4話:あまり調子に乗るなよ?
三日目の朝、俺達ゴブリン戦の傭兵は広場に集まった。俺は周囲をぐるっと見渡す。
そこには傭兵以外の兵士、要するに正規兵の姿は無かった。
「蝸牛達の正規兵とは、二日後に現地合流する予定とのことだ」
近くにいた男が「そんなことも知らないのか」と呆れながら俺に教えてくれた。「いなくて当り前だろう」と。確かにそうかもしれない。
ここに彼等がいない要因は、正規兵の頭数の少なさだ。傭兵二百に対して正規兵三十と、圧倒的に少ない。あの蝸牛達の性分なら逆に多いとも思ってしまうが、とにかく数少ない本隊に先陣を切らせる気は無いと推測する。
広場中央には、昨日の一際背の高い蝸牛が立っていた。
「では皆さん宜しいかな? 各自、ゴブリンの右耳ひとつは必ず取って帰ること! それで十万ブレット払おう。追加分は一耳一万ブレットだ! 最も多く狩った者には追加報酬もある!」
傭兵達が色めき立つ。おそらくゴブリンも弱小種族であり、ゴブリン一匹一万ブレットは破格なのだろう。
「では行け! 傭兵達よ! 栄光を勝ち取れ!」
依頼主の檄のもと、傭兵隊は列を為して前に進んだ。俺達5人は傭兵隊の最後尾を歩む。ププリン北にあるマバレイ山脈の左端、ナズルカの森を目指して。
「ねぇねぇ、ピーター。何匹狩ろうかなぁ」
「五匹は狩ろうよ」
「いやピーター五匹じゃ少ないよ。十匹は狩ろう」
蝸牛達の何処からその自信が湧いて来るのか俺にはさっぱり理解できなかった。また、どいつがピーターなのか、どの顔を見ても判別できなかった。
「それにしてもこれいいね! カッコイイ!」
アレキサンダーと呼ばれる蝸牛は自身の左胸に親指を突き立てる。
彼らの白い布きれの左胸あたりには目印があった。
アレキサンダーという蝸牛は赤丸、ガードナーは緑丸、ピーターは青丸の印をつけていた。三匹の区別を付ける……気の乗らない俺がこの三日で立てた唯一の作戦だ。正直、もっと作戦を練るべきではあった。しかしそれは無理な話だった。彼等は愚かで、怠惰で、変に頑固だった。例えば他の仲間が索敵をする場合、自分達も周囲を警戒すべきと言っても、「索敵班は周囲の警戒が仕事なんだから、索敵班でない人達が警戒する必要ないでしょ?」と反論し譲らなかった。終始こんな感じなので、諦めるしかなかったのだ。
ちなみに赤は強気、緑は普通、青は弱気、と彼らの性格を表している。戦場で各々に適した命令を下す為だ。
あと俺は彼らの名前も覚える気もなかったから、レッド、グリーン、ブルー、そう呼ぶことに決めた。蝸牛への理解を深める気なんてさらさらない。
俺は嘆息しながら言う。
「おいおい。忘れたのか?」
「ああ、そうだった。お互いコードネームってので呼ぶんだったね。ごめんねブラック」
ブラック……。髪が黒いからブラックだ。他意は無い。
「で、君のことはなんて呼べばいい?」
グリーンが振り向いて言う。俺の隣を歩く少女に向かって。
少女は黒い長髪を振り払って答える。
「イエローでいいわ」
「なんで黄色?」
「ほら。目が黄色いでしょ?」
そう答える。彼女は見分けがつくから別に色名で呼ばなくても問題無いのだけれど、まぁ別にいいか。
蝸牛達は、はしゃぎながら歩く。まるで遠足へ行くみたいに呑気なものだった。
「で、ブラックは何匹狩るつもりなの?」
隣からイエローが尋ねてくる。
「3匹くらいかな」
俺はゴブリンの強さを実体験として全く知らないのだ。それに対してブルーが「え、随分と弱気だね!」と笑う。悪意はない様子。それはそれで腹も立つけど、ここで蝸牛相手に口喧嘩して無駄な労力を使いたくない。
俺はブルーに苦笑で応じる、その時だった。
「あまり調子に乗るなよ?」
前を歩く経験者風の傭兵が俺達にそう忠告してきた。男は振り返りもしなかった為、顔は分からなかったが、まぁ俺と同じ人間の傭兵だろう。
彼は最小限の装備をまとっていた。長剣と兜と胸当てと手袋、そして外套……うっそうと茂る森の中を進むにはそれくらいの軽装が丁度よいのだろう。かくいう俺もほぼ同じ装備だ――得物がナイフであることを除けば、だが。目標金額の差だろう。効率良く、多くのゴブリンを狩る為に、長剣を選んでいるのかな。
