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昔々……  作者: 水川湖海
3/35

3.起章の3

「ど……どうもおはようございます」


 文人は何と言っていいか分からず、咄嗟に馬鹿丁寧なあいさつをした。いきなりコスプレ姿の少女が目に入ったのだ。仕方のない事だ。


 少女は不思議そうに、小首をかしげて見せる。文人は彼女が案内役だと思った。


「あ……案内してくれる人かな? その、今日からこの学校に通うことになった語部文人だ。まだ右も左も分からないから、迷惑かけるかも知れないけど、よろしく」


 文人は出来るだけ柔らかい笑みを浮かべると、そっと手を女の子に差しのべた。少女は文人の手を見つめる。そして突然、いやらしい笑みを顔いっぱいに広げた。瞬間彼女は文人のカバンを抱え上げると、砂塵が巻き上がるほどの勢いで走り去った。


「えぁ! て、てめぇ、何てことしやがる!」


 少女はあっという間に、防波堤の階段を駆け上る。文人は町の中に消えていく後姿に、咽喉がちぎれんばかりに吼えた。


「それは俺の全財産なんだよ! 頼むから返してくれ!」


 文人は少女の後を追って、防波堤を駆け上がる。そして道路の上に立ったが、どこにも少女の姿が見えない。寂れた民家と、雑草と、ガラクタの置かれた空き地が目に入るばかりだ。今度は階段状に展開されている、街並みへと視線を巡らせる。いた。少女は文人の旅行カバンを頭に抱え、ひらりひらりと木の葉が舞うように、島の中央にある森へと向かっていた。


「待てェ!」


 文人は女の子の後姿を見失わないように、必死で同じ石段を登っていく。石段を登り終えるころには、息がすっかり上がってしまった。だが少女に追いつくことはおろか、後を追うのが精一杯だった。


 石段の頂上は、森を囲う広めの道路に続いていた。この道路は主要な道路なのだろう。両脇には丁寧に歩道が敷かれており、ゆったりとした駐車スペースとして、路肩が大きめに取られている。車で目的地の真上についたら路肩に駐車し、石段を降りるのが基本的な移動手段なのだろう。道路は島の中心にある森に沿って、緩いカーブをかいていることから、どうやら森をぐるりと囲っているらしい。


 障害物は何もないので、視界は極めて良好だった。だが目に入るものは道路と、その向こうにある森だけである。あの鮮やかな赤い着物姿は、何処にも見当たらなかった。


「くそ……撒かれたか。どこ行った。まさか森に入ったんじゃないだろうな」


 文人は探るように、森の中を見た。一見何の変哲のない森だが、得体の知れない妙な雰囲気が漂っている。文人は入るか入るまいかと、その場で足踏みした。


「きししししし」


 忍び笑いが耳朶を打ち、文人は真後ろを振り返った。あの鮮やかな赤が、目に飛び込んでくる。そこには例の少女が、頭に荷物を抱えたまま、口に手を当てて笑っていた。彼女は笑うのを止めると、小馬鹿にした眼つきで文人を見上げた。


「見てたよぉ。外から来たね。よそ者? 何しに来たの?」


 文人は過ぎた悪戯に頬を引きつらせながらも、笑顔を何とか作り上げる。そして膝に手を付きながら、すっかり上がった息を整えようとした。


「勘弁してくれよ……今日からこの島で暮らすことになったんだ。よそ者とか言わないでくれると助かるかな。よろしく」


 文人は落ち着くと、少女の獣の耳と、尻尾を交互に見た。非常に生き生きとしており、とてもつけ物とは思えない。その上風も無いのに、気紛れにゆらゆらと揺れている。どうやら本物のようだ。漫画やアニメの中にしかいない獣っ娘が、目の前にいる。文人は獣の部分に目を奪われ、上の空になりながら聞いた。


「ここは一体……」


 少女は文人の不躾な視線に、気分を害したらしい。大きなあかんべぇをすると、また逃げ始めた。文人は虚を突かれて、悲鳴を上げる。文人が走り出す頃には、彼女は道路の遥か遠くで、けたけた笑い声をあげていた。


 少女の金色の尻尾がしゅるりと尾を引き、緑が鬱蒼と生い茂る、森の中に逃げ込んでいく。文人は躊躇う。森は神隠しに会うので、黒服に入るなと言われた場所だ。だが少女が持って行った荷物を、捨てるわけにはいかない。


