魔王には奥さんがいたようです。
翌朝。今日はアレク、アギル、イオレスは模擬戦の為の訓練で不在。私はというと、何故か離宮の中にいるわけで・・・。さらに言えば、ここは庭園で、目の前には優雅に白磁のティーカップを傾ける艶やかな美女と、スレンダー美人がいるわけで・・・。
どうしてこうなっているのか、話はほんの数十分前に遡る。
*****
いつものごとくアレクに起こされ、彼の作った朝食を食べる。その後彼にこう聞かれた。
「今日はどうする?」、と
「一人で書庫に行くのはダメかなあ?レティスさんはとりあえず今は大丈夫なんだよね?」
「レティスは、な。不安要素が全くないわけではない。お前を利用しようとする輩がいるかもしれないからな。そうだな・・・ともに訓練場に行くか?」
それもそれで面白そうだ。覚醒を早めるからという理由で禁じられてはいるが、魔法には興味がある。なによりアギルの事も気になるし、と思い頷きかけた時、コンコンと扉がノックされた。アレクが扉を開き、訪問者と何事かを言い争っている。何か問題でも起きたのだろうか、と不安になりそろそろとアレクに近づいた。
「・・・だがしかし・・・」
「これ以上先延ばしにしても仕方ないだろう?」
「できれば会わせずに彼女を元の世界に帰したい。何とか止められないのか?」
「無理だな。下手をすればこちらに乗り込んできかねない。そうなると困るのはそちらだろう?」
どうやら相手は女性のようだ。そして言い争いの原因は私。女性は私を誰かに会わせようとやってきたらしい。アレクはハアと溜息を一つ吐き、苦虫を噛み潰したような顔をして振り返った。
「サーヤ、側妃がお前に会いたいと言っているそうだ。」
アレクの言葉を聞いた瞬間、思考がフリーズする。
側、妃?
側妃っていうと日本で言うところの側室的な?第二夫人、とか?
「えええええええええええええええええええええ!」
「どうしたサーヤ?大声出して。」
「いや、だって、その、側妃って!」
「あはははは!面白いなサーヤ殿は!」
私の反応がツボに入ったらしい女性はお腹を抱えて笑っていた。その時初めて女性の姿がしっかり見えた。紺碧の長い髪を一つに結い上げ、透き通るような青い瞳を持つスレンダーな美人さんだ。軍服を着て、帯剣しているところから彼女は側妃に仕える護衛兵かそれに近しい仕事をしているのだろう。ようやく笑いが収まったらしい女性が改めて私に向き直る。
「失礼した。お初にお目にかかる、私の名はユリーネ。先ほどアレクが言った通り、側妃ミゼリアがあなたに会いたがっているので、交渉に来た。彼女と会ってはもらえないだろうか?」
ユリーネの言葉に考え込む。側妃と面会・・・。魔王の奥さんと?小市民の私には荷が重い気がする。でも魔王の奥さんということは、私の前世の奥さんというわけで・・・なんだかこんがらがってきた。
「身の安全は私が保証しよう。何より離宮は男子禁制だ。ここよりは快適だと思うぞ。」
この世界に来てから女性とはほぼ無縁だったしなあ。エイラ以外の女性とは面識がないから正直ちょっと花が欲しいと思っていたのだ。かといってアレクにエイラを呼び出してもらうのは気が引けたし、見ず知らずの女性兵士に話しかけるには私のコミュニケーション能力は高くない。
「それに私だけがあなたに会ったなどと知れたら、彼女はそれを妬んでここに乗り込んできかねない。私やここの兵たちの為にも彼女に会ってはもらえないだろうか?」
確かにそれが側妃がここまで乗り込んできたりなんかしたら騒ぎになりかねない。私が彼女に会うことで防げるのならそれが一番なのだろう。そう考え私はそれに了承したのである。
離宮までの道のり、女性の黄色い悲鳴と「お姉様~」の呼び声、そして男性の「ひっ、ユリーネ様」という恐怖の叫びは聞かないふりをした。世の中には追及してはならないことが沢山あるのだ。
*****
時は戻って現在。目の前には艶然と微笑む側妃ミゼリアと彼女をその隣に座るユリーネがいる。最初はユリーネはミゼリアを護衛するかのように立っていたが、ミゼリアが落ち着かないと言って彼女を座らせたのだ。彼女たちの会話を聞く限り、この二人は主従というよりも友人という方が近い関係のようだった。
