アギルの過去 前
「アギル!」
脚のリーチが長い彼を必死で追いかける。私の呼びかけにアギルが止まり振り返る。ちょっと待って、そこで止まられるとスピードの出しすぎている私は結果的に・・・
ドスンッ
「ぐほっっっ」
アギルに体当たりすることになりました。
「ご、ごめんねアギル。まさかそこで止まるとは思わなくてさ。」
「だ、大丈夫だ。急に止まった俺が悪かった。気にするな。」
相変わらずアギルはいい人だ。今もこうやって安心させるように私の頭を撫でてくれる。彼のこの行為に私の心がどれだけ救われているか本人は知らないだろう。まあ若干子ども扱いされているような気がしないでもないが。
「で、どうしたんだサーヤ?」
「アギルの様子が少し気になって・・・あ、でも別になんでアギルが魔法嫌いなのかとか、過去に何かあったのかなあとか聞きたいわけじゃなくって!」
「ククッお前正直すぎ。」
やっぱり?元の世界でもさんざん言われた。お前は嘘はつけないって。
「まあ結構知られている話ではあるし、今更お嬢ちゃん一人に知られたって構わないけどな。」
「え、いいの?」
「ああ、とりあえず俺はイオレスにアレクが言ったことを兵に伝達するよう指示してくるから、お前は自分の部屋で待っていろ。」
「うん、わかった。」
アギルの言葉に私は来た道を駆け戻った。
*****
「さて、と、どこから話せばいいか・・・。」
わざわざ紅茶を淹れて戻ってきたアギルが考え込む。アギルって世話焼きタイプだよね。だからアレクやレティスに良いように使われてしまうのだろう。そう考えつつ紅茶を一口飲む。何気にアギルの作った料理や紅茶はアレクが作るものよりおいしかったりする。本当に人は見かけによらない。
「サーヤはこの世界の魔族と人族の関係についてどのくらい知っている?」
「人族が魔女や魔法使いを迫害しているっていうのは聞いたよ。あ、あと吸血族がたまに人族襲いに行くって。」
「・・・吸血族の事は置いといてだな、サーヤはただの人間が仮にも魔族の一員とされる魔女や魔法使いが迫害されているって聞いておかしいとは思わないか?」
「そう言われれば確かに。」
この世界に来て見た魔法はほとんどアレクのものだから比較は難しいが、純粋な魔族より弱いとされている彼らでも少なくともただの人間よりは勝っているのではないだろうか?でも多勢に無勢という言葉もあるしなあ。
「人族の方が数で勝っているから?」
「それもあるが、一番の理由はあいつらが使う呪術という力だ。」
呪術というのは魔族に対抗するため人族が生み出した力で、魔力ではなく生命力を使うらしい。ゆえに誰でも会得できる力なのだ。呪術は媒介を必要とし、多くは念がこもった物を呪具として使う。だが一部の呪術師の間で使用するのは、
「血?」
「そうだ、しかも恨みや憎しみといった負の感情に満ちている血。そしてその血は力ある者の血であればより一層効果が強まる。」
「力ある者って魔族の事?」
「そうだ。だから奴らは呪術で魔族を捕え、苦痛を与える。そして負の感情が高まったとき、魔族の血を抜き取るんだ。そしてその血を使ってまた魔族を捕える。」
とてもおぞましい行為だ。魔女や魔法使いがこの国に亡命を求めるのも無理からぬ話だろう。そもそも彼らは人間から生まれた者たちだというのにどうしてそんなことができるのだろう?
