アギルの過去 後
残酷描写有りです。
「ア・・・ギル・・・」
か細い声に理性が戻る。目の前には首から血を流すイオレスの姿。彼の首に残った牙の跡を見れば誰がやったのかは一目瞭然だった。
「あ・・・俺が・・・」
アギルは自分がやったことをはっきりと自覚する。イオレスの血の気を失った体はピクリとも動かない。まさか死んでしまったのでは、と最悪の事態が頭を過ぎる。アギルはイオレスの胸に恐る恐る耳を近づける。するとわずかにイオレスの鼓動の音が聞こえた。アギルはほんの一瞬安堵しかけたが、すぐに思い直す。このままでは結局イオレスは死んでしまう。しかも自分のせいで。何とか現状を打破しなくてはならない。
その時、
ガチャリ
扉を開いて男たちが姿を現した。男たちはまるで死んだように転がっているイオレスを見つけ近づいていくと、イオレスに向かって唾を吐き、頭を蹴りつけた。
「んだよこいつ。もう虫の息じゃねえか!」
「ちっ使えねえ。」
「まあ死体の血でも使えるか?」
「血だけ抜き取ったら捨てて来い。」
「面倒くせえな。」
男たちは口々にそう言うとイオレスの体を運び出そうとする。一方アギルの身の内にはふつふつと怒りがこみ上げてきていた。
こいつらは何を言っている?
イオレスの血を抜き取る?
死体を捨てる?
許セナイ。
許サナイ。
絶対ニ。
その瞬間アギルの内側で潜在している魔力が爆発し、彼の意識は隅へと追いやられる。それが彼の初めての暴走である。
彼の身を縛る縄と従属の首輪は焼き切れ、彼を止める物はなくなる。男たちは異変に気付くがそれはもう遅かった。アギルが近くにいた男の顔に触れると触れたところが焼け爛れていく。
「ぎゃあああああああ」
男は顔を押さえ床をのた打ち回る。他の四人の男たちはアギルを取り押さえようと臨戦態勢に入る。だが彼らの呪力よりアギルの魔力の方が何倍も上回っていた。襲いかかってきた男にアギルが腕を一振りするだけで男の体は炎に包まれ僅か数秒足らずで消し炭に成り果てた。そこで男たちはやっと彼との実力の差に気付く。男たちは我先にと逃げ出した。
「ひいいいいい、化け物!」
「どけ!俺が先だ!」
「ま、待ってくれ!」
逃げ遅れた男の首をアギルは長く伸びた己の鉤爪で掻き切る。辺りに男の血が飛び散った。
「あづいっ!あづい!」
ドアノブを握っていた男が突然首を掻きむしり始める。男の口から炎が噴き出し、内側から焼かれ息絶えた。それでもなお最後に残った男は逃げるのを諦めなかった。だが男がドアノブを握ると、そのドアノブの熱さに手を放す。男の手のひらは焼け爛れていた。
「待て!お、俺たちが悪かった。お前たちを解放してやる。だから命だけは助けてくれ!」
男はみっともなく命乞いをするが、暴走状態のアギルには届かない。男が手の熱さに驚き、目を落とすと、自分の手が指先から少しずつ炭へと変化していく様が見て取れた。男は恐怖しアギルに縋り付く。
「頼む、助けてくれ。俺にできることは何でもする!頼む、から・・・・」
男の体は完全に炭となりその場に転がった。アギルはそんな男に目もくれず、イオレスへと近づく。彼が血で汚れた手をイオレスに向けると、イオレスの体は光に包まれた。光が収まったとき、イオレスについていた吸血痕はなくなり、彼の血の気も戻っていた。それを見届けるとアギルは力尽きたように意識を失った。
アギルが目を覚ますとそこは軍学校の救護室だった。彼は自分がどこにいるのかを認識すると、ガバリと起き上がった。
「イオレスはっ!?」
「彼なら無事だよ。」
アギルの問いに答えたのはいつもの養護教諭のものではなかった。彼が声のした方を振り返るとそこにはこの世のものとは思えない美貌の持ち主がいた。
「あ、んたは誰だ?」
「私?そうだな、私は君たちが魔王と呼んでいる存在だよ。」
「・・・・・・は?」
思いがけない答えにアギルの思考が停止する。それはそうだろう、魔王と言えば彼の側近である騎士達でさえ年に数回しか会えないと聞いている。そんな存在が目の前にいるのだ、彼の混乱は無理からぬことだろう。ほんの一瞬誰かの悪戯か何かかと考えたが、自らを魔王と称する男から満ち溢れる強力な魔力を感じ取り、そんな疑惑は霧散する。
「君と少し話がしたくて、城を抜け出してきたんだ。ばれる心配はないと思うが、ここで私に会ったことは秘密にしておいてくれるかい?」
