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廃色世界の迷い人  作者: フェイフェイ
4章
24/25

幕間:ハイ・アンド・ドライ

 結局の所、めそめそと泣いた程度で傷は癒されなかった。



 俺の涙が止まるまで手を握ってくれたポポロポには「ごめん」「ありがとう」と言葉短く謝意を伝えた。それ以上のことはとてもじゃ無いが口が裂けても言えなかった。

 ナークには借りていた黒曜之小刀ブラック・ペッパーを渡した。賃料は前払い済だったが、礼は言っておいた。

 グレイには何も言わなかった。特に何か言う必要性は感じなかったし、彼も彼でそうなんだろう。


 三人を店に残して、俺は夜のププリンの町を彷徨う。

 道端で飲んでいた蝸牛達が「元気無いね。一緒にどうだい?」と誘ってくれたが、そんな気分にはなれなかった。


 所詮狩り。あの男の言う通りで、たかがゴブリンでしか無い。正直あのゴブリン達と仲良くなれる気もしない。沢山のゴブリンを殺したが、大した罪悪感もなかった。

 ゴブリンの村では人間も沢山殺したが、それも大した罪悪感にならなかった。


 歯車が狂い、心が壊れていく。そんな気がした。

 男達と雌達の醜態――そして何の罪悪感も抱かない自分。

 彼等と自分を比べてみると、自分の人間性がますます怪しくなってくる。


 さっきの涙は何だったのか?


 英雄エリウスであったかもしれない自分の手を、彼等の血で汚してしまった。もう俺はエリウスにはなれない。そんな取り返しのつかない想いが、後悔の涙となって溢れたのだろうか。恐らくそうなんだろう。



 町には楽しげな夏の夜の空気が漂っていた。

「一人取り残されてしまった」

 そこにいると、そんな思いが強くなる。


 いたたまれなくなって、町の端の小川を目指した。

 小川には小さな木橋が掛けられていた。


 橋の下には先客がいた。

 先客は橋の柱に肩を寄せて、小川の流れを眺めていた。

 露草の青い花弁が蛍の様に光って見える。


「隣にどうぞ?」


 先客はミミンだった。

 俺は何とはなしに彼女の言葉に従った。

 辺りはとても静かだった。

 二人しかここにはいないのだろう。


「私を守ってくれてありがとう。そう言うべきなのでしょうね」


 俺は「お礼はいいよ」そう言おうとした。

 しかし現実は違った。何重にもかけた鍵は壊れているのだ。


「あの戦いで善かったと思えるのは、ミミンを守れたことそれ以外には無かったよ」


 その想いは勝手に俺の口から飛び出してきた。


「そんな恥ずかしいこと言えるのね」

 彼女はクスリと笑う。俺は自嘲気味に頭を掻いた。


「あの時はそれ所じゃなかったけど。良いモノね」


 何が? と俺は問う。


「自分よりも弱い男に守られるのは、良いモノね」


 その言葉でようやく理解できた気がした。


――そういや、なんで美玲は俺を頼るんだ?


 あの日、美玲に聞こうとして、聞けなかったこと。

 美玲が俺を頼った理由もそれでは無いのか?

 強い者でなく、弱い者に守られたかったのではないのか?

 まぁ今となっちゃ正解不正解はどうやっても分からないのだけれど。


「そんなに哀しい顔もできるのね。あちらの恋人でも思い出した?」


 俺は何も応えない。


「貴方、私のことを仲間って言ったわよね?」

「そうだけど」

「それは今も同じ?」

「そうだけど」

「そう」


 なんだか照れ臭くなって俯いてしまう。


 それから「あちらの世界の露草は、昼に花がしぼむ一日花デイ・フラワーなんだけど」とかそんな他愛のない会話を交わした。

 ひととおり話し終わると俺達は、小川のせせらぎをただ聞いていた。

 流れる木の葉を目で追った。

 あの木の葉は長い旅路の果てに、大海に辿りつけるのだろうか。何のためにそこを目指すのだろうか。結局、沈むことには変わらないのに。




 俺はぼそりと呟いた。ミミンに聞こえない様に。


「……惚れちゃいそうって言ってたけど……あれって今も同じ?」


 どこまでも卑怯で卑屈だった。だけど俺にしてはかなり頑張った方だ。

 今の声は聞こえただろうか?

 聞こえたならどんな顔をしてるんだろう?