「うるさかったですか? すみませんでした」
面倒臭いけど一応謝っておく。経験者からは色々と教えて貰えるかもしれないので。
「ガキの使いじゃあ、ねーからよ」
男は手をヒラヒラと振り応対する。
ナズルカの森の前には豊かな平原が広がっていた。
「ここで一旦止まれ!」
先頭のフルプレートの男が大声で叫ぶ。
「十分後には森に入り戦闘開始となる。それまで各自、覚悟を決めるなり、用を足すなり、飯を食うなり、好きにしろ! ただし飯は食いすぎるな! では一旦休憩だ! 時間が来れば各々で森に入れ。以上だ!」
彼の指揮はシンプルだった。各自、休憩を取ってから後は自由にしろとのこと。まぁ急いで寄せ集めた傭兵だから仕方ないんだろう。
俺達は食事を軽く取ることにした。干し肉と木筒をリュックの中から取り出す。
どうにも味気ない食事だった。三日前の龍狗の肉は格別だった。その味をまだ舌が覚えているのだろう。残念な気持ちが一層強くなる。
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あの日、ディナーのメインとして出されたのは、龍狗の心臓の香草焼きだった。
シンプルだったが、その分だけ素材の味が良くわかった。あの得体の知れない魔物があんなに美味いとは思いもしなかった為に素直に驚いた。
更なるサプライズはその直後に訪れた。驚愕だ。
肉を飲み下すと体が数回――たぶん8回――光ったのだ。ポポロポは4回光った。
ポポロポの「魔物の血肉は力の糧になる」と言った深意が理解できた。実感として理解できた。どうやらこの一食で身体能力が格段に向上したらしい。
「キールにもキタみたいだね」
その恩恵を最も効果的に与える部位が心臓なのだとキールは得意気に話す。
グレイはというと「この程度じゃあ効果が無い」とのことで、一番美味とされる腿肉の煮込み料理を食べていた。
ナークは残りものの龍狗の心臓香草焼きを半分ほおばり、体が一度だけ光った。少し可哀想なことに、彼の飼猫のミミンがニャアニャアとしつこく強請るので、彼は半分しか食べれなかった。ちなみにミミンは一度も光らなかった。
俺はとても勿体無いと思ったが、ナークは意外と人としての器が大きいらしい。「ただの動物には効かないんだよね」と笑い、ミミンは不服そうに黒い鍵尻尾をゆっくりと左右に振った。
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ささやかなランチタイムはすぐに終わった。まだ少し時間が残っていたので、俺はリュックから色褪せた巻物を取り出す。旅人ギルドで購入した地図だ。最安価の地図でかなり大雑把なものだった。どうせ狩場まではついていくだけなので、あまり意味は無いだろうけど現在地を確認する。
聖地エルシャロームを鷲掴みにする様に、六つの半島があった。俺は今その下左端の半島にいる。
地図を見るのが初めてなのか「これが地図かぁ」と蝸牛達は顔を寄せてきた。グリーンが三本指の内の真中の一本で「僕達はここにいるの?」と左上の方位記号を差した。見当違いも甚だしい。
俺が蝸牛達に呆れ顔を向けていると、傭兵達が立ち上がった。
そして思い思いに森の中へと足を踏み入れていく。
「行くぞ」
俺は言葉短く、この寄せ集め傭兵パーティーに進軍を再開するよう告げる。
森に入ると数十組のパーティーはそれぞれ散開した。人間以外の亜人種もいるようで、彼等は強そうだが柄が良くない。俺達は人の良さそうな人間パーティーの後ろについて行く。どの様に狩るかは自由なんだし、この人達の邪魔さえしなければ良いだろう。
ナズルカの森の勾配は穏やかだったが、木々の緑が濃くて視界が酷く悪かった。まさにゲリラだな、と俺は思った。
数刻歩いて、疲労を感じ始めた時だった。
「いたぞ!」
前を進むパーティーの斥候役が声を上げた。木の隙間から緑色の怪物が飛び出してくる。
