組んだのはいつだっただろうか。このままでは人生で最後に本気で取り組んだことが『大学三年の同期の飲み会でテキーラショットを年の数だけ飲もうとした事』になってしまう。それだけは避けたいものである。


今月はまず何をしてやろうかと少しだけ浮足立った千鳥足で帰宅した私は、最後の力でシャワーを浴び泥のように倒れこみ、翌朝大半失った記憶と二日酔いの頭を抱え二度と飲酒をしないと心に誓いながら出勤した。今日こそ洗剤と歯ブラシとキッチンペーパーを買おうと誓って。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