「それにしても、まさか陛下がこんな愛らしいお嬢さんに転生するなんて思いもしませんでしたわ。」
そう言って扇子で口元を隠し、くすくすと笑う彼女からは色気がダダ漏れである。先ほどから私は彼女を直視できないでいる。それというのも、彼女から溢れ出るフェロモンで激しい動悸と息切れ、眩暈に襲われるのだ。何を隠そう彼女はまさかの淫魔族!魔王の嫁が淫魔ってどうなのよ。し、刺激が強すぎる、鼻血が出そう。
「ミゼリア、サーヤ殿が困っている。魅了は抑えろと言っておいただろう。彼女は陛下ではないんだぞ。」
「あら、ごめんなさいねサーヤちゃん。これも淫魔の習性なのよ。」
「い、いえ、滅相もございません。」
ユリーネのおかげで魅了の効果が薄れやっと前を向くことができた。危なかった。開いてはいけない扉を開いてしまうかと思った。
「そんなに固くならないでくださいませ。同じ女同士ですもの仲良くしましょう。」
「は、はい、ありがとうございます。」
なんで死にたがりの引きこもりのニートにこんな美女の奥さんがいるんだ!これは後でディウスに追及しないと。
「本来なら私の方が出向くべきでしたのにごめんなさいね。なんでも私がここから出ると兵たちが使い物にならなくなるのですって。おかしな話ね。」
いえ全然おかしくないです。同性である私でさえ思わず見惚れてしまったのだ。それが異性ともなれば推して知るべし。アレクとユリーネが危惧していたのは側妃の彼女が東棟に乗り込んでくることではなく、淫魔族で魅力過多な彼女が乗り込んでくることだと今ならわかる。
「そういえば、アレクとレティスがあなたを巡って争っているというのは本当ですの?」
そういう風に言われると、恋愛的な意味での三角関係に聞こえるのだけれど、残念ながら恋愛のれの字もない。だけどどう説明したものか・・・
「ああ、そういえば明日彼女の身を巡って模擬戦が行われると聞いたな。」
「まあ!素晴らしいですわ!一人の女性を奪い合う二人の騎士。まるで物語のようですわね。」
実際は私の身を巡ってではなく、私の処遇を巡って、だ。でもどうしよう、ミゼリアはキラキラした瞳でこちらを見ている。言い出しづらい。
「それはちが・・・」
「いいのですわ、何も言わずともわかっております!つらいのですわよね?国の中枢を担う二人の騎士を虜にし、争わせてしまうだなんて自分の身が罪深く感じても仕方がありませわ!」
聞いちゃいねえ。
「けれど、お二人の気持ちもわからなくはありませんわね。何しろこんなにもあなたは可愛らしいのですから・・・。」
そう言いながら妖艶な微笑みを携え彼女は私の頬に優しく触れた。その瞬間、背筋にぞわりと鳥肌が立つ。
「いい加減にしないかミゼリア。彼女が困っているだろう。」
ユリーネが制止したおかげでミゼリアの手が私の頬から離れる。あ、焦った。食べられちゃうと思った。むしろ食べられてもいいと思ってしまった自分が怖い。
「そろそろアレクとの約束の時間だな。送って行こう。」
「あ、ありがとうございます。」
内心助かったと思いつつ立ち上がると、ミゼリアはひどく残念そうな顔をした。
「もう行ってしまうの?まだ話したいことは沢山ありましたのに・・・。困ったことや入用のものがあればいつでも言ってくださいね?それから、いつでも遊びにいらして。歓迎いたしますわ。」
ミゼリアは名残惜しみながら私を見送ってくれた。
「強引に連れ出してすまなかったな。」
帰りの道すがら、ユリーネが突然謝罪をした。
「ミゼリアは言い出したら聞かないから、正直助かった。不快な思いはしなかっただろうか?」
「いえ、久しぶりに女性と話ができたのでむしろ楽しかったですよ!」
緊張はかなりしたけれど。
「それならよかった。」
ユリーネは私の言葉に安堵したようだった。
去り際、彼女は少し躊躇いがちに口を開いた。
「・・・ミゼリアには気を付けろ。」
そんな不穏な言葉を残しユリーネは去って行った。