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昔々……  作者: 水川湖海
19/35

17.転章の5

 文人は鯖戸の治療を請け負えると、真っ直ぐに校舎正面の崖の下に向かった。坂を駆け下り、今にも壊れそうな粗末な桟橋に走る。彼は桟橋の板を引き剥がし、イカダにするために横に並べた。


 司馬懿の監視が外れた今が、海に出る最後のチャンスだった。彼は自分のTシャツを破いて紐状にする。そして並べた板を縛り始めた。だがTシャツの素材はかなり脆いらしく、文人がきつく縛り上げると、その力に耐え切れずに千切れてしまった。


「クソ! このボロ布が! しっかりしろってんだ! 工場からどういう教育受けてんだ!」


 文人は悪態をついて、布切れになってしまった紐を脇に放り捨てる。そしてまたTシャツを引き裂いて、新しい紐を作り始めた。新しい紐が出来ると、文人は板を縛ろうとする。だが脇から伸びた手が、板と紐を取り上げてしまった。盛男だった。


 盛男は取り上げた板を一つにまとめると、紐で一括りにする。そしてそれを脇に放ると、文人の隣にゆったりと腰を下ろした。


「文人君。残念だがこれは没収だ。自殺を認める訳にはいかんからな」


 文人は露骨に嫌そうな顔をする。だが盛男は構わず、文人の方にすり寄った。盛男は気さくに笑いながら、懐から魔法瓶を取り出した。


「そう冷たくするな。まぁこれでも飲んで落ちつきたまえ。君の要望通り、プロテインは止めた。プロテインなんてクソだ。だからほら、これはスムージーだ。安心したまえ」


 盛男はぴちぴちのタンクトップに、スパッツ姿である。その何処に魔法瓶をしまっていたのか文人は気になった。だがツッコむ気力はなかったので、そのままスルーする。盛男は文人のツッコミを待つように、魔法瓶を掲げたまま止まっていたが、それ以上の進展がないと蓋を開ける。そして魔法瓶の口を、文人の方に向けた。


 凄まじい臭気が文人を襲う。彼は激しくむせると、臭気から逃れるために仰向けにひっくり返った。


「くっさ! 何それ! クセぇぇぇ! ガスの匂いがする! 腐ったタマネギのそれだよ!」


「文人君……ドリアンは果物の王様なんだよ……王様に謝りたまえ……」


 盛男は心底がっかりしたように、魔法瓶の蓋を閉じた。文人は急いで上半身を起こすと、盛男に食って掛かった。


「そんなに臭いとは知らなかったですよ! ていうかアンタ実は真面なの分かってるんだぞ! アンタみたいな人が、馬鹿の振りしてやらかすの、下手な馬鹿がやらかすより破壊力がデカいんだよ! 合理的に考えて、効率よくインパクトを与えようとするからなァ!」


 ひたりと、文人の肩に手が置かれた。いつの間にかファウストが、文人の後ろに膝をついている。彼は文人を助け起こすと、指を組んで鳴らせて見せた。


「では私と勝負しますか? 盛男と、私で。真正(モノホン)のヤバさを教えて差し上げましょう」


 ファウストは立ち上がり、ファイティングポーズを取ると、盛男を威嚇するようにシャドーを始める。対する盛男は座ったまま、魔法瓶をファウストに差し出した。


「ファウスト君。今は外してくれ。これをあげるから」


「残念ながら、私は契約書でしか買収できませんよ」


「中はドリアンとアボカドだ」


「失礼します」


 ファウストはもぎ取るようにして魔法瓶を取ると、夜の闇に霧と消えていった。


 文人はファウストが簡単にあしらわれたのを見て呆然とする。だが次第に理性が感覚に追いついてくると、先程の出来事が滑稽に思えてきた。文人はふっと表情を和らげる。それは顔全体に伝播していき、やがて文人は破顔した。久々に笑ったので顔が引きつって痛む。だが胸の内に溜まっていた鬱憤が抜けていき、文人は落ち着きを取り戻すことが出来た。


