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廃色世界の迷い人  作者: フェイフェイ
2章
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3話:ワンダーウォール

 夜の帳が落ちてきた。

 星が雲の隙間から覗いている。


 その下で、黒い空に刻まれた傷跡がぼんやりと光を放っていた。淡く白い光。


 まだ歩いている。疲労が蓄積するにつれ口数は減っていった。喋ると精神的に楽になるが、身体的にはキツくなる。砂漠は昼夜の気温差が激しいと聞くが、この荒地もそうらしい。冷気が深く突き刺さる。

 大剣と荷袋を背に、グレイはどんどんと前へ進む。遅れれば置いていくぞ、と言わんばかりだ。

 俺がはじめいた場所はこの荒地の中央付近で、今はマバレイ山脈麓の木々がはっきりと目視できる所まで来ている。


 あとどれだけ歩けばいいんだろう?


 寒さに震えながらそれだけを考える。

 足腰が悲鳴をあげた。太腿から脹脛、動かす度に筋肉が軋む。

 体力の限界が来た時、それはあった。


 わりかしまともな建物の残骸。


「この辺で良かろう。この地の夜風は防寒具なしでは身にしみる」


 廃墟には屋根が無かった。雨は防げない。しかし壁の形は辛うじて保たれていた。

 グレイは俺が薄着でも耐えれるように、夜風を凌げる場所を探していたらしい。


 この広大な荒地ではそんなささやかな野営地を見つけるだけでも半日を要するのだ。ただ歩くだけならそこまで時間は掛からなかったはずだが、この足場だ。靴を履いていても気をつけなければ、鋭く尖った瓦礫によって無数の裂傷を負ってしまう。


 俺達は廃墟の中に入って行く。


 廃墟は文字通りただの廃墟だった。机も無ければ椅子も無い。

 グレイは荷袋から毛布を取り出し、煉瓦の塊の上に敷く。毛布は色褪せていた。


「エリウス、疲れたろう。其方はそこに座れ」


 道中にそれを貸してくれればとも思ったが、それを口に出す気力かない。俺は重い腰をその上に乗せる。

 毛布の下に固い感触があったが、座れると言うだけで救いだった。グレイは甲冑を着こんだまま、その場に腰を降ろす。

 それにより巨躯を有するグレイとまがりなりにも視線を合わせることができた。


「すまんが、その刀を見せてくれぬか?」


 グレート・リッパーをグレイに手渡す。

 刀身を鞘から抜き、グレイは目を細める。

 月の光を受け刃紋が怪しく光る。

 グレイは暫く眺めたあと、振ってみたり、軽く指で叩いてみたりした。心なしか、その白い瞳に喜色が浮かんでいた気がした。


「加護や守護は無いが良い物だ。……五十万ブレットは下らんだろう」

「五十万ブレット?」


 曰く、この世界の貨幣価値では拳大のパン一個が50ブレットらしい。


 銅貨一枚が十ブレットで、銀貨一枚が百ブレット、金貨一枚は一万ブレットとのこと。あちらの世界でパン一個を百円とすると、だいたい二十五万円程度か。

 しかし、こちらにもパンがあるのか。やはり保存の効く食料はどこの世界にも必要不可欠なのだろう。いや異世界人が広めた可能性もあるな。


「案内だけでは、少々見合わんな」


 グレイはそう呟くと、荷袋の中から赤茶けた外套を取り出し俺に投げる。


「やる。着ておけ」


 外套はみすぼらしかったが、着心地は良かった。内側には動物の毛皮が張られていたのだ。

 そんな物があるなら始めからくれよ、と内心愚痴った。


 それからグレイは近くにあった煉瓦台の砂埃を払った。荷袋から鍋と水袋、干し肉、穀類、小瓶とマグカップを取り出し、煉瓦台の上に並べていく。


「腹も空いたろう。夕餉を馳走しよう」

「いいんですか?」

「無論、飯代もその刀代のうちだ」


 空腹を意識すると腹が鳴った。


「まぁ待て。すぐ用意する」


 グレイは廃墟を出る。数刻も経たぬ内に両腕一杯の枯木を集めて来た。手早く焚火を起こす。俺はその火で暖を取らせて貰う。

 グレイは焚火に鉄製のマグカップをかざす。マグカップにはガラス製の容器から黄金色の液体が注ぎ込まれた。


「食前酒だ。まずはその冷えた体を温めろ」


 湯気がたゆたう。甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「コクナの実を漬けた蜂蜜酒ミードだ。弱った体には効く」