4体のゴブリン。個々の力量差と四対五の数的有利。傭兵達は即座に彼等を屠る。実に呆気なかった。
「なんだ。やっぱり余裕じゃん!」
グリーンが笑って言った。
そしてそれは彼の最後の言葉となった。
グサリ、と彼の胸に弓矢が刺さったのだ。
「キェェェェエ――――!!」
ゴブリンの奇声が響く。
やられた。グリーンが速攻でやられた。まるで的を射るみたいに、彼の左胸につけられた緑丸の目印ど真ん中を貫かれた。
即死だ。胸部からは青い血が流れていた。
数秒遅れて二匹の蝸牛は何が起きたか理解した様だった。
「ひぃいいいいいい!!!」
二匹が悲鳴をあげる。
「煩い! あせるな! とにかく木の陰に身を隠せ!」
奇声から推測すると距離は百数十メートル。
腕もなかなかイイらしい。
俺は素早く指示を飛ばす。
近くの割かし太い木の幹を盾にする。矢は前方から飛んできた。あっちはやばいか……そう思った時だ。
カチリと体内で何かが噛み合う音がした。
背筋に悪寒が走る。
「キキキィィ――!!!」
その金切声と共にゴブリンが左隣の茂みから飛び出してくる。弓兵の奇声は注意を引きつける囮か。
目前のゴブリンの細長い手には錆びた短剣が握られていた。
短剣が俺の心臓目掛けて突き出される。それを何とかナイフで弾き返す。と同時にゴブリンの細い首根っこを掴み取り、木に叩きつけ、薄い胸板を横一文字にナイフで切り裂く。
緑色の鮮血が散った。
危なかった。あと一瞬遅ければやられていた。
俺は周囲への徹底した警戒が必要だと理解する。
「このあたりの茂みをぶっ刺せ!」
俺は号令を出した。が、蝸牛達は言う事を聞かない。
「お前等! 槍持ってんだろ! それで刺せ! 徹底的に! 大丈夫だ! 何かあったら俺が出る!」
再度の檄でようやく蝸牛二匹は動き出す。
二匹は恐る恐るといった感じで茂みを突き刺した。
慎重すぎだろと思って見ていたのは少しの間だけだった。何か――たぶん理性みたいなもの――が弾けた。二匹とも半狂乱となって無茶苦茶に茂みを突き刺す。グサリグサリグサリ、と。まるで仲間の仇を討つみたいに。
グサリグサリグサリ。グサリグサリグサリ。
「やめろ! もういい! やめろ!」
俺がそう言って、二匹の殻を蹴り飛ばすまで、それは続いたのだった。
疲れた。
酷く疲れた。
別にゴブリンを殺るのに疲れたわけじゃない。
俺は打ち取ったゴブリンの右耳を切り剥す。嫌な感触が手に伝わってきた。
「もう死んでる?」
ブルーが涙声で聞いてくる。
「ねぇ……ブラック……コイツの死体はどうするの?」
息を切らせながらレッドが聞いてくる。
「知らねーよ……好きにしろよ……墓でも立てるか?」
俺はそう言い捨てた。それがまずかった。
二匹がゴブリンに近づいて行く。
何をするのか眺めていると、彼等は口を大きく縦に広げた。俺はソレを酷く平坦な感情で見た。そして「ああ、なるほどね」と呟いた。
二匹は俺が打ち取ったゴブリンに貪りついたのだ。
不幸なことに、そのゴブリンは死んだふりをしていたみたいだ。弱ったゴブリンを押さえつけてからの踊り食い。蝸牛達は皮を切り、剝ぐ。臓物を艶めかしく啜る。
こっちの世界に来てだいぶ耐性がついたみたいだ。
彼が完全に死に絶えるまで俺はその慟哭を聞いていた。最後に何か喋っていた様だが、その声は美玲の石を以てしても理解することができなかった。
食後に二匹の蝸牛は十回くらい体を光らせた。
そして俺の方に緑色の血で汚れた面を向けて言う。
「ブラック! 君けっこう強いみたいだね! 君と来て良かったよ!」
俺はなんだかすごく嫌な気分になった。
「ねぇねぇブラック。どうしたのそんな顔して? 何か大切な人を失ったみたいな顔しちゃって」
その言葉で俺は凍りつく。ヤバい。なんで今の今まで気にとめなかったんだろう! こんな奴等より先に、彼女のことを考えるべきだった。
「おい……お前等……イエローは何処だ……?」
俺は震えながら振り返る。
少し後ろの地面には、子供用の衣服が散らばっていた。