「落ち着いたかね?」


「ありがとうございます」


 文人は深い息を吐いて、笑うのを止めた。盛男はふっと笑った。


「そうやって元気になってもらえると、盛男も馬鹿のやりがいがあるよ。ウン。本来は馬鹿をやる生徒を諌める役なんだけどねぇ。まぁ肩の力を脱きたまえ」


 文人はしばらく、盛男と並んで海に魅入っていた。太陽光を反射して、海は煌々とした縞模様を描いている。とても神秘的な景色で、大自然の懐の広さを感じさせる。詩舞姫たちと登山して眺めた、あの絶景とも勝るとも劣らなかった。しかしこの場には文人と盛男しかいない。文人と盛男が醸す雰囲気は、気分を虚しくさせ、文人の眼を虚ろにした。


「俺……これからどうしたらいいですか?」


 文人の言葉に、盛男は顎髭を撫でる。あまり話したくなさそうだ。だが盛男は沈黙が許されないと分かっていた。彼は海の向こうに靄として映る、小さな島を指した。


「この校舎から西に一キロの場所にね、離れ島があるんだ。檻島だ。そこには小さな一軒家があって、小さな畑があって、小さな井戸がある。それ以外は何もない。静かで、のどかな場所だ。とても……寂しいがね。語部章人はそこで余生を過ごした。そこなら安全だ」


「逃げるしかないと?」


「こんなに早く、しかも沢山にばれることは想定していなかたからねぇ。私は偏見を取り除くことは出来ない。もう出来る事と言えば、そのぐらいだ」


 文人は乾いた笑いを浮かべる。もうこの島では、生きていくのは難しいようだった。


「すみません……せっかく口合わせして頂いたのに、ばらしました」


「私こそ済まない。何もできなくて……腹に一物を抱えて、友人と付きあうのは辛かっただろう……そうして一人だけ取り残されるのは……地獄だからな」


 再び沈黙が訪れる。文人は小波に耳を傾けつつ、景色を楽しんでいた。盛男も文人が浜辺にいる間は、目を離さないつもりなのだろう。文人と並んで景色を眺めていた。


 どんなに美しい景色でも、やがては飽きる。文人の視線は檻島へと向いた。彼は霞の中に、浮かんだり消えたりする島を見つめながら、これからの人生を思い浮かべる事にした。まともに晴耕雨読の日々を送れるとは思えない。罪の意識に喘ぎ、業に押し潰され、逃げ場のないあの島で苦しみ続けるのだろう。文人は自分にとても、耐えられるとは思えなかった。そしてそのように過ごした章人に、興味を抱いた。


「大叔父さんは。どんな人でした?」


 盛男は聞かれて、まず嬉しそうに笑った。そして次に、悲しそうに眦を下げた。


「生粋の軍人さ。そして極端なほどの英雄主義者だった。章人はまぁ……自分と同じくらい他人に厳しくてな……好かれる人間ではなかったよ。だが、非道な人間ではなかったな。上の立案に異議を唱え、腹案を強行するなど、我が強かった。その事で拷問を受ける事もあったが、鼻で笑っていたな」


 盛男は過去に意識を飛ばすように、水平線に視線をやった。


「太平洋戦争の当時は、まだ英雄と彼の者が入り乱れていてな、今では考えられないほど世界は不思議に満ちていた。人間が神の存在を知り、人として自らのスタンスを確立するために、必死になった時代だ。連合国らは神との交流の証である、因子と伝承を大事にしていた。それらが引き起こす災禍や、過酷な運命に挑まされる英雄を、犠牲と割り切り保護していた。だが枢軸国は英雄を運命から解き放ち、因子の力を普遍的な物にしようとしていた。そのため天皇陛下や、ヒトラ総統に因子を献上し、現人神にしようとしていた。多神教はどちらかと言えば枢軸を指示した。世界に確固たる神があった方が、世界秩序が安定すると踏んだのだろうな。唯一神教、拝一神教はこれを認めなかった。そして二つの思想が戦争を始めると、両方共が戦いに英雄を使い、神も自ら降り立って奇跡を振るった。神風が吹いたり、モンスの天使が再び現れたり……クラーケンは無限潜水艦作戦に従事し、日本兵はほとんどが英雄化して、死を恐れなかった。アメリカは死病の風を吹かせ、硫黄の雨を降らせた。それがエスカレートして、ヒロシマ、ナガサキにはソドムとゴモラと同じ奇跡が起きてしまった。無茶苦茶だった」


