第1話「オークション工房、開店」
大学近くの回転寿司屋「すしや工房」がつぶれたのは、山田優太が大学に入学して1年たった春の日のことだった。
山田も何度か世話になったその店の扉に張り紙が貼られ、明朝体の大きな太字で
「誠に急ではございますが、4月1日をもって閉店いたします 店長」
とだけ書かれていた。
これには、一緒に夕飯を食べに来ていた竹下と一緒に驚愕した。
何が驚きなのかと言えば、4月1日なのに嘘ではない
……ということではなく、その張り紙が「4月1日に張られた」ということだ。
つまり、閉店に関する情報がないまま、3月31日まで通常営業をしていたのだ。
それが、翌日には閉店した。とてつもなく急な閉店である。
張り紙が4月1日に急に張られたというのは、友人の竹下が後日、すしや工房でバイトをしていた後輩から聞いた話だ。
いきなり店がなくなってバイトをクビになった後輩が、途方に暮れて竹下に泣きついてきたらしく、新しいバイト先を紹介する代わりに情報を提供してもらったわけだ。
なんでも話によれば、4月1日に班長(すしや工房のエリア店長)から電話が来て
「なんか、今日からうちの店、閉店らしい…」
と震え声で言われたとか。班長も聞かされていなかった話らしく、本部からいきなり電話が来て「営業停止しろ」と言われたそうだ。
会社が赤字経営だったとか、一族経営で夜逃げしたとか、当時はいろいろと憶測が行きかっていたが、それもすぐに鎮静化した。たかが回転寿司屋。ローカルな情報は熱が冷めるのも早い。
しかし、これは大学に通う、特に車を持たない学生にとって大きな損失だった。
なぜなら、彼らにとって飲食店が閉店することは「外食における一つの分野」が失われることに等しいからである。これは、山田にも当てはまることであった。
山田の通う大学は、いわゆる「田舎のDランク大学」だ。
大学周辺には最低限の設備しかなく、不動産屋や学生用住宅が立ち並ぶばかり。
コンビニやスーパー、飲食店はポツリ、ポツリとあるが、本屋は一店舗しかなく、娯楽施設に至ってはパチンコ屋のみ。ゲーセンやカラオケ、ボウリングをするなら隣の町への「山越え」が必要になる。
このような田舎において、飲食店は「一つの分野につき、一店」という、謎の法則が成り立っていた。
すなわち、ラーメンの店は大学周辺に1店舗だけ、お好み焼きの店は大学周辺に1店舗だけ、という感じだ。回転寿司屋も手近なところでは「すしや工房」だけしかなかった。
無論、車を使えば山道を走って隣町まで30分もかからないので、外食に困ることはない。
しかし、主な移動手段が自転車である大半の大学生にとって、山ひとつを超えて外食をするというのは容易なことではなかった。
そのため、大学周辺の店がつぶれるたびに学生たちは肩を落とし、逆に何か店ができたなら歓喜し、大半の学生が一度は訪れるという異常な光景が日常的だった。
そういう環境なだけに、今回の「すしや工房」の一件は、学生に大きな衝撃を与えた。
彼らのもとに、「すしや工房 閉店」に関する情報が、全くなかったためである。
店ができたりつぶれたりするときには「予兆」が何かしらあるものだ。
特に大学周辺のほとんどの店には、通い詰めている常連やバイトの大学生がいて、店の状態をくまなく把握している。
彼らは、店の経営が傾けばそれを何とか立て直そうと救援の情報を大学にばらまく。
そういった情報に大学生は敏感に反応し、田舎大学特有の情報網があっという間に情報を共有させる。
そうして学生のわずかな財力が結集して「売上げ」に貢献するのである。
それは、大学周辺の「外食」に関する選択肢を失わないための、学生が構築した「優れたシステム」であった。
これまでに、大学周辺の多くの店が経営難を味わっているが、このシステムによって絶妙な学生客の「波」が発生し、なんとか経営を維持している。
なかには創業30年の老舗になっている店も存在するくらいだ。
そんなシステムがあったからか、学生たちは慢心していた。
大学周辺の店がつぶれることはない、と。
もしつぶれるような「予兆」があれば、大学生が一丸となってその店を支援すればよいだけの話だ。
だから、すしや工房「予兆」のない閉店には、多くの学生が驚嘆した。
大学生の幾年にもわたる知恵と経験と人脈を結集して構築されたシステムに、思いがけない惰弱性が見つかったのだった。
そして「すしや工房」の閉店から3か月後。
大学生のシステムの惰弱性を再び見せつけられる事件が起こった。
何の予兆もなく、様々なところで情報を集める大学生が全く気付くことなく「すしや工房」だった店舗が再始動したのである。
不動産屋で働く大学生が気付かないうちに契約が完了し、毎日店の前を通って大学に向かう学生たちも、突然の再稼働に首をひねった。
そうして「オークション工房」は開店した。