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昔々……  作者: 水川湖海
34/35

めでたしめでたしー2

 未踏の大地は船が消えると、瞬く間に日が昇っていく。そして広場の環境に溶け込み、普段の何もない荒野を現した。


 文人を拘束していた随身は、そこでようやく彼を解放した。そして担ぎ手に神輿を運ばせると、笏の男の先導を受けて、未踏の大地へと帰っていった。


 笏の男は、文人の隣を通り過ぎざまに、話しかけていった。


「惜しかったの……欲張らず、もう一つの結末を迎えるが良い」


 笏の男たち神代の住人は、未踏の大地に入っていく。そして果てしない荒野を、木枯らしに吹かれながら、延々と歩いて行った。文人は未練がましく、その後姿を見つめていた。

文人は酷く混乱していた。もう一つの結末の意味が、分からなかった。棒立ちになる文人に、照が駆け寄ってきて、問い正すように肩を掴んだ。


「文人。何が。あった? 輝夜。何故。拒んだ? 詩舞姫が。どうした?」


「俺にも分からねぇ……詩舞姫が、俺を助けた場所で待ってるって――結末を迎えろって……詩舞姫がど

こにいるか知ってるか?」


 文人は広場にいる全員に質問を投げかける。英雄も、島民も、何か情報を求めるように、互いの顔を見合わせた。だがそこに答えが無い事を顔色で知り、痛ましい沈黙で答えた。


 文人は思い悩む。詩舞姫に助けられたことには、心当たりがたくさんある。文人はぐちゃぐちゃになった頭で考えて、時間を少し無駄にした。そこに遅れて、輝夜が助けたと勘違いした事、そして思い出の場所と言う情報が、脳に到着する。


「登山か……!? 輝夜が水を届けてくれた。それに思い出と言えば展望台だ!」


 文人は山に走ろうとする。照が腕を掴んで引き止める。


「違う。詩舞姫が。助け。られた。それ。おかしい」


「じゃあどこだっていうんだ! 他に何か――」


 文人は恐怖に震える声で、照に聞いた。


「照……俺がイカダで無茶した時、どうやって助かった? どんな奇跡が起きた?」


「どう。やって? 自力で。戻った。違うか?」


 照は逆に聞き返してくる。それは真実を知らないという、何よりの証左だった。そこから文人の頭の回転は速かった。


「人魚姫は王子を助けた。だけど王子は相手を勘違いして、別人に求婚した。そして人魚姫は――詩舞姫の因子が発動しているんだ! このままだと……このままだと!」


 それ以上は恐ろしくて、文人は口に出来なかった。彼は照を振り払い、広場から走り出た。文人は枝葉に引っ掻かれながら、土を巻き上げて、獣道を駆け抜ける。そして森から校舎の裏に出た。


「何で今まで気づかなかったんだ! どうして……俺……浮かれてたのか……詩舞姫ィ!」


 文人は弧を描いて、校舎から裏山の海岸へと走る。森の中を突っ切ることは出来ない。迷う恐れがある。それがとてももどかしかった。やがて森の切れ目からきらめく水面が見えると、文人は乱暴に茂みへと身体を突っ込ませた。そこには隠れるようにして、なだらかな脇道があり、文人が打ち上げられた浜辺へと続いている。文人の足により力がこもった。


 文人は浜辺に出た。三面が崖に囲まれ、残りの一面に絵に描いたような海が広がる、とても幻想的な浜辺だ。浜辺の波打ち際では、詩舞姫がうつ伏せになっている。彼女は気だるげに腕を枕にしながら、思い出を回想するように、虚空を見つめていた。


 詩舞姫の下半身は、小波に揺られている。波が詩舞姫の身体を擦ると、まるで彼女の身体が石鹸のように泡立つ。そして少しずつ形を崩させ、海へと詩舞姫を引きずり込んだ。詩舞姫の下半身はもうかなり萎んでおり、波は胴体を侵し始めていた。


 文人は半狂乱になって浜辺に降りると、波打ち際に走り、詩舞姫の上半身を抱き上げた。詩舞姫は身体に触れる者を見上げる。そしてそれが文人だと知ると、嬉しげに眼を細めた。


 文人は改めて詩舞姫の身体を見つめる。何時の日かの貝のブラジャーを身に付けており、へその部分には刺青が浮き出ている。描かれているのは涙の雫と、それを取り巻く王冠だ。刺青は朱く染まっており、結末に備えて燐光を放っていた。下半身はほとんど泡にまみれて、実態を探ることは難しい。だが泡の発生源が、尾の数の一つではなく、足の数の二つだとう事実だけで十分だった。


(突然変わった服に……足! 何で……何で気付けなかったんだ!)