「歴史の勉強はいいですよ。司馬懿先生で間に合ってます。それより章人さんの話を」


「せっかちはいかん。ここから章人の話だ」


 先を急ごうとする文人を、盛男は指を振ってたしなめた。


「章人は戦時、陛下に献上するための因子を集めていた。他国の伝承者を法具という――まぁ昔話に出て来る不思議な道具だが――これで打ち倒し、内に宿す因子を収集して、因子を自分に刻んでいた。戦後には集めた因子はかなりの数になっており、下手に手を出せなくなっていた。殺そうにも、因子が散らばる恐れがあたので殺せないし、捨て置くこともできん。かといって神々は、この奇妙な存在に触れたがらなかった。だから章人は幽閉された」


「この島にですか……」


「それはもうちょっと後の話でな。戦後は神の軍勢は引き上げ、その時世界にあった伝承者のいない因子や、法具もあらかた回収された。だがそれでも残った因子はあった。未開民族の伝承者や、枢軸残党が保護した伝承者が宿す因子だ。大戦で彼らは、因子にどれだけの力があるか知っていた。そして因子を用いて活動を始めた。彼らは少数勢力だったが、戦後で疲弊した国家と戦い、憔悴した人心を惑わすには十分だった。民主主義でも共産主義でもない、英雄主義なる国家群が誕生した。そこで幽閉されていた章人が呼ばれ、彼らとの対決を命ぜられた。章人は特別に許可された英雄のための国家――つまりはここだが――それを作ることを条件に承諾した。そして彼を中核とした英雄部隊が結成された」


 文人は複雑な気持ちになった。当然だが、自分の境遇と重ねたのだ。するとやり場のない怒りや、悲しみ、そして虚しさが、一気に章人へと向けられた。


「でも因子の力は絶対で、誰にも避けられないんでしょ。だから何もできずに無責任に死んで、俺にお鉢が回ってきたと。いい迷惑だ」


 盛男は宥めるように、文人の肩を優しく叩いた。


「処理自体は出来た。因子をぶつけ合って、こちらの運命を押し通して、有利な環境を作る。その隙に伝承者から因子を奪い、英雄を無力化させた。だが戦う内に、異変が起き始めた。色々な物語が混ざったり、因子の力が変容し始めたのだ」


 文人は意外な発言に、眉根を寄せる。


「契約が変わった……」


「正確には変わっていない。因子の言い換えが起こったり、意味が反転したりしたんだ。そもそも因子と言う奴は、強制力のある言葉を連続させて、連ねた物なんだよ。だから、繋げ方次第で意味が変わったり、反転したり、別の物語になったりする」


 文人は盛男の言った事を、いまいち理解できずに首を傾げた。盛男はどういったものかと考えるように、顎髭を撫でる。やがて考えがまとまったのか、ピンと指で天を指した。


「分かりやすく言うと、君は語部文人という名前だろ。語部文人という名前が君を縛っている。その名前が、君が君である証拠だ。因子も同じだ。これは神話から剽窃した、力ある言葉だ。だが文字には変わりない。その文字を並べて、桃太郎や赤ずきんという名を縛り、昔話の契約として成立させているんだ。だがこれが語部『章』人になると、全くの別人になる。因子の場合だと、全く別の物語になる訳だ」


