表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
廃色世界の迷い人  作者: フェイフェイ
3章
16/25

1話:元気を出して

 外套のフードを深く被る。

 その上を木の葉から垂れ落ちた水滴がポトリポトリと打つ。

 山の天候は変わり易いことを、俺は身をもって知る。


 凍える体から吐き出される息は白い。

 これで夏か……。



 耳を上に尖らせた小鬼が森を先導する。

 プッカは森の民であるらしく、山道については俺達三人の中で最も詳しい……らしい。 彼女は得意げに先導を引き受けた。


「止まないですねぇ。雨」

「この先は泥濘ぬかるみ。足を取られぬ様にな?」


 グレイの忠告は遅く、泥に嵌りズボンの裾まで汚れる。


 靴の中に侵入した泥水がひたすら不快だった。

 身に合わない大きな外套は雨をまとい重かった。


「ポポロポ……少し速度を落としてくれ。俺の足は限界に近い」

「下り坂なのにですか? その体たらくは何処から?」


 俺は呆れながら答える。


「足だよ。足」

「足から疲れた? それは疲れますね」


 ポポロポは嘆息とともに、当たり前すぎることを言った。


「バロールさん。足手まといがいますので、少し休みましょうか?」

「麓はもうすぐなのだから必要ないのでは? それに速度を落とすだけと、本人もそう望んでおる」

「頼む……」


 ポポロポは俺を過小評価する節があり、グレイは俺を過大評価する節がある。

 俺への評価の微妙な食い違いによる四十五回目のささやかな口論は、今回もグレイに軍配が上がった。

 もう少しポポロポは粘ってくれよと内心で愚痴る。


「しかし不思議ですね。あんなに汚い血を出したというのに。その傷口……赤い血が流れてますね」


 山道に不慣れな俺は、茨の刺や笹の葉で、頬や手の甲に無数の生傷を負っていた。

 そこからは彼女の言うように、鮮やかな赤い血が流れていた。


「ちょっといいですか?」


 彼女は俺の傷口にそっと布を当てる。そしてそこに付着した血を凝視したり、匂いを嗅いだり、息を吹きかけたりした。

 息を吹きかける仕草はそれなりに可愛かったが、あまり意味があるとは思えなかった。


「う~ん。分かんないですね。やっぱり何度見ても、これはとても綺麗な血です」


 彼女にも思う所はあったらしい。俺が傷を負う度、彼女はその血を確かめたのだ。


 そして今回の確認で初めて彼女は笑ってみせた。

 ようやく疑いが晴れたのか。一旦保留になったのか……敵意が薄れたのはありがたい。


 何はともあれ、あとちょっとで死の森を抜ける。

 町だ。やっと町に着くんだ。


 ぬかるむ山道は長く、歩きづらく、きつかった。


 特にマバレイ山頂までの道程が最も過酷だった。

 にもかかわらず龍狗りゅうぐを倒した後、ポポロポが死んだ仲間を弔いたいと言うので、道を引き返したのだ。


 仲間の死だ。断ることはできなかった。

 ポポロポが祈りを捧げる間、周囲の警戒という大義名分の下、俺はバロールを連れて彼女から離れた。



 俺はその時の会話を振り返る。矛盾はないか?


 俺は尋ねた。

「グレイさん。貴方はバロールなんですか?」


 直球すぎる質問だったが、遠回りしても仕方ない。俺を殺す機会はいくらでもあった為、今さらここで殺されることは無い。そんな考えが俺を大胆にさせた。


「バロールとは、あのバロールか? 何故そう思う?」

「俺を、いやエリウスを守ることに生きる意味を得たと言いましたよね?」

「この世界の者であれば誰もがそうだと思うぞ? 我でなくとも、聖騎士バロールでなくとも、な」


「……」


「それだけか?」

「また俺に殺させるのか――みたいに言いましたよね?」

「一度其方は我に殺されそうになったろう? そのことだ」

 バロールがエリウスを殺したことを連想したのは間違いか?

「それにエリウスを名乗る其方が、あそこに眠る亡骸を見ようとせぬから。弱い男が強者の名を語るのは好かんのだ」


 好き嫌いで殺す? 背筋に冷たいものが走った。


「他には?」

「バロールと同じく、左目に傷が……」

「ふむ……アレは右目では無かったか? まぁ良い」


 そう言ってグレイは傷ついた左目を開いて見せた。

 右目と同じく死んだ様に白い瞳だった。その瞳には縦一直線に切傷が走っていた。その傷には赤い糸が縫い付けられていた。

 赤い毛虫が這っているみたいだった。寒気がした。恐ろしかった。今まで見たどんな目よりも不気味で痛々しかった。


 その行為が何を意味するかは計りかねた。


 しかし「その兜を取って下さい」とは口が裂けても言えなくなった。兜の下の戦傷は想像すらできない。それを見る心の準備はまだない。


「バロールの死は確認されておる。そしてその死は百年程も前のこと。我がバロール? 在り得ぬわ」


 そんなに経つのか? と思ったが、意外と最近だなとも思った。


「まぁ我がバロールであるなら、それはそれで面白い。ふむ。確かにそうだな、面白い。我がバロールを名乗るも一興か。エリウスとバロールを名乗る豪傑達が現れた――騒然とする世界が見えるぞ……」


 グレイはカタカタと笑った。



 状況証拠は彼がバロールだと充分告げている気もするが、それだけだった。物的証拠は無い。

 そもそも彼がバロールだとしたらどうする? 何故俺を殺したとでも問いただすのか?

 それでこの男が正直に答えるのか?

 そう考えるとこれ以上の詮索に意味は無いと悟った。そもそも今この男は俺の味方なのだ。これからも彼には俺の面倒を見て貰うのだ。煙たがられるのもよくない。



「何をボウっとしてるんですか! 馬鹿が何を考えても、馬鹿な考えしか生まれませんよ?」


 ポポロポの叱責を受ける。その通りだ。

 しかし馬鹿な考えか……何か大きなミスリードをしている気がするけど。

 まぁいいや。考えるのはやめだ。


「見て下さい!」彼女が手を広げる。


 顔を上げると、道が開けていた。

 森を抜けた。見える! 町だ!


 クシミア遺跡を町と呼んでいいかは分からないが、あれは随分と寂しい町だった。

 だから次の町には期待していた。


「元気を出して下さい! もう目の前ですよ!」


 元気を出せか……彼女に言われちゃあな。


「そう急ぐな。エリウスは相当に疲労しておる」


 そうだな。まったく以て疲労困憊だ。

 しかしこの異世界に住む人々との新たな出会いを前にすると、はやる心を静めることはできない。



 扇状地に栄える町――ププリン。マバレイの頂上から眺めると、それは大きな台形型の港町だった。


 ププリン!


 あぁなんて愉快な響きの町だ!

 どんな人達が住んでいるんだろう。

 俺は疲れを忘れ、駆けだしていた。


「元気を出し過ぎです! 先導者を最後の最後で出し抜くなんて! この卑怯者! 私だって初めてなのに!」


 ポポロポも走り出した。背には巨大な荷物を背負って。


 グレイは足を速めるでも遅めるでも無く、ゆっくりとついて来る。

 見上げると雨はすっかりやんでいた。


 あの森での出来事が嘘と思えるほど、空は晴れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