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廃色世界の迷い人  作者: フェイフェイ
1章
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4話:美玲の願い

 女がうやうやしく頭を下げる。


「申し訳御座いません」


 何が起きたか一瞬分からなかった。頭の中が真っ白になる。

 硬直する俺に女は接吻したのだ。


「非礼をお詫び申し上げます」


 再度、長く口づけをする。


「この口づけは前払いです。あの男から私の指を取り返して下さい」

「この体は貴方のものです」

「先にお味見して下さっても結構です」


 そう言って、するりするりと俺の服を剥いでいく。抵抗するにも意識が切り離されたが如く、体は動かない。

 謎だった。ひたすらに謎だった。

 彼女も服を脱ぐ。彼女の胸元で黄緑色の石が揺れた。着ている服は少なく、すぐに裸体が露わになる。

 お互いに隠す物は何もない。月明かりが彼女の美しい曲線をなぞる。


「あの男は、私の乳房がお好みだったようですよ?」


 声からは神経質で痩せぎすな女性を想像していた。しかし違った。

 確かに痩せてはいたが、女性を象徴する必要十分な肉が付いていた。形の良いふくよかな胸が触れる距離にある。


「どうぞ好きなだけ御覧になって下さい。それとも御触りになられますか?」


 濃紺色の髪は後ろでひとつに束ねられていた。青い瞳に細い眉。ほくろひとつない、入念に作り込まれた裸体。

 彼女は俺の下腹部に手を這わせる。

 あと少しでも下に触れれば、理性は爆ぜてしまう。


「私は元から心と体が壊れています。ですから御気になさらず。貴方の望みであればどんな事でも受け入れる用意があります」

 女はクスリと笑った。

 俺は吐き気を催す。

「……どうしろって言うんだ」


「あの魔法は私の希望なのです。あの光は私にしか造ることができない。私が唯一、自分を誇れる希望なのです。あの光を見る時だけが癒しです。あの魔法は私が命よりも大切にしているものです。どうかどうか取り返して下さい」


 女は切に訴えた。体を近づけてくる。近い、近すぎる。


「無理を承知でお願いします」


 涙を零す。演技か何かだろう。そうに違いない。


「貴方は必ず私を助けてくれます」


 そう言うや否や、彼女は俺の体をベッドに押し倒した。

 固く抱きつき、深い口づけをして、舌を絡ませる。息は荒く、甘い匂いがした。

 彼女の白い体は思ったよりも温かかった。押し付ける乳房とその先が触れる感触。それが俺の下腹部を強く刺激した。


 だが最後まではされなかった。

 彼女はひとしきり泣き終えると、俺の腕の中で安らかな眠りについた。

 一方、俺は眠れずに混沌とした夜を過ごした。




 小鳥の囀りが聞こえる頃に、彼女は目を覚ました。

 そして寝起き早々に、彼女は全裸土下座という荒行をやってのけた。

 後方はかなり卑猥な光景となっているのだろう。


「夜伽もできず申し訳ございません」

「私の若い体、すべてを貴方に捧げます」

「何でもします。どんな御奉仕でも喜んでやらせて頂きます」

「愛せと仰るなら海よりも深く愛します。愛すなと仰るなら愛さぬように努力致します」

「心もすべて貴方に捧げます。どうかお願いします」


 矢継ぎ早に捲し立てる。


「助けて下さい」


 このシーンを誰かに見られたら、俺の人生は終わる。

 引き受ける以外に無いのか? もともと可能であれば被害者全員分の指を取り返すつもりではあった。

 しかし、それはできればの話。

 そこに誰かの想いが乗っかると、失敗は許されない

 床に揃える彼女の手を見る。繊細な白い手は完璧な造形だった。右手の親指が無いことを除けば。


「とにかく立ち上がって、服を着てくれ」

「いいえ。引き受けて下さるまで、それは叶いません。私にはこれしかできないのです。貴方のお気持ちが私に向くまで、私はこの体を貴方に捧げ続ける、それしかでき無いのです」

