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廃色世界の迷い人  作者: フェイフェイ
1章
4/25

3話:被害者Aと被害者J

************************************



 男が篝火の前に座っていた。金髪は短く刈り上げられていた。歳は若く、少年と青年の合間にあった。

 篝火が揺らめく度に、男の心も揺らめく。


「本当に来るのか……?」


 彼こそ若かりし頃の英雄エリウス=リア=ヒートハルトである。エリウスは二百余年に続く天魔大戦の最前線を守っていた。戦況は彼の守る主魔バズ軍が劣勢に傾いていた。


 悪魔を討てばそれで万事解決──そんな単純な話では無い。悪魔が滅びれば魔法が使えなくなる。

 人間は、いやエルフ、ドワーフ、ゴブリン……ほとんど全ての種族が魔法の恩恵を受けていた。神から授かる力、悪魔から授かる力、そのどちらも失うことはできない。故に均衡を保つべく、人間や亜人達はそれぞれの陣営に別れて戦った。どちらかが劣勢になれば優勢な陣営から兵士が流れてくる。

 つまりこの二百余年、均衡は保たれるべくして保たれていたのだ。そしてそれは永遠と保たれる──そのはずだった。


「なぜ、助勢が来ない。俺達以外の兵士は皆死んだぞ」


 エリウスは頭を抱えた。

 隣に座る女の顔は、血やら砂埃やらで汚れていた。英雄の左腕──魔導士ユピユピ。魚鱗模様の籠手は血と汗で黒ずんでいた。朱色のローブには穴が空き、その穴からは傷痕が覗いていた。致命傷は避けたのだが傷は深い。

 戦場において魔導士は後衛に位置する。その後衛が深手を負うとは、この一戦の敗北を意味した。

 エルフにしても一際長い耳を垂らして彼女は呟く。


「篝火が弱すぎるのかも……」


 篝火は自分達がここにいるという報せ。しかし援軍が来る気配は無い。


「ユピユピの魔法でなんとかならないのか?」

「ごめんなさい。もうバスが通らないわ……」

「……そうか」


 彼女は涙を流す。契約糸バスの切断──それは彼女が信仰する火の悪魔イフリートの死を意味した。それもただの死ではない。魂の消滅だ。

 使徒の一柱が倒れる。ありえないし、あってはならない事だった。


 エリウスは彼女を守りながら逃げてきた。背には何本かの弓矢を受けた。薄手の甲冑だけで防げたのは幸運だったと言わざるを得ない。


 死中に活路を求め、何とか戦線の開始地点まで引き返すことはできた。

 しかし希望の燈火は今にも消えそうだ。


 これ以上は無理だ。

 諦めようとした時、エルフの長い耳がそれを捕えた。


「誰だ?」


 足音が近づいてくる。いや既に近い。一人だ。大地を踏み締める音。足音の主に自身の存在を隠す気はもう無いようだ。

 尋常ならざる闘気が漏れ出し、その足音の主が強者だと二人は本能で理解する。


「バロール。傭兵だ」


 二人は顔を見合わせる。敵か味方か。



「この戦いを終わらす英雄が必要だ」



 男の揺るぎ無い声が響く。

 大樹を思わす体躯。男でも見惚れてしまう程の恵体。


 一閃が美しい弧を描く。


 長槍が篝火を薙ぎ払った。


 火の粉が宙に舞う。



 光が消える。

 闇だ。

 完全なる闇が訪れる。



************************************




 どのくらい寝ていたのだろう。

 夢を見た。遠い記憶を辿る、そんな夢だった。


 普通の夢の場合、頭が覚醒するにつれて記憶から薄れていく。

 しかしこの夢は違う。目を瞑れば、今もあの情景が瞼の裏に映し出される。長槍を振るう男。暗がりの中だったが……あれは英雄の右腕……聖騎士長バロールに違いない。聖典の最中、自分を殺した男だ。あの顔は俺の心に深く刻まれていた。

