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泡き想い出

作者: 美黒

とある海辺のお城には、とても可愛らしい王子様が住んでいました。その王子様は、偉大な王様と美しいお母様と暮らし、とても幸せな生活を送っています。

 そんな王子様の趣味は、海辺で読書をすること。

 海が近いお城は、数分も歩けば、すぐに真っ青な海に辿り着くことが出来ます。潮風吹くその場所で、砂浜に腰を下ろして本を読む。そんなひと時が、王子様の何よりの楽しみでした。

 ある時は本を読み、ある時は物思いに耽り、幼い王子様は、そうやって毎日を海辺で過ごしていました。読書が好きな王子様は、想像を膨らませて物語を考えるのも大好きです。時には王様やお母様のお話をせがんで、その話を海辺で何度も思い出す事だって珍しくありません。

 そんな王子様が、王様から聞いたお話で印象的なのは、大好きなお母様との馴れ初め、そして、その頃に居た不思議な女性の話でした。

 王様は若い頃、海で溺れたことがあり、それを助けたのがお母様らしいのです。そこから二人は関係を密にさせて、今のような幸せな家族を築いたのだとか。

 しかし、その中でもひと際異彩を放っていたのが、両親が出会ったばかりの頃、このお城に滞在していたある一人の女性でした。

 その女性は、世間知らずで声を出すことが出来ない、可哀想な女の子でした。だけど、とても愛らしく、当時の王様に懐いていたので、妹のように可愛がっていたらしいのです。

――でもね、あの子は僕たちが結婚する頃、突然居なくなったんだ。一体、何処で何をしているのか。出来ることなら、もう一度会いたいよ。

 そう言っていた王様の顔はとても悲しそうで、その女性を本当の家族のように扱っていたのでしょう。

 王子様は、謎のベールに包まれたその女性の事を考えることが多く、海辺で見た事もない、王様の大切な妹の想像を膨らませました。

 

 ある日、王子様がいつものように海辺で過ごそうと分厚い本を片手にやってくると、そこには一人の女性が座り込んで海を眺めていました。さらさらと風にそよぐ長い髪と、服の隙間から覗く細く白い身体に、王子様は目を奪われました。

 やがて、女性の方も王子様に気付いて、振り返ります。

 女性は、この世のものとも思えないほど美しい人でした。まるで絵本の中から飛び出してきたのかと思うほどです。

「あら……はじめまして」

「はじめまして。……ここで、何をしているの?」

「海を見ているの。海が、大好きなの」

 女性はそう言うと、再び海に視線を戻しました。王子様も、つられて海を見つめ、さりげなく彼女の隣に座り込みます。

 その日はお互い、会話をせずに帰っていきました。しかし、その日以降、王子様が海に行くたびに女性は座り込んで、海を見つめていたのです。

 やがて王子様が女性の存在に慣れてきた頃、ようやくぽつりぽつりと会話をするようになりました。

「貴方は何処から来たの?」

「遠いところよ。ずっとずっと、果てのない場所」

「僕の家は、お城なんだ。父上が居て、母上が居る。二人とも、優しくて大好き」

「そうなの。お父様は、どんな人?」

「強くてカッコいいんだ。いつも人のために悩んで、皆に慕われてる」

「そう……。それは、素敵なお父様ね」

 女性は自分の事を話すことはありませんでしたが、不思議と王子様が王様の話をすると、嬉しそうに聞いてくれました。

 家族が大好きな王子様は、毎日毎日、女性にお城の事を話しました。

 王様が一人の民を助けたと言えば喜び、王子様が小さな犬を亡くしてしまったといえば悲しみ、両親が喧嘩したといえば怒りながらもアドバイスをくれました。

 儚い雰囲気の中でころころ変わる表情を見ていると、王子様は不思議な気持ちに駆られます。時折彼に向ける優しげな瞳は、とても心地の良いものでした。

 そして、女性は王子様の話を聞き終えると、ある不思議な話をしてくれます。お話が大好きな王子様は、毎日それをせがんで、何度も聞いてしまいます。

 それは、とある人魚のお話でした。

 十五歳の誕生日、海の上まで昇り、王子様に恋をした人魚姫。溺れてしまった彼を助けたものの、浜辺に女性が近づき、逃げてしまったけれど、彼女はどうしても王子様が忘れられない。人魚姫は魔女に頼み込んで、声と引き換えに人間にしてもらい、王子様の元に行った。だけど、王子様は浜辺で会った女性と結婚をすることになり、人魚姫は、姉たちからもらった刀で王子様を殺さないと泡になって消えてしまうと言われる。