「物語の書である伝承者に、新たな因子が加わって編集されたんですね! でも余分な因子なんて一体どこに――」


 文人ははっとして口を開けた。そして自らの奥底に秘められた力に触れるように、胸に手を当てた。盛男は正解を示すように、深く頷いて見せた。


「そう。章人が収集した因子群が反応したのだ。人が推し量れる現象ではないが、伝承者に刻まれた因子群が、英雄に付与された個々の因子と、相互作用を起こしたのだろうな。本来ないはずの因子と因子が連なり、新しい因子となったのだ」


 文人は地を蹴って立ち上がった。そして興奮したように、両手を振り回してまくし立てた。


「そうだ! 俺がやっていることは間違いじゃあないんだ! もっと違った方法で、契約を終わらせることが出来れば! 新しい物語を作ればいいんだ! 何で黙っていたんですか!」


 文人は興奮に突き動かされるまま、盛男の胸倉を掴み上げて迫る。だが盛男は先程までの柔らかな表情を取り下げ、厳しく目を細めた。そして文人の腕を掴んで胸倉から離させると、その場に座らせた。


「それで章人の話に戻る。章人も当然その事に思い至り、二度目の戦いを神々に挑んだ。彼は太平洋戦争の結果に、満足していなかったからな。だが勝てなかった。ただの一回も。代わりに英雄たちが犠牲になり、少しずつ章人の心を蝕んでいった。やがて章人は、燃えカスのようになって、心を病んでしまった。クラーケンを仕留め、英雄と殴り合い、長年の幽閉に耐えた、あの章人がだ。だからだ。文人君、君はまだ若い。潰れて欲しくないんだ。ゆっくり……ゆっくり進めたまえ」


 文人は諭されて脱力する。そして、縋りつくように盛男の胸に頭をつけた。


「でもやらなきゃ。俺は勝つつもりなんてありません……ただ……もう……終わらせたいだけだ! もうたくさんなんだ! ここにきて一月経ってないけど……もうたくさんなんだ……」


 文人は盛男の胸に頭をつけたまま、か細い声を上げる。そして低い嗚咽と共に、肩を震わせて泣き始めた。限界だった。齢十六の少年が背負うには、あまりにも深い業で、あまりにも重い責任だった。そして憎しみと虚無に晒されて、神経をすり減らして来たのだから、無理もない事だ。盛男は文人の背中に手を回すと、優しくさすった。


「そう。その意気だ。そう言う意味で、私は君の邪魔をしたくない。仮に君にも仲間が出来て、奇跡を起こしてくれるなら、盛男はいつだって船を出す許可を与える。しかし今は無理だ。下手すれば、君は無茶に拍車をかけるし、クラスメイトが君を生贄にするかもしれないからな」


 盛男は文人の震えが収まるまで、その背中を撫で続ける。やがて文人の嗚咽は小さくなり、肩の震えも収まっていく。そして涙を拭って、引き締まった顔を盛男に向けた。盛男はそのしっかりとした顔を見て微笑んだ。


「今のところは、檻島に行かなくても大丈夫そうだな。ゆっくりと、友情を、育みたまえ。まだ一月しか経っていないのだ。少しずつ信頼を勝ち取り、責任感ではなく、愛情から彼らを救おうと思いたまえ。そうして君がするように、友人に救ってもらいたまえ。君も彼らと同じ、因子に苦しむ一人なのだから。盛男は全力で君を手伝うよ」


 盛男は口ではそう言うが、それが土台無理なことを薄々感じているようだった。彼は話し終えると同時に、悩まし気に額に皺を刻んだ。同時に文人の引き締まった顔が崩れ、影が差した。


「輝夜を見捨てろと……言うんですか……」


 盛男は下唇を噛んで、首を左右に振る。


「言葉遊びはしないでおく。ただ時間が無かったんだ……」


 文人は盛男に頷き返すことも、首を振ることもできない。盛男が言ったのは完全な正論で、異論が入り込む余地が無い。その分受け入れがたく、そして認めがたかった。


 文人はどうしていいのか分からなくなった。感情が何とかしなければと、身体を突き動かそうとする。しかし理性が答えを知っている為、もうこれ以上考えることが出来ない。出来るのは現実逃避だけだ。


 どん詰まりだった。

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