 文人は無意識のうちに泣いていた。だが本当に泣きたいのは詩舞姫の方だという事も分かっていた。自分が泣いていると分かるや否や、乱暴に涙をぬぐい、顔を引っ掻いて痛覚で、その情けない表情を隠そうとする。しかし詩舞姫の腕がそっと伸び、文人の手を止めさせた。彼女はそのまま、か弱い力で指を絡めて、文人の手を握る。そして自分の胸元まで持って行った。


 文人と詩舞姫は、見つめ合った。文人は大粒の涙をこぼしながら、頭を垂れた。


「詩舞姫……ごめん……お前の事……気付かなくて……ずっとほったらかしで」


 詩舞姫はちょっと苦笑いを浮かべた。


「(それで他の娘のお尻を、追っかけるんだもん。ホント……酷い男よねぇ……)」


 それから彼女は、ふぅと文人に息を吹きかけた。文人は吐息に反応し、詩舞姫を見る。彼女は潤んだ瞳

で、文人をじっと見つめていた。


「(でもさ。アタシはそれでもいいんだ。それがアンタだもん。アンタは……どうなの……アタシの事、どう思ってる?)」


 詩舞姫は期待するように、そっと目を閉じた。文人は分かっていた。どうすれば、新たな結末を迎えることが出来るか。


 文人は指を絡めてつなぐ手に力を込め、詩舞姫の頭の後ろに手を回す。そして瞳を閉じて、顔を近づけていった。文人の心に、影が差すことはなかった。ただやっと姫君を見つけることが出来たという安堵が、そこにあった。


 二人は口付けを交わした。


 文人の涙は治まっていた。それはようやく詩舞姫に報いることが出来たからだ。反対に詩舞姫はようやく遂げる事の出来た想いに、はらはらと涙を落とした。


 詩舞姫の身体が淡い光を放ち始める。文人は驚いて顔を離した。光は強烈さを増していき、詩舞姫の全身を包み込んでしまう。やがて輪郭しか見えなくなった彼女は、光の中で形を整えだした。泡に消えた両足と、削れた腰が、元の大きさを取り戻していく。やがて光が静まると、文人の腕の中には、人の姿を取り戻した詩舞姫が抱かれていた。


 彼女のへそには、刺青がある。それは朱色から、燃え尽きたような黒に変色すると、塵となって空に溶けていった。


 終わったのだ。アンデルセンが縛った昔話とは、違う結末である。因子そのものに手を加えた訳ではない。恐らくアンデルセンの物語は、依然残り続けているだろう。だが少なくとも、文人たちが結んだ、このような運命が許されたのだ。


「愛してるよ……文人……」


 詩舞姫はそう言って、文人に抱き付く。そしてもう一度口付けた。


 崖の上から、浜辺の恋人を見守る影があった。文人の後を追いかけて来た、クラスメイトたちである。彼らも一つ物語を終わらせた達成感に、清々し気に佇んでいる。


「めでたし、めでたしか……」


 全身びしょ濡れの護平が呟く。その隣で清音が表情を曇らせた。


「だが……輝夜が……」


 雪白が立てた人差し指を唇に当て、しぃっと息を吐く。そしてそれ以上の暗い話題を止めた。


「今は……ハッピーエンドの話だけにしておきましょ……ごんも我慢しているのよ」


 雪白は泣きじゃくるごんを抱き上げていた。ごんは泣き声を上げまいと、歯を食いしばって堪えている。しかし断腸の思いなのか、着物をくしゃくしゃに握りしめ、絶え間なく涙を流し続けていた。