 歳は違えど、見間違いやしない。


 そして俺は思い至る。

 そうか、俺は三人の出会いの場面を見たのか。


 何故だろう。体の内側から、ふつふつと怒りが込み上げてくる。ここまでの感情は初めてだった。


 怒りは膨れ上がる。どんどん、どんどん膨張する。とても耐え切れない。駄目だ。それ以上は駄目だ。


 俺は我慢できなくなり、怒りに任せて叫び声をあげた。


「――やめろ! ――やめてくれ!」


 そしてベッドから飛び起きた。

 西日が差しこむ病室に俺はいた。汗が滝のように流れ、ベッドは湿っていた。


「大丈夫?」

「誰だ?」

「大丈夫?」


 大丈夫? 俺は大丈夫か? 自分の顔を手で覆う。怒りを抑えろ。早く冷静になれ。落ち着け。夢だ。あれは夢だ。


 この人は? 誰だ……。


「本当に大丈夫?」


 亜麻色の豊かな髪。血色の良い肌に優しそうな柔和な顔。しかしその中には一本の太い芯が通っているのを俺は知っている。

 彼女の心配そうな顔を見ると、怒りは和らいでいった。


「私は山本薫といいます。って知ってるよね?」


 俺は頷く。

 そうだ。知っているも何も俺の初恋の相手だ。

 若干今もその恋心を引きずっている。俺が荒牧大学を選んだのも彼女が理由だ。彼女のバイト先近くのコンビニエンスストアで俺が働いていることは偶然ではない。

 ストーカー臭くはあるが、別につけ回しているわけでは断じてない。


「ほんとに昨日は驚いたよ。まさか道のど真ん中で寝転がる人がいて、しかもそれが上山君だなんてさ」


 高校でも数回しか話したことが無い俺の名前を覚えていてくれているなんて。俺も驚くよ。


 彼女は椅子にゆったりと座っていた。隣の椅子には、手術前に来ていた服が綺麗に畳まれていた。


「しかしすごいね! 一人部屋だよ。いいなぁ」

「そう?」

 彼女は肩を竦める。

「そりゃそうでしょ。色んなことできるじゃん。隣の人に気遣ってテレビの音量を下げるとかしなくていいし。羨ましい」

「そっか」

「一週間くらい入院が必要だってね。あぁ、あと課題が色々出されてるよ。その紙袋の中に入れてる」


 まるで彼女みたいだな、と思った。でも彼女は既に誰かの彼女だった。まぁそりゃあ当たり前すぎる話なんだけど。


「あとコレ」


 手渡されたのはフルーツの詰め合わせだった。メロンとか入ってて高そうなヤツだ。


「さ、さすがに悪いよ?」

「上山君って友達も彼女もいないでしょ? 可哀相だから」


 そこまでか……。


 まぁ情けは人の為ならず、とも言うしな。人に親切をしたら廻り廻って自分に返って来る。だとすると、この親切を受ければ、彼女はその分だけ何処かで救われるはず。

 他人の親切を受けること自体も親切である。

 陳腐な考えが浮かんで苦笑した。でも意外と真実味のあるようにも思えた。


 だから俺は彼女の為にそのお見舞い品を受け取ることにした。


「もう大丈夫そうだから私は行くね。残念だけど私にはもう彼氏がいるから。これ以上は怒られちゃうよ」

「分かった。色々本当にありがとう」

「うん。この恩はいつか返してよね」

 そうやって去って行く彼女を、俺は感謝の念で見送った。



 入院生活は暇では無かった。

 初日に母親が来た。入院生活中の着替え、歯ブラシ、漫画本、お菓子やらパズルやら……その他諸々を持って来た。俺は何故か殴られた。母親は「お大事に」とだけ言って、帰った。これが母親とのやり取りの全て。


 翌日は警察の事情聴取を受けた。解決に尽力しますと宣言された。それきり彼らと会うことは無かった。


 そこから四日間は、レポートの山に追われた。その四日間の何処かで、山本薫さんとその彼氏の何某さんというカップルが見舞いに来てくれた。

 何某さんも良い人だった。良い人止まりで終わらない良い人。それは悪い人ではないのか、とも思ったが。

「筋肉質な体にその顔はあまり似合わないですね」と笑うと「うるさい」と小突かれた。

 距離感が無駄に近い人。感想はそれくらい。最後に「御大事に」と言われて、俺は「御幸せに」と答えた。それが入院六日間の全て。




 そして入院最終日。

 俺は電話を掛ける。まず初めにそうするべきだとは思った。

 でもやっぱり後回し、後回し、後回しで結局最後になってしまった。最初にやるべきことを最後に残してしまう癖、こればかりは手術しても治らなかったようだ。


「伏見です」


 綺麗な声がした。滑舌のはっきりとした女性の声だった。非常に聞き取り易かった。


「上山と申します」

「どの様な御用件でしょうか?」


 少し間を空けて尋ねる。

「あの、瓦町の路地裏での事件について訊きたいんですが」

「……今少し立て込んでおりまして。折り返しこちらから御電話しても宜しいですか?