「でもそれとアギルの魔法嫌いに何の関係があるの?」
「関係は、ある。俺は一度呪術師に捕えられたことがあるんだ。」
驚くべきことを口にするとアギルはその時の事をとつとつと語り始めた。
*****
それはアギルがまだ軍学校に通っていたころの事。演習のために国境近くの森に行った時の話だ。
このころのアギルは、すでに大人顔負けの魔力を保持し次代の騎士候補として頭角を現していた。周りも彼をそのように扱い、そのためまだ少年だった彼は横柄で尊大な性格となってしまった。
演習では常にスタンドプレー。同じ班の者たちはそんな彼を窘めずむしろ彼を褒めそやした。だが、今回の演習はそれは通用しなかった。
「なんで俺の班の班長が獣人なんだ!」
自分よりも劣っている獣人が自分より上の立場にいることに憤ったアギルは教官に抗議した。彼の班はいつも彼が班長で自分の思うがままにできた。しかし今回は命令する立場ではなく、される立場となってしまったのである。しかも自分よりも弱い存在に。これは彼にとって屈辱だった。
「君はもっと協調性を学びなさい。戦場ではスタンドプレーなど通用しないのだから。それにイオレスは優秀な生徒だ。きっと彼から学べることは多いはずだ。」
「うるせえ!俺はあんな奴の命令なんか聞かねえからな!」
そう言ってアギルは教官のいる天幕を飛び出した。するとそこには彼が最も見たくない相手がいた。
「ああ、アギル!よかった、探していたんだ。明日の作戦の事なんだけど・・・」
「チッ、話しかけんじゃねえよ、獣人ごときが。」
どこか悲しげな顔をするイオレスをその場に残し、アギルは自分の天幕へと戻った。
「・・・それでな、この国境を越えた先にある街に呪術師がいるんだと。それであの街の奴らすっげえびびっててさあ。」
「なんの話をしているんだ?」
「アギル!それがさあ、俺達街まで買い出しに行ってただろ?そこでこの近くにある人間の街に呪術師がいるって噂を耳にしたんだよ。」
「なあアギル、俺達でそいつを捕まえに行こうぜ。演習なんかよりよっぽどいい訓練になりそうだ!」
「バーカ、今回はお目付け役がいるんだから勝手なことはできねえよ。それにもしばれたら命令違反で下手すりゃ退学だぞ。」
「ちぇ、つまんねーの。」
他の者たちを制しながらもアギルは考えていた。もしその呪術師を捕まえたらあのバカなことを言う教官を黙らせられるんじゃないか?いやむしろこんな窮屈な学校とはおさらばして、一足飛びに幹部になれるのではないか?そんな考えが彼の中で過ぎった。
真夜中、みんなが寝静まった頃アギルはこっそりと天幕を抜け出した。もちろん昼間に話していた呪術師がいるという人族の街へ行くためである。呪術師一人を捕まえるくらい自分にはどうということもない。そう楽観視して。
その跡をつけている者がいるとも知らずに・・・。
街に着いたアギルはまず魔力の痕跡を探った。呪術師が魔族の血を持っている場合そこから発せられる魔力で居場所を特定するためだ。そしてそれはすぐに見つかった。驚くほどスムーズに。
ここでアギルは気付くべきだった、ほんの少し探っただけで感知された魔力の痕跡。それが何を意味するのかを。だが、自分の能力を過信していた彼には気付けなかったのである。
そして呪術師の住処に入った瞬間、彼は気を失った。そこには罠が仕掛けられていたのである。
「アギルっ!」
どこか聞いたことのある声で名を呼ばれたのを最後に。
目が覚めると彼は薄汚い一室で縛られて転がされていた。
(こん柔な縄で俺を捕まえたつもりか?くだらない。)
アギルは縄を焼き切ろうと魔法を発動しようとする。だがその瞬間、体に激痛が走った。
「あああああああっ!」
あまりの痛みにのた打ち回る。その音を聞きつけ、五人の男たちがアギルのいる部屋へと入ってきた。すると体の激痛が鳴りを潜める。
「やっとお目覚めか。従属の首輪の味はどうだ?」
従属の首輪。それは呪術師が魔族を捕えるために作った呪具である。魔族が首輪の主の意思に逆らった行動をとると呪術が発動し、身を裂かれる様な痛みを与えるという代物だ。話でしか聞いたことのない呪具が彼の首にはめられていた。
しかし、アギルは果敢にも男たちを睨みつけた。
「俺にこんな事をしてどうなるかわかっているんだろうなっ!」
男たちはそんな彼を下卑た笑みを浮かべながら見下ろした。
「ほお、どうなるというんだ?痛みにのた打ち回っていたくせに。」
「しかし本当に魔族が釣れるとは思わなかったな。」
「しかも二人もだぜ。ま、片方は獣人族だが。」
「贅沢言うな。むしろ魔女や魔法使いよりは使えるだろ。」
「それもそうか。」
(二人?獣人族?)