 文人は森の中に飛び込んでいった。道がなく、足元には雑草が生い茂り、辺りが枝葉で覆われているので、視界はすこぶる悪い。それでも遠くから響いてくる、少女の笑い声を頼りに、草木をかき分けて突き進んだ。少し進むと、奥の藪が揺れるのが見える。同時に赤い着物の裾がハラリとはためき、藪の中に吸い込まれるのも見えた。飛びつけば捕まえられそうだ。文人は藪に身を投げ出した。


 藪の向こうに、少女の姿はない。代わりに大きな池があり、文人はそこに頭から突っ込んだ。池に飛沫が上がり、波紋が広がる。池はそれなりに深く、文人が飛び込んでも底につかない程だった。文人の視界が青に染まり、世界から上下の間隔が消えた。彼は軽いパニックに陥り、遮二無二手を振り回す。やがて自分がいま置かれた状況を理解すると、光の差す水面へと泳いでいった。


 文人は水面から顔を出して、貪るように空気を吸った。そして吸った空気をすべて吐き出して、大声を上げた。


「チクショー! あの腐れポンポコォォォ!」


 完全に馬鹿にされている。今まで抑え込んできた怒りが沸点に達し、鬱憤を晴らすように両手で水面を叩いた。鬱憤が晴れると、次はやるせなさや、虚しさ、そして悲しさが湧き上ってくる。文人は池のほとりまで泳ぎ、そこに肘をついて頭を抱え込んだ。


「なんでこんな目に会わないといけないんだよぉ……どうしてこんなことになっちまったんだよぉ……本来なら有名校に通えたはずなのに……そこで頑張るつもりだったのに……」


 文人は泣くのだけは堪えた。だがとてもそこから動く気にはなれなかった。頭を抱え込み、現実が自分を追い立てるまで、じっと惨めに俯いていようと思った。


 しかし現実は予想より早く、文人の尻を叩いた。彼の背後で水面が盛り上がる。文人が背後を振り向くと、池の中から一人の女性が浮かび上がったところだった。歳は文人と同じくらい。だが活力がなく、気だるげな雰囲気をまとっている。彼女はウェーブのかかった長いブロンドを、手で払って髪を滴る露を払う。そして澄んだ青色の瞳で、ぎろりと文人を睨んだ。


「人ン家で何騒いでんの……?」


 文人は硬直せざるを得なかった。彼女の出で立ちは、とても現代では考えられないものだった。衣服は貝殻のブラジャーだけで、それは真珠を連ねた紐によって、すらりとした色白の肌に貼り付けられている。文人は思わず他の布を探して、反射的に彼女の下半身に目をやってしまった。そこには人の足はなく、魚の尾が水を掻いていた。


「え……? あ……? に! 人魚!?」


 文人は呻く。あの人魚が現実にいるのだ。魚の尾の先端は、きめ細やかな薄いヒレだ。それが徐々に太くなって、鱗を纏い、彼女のへその下まで繋がっていた。女性は下半身を見られていることに気付くと、尻尾の先を水面から出して見せた。


「驚く事ないでしょーが。私なんかより、ファウストの方がよっぽど驚嘆に値するでしょ。つかそんな事どーでもいいから、じろじろ見ないでくれる? 腹立つから」


 少女は尾を水中に戻すと、清冽なため息を吐いた。文人は慌てて尾から眼を反らす。かといって露出の多い身体を見るわけにもいかない。文人は鋭い目つきで睨んでくる、彼女の顔を見ざるをえなかった。


 女性は文人の顔をまじまじと見つめて、頬を掻いた。


「アンタ見た事ないツラしてるけど何年何組? どーでもいいけど、今度こそ苦情出すわ。石とかゴミとか放り込んでんのアンタでしょ。今日は調子コイて自分を突っ込んだの? 水が汚れるでしょこの馬鹿」