アギルは無言でコクコクと頷く。むしろ、軍学校の救護室で魔王に会っただなんて話、誰にも信じてはもらえないだろう。
「そう、よかった。それで、君は自分に起こったことを覚えているかい?」
「・・・はい、覚えています。俺はイオレスの血を吸い、呪術師達を殺しました。陛下、今回の件はすべて俺の責任です。処罰はどうか俺だけに。」
「処罰に関しては脱走の件のみだと聞いているよ。君は結果的に友人を救い、敵である呪術師を殺したのだからね。私の話はその事についてじゃないんだ。」
「では、何を?」
「君の魔力について、だよ。」
「魔力?」
「ああ、君は今回の事件でまだ眠っているはずの魔力を引き出した。リミッターを外してしまったんだ。そして自らの魔力に自我を乗っ取られてしまった。違うかい?」
「た、確かにあの時自分の体が思うように動かせませんでしたが・・・」
「それが暴走というものだよ。一応リミッターは元に戻ってはいるが、一度外れた物は外れやすい。幸い君は本能レベルで敵味方を判断しているようだから、再び暴走したとしても魔族に危害が及ぶことはないだろう。」
「再び暴走する可能性があるのですか?」
魔王の言葉にアギルはぞっとした。それはそうだろう、自分の意思で自分の体が動かせないなど恐怖以外何物でもない。
「これから先、暴走は必ず起こるだろう。例えば強力な魔法を使おうとした時、極度のストレスを与えられ精神が疲弊したときにね。」
「っそれは治らないのですか!?」
「君の魔力が成熟すれば自然と治るよ。さあ、もう眠りなさい。休まなければ治るものも治らない。」
魔王が彼の額に触れると彼は突然の睡魔に襲われた。まだ聞きたいことがあるのに、意識を保っていられない。だがその睡魔に抗えず彼は眠りに落ちた。
「強くなりなさい、アギル。―――――彼女を守れるくらいに。」
魔王の最後の言葉は彼の耳に届くことはなかった。
*****
「まあ、結局俺の魔力は不安定なまま成熟の兆しがなかったから陛下に頼んで体の成長は止めてもらったんだ。しかも陛下の言う通り暴走を引き起こしやすくなっちまってて、しまいには魔法を使おうとするだけで暴走するようになった。だから、魔法を使うのはやめたんだよ。」
そう話を締めくくり、アギルは苦笑した。
「どうしてアギルの魔力は成熟しなかったんだろう・・・。あれ?でもアレクはアギルの魔力は安定しているって言ってたよね?それって成熟しているってことなんじゃないの?」
「陛下にも言われたんだよ、体の成長を止めてもらう時にな。もう魔力は成熟している、ってな。だがそうなると未だに暴走が起こる理由がわからない。」
そうだった。魔力が成熟すれば暴走は治るはずなのだ。だとしたら何故なんだろう?
「他には何か言ってなかったの?」
そう言うとアギルは考え始めた。100年以上前の話だ。私だったら覚えているかも怪しい。なんだったら今度夢の中でディウスに会った時、直接聞いた方が早いかもしれない。そう考えていると、アギルは何か思い出したように伏せていた顔を上げた。
「・・・そういえば陛下はこうも言っていた。問題があるのは精神面だって。」
精神面?となると一つの可能性が浮かび上がる。
「トラウマ?」
「トラウマってなんだ?」
「精神的なショックや恐怖を与えられたことで、長い間それにとらわれてしまうこと。アギルの場合、多分その昔の事件がトラウマの元凶だと思うんだけど・・・アギルは何が怖いの?」
「怖い?俺が何かに怖がっているって?」
「うん。昔の話を聞いていて少し思ったんだよね。そんな事件が自分の身に起こったとして恐怖を感じない方がおかしいと思うし。例えば、魔力の枯渇で吸血衝動を引き起こしてイオレスを瀕死に追いやったこととか、魔力の暴走で呪術師達を惨殺したこととか。もしかしたらそれで魔力を使うことに恐怖を感じているのかも。」
私の言葉をアギルは黙って聞いていた。私はカウンセラーというわけではないし、本当にそれが原因だとは確定できない。ただ感じたことをそのまま言っただけだ。
「・・・そうか、わかった。少し考えてみる。」
「出過ぎたことを言ってごめんねアギル。」
「いや、いいんだ。俺もそろそろ魔法についてはどうにかしなきゃと考えていたところだったしな。話を聞いてくれてありがとな、サーヤ。」
アギルは立ち上がるとそのまま部屋を出て行った。