男たちの言葉を聞いてアギルは辺りを見回した。そして自分と同じく従属の首輪を付けられ縛られているイオレスを発見する。
(イオレス!?)
おそらく自分を付けてきたのであろう彼は、いまだ意識を取り戻してはいないようだった。
「もっと釣れるかもしれねえし、もう少しここで罠を張るか。」
「そうだな。もっとお仲間連れてきてやるから、いい子にしてろよ。」
ニヤニヤ笑いながら、男たちは部屋から去って行った。
「イオレスっ!イオレスっ!」
アギルは必死にイオレスに呼びかける。すると、イオレスの瞼がピクリと動いた。
「・・・ん・・・?・・・アギル?」
「イオレス、目が覚めたか。」
「え?ここはどこだ?」
イオレスは体を動かそうとして失敗し、ようやく現状に気付いた。
「僕たちは捕まったのか?」
「ああ、そうだ。しかも従属の首輪を付けられている。だからお前は大人しくしていろ。」
「あ、ああ、わかった。そうだな、きっと教官が僕たちの不在に気付いて助けに来てくれる。」
「何言ってんだイオレス。ただじっと助けを待っているつもりか!?前に習っただろ、従属の首輪はそれに籠められた呪力を上回る魔力で破壊できるって!」
「お前こそ何を言っているんだ!それは外側からの話で内側から破壊するなんて聞いたこともない!」
「俺は騎士候補だぞ!そこら辺の成熟している魔族どもよりよっぽど魔力は強いし多い。俺ならできる。」
そう言ってアギルは首輪に魔力を注ぎ始めた。だが、その行為は彼に苦痛を与えるだけで、何の成果も見られなかった。
たまに様子を見に来る男たちはアギルの行動を無駄な行為と言ってせせら笑った。そして、彼ら二人を呪術の道具にするため、殴る蹴るなどの暴行を加え、時には呪術でもって苦痛を与えられた。
それが三日三晩続き、二人の肉体と精神は極限状態に追い込まれていった。その上アギルはその間ずっと首輪を破壊するために魔力を使用していた。それゆえ彼の身に起こったのは魔力の枯渇による吸血衝動だった。
「ぐうっ・・・。」
(なんだこれは?喉がひどく渇く。焼けるようだ。)
彼にとっては初めての吸血衝動だった。最初はここに連れられてきてから飲食をまともにしていないため喉が渇くのだと思っていた。だがこの焼けるような感覚は尋常ではなかった。しかも普段はしまってある牙や、長い鉤爪が自分の意思に反して出てきている。ここまでくれば自分の身に起こっていることが嫌でもわかった。
「・・・アギル?どうした?」
ここでイオレスが彼の異変に気付く。彼を心配して、身をよじりながらアギルへと近づいていった。
「ち、かづ、くな・・・。吸、血、衝動だ・・・。」
「吸血、衝動?魔力の枯渇が原因か?なら俺の血を・・・」
「やめろっ!」
アギルの魔力を補てんするにはイオレスの魔力では少なすぎた。それにもし、今の弱り切っているイオレスの血を飲んだら、アギルは彼を吸い殺してしまうだろう。そう考え、彼は少しでもイオレスから離れようとした。しかし彼が遠ざかろうとすればするほどイオレスは近づいてくる。
「アギル、君は自分で言っていただろう?自分は騎士候補だと。それに引き替え僕はただの獣人だ。僕の命と君の命量りにかけるべくもない。」
やめろ。こんなことになったのは俺のせいだ。
喉ガ渇ク
「魔力の枯渇は命に関わる。それに君より体力のない僕は足手まといにしかならない。」
近づいてくるな!お前はただ巻き込まれただけだ。責任はすべて俺にある。
血ガ欲シイ
「君ならきっと生き残れる。」
嫌だ。そもそも俺がイオレスの言う通りにしていればよかったんだ。お前の方が生き残るべきだ。
魔力ガ欲シイ
そしてアギルの目の前は真っ赤に染まった。