「あの……俺実はこの島に来たばかりで、まだ何年何組かは分からないんだ」


 女性は気だるげに嘲笑した。


「へ~? じゃあこの島に来たばかりの人間が、何で水の中に飛び込んでんのよ? アンタも水関係の因子持ちって訳?」


 そこで文人は、池に飛び込んだ理由を思い出した。文人は女性に詰め寄ると、縋るようにその細い肩を掴んだ。


「そうだ! 荷物! 赤い着物の女の子に、荷物盗られたんだ! 君何か知らない!?」


 女性は突然の文人の行動に目を丸くした。だが相好を崩すと、まず文人の手を離させた。そして彼女は、人差し指と中指を立てて、耳を模すように頭の上に乗せて見せた。


「赤い着物って……こう狐の耳と、尻尾生やした幼稚園児位のガキンチョ?」


「そうそれ! 全部持ってかれた!」


 文人は指を鳴らして首肯する。文人の必死で大げさな仕草が、ツボにはまったのだろうか。女性はいきなり噴き出す。そして先程の気だるげな雰囲気を吹き飛ばすほど、からからと笑い始めた。文人は顔を赤くして、黙り込む事しか出来ない。彼女が、何がおかしくて笑っているのか見当もつかない。だが物思いに沈んでいた男が、怒られて言い訳をし出し、そしていきなり動転して縋り付いたら、面白いのかもしれない。


 女性は一通り笑い終えると、眼に浮いた涙を指で拭う。そして文人に対する態度を、少し柔らかくした。


「そりゃ~、稲荷ごんだわ。つーことは石やらゴミやらを、投げ込んでるのもアイツだな。いいわ。アタシの苦情処理ついでに、荷物の面倒見てあげる。どーでもいいけど、まず池から出てくんない?」


 文人は急いで池から這い上がった。すると女性は一度池の中に潜っていく。そして大きなタライを手に浮かび上がると、それを池の縁に置いた。タライの中には少しの水と、給油ポンプが入っており、カタカタと音を立てた。


「アタシ()舞姫(ぶき)水川(みなかわ)()舞姫(ぶき)。見ての通り人魚姫の『因子持ち』よ。アンタは?」


 少女――詩舞姫は給油ポンプを池に差し込み、ノズルをタライの中に入れた。どうやら水を張るつもりらしい。文人は詩舞姫の手を煩わせるのは気が引けたので、彼女の手からポンプを受け取り、代わりに水を張ることにした。


「俺? 俺は語部文人だけど……その……因子持ちって何?」


 作業の中、文人は詩舞姫に聞き返す。詩舞姫はノズルの先から、水がタライに流れ込むのを眺めながら、「本当に何も知らないんだねぇ~」と呟いた。


「外の世界じゃ第二次世界大戦後に、英雄の存在は消されたんだっけ? 誰も信じるわけないか。昔話の登場人物が実在するなんて」


 文人の手が一瞬止まる。そして先を促すように、詩舞姫を見つめた。だが詩舞姫はそれ以上語るつもりはないのだろう。彼女はタライに寄りかかって、流れ込む水とそれが立てる音に、心地よさそうに耳を傾けている。その様子はとても悲しげで、まるで余命いくばくかの人間を思わせた。


 文人が手を止めたことで、ノズルから出る水が止まった。詩舞姫は右手を開閉させて、文人にポンプを動かすよう促す。だが文人が説明を待っていることを悟り、苦笑いを浮かべながら話し始めた。


「そもそも世界の起こりって知ってる? 今の人間がどうやって生まれて、歴史を歩んできたか。この世界がどうやって生まれたか」


「そりゃ学校で習ったから。猿が進化して人間になったんだろ。ダーウィンの進化論」


 詩舞姫は笑い飛ばした。


「進化論なんて、科学派のデッチ上げよ。世界の真実は――なんだっけ……ごめんアタシ授業あまり聞かない方だから……そう! 創造科学が語っているのよ! 人間は神様が創ったのよ」


 文人は詩舞姫のとんでもない主張に固まった。無信心者の文人にとって、それはとても信じられない話だった。


「まさか。その……神様を否定するわけじゃないけど、あり得ないだろ。この世界が『光あれ』の言葉や、槍の先っちょでかき回しただけで創られたなんて馬鹿げてる。それに神話では科学で説明できないような、奇跡見たいな出来事が起こっているだろ。あれはどう説明するんだよ」


「そりゃ実際にあったのよ。神様はこことは違う世界に居るのよ。そこでは、こことは違う物理法則が働いているのよ。神様の世界じゃ『光あれ』や、槍の先っちょでかき回して世界が出来るのが当たり前な訳よ。神様たちの当たり前が、私たちには奇跡に見えるの」


 そこで文人は、タライに水を張り終えた。詩舞姫は池から這い上がると、地べたを這ってタライの中に飛び込む。そしてタライの腹に取り付けてあったオールを持ち、それで地面で突いて移動を始めた。どうやらタライの下には、ローラーがついているようだ。文人はその後に続く。二人は森の奥へと続く、か細い獣道を歩き始めた。