「御望みならば全てを御見せ致しましょうか?」


 俺はたじろぐ。


「では、この女体の全てを御覧くださ――」

「分かった。分かったから。引き受けるから」


 折れた。俺は折れてしまった。


「ありがとうございます。やはり貴方は強く優しい御方です。私の英雄です」


 意味不明な言葉に俺は呆れながら首を振る。この貧弱な体を見て、「強い」なんて言葉が何故出てくるのか。


 彼女は立ち上がり、その裸体を向ける。月明かりの下では見えなかった彼女の細部が見える。同じ人間とは思えなかった。それ程に均整の取れた体だった。指を除けばひとつの欠陥も無い。ひとしきり観察してから俺は目を逸らした。


「では御言葉に甘えて、失礼ながら服を着させて頂きます。しかし宜しいのですか?」

「何が?」

「服を着れば、この朝もまぐわわない事になりますが?」


 こちらに向けて、悪戯に微笑を浮かべる。

 黒い髪、白い肌、青い瞳──これ以上の組み合わせは無いと言える。

 しかし首を振る。


「いや、いいから。良く知らない人と、そんなことはしない」


 俺が再度拒否の意志を示すと、彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。そして床に脱ぎ捨てられた服を着始める。簡素な下着に足を通す。足を上げる時に形良い乳房が揺れた。ワンピースに頭を通し、豊かな髪を払う。


 一応だが年齢を訊いてみた。


「十七になります」

「問題だろ……」

「日本の女性よりも熟すのが早いのです。お許し下さい」


 伏見美玲。

 名前だけが日本人で、その体には一滴たりとも日本人の血は流れていない、と彼女は断言した。彼女の透き通る様な青い瞳。確かに日本人離れしていると俺も思う。実は青い光彩を持つ日本人は存在しないわけでは無い。