 クラスメイトはもう一度、浜辺を見下ろした。そこでは文人と詩舞姫が、互いを支えるように立ち上がり、クラスメイトの方に歩き始めていた。


「俺ら。も。ああ。なれる。か……?」


 照がしんみりと、頬の刺青をさすりながら言った。響子が照の肩を、励ますように叩いた。


「それは分かン無いけどさ。文人みたいに努力すりゃあ、輝夜みたいに笑えるよぉ」


 浜辺を歩く文人と詩舞姫が、クラスメイトに気付く。クラスメイトは正直に喜んで、彼らに手を振った。だが文人と詩舞姫は、見られていた事をはにかんだり、大団円を喜ぶそぶりを見せなかった。二人はすぐに犠牲になった少女の事を思い出し、生き残った罪悪感に表情を暗くしてしまった。そうなるとクラスメイトたちも、素直に喜べなくなる。励ますことも、割り切ることもできず、気まずさを募らせて、視線を伏せてしまった。


 冷え込む空気を、一喝したのはごんだった。


「じ……じがだないよぉ……! げんぎだざなきゃあ!」


 ごんは雪白の腕の中で、しゃくりあげながら涙声で訴える。


「ふみどがぁ……おねぇぢゃんを、すきじゃないのはゆるぜないげど、ふみどをふっだの、おねえぢゃん

だもん。おねえぢゃんがきめだことだもん。だだこねないで、うけいれなぎゃあ、おねえぢゃんがやっだごと、むいみになっぢゃうもん」


 ごんは何とはそれだけを言うと、泣き止もうと胸を締め付けた。彼女は喉から嗚咽を堪える音を出しながら、眼をきつく瞑る。しかし落涙も泣き声も止めることが出来ない。ごんはやがて、無理に息を止めようとしたために、苦し気に荒い息を上げ始めた。


 幼子が感情を抑え込もうとする痛ましい姿に、クラスメイトたちは慌てた。


「無理しちゃダメよ……向こうで一緒に泣きましょ」


 雪白が珍しく、優しくごんをあやす。そして校舎へと小走りで向かおうとした。


「何締めくくろうとしているんですか? 勝負はこれからですよ」


 孔明が雪白の袖を掴んで、この場に引き止めた。彼女は雪白の袖から手を離さぬまま、崖の方に引っ張っていく。そして断崖の上から、一面に広がる海を臨みだした。


 クラスメイトの顔に、苦々しいものが浮かぶ。プライドの高い孔明が、負けを認められていないと思ったのだ。孔明を除くクラスメイトは、視線を交わして、事実を教える役を募った。やがて護平が軽く咳を払うと、後ろから孔明の肩に手を置いた。


「なァ……もうやれるだけやったろ。結果を受け入れようぜ。受け入れないと、次で躓くぞ」


 護平は宥めるように言うと、雪白の袖から孔明の手を離させようとした。しかし孔明は強く手を握り、頑として離そうとはしなかった。彼女は視線を海に向けたまま言った。


「そうです。ですから結果を待って下さい。タネは仕込みました」


「タネってェ……」



 その時、ハタと英雄たちは思った。あのうるさい奴らがいないと。




「分からぬ……このようなこと初めてじゃ……」


 笏の男は、甲板で頭を悩ませていた。


 輝夜を乗せた船は闇夜の世界を上昇し、天頂に輝く月に向けて順調に進んでいたはずだった。周囲には雲に乗る近衛の警護を引きつれており、その守りは堅牢だと言える。そしてこの神界で、天帝様の加護を受けた船の行方を、阻むものは何もなかった。


 何も問題がない。それが殊更、笏の男を悩ませる。


「分からぬ……何故船が上手く飛ばぬ……」


 船が動きを止めたのは、約半刻ほど前だった。船員である巫女や神官が、懸命に原因を探っているが、

未だに状況は好転しない。それどころか、高度が下がってきているようである。事を重く受け止めた笏の男は、近隣に妖術を使う者がいないか、近衛を斥候にやらせた。だが彼らが血眼になり、周囲の闇を払っても、何も見つからなかった。


 こうなると、もうお手上げだ。


 下々の世界――つまり人間の世界では、船は帆を張れば、海を進む乗り物である。神界でもそれは同じである。ただ違うのは、風が無くとも進み、空をも飛ぶ事が出来る点である。船があり、それを阻む者がいないとなれば、笏の男にもう為す術はない。動くはずのものが動かないのだから、致し方ないのだ。


「しかし何か、何か原因があるはずじゃ……(ことわり)がねじ曲がったとしか思えぬ……語部の者か?