 その表情を伺うことは怖くてできない。


「どうしたの? 体が寂しいの? 女が欲しくなってしまったの?」


 そうだ、とは言えない。そうなんだけど。ちょっと違う。

 ミミンが欲しかった。気持ち悪いな、俺。


「貴方から借りていたこの外套を返せば、それで答えになるかしら?」


 少女の裸体は青い果実を思わせた。

 見惚れている隙を突いて、彼女は華奢な手で俺の上着を剥いでいく。

 その裸体に目が釘付けにされ、軽く意識が飛んでいた。

 俺は雑念を振り払う。


「ま、待って、俺の血は穢れてるかも……」


 彼女は猫の爪で、俺の胸に傷を付ける。

 赤い線上にじわりじわりと血が滲み出る。彼女はそこに舌を這わせた。


「あらとても綺麗よ? でも穢れていたらそれはそれでいいかもね。興奮するわ」


「で、でも……」


「野暮ね。目を見れば分かるわよ――貴方が私に惚れているなんて。貴方も私の目をみなさい。分かるから」


 彼女の黄色い瞳は満月みたいに光っていた。挑発的な笑みとは裏腹に、その瞳はどこまでも澄んでいた。


「男は惚れた女を穢す生き物。女はその穢れを受け入れる生き物。ね?」



 接吻とともに舌を絡ませてくる。

 不思議だ。女の唾液はなんで、甘く感じられるのだろう。

 俺は狂った様に、貪る様に、少女の小さな体に溺れていった。


 俺は彼女に傷を付けられて血を流したし、彼女は彼女で俺に傷を付けられて血を流した。

 二人でお互いの傷を舐め合った。

 舐め合って、息を乱して、果てた。



 彼女の小さな体はまだ俺の上にある。

 俺を見下しながら彼女は言った。


「一度やったくらいで……なれなれしくしないでね?」


 ミミンはまた挑発的な笑みを浮かべた。

 それが二度目、三度目の合図だったのは語るまでもない。


 服を着直して、そのまま眠りについた。

 まるで世界に取り残されることを拒むみたいに寄り添って寝た。

 夢は見なかった。







 次の傭兵の仕事まで、俺はひたすら農作業の手伝いをした。

 主にはカプクピの収穫作業だった。単純でひたすらに肉体労働だったが、気分を紛らわすには丁度良かった。

 二百万ブレットには手を付けていない。すぐに血塗られたグレート・リッパーを買い戻す気にはなれなかったからだ。



 ここに来て十回目の朝、最後の一仕事を終えてから俺は旅人ギルドに足を運んだ。

 後ろにはグレイがいた。


「ふむ。だいぶ良い肉づきになってきおったな」

 ゾクリと背筋に冷たいものが走った。


「俺にそっちの趣味は無いぞ?」

 グレイはその意味を把握できなかったのか、首を傾げた。



 あれから何度も足を運んだので、旅人ギルドへの道案内はもう必要なかった。恋をする少年が密会するかのごとく何度も通った道だ。

 旅人ギルドに彼女がいるのは稀だった。それでもナークとポポロポの顔を見ることができるし、それだけで嬉しかった。

 文字の無い看板を見上げる。

 ここに来るのも今日で最後……そう思うと寂しく思う。



「無茶苦茶だ! 無茶苦茶!」


 旅人ギルドの扉を叩こうとするとナークの悲鳴が漏れてきた。


「ポポロポ! 君からもなんとか言ってくれないか!?」


「仕方ないですよ。マスター」


「……ですって。確かに仕方ないのよ? だって新しいご主人様ができてしまったのだから」


 俺が躊躇していると、ノックもせずにグレイが扉を開けた。

 無神経な男だ。



「くっ……どうやらその新しいご主人様がお見えになったみたいだな」


 ナークは開口一番にそう言った。

 そしてまるで親の仇みたいに、憎々しげに俺を睨んだ。


 ポポロポは肩を竦めていた。

 ミミンは少女の姿で会計机の上に座っていた。こちらを見て、つんと尖った鼻を高くさせる。



「しかし酷いじゃないか! パートナーをふたつも奪うなんて! あんまりだ! ねぁポポロポ! 君もそう思うだろ!?」

 ナークが大仰に手を広げ、それから頭を抱える。


「マスター。何かを失えば、何かを得る。ギブアンドテイクですよ? むしろ得をしたと考えるべきです」

「ソレよく分かんないよ! 分かんない!」


 ポポロポの言動は俺にもよく分からなかった。話はあまり見えないが、彼は失ってしか無いのではなかろうか。


「いや、ギブアンドテイク……そうギブアンドテイクだ! それならキール! オレに何かくれ!!」


「何の話なんだ?」


 俺はナークに尋ねる。ナークは悲痛な叫びで訴えかけたきた。同情を誘うように、大げさに。


「ミミンがね。黒曜之小刀ブラック・ペッパーを返せって言うんだ。キールにくれてやれって! くそぅ! ふざけるなってんだ!」


 どうやら黒曜之小刀ブラック・ペッパーは元々ミミンの物だったらしい。


「で、ナークよ。其方が失ったもう一つはなんだ?」

 意外にもグレイが口を挟んだ。死んだ瞳を光らせている。嬉しそうだ。


黒曜之小刀ブラック・ペッパーはペアなんだよ。その白銀乃小刀クレッセントとペア。そしてそれが俺とミミンのパートナーの証。それを返せってのはパートナー解消ってことなんだ。言わせないでくれ!」


