7話:左眼の傷跡
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「昨晩のあれはなんだ! ヴァルヴィダ討伐の前夜に何を盛っている!」
野太い怒鳴り声が響く。
「なに? 妬いているの?」
呆れた様な女の声が応える。
「違う。これから俺達は沢山の命を消しに行くのだ! 他にやることがあるだろう!」
怒鳴り声を上げるのはバロールだった。
対するは魔導士ユピユピ。
「無いわよ。ヴァルヴィダは強い。私達は死ぬかもしれない。だから命を繋ぐために、私達は昨夜交わったの。こんな時だからこそなのよ?」
「糞が!」
バロールは単身で飛び出して行く。
彼は思う。確かに言っていることは分かる、と。
しかし他種族の命を消そうとする一方で、自分達の命を次に繋げようとしている。
その傲慢さに怒っていた。
「話にならん」
声を荒げる。
……命を次に繋げようとする者達が、その手を汚そうなぞ話にならん。
バロールの覚悟は固かった。
その精神は鍛え上げた肉体によるものか、生まれ持ってのものか。
何れにせよ、生まれてこの方、彼の意志を挫く者はいなかった。
「待て!」
後ろから肩を掴まれる。
「待て!」
エリウスだ。
「バロール! 待ってくれ!」
バロールはその腕を力任せに振りほどく。
「俺一人で十分だ。貴様はここで盛っておればいい!」
「待て! バロール! 待て! 一人で行くな!」
エリウスはバロールの後を追う。
「いらん! 俺だけで十分だ!」
「分かった。オマエが俺達と伴に戦わないと言うのなら、止めない。しかしこれを持て。それが条件だ」
エリウスの手から六芒星のペンダントが渡される。
十二の宝石が輝いていた。世界と等しい価値を持つ輝石。
その光は穢れた黒血の中にあっても失われることはないだろう。
「ふん。これは貴様が得た加護だろう?」
「バロール……お前が何を想っているかは分かる。だからせめてこれを……」
「俺にはいらん」
「頼む……」
エリウスの今にも泣き出しそうな面。
バロールは他人の泣顔を見ることが何よりも嫌いだった。
「お前はずるい奴だな……」
「……すまん。赦してくれ」
バロールはペンダントを首に掛ける。大木を思わす彼の太い首には、少々鎖が短くあった。仲間からの想いに縛られる。灰色凶狼とも謳われた自分には似合わぬ代物だと嗤った。
彼はひとりで戦場へ向かう。
「オマエらが穢れを撒き散らすせいだ……悪く思うな……」
星の跡では、屈強なヴァルヴィダの戦士が待ち構えていた。
ヴァルヴィダは十二の指を有する故に、魔法と聖法に長けていた。しかし今は神に見放された身、契約糸が切れ、聖法は使えない。力半減といった所。
つまり絶対の加護と不屈の心体を持つ彼の敵ではなかった。
『あはははは! 逝く逝く逝く逝く逝く!
滅びる運命だよね、運命! お馬鹿なヴァルヴィダちゃん!』
天でも無く、地でも無く、その狭間から狂ったかの如き嬌声が響いた。
打突、斬撃、業火。
槍の攻めと炎の守り。
一連の攻守は刹那の間断無く、美しくすらあった。
続けざまに戦士達を屠って行く。
兵士達の頭を殴打し、腕を切断し、胸を貫いた。
まるで赤子の手を捻るかの如く。
「女王はどこだ! 逃げたか!?」
バロールは右手を前にかざし、自身の体を中心に弧を描く。
空中に火が灯る。彼が受けた唯一つの契約糸。火の神ヘスティアから貰い受けた灰炎。いつもならその円弧の一部が強く燃え上がり、探し人のもとへ導いてくれる――はずなのだが。
「何処にもおらぬのか……」
バロールは想う。女王にも神にも捨てられたヴァルヴィダを哀れに想う。
『分かっておろうなぁ? 女一人、子供一人、生かしてはならぬぞ?』
天空からは冷淡な声が届く。
「言われずとも、そのつもりだ」
『ならば良し。天主としてこのアウラ、汝の武勇をしかと見届けよう』
美しいヴァルヴィダの女兵士がバロールの背後を襲う。白銀の髪が宙に舞う。血が飛び散る。相当の実力の持ち主だ。彼女が人間であるなら騎士団長にも昇りつめたろう。しかし今のバロールの敵ではない。その流れる様な剣捌きも止まって見える。バロールは鎧ごと貫いた。彼女は何か呪詛の様な言葉を残して絶命した。
「糞が……」
バロールの顔は苦渋に濡れている。
それは比喩では無く、文字通り苦渋に濡れているのだ。ヴァルヴィダの穢れた血糊が顔中に纏わりついている。六芒星の輝石が無ければ、それだけで魂を滅していただろう。
戦士はもう両手で数えられるほどしか残っていない。
バロールは深手を負っていた。
いや敢えて深手を負ったのかもしれない。ただ手を抜いたわけでは決してない。
自分も彼等から傷を受けるべきだと感じたのだ。この傷を背負って生きていく。
「すぐに終わらせる」
最後の一人がバロールの左目を深く傷つけた。
それは少年だった。少年はその体に不釣り合いな長剣を握っていた。剣は冷気を帯びていた。将来有望な少年兵だった。
早すぎた。バロールの前に立つのはあまりに早すぎた。
バロールは霊槍で少年の心臓を貫く。少年はその痛みに気付くことなく死んでいった。
心臓喰と呼ばれるその霊槍は、貫いた者を即座に殺す術式が埋め込まれている。
よほどの強者であったとしても抵抗は不可能だ。
街を包む豪炎を最後に、星の跡に動く物は無くなった。
残るのは瓦礫と死骸のみ。
バロールはヴァルヴィダの血で黒く穢れていく大地を眺める。
少しだけよかったと思えること。
それはこの穢れた地にエリウスとユピユピがいないこと。
夜の帳が下りる。
月は見えない。星は見えない。
黒い空と黒い大地の隙間に彼は佇む。
その暗闇の中で、首下にぶらさがる光だけが希望だった。
その光は汚れた傷跡に、唯一癒しを与えてくれた。
「エリウス……」
俺は闇の中を彷徨い続ける。
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「プッカよ、伏せろ!」
「ひっ」
「彼奴らはその男の血を狙っておる」
「こんな奴、放って逃げた方が……」
「無理だ。もはや囲まれてしまった」
「やだよ……こんなとこで死にたくない……」
「そんなことは、我がさせぬわ!」
金属と金属が衝突する鋭い音が耳を突き刺す。
「エリウス! 目を覚ませ!」
獣臭い。
血生臭い。
「エリウス!!!」
俺は何をしている……。
罪を償った子供を殺して……。
……糞だ。
俺の半分は彼を赦していたけれど、もう半分は確かに殺したがっていた……。
他人に強き者を任せ、自分は弱き者を挫く……。
俺は……。
「――エリウス! 目を覚ませ! エリウス!」
グレイの声が夜の森にこだまする。