「大丈夫です」

「では後程。失礼致します」

「失礼します」

 電話は切れた。まぁ不躾に尋ねたんだ。良い方だろう。


 良い方……それは実際そうで、残る二人の結果は酷いものだった。

 2人目の被害者Bには「キモイ声で電話をかけてくるな」と一方的に電話を切られた。

 3人目の被害者Cには「この番号は現在使われておりません」と言われる始末。それが肉声であり、かつ最後にケラケラと笑ったのが印象を最悪なものにした。


「もう少し何かあるだろう。何だあいつ等は……」


 葛切さんから貰った三人分の電話番号は、被害者Aの実質一人分だけしか使い物になりそうに無かった。


 指切り事件の被害者へ電話を掛けた理由はひとつ。

 『約束の男』から俺の魔法を取り返す為。

 あれだけは取り返さないといけない。そう強く思った。


 俺は夢の中で見た光景を思い出す。魔導士ユピユピは手だけに甲冑を着けていた。おそらく魔法を使う回路やら器官やらが指にあるのだろう。指はいわば生命線である為、魔導士は手を守る。


 指を切られた事と魔法が使えなくなった事に、関連性はあるとは当然に思っていた。そしてあの夢を見たことで、それは確信に変わった。


 魔法は失ったのではなく、奪われたのだ。

 魔導士の指さえあれば、その指に込められた魔法を使えるのに違いない。だから指さえ取り戻せば解決する。俺はそう推理していた。楽観的な推測かもしれないが、今はそれに縋るしかない。


 まずは約束の男がどんな奴か知るべきだ。

 俺は被害者Aこと伏見美玲の電話を待つことにした。





 時計が一日の終わりを告げる。長針はゆっくりと時を刻んだ。


「今日でこの部屋ともお別れか」

 母親の持って来たパズルのピースをはめる。最後のピースは翌朝に残したままにしている。


 一人部屋で誰にも迷惑をかけぬとは言え、とっくに就寝の時間である。俺は電気を消した。結局は連絡無し……このまま寝てしまおうか。



 ベッドの中であれこれ考えていると、俺は尿意を覚えた。

 携帯電話を片手にベッドから立ち上がる。消灯を済ませた病院の廊下は暗い。非常灯だけでは心許なく、携帯電話の光で足元を確認する。あの突き当りがトイレだ。


 用を足している時に電話は鳴った。

 電話が来るならこのタイミングでは、と薄々予感はしていた。

 予感はしていたが、体は跳ね上がり、足元に滴が飛び散る。


 着信番号は彼女のものだ。


「も、もしもし。上山です」

「先程御電話を頂きました伏見美玲と申します」


 涼しげな声だった。電話越しからは雑音も無く、彼女のその澄んだ声だけが強調された。


「例の件ですよね? まず、ひとつだけ私の方から御聴かせ下さい。何故貴方は私に電話を御掛けになったのでしょうか?」

「俺も同じ被害者だからです。貴方から数えて九番目の被害者です。犯人についての情報を知りたいと思って電話しました。」

「そうですか。では、何を御聴きになられますか?」


 拍子抜けするほど、あっさりとしたものだった。何に対しても執着しないタチなのだろう。

「伏見さんは、あの男から何を約束させられましたか?」

「楓町には来るなと約束致しました。可笑しな話ですね。またあの男に会いたいなんて思うはずもないのですけれども」


 男は楓町にいる可能性が高い。あまりにも簡単に得られた情報は、嘘っぽく感じられた。


「それを警察には言いましたか?」

「いいえ。こんなややこしいことを説明する気にはなれませんでした」

「ややこしいとは?」

「魔法のことです。貴方もそうなのでしょう?」

 話が早いな。

「伏見さんは、どんな魔法を使えたんですか?」

「光の魔法です。懐中電灯の様なものです。この時代において、なんとも不必要な魔法でしょう?」


 女がくすりと笑う。疑問を投げかけるわけでも無く、同意を求めるわけでも無い。声から察するに、二十代前半の美しい女性なのだろう。しかしただの美声ではなく、確実に何かがある。



 聞いた者を退廃的で病気的にする音が、美声の裏に隠れている気がした。



 この伏見という女にあまり関わりたくないと感じた。

 であれば、さっさと用件を済ませるが吉だ。


「そうですか。何か犯人について覚えていることはありますか?」

「私の体に興味をお持ちになった様で。入念に、入念に、お戯れになられましたわ」

 ただ有りのままの事実を述べただけ。そんな印象を受けた。

 しかしながら「具体的には?」と下卑たことを尋ねる訳にもいかず、「そうですか」と俺は応じた。


「他には?」

「少々臭かった記憶が御座います。私がそれを申し上げました所、彼は笑いました。それ以外には特に何も」

「分かりました。貴重な情報、ありがとうございます」

「いいえ。こちらこそ。お役に立てずに申し訳ございませんでした」

 そして電話は切れた。得体の知れない悪寒が走る。俺は手を洗ってからトイレを出る。

 俺は病室までの道程を辿る。

 さて、どうしたものか。

 俺はあれこれ考えながら暗い廊下を歩く。



 病室の扉を開けると、女が立っていた。

「先程御電話を頂きました、伏見美玲と申します」

 心臓が跳ね上がる。

 俺は小さく悲鳴をあげた。

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