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昔々……  作者: 水川湖海
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8.承章の2

 文人がこの島を訪れて数日。初めての金曜日が巡ってきた。ここ伝統学園でも、次の土日は休みである。普通なら休日を控えた学校は、心躍る学生たちが、普段とは異なる雰囲気を醸すはずである。しかし伝統学園では、相変わらずの沈んだ空気が、辺りを支配していた。


 どうやら休日にも、住人たちは落ちこんだままの様だ。文人は今日の学業を終えて、放課後を迎えると、隣の席の照に声をかけた。


「なぁ。サッカーでもやらないか?」


 照は狩猟カバンに宿題を詰める手を一瞬止めて、訝しそうに文人を見返す。だがすぐに気のない様子でそっぽを向いた。


「いい。遠慮。する」


 照はカバンを担ぐと、文人を置いて教室を出ていった。残された文人は、肩を落としてその後姿を見送った。落胆ばかりしていられない。周りと一緒になってしまう。他に誘えそうな男子がいないか目星をつける。すると教室の窓から、退屈そうに外を眺める男子が目に入った。頭にターバンを巻いた、船乗り姿の生徒だ。彼は新藤(しんどう)水夫(みなお)。シンドバットの因子持ちだ。文人は彼を誘った。


「余所を当たれよ」


 新藤はそれだけを言うと、また窓の外を眺め始めた。取り付く島もない。どうしようもないので、他の人を当たる。文人は教室で机に突っ伏す男子に目をつけた。彼は黒い貴族服を纏っている。ドラキュラの因子持ちのジュラキュリオで、例の鉄の棺の主だった。日の光が苦手で日中棺に籠っているが、日が傾く放課後になると、こうして棺から出てくるのだ。文人はジュラキュリオに同じ口説き文句を言った。


「お前、よくそんな事を言ってられるな。あっち行け」


 ジュラキュリオは軽く顔を上げて文人を睨むと、再び机に突っ伏して何も言わなくなった。


 呼んでもいないのにファウストが進み出て来る。彼は棘のついた鉄球を胸に抱えて、にこやかに話しかけてきた。


「文人さん。僭越ながら私が御相手を務めさせて頂きます。やりましょう」


「お前は危ないから俺が嫌だ」


 文人はここ数日の付き合いで、ファウストの危険性を痛感していた。ファウストは悪い意味で、理解不能で、予測不能で、意思疎通ができないのだ。それが因子の力か本人の意思によるものかは分からない。だが理解不能なのだから仕方ない。それで納得できるほど、ファウストは常軌を逸していた。


 そこで文人は自嘲に頬を歪めた。文人は服で隠され、メイクで封のされた刺青をちらと見た。


(他の男子生徒からしたら、俺もファウストも変わらねぇのかもな。いや。変わらないか)


 仕方なく、とぼとぼと教室を出ようとした。誰かが文人の肩を叩く。文人が顔を上げると、司馬懿が笑いかけていた。


「文人。私で良ければ、相手をさせてもらうぞ。数がいるなら校長も連れて来る」


 文人の顔が一瞬輝く。だがすぐにその輝きは失われ、陰りに埋もれてしまた。


「ありがとうございます。でも、やっぱりいいです」


 文人は頭を下げて断った。司馬懿は慌てて付け足した。


「じゃあ校長はナシだ」


 勢いよく教室のドアが開き、タンクトップ姿の盛男が駆け込んでくる。


「そんな司馬懿君! そりゃないよ! 盛男も生徒とキャッキャッ、ウフフしたいよ! 文人君。是非とも盛男も混ぜてくれ、塩素系洗剤と酸素系洗剤のミックスなみの化学反応を約束するから!」


 もともと静かだった教室が、痛々しい沈黙で満たされる。教室内の生徒たちは、横目で盛男を確認した後、何事も無かったように無視した。司馬懿はこくりと、音を鳴らして生唾を飲む。そして生徒から何らかの反応を待ったが、それが時間の無駄だと分かると、一つ咳を払った。そして司馬懿は大げさな動作で、盛男に指を突きつけると、わざとらしい大声を上げた。


「誰も突っ込まないなら私が突っ込むぞ。それだと毒ガスしか発生しないじゃないか」


 司馬懿の言葉は、教室のしじまに虚しく響いた。生徒が二人ほど、うるさそうに教室を出ていく。他の生徒は像のように、微動だにしなかった。


「君にはがっかりだよ。司馬懿君」


 ただ一人盛男が大きなため息をついた。彼はそう言い残して、静かに教室から出ていく。


「も……申し訳ありません」


 司馬懿は苦笑いを浮かべながら、震える声でぽつりとこぼした。


「お気持ちだけ頂いておきます」


 文人はもう一度、司馬懿に頭を下げた。


「だよな……」


 司馬懿も文人の内心を気遣い、それ以上何も言わない。相手が欲しいのではない。友達が欲しいのだ。教室を出ると、校長と鯖戸がスタンバイをしていた。文人は彼等にも頭を下げた。







 寮に戻っても、する事は特にない。だから文人の足は、自然と森の方角に向く。森は春風に騒めきつつも、その大きな懐に胸の空くような無音を蓄えている。木の葉は日の光を和らげ、空気にその熱と明るさを溶かしこみ、無音に温かみを加えていた。気が晴れる空間である。