 まさか、そのような力があるとは考えられぬが……奴が宿す別の因子の影響を受けたとしか……」


 そこで笏の男は、ふとある巫女に目をつけた。その巫女は、他の巫女やその上席である神官が、事態の

解決に慌ただしく走り回る中、一人だけ船の隅に留まっている。よくよく見ると、腰本を二人ほど捕まえて、何やら話しかけているようだった。笏の男は聞き耳を立てた。


「ねぇそこのお姉さん。俺の聖なる雫でその着物もっと白く染めて見ない~? エヘヘ~。俺の八岐大蛇を退治しちゃってよぉ~」


 巫女とは思えぬ野太い声、そして下劣な言葉に、笏の男は眩暈を覚えた。笏の男は輝夜の随身を呼ぶと、例の巫女を笏で示した。


「汚らわしい何かが居るぞ……改めて参れ」


 随身はこれ以上の無様は晒せないと、現場に飛んでいった。そして腰本と巫女の間に割って入る。随身は刀に手をやりながら、巫女に向けて凄んで見せた。


「童。そこの童。貴様何奴じゃ?」


 巫女は凄まれて、緊張に全身をピンと伸ばした。そして随身に背中を向けると、コソコソとその場から逃げようとした。


「き……昨日入ったバイトです……その……俺仕事あるんで、これで失礼します」


 随身は――当たり前だが――この巫女が偽物だと見破った。もう遠慮はいらないとばかりに、巫女の肩を掴み、自分の方を向かせる。その巫女は見れば見るほど怪しかった。まず衣装が色と形だけを似せた、安っぽい麻の模造品だ。そして女子にしてはガタイが良く、神に仕える者にあるまじきぼさぼさの長髪で、顔を隠していた。


「うちは宮仕え、アルバイトなど――それに貴様の様な精魂の腐り果てたのは雇わぬ。しかもその召し物、天帝様よりの賜りものではないな……答えろ。何奴じゃ」


「はい。俺はその宮仕えの――イヤー! アンタ私に何をする気! 乱暴はヤメテー!」


 随身は埒が明かないとばかりに、近衛を二人招き寄せる。近衛は巫女の腕を掴んで拘束すると、無理やり顔を上げさせた。その時巫女は、髪の隙間から片方の近衛の顔を、横目に見た。そして驚きの悲鳴を上げた。


「ちょっ! ファウスト!? お前そこで何してんの! 何受け入れられてんの!? すげぇ怖いんだけど! え!? お前は俺の味方だよね! ここまで運んでくれたから共犯だよね! 早く俺は味方だって嘘をついてよ! このままだと俺多分殺されちゃうよ! 俺の生還も条件の内だぞ! お前文人とデートできなくなるぞ!」


 近衛に扮しているファウストは、困ったように頭を掻いた。


「失礼ですが、どなたかと勘違いされておりませぬか。我は其の方の様な下賤な輩を存じませぬ。大人しく裁きを受けるがいい」


「やめてよ! お前一瞬笑ったの見えたぞ! 後で文人にチクってやるからな! いいから助けろ! 早く助けろ!」


「いやぁ~そんな事言われたら、商売あがったりですよぉ。どうやら貴方は、ここで殺さないと駄目ですねぇ~」


 巫女が耳障りな絶叫を上げた。随身は刀を抜き、上段に構える。そして許可を求めるように、笏の男に流し目をやった。


「剥げ!」


 笏の男が命令を下す。随身は刀を振り下ろし、巫女の衣装を切り裂いた。随身の剣技は文字通り神業だった。まるでセミの抜け殻のように、衣服に縦の切れ込みが入る。更に剣を振った時に起こった風で、衣装とカツラを綺麗に拭き飛ばし、中身だけを近衛の拘束に残した。


 かつて巫女がいた場所には、半裸の男がいた。彼は自身に行われた、身を斬り裂く寸前の斬撃に、表情を青くしていた。


「Oh……」


 シンドバットの因子持ち、奇跡の遭難率八十パーセント。新藤である。


 笏の男は、観念したように唸った。


「むぅ……参った……」


 その声を合図にするように、船がぐらりと傾いた。そして闇の中に、船は艫を下にして落下していった。

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