「それで続きだけど、神話は人間と神様の契約の証。神話には神様のお言葉で、今まで神様が起こした奇跡が記されているの。人間も奇跡の一部だから、その存在は神話によって保障されてるの。神話と言っても、出回っている本に書かれたものの事じゃないよ。神様の文字で書かれた『原書』が、この世界に埋もれていて、この世界の法則を決めているの。これがこの世界の真実。ビックリしたでしょ」


 詩舞姫は文人を振り返り、得意気に笑う。その時彼女の手元が狂い、バランスを崩してタライの縁に倒れた。詩舞姫は苦痛に呻きながら、ぶつけた脇の下をさする。文人は心配そうに詩舞姫に駆け寄るが、彼女は顔を赤くして文人を振り払った。


「ヤダ。カッコわる」


 詩舞姫は文人から距離を取ろうと、オールでがむしゃらに地面を突いた。詩舞姫の乗ったタライは、危うげに左右に揺れながら、森の奥へと進んでいく。


「ごめん。俺が悪かった。案内してもらっているのに、ぼさっとしてさ」


 文人は詩舞姫の背中まで走ると、タライを押すことにした。タライの中が揺れて、詩舞姫が軽い悲鳴を上げる。しかしすぐに楽し気な笑いを漏らすと、文人に背中を向けて方向の指示を始めた。ある程度森の奥に進むと、文人は中断した話の先を促した。


「それでその因子持ちだったっけ? それがこの世界の真実とどう関係しているんだ?」


 詩舞姫も思い出したように、背中をぴくりと震わせた。どうやら彼女はあまり話したくないらしく、言葉に詰まっている。彼女はしばらくの沈黙の後「知らないんだからしょうがないね」とこぼして、無理やり雰囲気を明るくさせた。


「因子と言うのはね、神様の言葉の事なの。昔々……まだ神様の世界と、この世界の境界が曖昧だったころ、人間は神様みたいに奇跡を起こすため、神様の文字を使って物語を綴ったの。それが昔話。神話の個人版ね。昔話にも『原書』があってさ、人間に因子を刺青として刻んで、奇跡を起こせる英雄へと変化させるのよ。だから英雄は何らかの昔話を、因子として持っているの。んで文人は何の昔話の因子かなぁって聞いたワケ……」


 文人は納得がいった。どうやらここは、英雄を管理する場所らしい。文人にも刺青が刻まれ英雄となった。だから英雄として管理されることになったという事だろう。


 文人は自らの腕に刻まれた刺青を思い出す。すぐに袖をはだけると、二の腕に刻まれたぎょろつく目玉の刺青を詩舞姫に見せた。少なくとも自分に何が架せられたのか知って、落ち着きたかった。


「これ、何の昔話か分かるか?」


 詩舞姫は唐突に刺青を見せられて驚いた。しかしすぐに気を取り直して、目を細めて刺青を注視する。やがて彼女は刺青の目玉に睨まれて、文人から眼を反らした。


「何それ気持ち悪い……ごめん……見た事ないわ……」


「そっか……」


 文人は肩を落として、袖を元に戻した。だが文人の気分は良くなった。外の世界での苦労は水の泡になったが、英雄の力を手に入れることが出来たのだ。今は何の力か分からないが、それを知れば、何やらすごい事ができそうだ。それは普通の人間には出来ない素晴らしい事や、体験に違いない。文人の口元が緩んだ。


「じゃあ俺ってラッキーなんだ。意外と面白そうだし。英雄になると不思議な力が――」


「やめてよ!」


 詩舞姫が耳を塞いで叫んだ。文人は突然の大声に、タライから手を離す。詩舞姫は一瞬で我に返り、文人を振り返った。そこに先程までの明るい表情はなかった。瞳は絶望に暗く染まり、表情は恐怖で引きつっていた。


「ごめん……大声出して……でも間違っても、皆のいる前で、面白いとか言っちゃ駄目だよッ! 分かった!? 理由は学校で聞いて! 今はひとまず荷物探しに行くわよ! アンタもそのままだと風邪ひくから早くしよ!」


 詩舞姫は今までの明るさが嘘ように、暗い顔のまま文人に謝る。そしてそれ以上、文人に何も言わせまいと、必死でオールをこいで先へ進んでいった。文人は黙ってついていく事しか出来なかった。

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