 ああ。そう言うことか。少女と小刀――彼はあまりに大きな物をふたつも失ってしまったのだ。


「キール! 御前が新しい御主人様だとよ! だから何かくれ! ギブアンドテイクだ!」


 俺は懐から二百万ブレット入った袋を取り出し、ナークに手渡した。


 俺のほぼ全財産を渡すと、先程までの態度とは一変。ナークは満面の笑みを浮かべる。

 狐。どこまでが本当でどこまでが嘘か。その二面性は彼の長所なのか短所なのか分からない。いや考える気も無い、と言ったほうが良いかな。


「貴方、パートナーをお金で売るのね。最低よ?」


「いやいや、別にギルドから抜ける訳じゃないんだろ?」


「そうだけど」

 不満そうにミミンは応じる。


「なら、ミミンはまだ僕のものと言っても過言では無い。そうだ! キール、君もこのギルドに入るかい?」


 願っても無い提案だった。何の楽器もできない自分を入れてくれる。この町に来たばかりの自分なら、イエスと即答していただろう。


「凄い嬉しいけど。ギルドの掛け持ちは御法度なんだろ?」


「そうだけど。でも。え? キールってオレ達のギルドに入りたいんじゃ無いかと思ってたんだけど……」


 勿論そうだ。でも俺は首を横に振る。

 農作業をしながら考えていたことがある。

 傭兵って糞だなって。その糞みたいなヤツらの蔓延る糞みたいな世界を少しでもマシにしたい。英雄にはなれないだろうけど。それでも何かしらこの世界で成し遂げたいと思ったのだ。

 その為には新たにギルドを立ち上げるべきだ。

 例えば傭兵ギルドみたいなモノを立ち上げるなら、旅人ギルド出身の者ではハクが付かない。あっちの道、こっちの道を右往左往していては説得力にも欠ける。





 グレイとミミンと一緒に旅人ギルドを出た。

 そして次の旅の必需品を購入する為に港町に出向く。

 入り用のほとんどが食料品だ。虹色に輝く盾とか、琥珀色の水晶球とか、喉から手が出るほど魅力的な品々もあったが、見るだけで終わった。


 ああ。なぜ身分証の無い俺とグレイが港町に入れたかと言うと、ミミンがいたからだ。ミミンは二つ星の旅人らしい。

 ミミンが首輪につけている徽章には、羽のマークの左右に星が二つあった。ポポロポにはゼロ、ナークには六つ。どうやら星の数が階級を表すらしい。星の数が二つなら、二人まで旅人案内ができる。ちなみに星六つはギルドマスターの証らしい。ギルドマスター達は好きなだけの人数を案内できる。ただ、自分含めギルドメンバーの請けた全案内の責任を負うらしい。


 まぁ要するに、ミミンの徽章で身分が保証された様なもの。それだけでも彼女の存在は必要不可欠になった。と言うか、プライベート含め無くてはならない存在だ。





 ププリンの北門では相変わらず蝸牛の門番が暇そうに駄弁っていた。

 レッドとブルー、そしてナークとポポロポが見送りに来てくれた。


「僕達も君について行っていい?」

 俺は蝸牛達の提案をきっぱりと断った。弱者はいらない。愚鈍な蝸牛達はこの町で平和に暮らす。それがお似合いだ。


「そうか。じゃあ、名残惜しいけどここでお別れだね」

「ああ。元気でな」

 彼等とはそれで会話を終わらした。



「じゃあ。私からもお別れを。ここに来るまで色々ありましたけど……でもキールに会えて良かったよ?」

「意外だね。てっきりポポロポはこのまま一緒に来てくれる。そう思ってたんだけど」


 ポポロポはナークの方をちらりと見る。


「まだまだ半人前ですから。マスターの下で修業をしたいんです」

 どうやらナークの演奏技能を身に着けたい。そういうことらしい。

 ナークが肩を竦める。その瞳の色は読めない。


「ポポロポ、オレは三つめの物を失うみたいだね」


 そう言われたポポロポはおろおろとナークを見る。まるで迷子になった子供みたいに。


「ミミン。君は旅人としては二流だけど。でも後輩の面倒は良く見てくれる。そうだろ?」

「二流は余計よ。二流は」

 ミミンが鋭い目で元パートナーを睨む。


「旅人は旅に出る。違うかい?」

 ナークは彼女の背中を優しく押した。


「そ、そうですけど。私は……」

 ポポロポは何か言い淀む。


「僕は自分の旅で演奏技能を高めた。一流の旅人になりたいなら、そうあるべきだ。旅人は音楽家ではないからね」

 ナークは自慢の糸目を細める。


「……分かりました」

 ポポロポは悲しさ半分、喜び半分と言った顔をしていた。





「新たな旅に幸多くあらんことを祈って」

 そう言って大仰にナークは腰を曲げた。


「其方もな。人生とは旅。其方の旅はエルフの長命果てるまで続くのであろう?」


「勿論そうだ。……では互いの旅路の幸運を主アウラに祈って」


 さようなら。

 俺達四人はププリンの町を発った。

 新たな仲間を一人増やして。


 そして新たな仕事をひとつ抱えて。




 依頼人は北門の先、3キロ程歩いた場所で待っていた。

 エリウス会と呼ばれる宗教の信者。

 次の傭兵の仕事は、エルシャロウムまで彼等を護衛することだ。


 締めて五十万ブレット也。

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