 けれど、人魚姫は最後まで刺すことなんてできなくて、泡になってしまった。

 そんな、切ないお話。

 王子様は、そんな悲劇を迎えた可哀想な人魚姫のお話が大好きでした。

 そして同時に、そのお話を聞くたびに、心のどこかで何かが引っかかるのです。

 それが何なのか、王子様は思い出すことが出来なくて、女性に話をしたことがあります。

 けれど、彼女は首を振るばかりです。

「思い出さなくていいの。それは、知らなくて良い事なのよ」

 彼女はそう言うと、笑って王子様を見つめました。彼女に見つめられると、王子様は心の奥が温かくなる気がして、とても好きでした。

 だから、その引っかかりは心のうちに仕舞うことに決めました。

 

 そうして、王子様と海辺の彼女が話し合い、心を通わせるのが日常と化してきた頃、事件は起こります。

 その日は、いつも先に海に来ている女性が居なくて、王子様は不思議に思いつつも、彼女が来るまで本を読んで待とうと座り込みました。

 そうして本を読んで、潮風に髪を揺らし、やがて僅かな睡魔が襲い掛かってうとうとし始めた頃、海の中から泡がぶくぶくと弾け始め、王子様は目を覚ましました。

 興味本位で見つめていると、やがて海の泡は一つの穴を作り、そこから真っ黒な影を生み出しました。

 その真っ黒な影は、両目をぎらりと輝かせた魔物に見えて、王子様は怯えました。王様から貰った大事な本を放り出して逃げようと身体を動かしましたが、なぜか足は進みません。

 やがて砂浜でさえ影が吸い取り、海に寄せていると知った時には、王子様の身体は海の中へと引きずり込まれ始めていました。

 ――ユルサナイユルサナイ

 ――オマエハニクキオウノムスコ

 ――コロシテヤル

 ――ソウシテイモウトヲカエセ

 ――カエセ

 ――カエセ

 ――ワタシタチノ

 ――イモウトヲカエセ

 妹、王の息子。一体何のことか分からず、王子様は涙を浮かべました。黒い影はいくつもの意思が一つになった海の魔物で、王子様はこのままだと死んでしまう、と必死にもがきます。しかし、足に絡まった魔物の手は振り解けず、ずぶずぶと海水に身をゆだねることになってしまいます。やがて肩の先まで海に浸かった頃、王子様はもうダメだ、と諦めかけました。

 けれど、そこであの女性の声が聞こえ、王子様は顔をあげました。

「やっと出てきたのね。……私のために、皆、ありがとう」

 いつも素敵なお話をしてくれる女性は、長い髪をなびかせて王子様と視線を合わせます。王子様は助けて、と必死にもがき、彼女もそれに応えるように手をかざし、やがてこう言いました。

「でも、私はもう、充分幸せよ。お姉さまたちは、海の底で私を忘れて暮らしてくれればいいの」

 その言葉と共に海に手をつけ、魔物を一閃しました。同時に、王子様は海から弾き飛ばされて間一髪、危機を逃れたのです。

 茫然自失とする中で、女性は黒い影が瑠璃色に戻ることを確認すると、王子様を見て安堵し、涙を浮かべました。

「良かった。間に合った」

「今のは、何だったの……?」

「魔物よ。……ずっと、貴方を狙っていたの。でも、もう大丈夫。追い払ったから、これからは安心してここで本が読めるわ」

「う、ん。……あなたともお話が出来るんだよね。良かった、助けてくれてありがとう」

「いいのよ。……でも、私に会うことはもうないわ」

 彼女はそう言うと、いつもの姿に戻った海を眺めて嬉しそうに微笑みました。聡い王子様は、それだけで、なにか嫌な予感がして女性の手を掴もうとします。

 けれど、王子様の手は彼女の身体をいともたやすくすり抜けて、何も掴ませてくれません。

 そう言えば、彼女に触れたことはただの一度もない。それに気付いた時には、女性は王子様の顔を見る事もなく、海に身体を投げ出していました。

 一連の出来事をただ、見ていることしか出来なかった王子様は、やがて投げ出された身体が泡となって消えるまで、動けずにいました。

 ――愛しいあの人の宝物が守れて、本当に良かった。それで、それだけでいいの。私はもう、いないのだから。

 そんな声が聞こえたような気がしましたが、それも、もはや確たる証拠はありませんでした。

 

 王子様は、今でも幼い頃に会った女性の事を思い出します。そして、彼女の話してくれた人魚姫の話も。

 やがて、王様の所に居た不思議な女性が人魚姫で、あの女性だったのではと気づくのは、まだまだ先のお話でした。



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