 マグカップを受け取ると、かじかんだ手にじんわり熱が伝わった。

 俺はゆっくりと口を付ける。

 蜂蜜の濃く甘い味が口の中に広がる。ほんのりと梅の香りが混じっていた。アルコールの熱が五臓六腑に染みわたる。


 氷が解けていく。


 そこで何故か一筋の涙が零れた。



 目を閉じると、美玲の綺麗な裸体が浮かび上がった。



 彼女ともう会えないことを初めて哀しく思った。

 この世界で最初に流すべきだった涙が今になってようやく訪れた。

 いまさらか。


 タイムラグを呪った。

 いつも大切なことは後回し……だから後悔するんだよ。


 あの裸体をもっと触っとけば良かった。もうあれほどの美人の裸体に接する機会は無いだろう。もっと見ておけば良かった。あれやこれやをやっとけば良かった。

 とんだ糞野郎だな、と泣きながら笑う。俺らしいチープな涙だった。


 グレイは「よく泣く奴だな」とカタカタ笑った。





 俺が泣き終わる頃には夕食の準備が整っていた。

 蜂蜜酒ミードの味でハードルが上がっていた為、出された粥にはちょっぴりがっかりした。


「まぁ不味くはないかな」と失礼な感想を述べた。


「許せ。自分用の食材しか無かった故だ」


 グレイはそう弁解する。

 この男は食事中も兜を取らない。顔当て部分を上げて椀を口に運び、粥を一飲み干した。


 食事の後に、少しだけ気になることを訊いた。


「異世界人の国があるって言ってましたよね? その国の王も異世界人なんですか?」


「……そうだ。六柱統べる天魔王なぞと自らを称した戯け者と噂に聞く。始めの内はその者を皆馬鹿にしたそうだが……人の欲する所を良く知る男で、あれよあれよとその男の下に人が集い、とうとう国まで立ち上げてしまったらしい」


「名前は知っていますか?」

 グレイは肩を竦める。

「知らぬな。しかしヤマトビトとのことだ」

「ヤマトビト……日本人か。すごい人もいるもんですね」

「まことに。会うてみたいものだな」


 日本からの異世界人で天魔王……半信半疑ではあるが、俺も会ってみたいと思った。




 食事を終えると眠気が襲ってきた。そういえば昨日は寝てない。加えて日中の疲労。随分と長い二日間だった。



 俺はそのまま闇の中へと迷い込む。





*************************************




 二人の声……若い男女の声だ。聞き覚えがある。

 英雄エリウスと魔女ユピユピ。


「はぁはぁはぁ……」


 魔女ユピユピの息は荒かった。明かりはない。真っ暗だ。

 これはエリウス達三人が出会う夢の続きだろうか?


「……エリウス! エリウス! エリウス!」


 ユピユピは声を殺して呼びかける。

 切なくて悲しげで、必死な声。もしや英雄がバロールに討たれた直後の夢なのか? しかしそれでは今際の際に『友よ、死なないでくれ』と呟くシーンと矛盾する。あの言葉はユピユピでなくバロールに向けられたものだ。

「エリウス! 大丈夫? もう私はダメ……かも……」


 耳元で彼女の事切れそうな囁きを受ける。


「ユピユピ……俺もだ……もう……」

「エリウス! 好き! 愛してる! この世界よりもあなたを愛してる。どこまでも貴方を……ん……」


 ユピユピも、エリウスも、苦しそうに呻き声をあげている。声は幾分若く聞こえる。バロールに殺されるよりもっと昔? やはり出会いの夢?


「もう、死んじゃいそう」


 俺は混乱する。なんだ? 二人は一度バロールに殺されているのか? しかし蘇生術は三大禁術で、存在し得ないとグレイから聞いた。矛盾する。


「エリウス! 来て! お願い……死にそうなの……あなたの……」

「待ってくれ、俺は……まだ……あっやば……い……」


 俺の頭は酷く混乱する。




「あなたの……子が欲しいの。お願い……エリウス……。一緒に……あっ」


 俺は完全に理解した。夢の中で愕然とする。

 なんて夢を見させる……。


 二人の愛睦まじい情事の音だけを聴かされる。


 拷問。


 ユピユピの喘ぎ声は耳に毒だった。


 舌を絡める粘着質な音。


――覚めろ!


――覚めろ!


――覚めろ!


――こんな夢覚めろ!


――毒だ!




 二人分の嬌声は暗闇の中に消えていく。

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