 惜しむらくは、ここには人がいない事である。だが人がいても、あの不気味な静けさを保つ教室よりは、はるかにマシだと言えた。


 文人は森の草木をかき分けて、詩舞姫の住まう池へとやってきた。池では詩舞姫がタライを洗っている最中だ。池のほとりの一部に、丸くでっぱったところがある。でっぱりと池は、水中では隔てられているらしい。二つの水域を隔てる土が、池の底として遠目にも見えた。詩舞姫はそのでっぱりの中で、タライをたわしで擦っていた。彼女は文人に気付くと、タライを水中から池の縁に引き上げて、中にたわしを放り込む。そして見せつけるように、水の中から尾を出した。


「私はサッカー出来ないよ」


「見ていたのか?」


 文人はばつが悪そうに頬を掻く。


「新藤に声かけたのが外から見えただけ。あいつも昔はアンタみたいに、明るかったんだけどねぇ……今じゃすっかり大人しくなったわ」


 詩舞姫はそれだけ言うと、深いため息をついた。彼女は「これが現実だ」と、暗に語っていた。文人はそれは違うと、言葉にして語ることが出来なかった。少なくとも文人はまだ、足掻くつもりでいた。しかしそれを何と言葉にすればいいか分からない。文人が決心を語ったところで、それは美辞麗句にしかならない。だから今彼に出来るのは、認める事だけだった。


 文人は黙って池の縁まで来ると、詩舞姫の隣に座った。何か話題を振ろうとしたが、いいものが浮かばない。この前の食堂の一件、授業の内容、私生活の話など、話題はたくさんある。だがそれは、閉塞した人生という現実を思い出させる。日常の刃が命を刻み、息の根に至ろうと刻々と過ぎていくのを感じてしまう。ではどう言おうか。言葉が出ない。


 言葉を探すように視線は空を泳ぐ。無い物を見つめようとして焦点が合わなくなる。その内自分は、何を見ているのかすら分からなくなる。やがて文人は、詩舞姫や他の生徒と同じように、呆けるように虚空に視線を彷徨わせ始めた。それは心地よかった。何も考えなくてもよい。何も悩まなくてもよい。何もしなくてもよい。ただ時が過ぎていく。思い残しも、気掛かりも、やり残しも無い。だって考えていないのだから。


 水が跳ねる音がした。文人は緩慢な動作で視線を池にやる。どうやら詩舞姫が姿勢を変えたらしい。彼女は池の縁にうつ伏せに寄り掛かかっており、その身体を中心に波紋が広がっていた。波紋は次第に治まり、水面は鏡のような輝きを取り戻す。


 文人はそこではっとした。水面には文人の顔が写っていた。しかしその顔は他の生徒と同じように、魂が抜けていたのだ。


(これじゃダメだ!)


 文人は思いっきり自分の頬を両手で叩いた。詩舞姫が文人の行動に驚いて、水面を波立たせる。だが文人は表情が引き締まるまで、叩くのを止めなかった。


「ど……どうしたのよ……眠いんだったら寮に帰ったら?」


 詩舞姫の見当違いな言葉は無視する。文人は顎を押さえて悩んだ。


(そもそも俺は何で必死になっていたんだっけ? 何で必死こいて有名校に……そうだ! 俺には夢が――実現したい現実があったんだ!)


 夢は現実と剥離している。故に脆く、儚く、悪夢を生む。しかしこの閉塞とした現実を打ち破る、確かな道になってくれるはずだ。


「水川。夢は?」


 詩舞姫は突然の質問に文人を見る。彼は相変わらず空に視線をやっている。しかしそれは虚ろな目つきではない。文人の瞳はここにはない、確かな何かを見据えていた。


「何かない?」


 急かされて詩舞姫は頭を抱えた。はっきり言って、詩舞姫に夢はない。無駄だと思って、考えたことすらない。しかし詩舞姫は、正直にそう言うことが出来なかった。何故かは分からない。ただ無いといったら、『負け』の様な気がした。だから周囲を流し見て、何か無理難題が無いか探した。そして叶わない夢を見ても無意味だと、文人に悟らせようとした。


 やがて詩舞姫は、次第に急な勾配になっていく、森の地面に目をつけた。勾配の上に視線を走らすと、地面は次第に山肌となり、灯台の高さを越えて山となる。山は頂きに、寂れた展望台を構えていた。詩舞姫はこれだと思った。


「ホラ。あそこの山」詩舞姫は文人が山を見て、かすかに見える展望台の手すりに気付くまで言葉を待った。「いい景色が望めるって、人気なんだよ。特に夕日が海に溶ける景色が最高だって……でもさ、アタシってこれだからさ」


 詩舞姫は尾で水面を蹴る。大地に立つ事の叶わない、魚のヒレが躍った。文人はじっと詩舞姫の尾を見つめた後、物思いに沈むように視線を伏せた。


 詩舞姫は文人が、気を落としたのだと思った。彼女はからから笑いながら、文人が必要以上に落ち込まないように、言葉を続ける。


「でも仕方ないよ。そう言うものなんだからさ。でしょ? だから文人も――」


「明日――は無理だな……明後日の昼からは暇か?」


 慰める詩舞姫の言葉を、文人は遮った。考え事で頭が一杯らしく、戸惑う詩舞姫に気付いた風もなかった。


「そりゃあ……いつだって暇だよ」


 詩舞姫はひとまず聞かれた事だけに答える。文人はぱっと顔を上げると、大地を蹴るようにして立ち上がった。そして情熱に燃える目で詩舞姫を見つめた。


「じゃあ明後日。付きあってくれ。迎えに行くから」


「は? ハア……? 別にいいけど――サッカーは無理だかんねー!」


 文人は返事をもらうと、すぐに寮に向かって走り始める。詩舞姫はその背中に届くように、両手をスピーカーのように口元を覆って叫んだ。

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