 しかし彼女は「違う」と断言する。


「私は異世界から来たのです」


 彼女の真剣な眼差し。どこか哀しげだった。

 誰にも愛されたことが無いみたいな、まるで俺みたいな目……。


「信じるよ」


 葛切さんが俺の話を信じてくれた様に、俺も信じた。

 あの日から、俺もそうしようと思っていた。


「信じて下さると信じておりました」


 彼女は癖のある台詞を述べた。

 そして「私は異世界人なのです。法律はお気になさらず」とも述べた。


 微笑みを投げかけてくる。魅惑的な、しかしどこか退廃的な微笑み。

 何を気にしなくて良いのか察しは付いた。


「幸太郎様──私のことは本当に好きにして良いのですよ? 美しい女の体とはその為にあるのですから」


 俺は無視を決めた。そろそろ担当医や看護婦が来るころだ。

 俺も服を着る。今日で退院だ。

 担当医との簡単なやり取りを終え病院を後にした。

 結局、パズルの最後のピースは嵌めれなかった。



 傍らには美玲がいた。

 俺の後ろ、二歩分程の距離を空けて付いてくる。俺は彼女の足音に注意する。気を抜くと、その隙にすっとどこかに消えてしまいそうだった。

 手に触れることができるが、決して手に触れることができない霧。意味の分からない感想が頭に浮かぶ。


 俺はレポートの提出の為に大学に行った。

 その間、彼女を図書館で待たせた。だが実際の所、彼女は中で無く、外のベンチに座っていた。木陰が彼女の白いワンピースに深いコントラストを作っていた。

 タラタラと汗をかく俺とは反対に、いかにも涼しげだった。


「別に中で待っててくれて良かったのに」

「これ程大きな学び舎の中に足を踏み入れるには、少し勇気が要ります」

「そっか」

「で、レポートはどうでしたか?」

「優良可でいけば、可は固い」

「それは凄いことなのでしょうね」


 俺は肩を竦める。


「私には頭が御座いませんから。一度にふたつ以上の数も覚えられない程です」

「それは難儀だなぁ」

 俺はそう呑気に応えて、彼女は優しく微笑んだ。





 日は陰りつつあった。

 人で溢れる繁華街を突き進む。すれ違う男共が皆、彼女の姿に目を奪われる。その後、俺の顔を一瞥二瞥する。釣り合わないとでも言いたげに。

 つんつん、と背中を突かれて振り返る。


「気づきましたか? 殿方達は皆、私の方を見ていますよ? 貴方の女である私の体を舐め回す様に。どうですか?」

「どうですか、と言われてもね」


 俺は笑った。意外と面白いことも言えるんだ、と少しだけ見直した。



 目当ての店は地下にあった。

 重い扉を押し開けると、非日常間を味わえる空間が広がった。

 カウンターのテーブルには池が埋め込まれていて、中を金魚が泳いでいる。水面を暖色系の光が照らし出す。個室には暖簾が降ろされ、遮断されている。中央には円環形のテーブルが設けられ、その中央にエバーフレッシュが茂っている。夜になると葉を閉じる観葉植物だ。店が起きると供に起きて、店が眠ると供に眠る。その枝にはランプが吊るされていた。


 ムーブメントという名のエールハウス。エールハウスとは客に飲み物と食事を提供する店らしい。機能は居酒屋とほぼ同じだ。しかし宿泊ができる点が異なる。東京の街中にも、あまりこの手合いの店は無いのではないか?

 飲み会で潰れた仲間を置いて行く店。何故知っているかは察して欲しい所。


「美玲はあちらでは何をしてたんだ? 勿論仕事についてだ」

 学徒では無いんだろ、とまでは言わない。


「裸売りです」


 聞きなれぬ単語が飛び出てくる。

「包装の無い商品を陳列して、販売することか?」

「いえ。文字通り、私の裸を売っていました」

 ああ。聞くんじゃなかった。

「あまり御気になさらず。あちらでは美しい体を売るのは普通のことです」

 実に興味深くも無くは無いが。しかし知り合いが体を売っているなんて話は聞きたくないものだ。


「売春婦だったのか」

 彼女は目を大きく見開く。

「違います! 違います! ただ裸体を見せて、お金を貰うだけのお仕事です。こちらにもあるでは無いですか!」

 その勘違いは、よほどの心外だったようだ。大きな声が店内に響く。目立つ。彼女の外見もあって既に悪目立ちしていると言うのに。


 少し間を空けてから、話を再開する。


「こちらにもあるって?」

「ええ。こちらでも裸売りをしていましたから」


 当然のように仰る。「裸体を見せるだけ」と言われても、複雑な心境だった。


「殿方達は私の裸体に釘付けでしたよ? 結婚を申し込まれたこともあります。どうですか?」

「どうですか、と言われてもね」


 俺は緑茶を飲む。氷がカランと音を立てた。


 テーブルに並べられた肉料理とサラダとバケットを二人で食べた。値は張るが自分への退院祝いだ。


「どうやってこっちに来たんだ?」


 さて本題に入ろう。

 まずこの質問は必須だろう。

「そうですね。まずはそこから説明すべきですね。あちらでは私の町──トロロッコと言いますが──は戦で焼き討ちを受けました。敵国の兵が大量に町に紛れ込んでいたようで。……疑わしきは罰せよ。生き残ったのは私だけでした」

「戦争ではよくある話だな。で、なぜ美玲だけが生き残ったんだ?」

「はい。これのおかげです。水の神の守護を授けてくれる石です」


 彼女は胸元から黄緑色の石を取り出す。細いチェーンの先でそれは揺れる。石は透明色の結晶ではなく、メノウと同じ様な玉石であった。どうやらその石は水の守護により炎への耐性を与えるものらしい。それで日中、汗ひとつかかなかったのか。彼女の涼しげな顔に納得した。


「私はこの石のおかげで生のびることができました。それは天啓とも言えるでしょう」


「ですが……死のうと思いました。

 町を出るには道中の魔物を薙ぎ伏せるだけの力が必要だからです。私ごときではなぶられるだけでしょう。魔物に辱めを受けながら殺されるぐらいなら、生まれた町で死ぬ方がマシ。そう思ったのです」


 俺は何も言わない。

 彼女は続ける。


「何日かを飲まず食わずで過ごし、意識が朦朧としていた時でした。子供の声がして……そこで頭の中が真っ暗になりました。……気が付けばこちらに来ていました。

 すみませんが、何故こちらに来られたのかは分かりません」


「そっか」


「できればあちらに戻りたいのですが……」


 その声を聞くと、少し悲しい気持ちになった。

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