愛
発表しようかずいぶん迷った話です。
この話だけ、R15指定をかけたいくらいです。直接的な表現は無いつもりですが、内容的にはそんな話です。
“愛しいわが娘、愛へ。
おまえがこれを読んでいるころは、私はもうこの世にはいないだろう。”
この書き出しで始まる手紙は、十五年前に亡くなった私のパパの遺書だ。
パパと私は二人きりの家族だった。母の事は覚えていない。私がまだ赤ん坊の頃に二人は別れた。理由が何だったのか、誰に訊いても教えてくれなかった。
それでもパパは母の分も私を愛しんでくれた。二人分の愛情を注いで貰ったから、別に寂しいとは思わなかった。
パパが遺書を残して自殺したのは、私が十歳の時だった。
“パパはもうお前の側にいる事は出来ない。なぜなら、パパはもうすぐ死んでしまうからだ。
この前パパが病院で検査を受けたのを覚えているだろう? 結果が出たんだ。パパは末期のガンで、どんなに治療しても、あと半年しか生きていられないと言われた。
愛と別れるのは辛い。でもそれが避けられないなら、愛するおまえのためにできる事はないかと、ずっと考えた。おまえが生きていくために何が必要か、一生懸命考えた。そして、おまえが大人になるまで生活できるお金があればいいと思いついたんだ。
おまえに病気の事を言えば、ダメだとわかっていても治療してほしいというだろう。パパは可愛いおまえにお願いされたら断れない。でも、どうせ死んでしまうパパにお金を使う事はない。それではおまえに渡す遺産が減ってしまう。
だからパパは自殺しようと思う。そうすれば、おまえに少しでも多くのお金を残してあげられるからね。後の事はおじいちゃんとおばあちゃんに頼んでおいたから、二人の言う事を良く聞きなさい。
パパの愛おしい娘、愛。おまえの未来が素晴らしいものであるように、ずっと見守っているからね。”
愛するパパ。可哀そうなパパ。
十歳の子供は、お金だけあっても生きていけないって知らなかったパパ。
パパの死後、私を引き取ってくれた祖父母が相次いで亡くなってしまうと、私は顔も覚えていない母親に引き取られ、母とその再婚相手が住んでいる愛媛へ引っ越した。パパが残してくれたお金は、母と義父のものになった。
二人は欲で繋がっている夫婦だった。
私が見ず知らずの土地で途方に暮れていた時、二人はパパの遺産で豪遊していた。そして遺産を使い果たすと、私の処遇で喧嘩を始めた。私はずっと、二人のヤツアタリの道具だった。
私にとって男性はパパが基準で、大きくて優しいものだった。なのに、義父は最低の人間だった。
高校生になった十五の年、私は義父に犯された。暑い夏の日だった。母は夜の勤めに出かけていて留守だった。
必死に抵抗はしたけれど、力で敵うはずもなかった。最低の男に最低の方法で、私は女性としての誇りを踏み躙られた。悔しくて、哀しくて、でも泣いてしまったら自分をもっと貶める事になる気がした。ただ、パパに愛してもらった私はいなくなったのだと、それだけが寂しかった。
恥知らずな男は、私を金のかからない愛人とでも思ったのか、それからも何度も私を抱いた。その度に私は猛抵抗したので、あの男は毎度傷だらけになった。当然私も、力でねじ伏せようとする男から気絶するほど殴られ、よく顔を青紫に腫らした。そんな顔で外へは出て行けないので、学校は休みがちになった。それでもあいつの言いなりになって黙って抱かれる事は、私を大切にしてくれたパパへの裏切りになると思った。
妊娠した時、自分自身を傷つける覚悟で、私は自分のお腹をバットで何度も殴った。そうやって誰にも知られないうちに、子供を堕したことが何度もあった。本当なら、私がパパにしてもらったように愛して、愛しんで、愛でて育ててあげたかった。だけど、あんな最低な男の子どもを愛せる自信が私にはなかった。
心と体に癒えることの無い傷を負った。
そんな事が母にバレないはずがない。二人は大喧嘩し、母の憎しみは私に向いた。おそらく女としてのピークを過ぎた自分をわかっていたのだろう、私に対する折檻は激しかった。
このままでは殺される――命の危険を感じた私は、ある日着の身着のまま逃げ出した。持ち出したものは、パパの遺書だけ。
行く当てなどなかった。どうやって生きていけばいいのかもわからなかった。
だから、何でもやった。悪い事とわかっていても、生きていくためには仕方なかった。万引き、恐喝、強盗……。一度悪事に手を染めると、もう歯止めはきかなかった。後は坂を転げ落ちるようだった。体を売ることに躊躇いは無くなり、自分自身を愛せなくなった。
しかも母達に見つからないように、一か所に長く留まる事が出来ず、頻繁に場所を移った。
最終的に、愛知県まで流れて、名古屋でヤクザの情婦になった。荒れて荒んだ日々だった。ヤクザのバックがあるから、誰も何も言わない。男を取り換えひっかえ、体を使って組長の愛人の地位まで手に入れた。もうやりたい放題だった。
しかし、それも長くは続かなかった。
警察の手入れで、呆気なく組は解散。後ろ盾を失った私は、それまでの好き勝手の報いを受けて嬲り殺しにされる覚悟をした。
ところが、そんな私に手を差し伸べてくれた人がいた。組と取引をしたことのある、イギリス人。
日本語を話せないくせに、誰から習ったのか漢字だけは読み書き出来るという変わった人で、イギリス人と言われるのを嫌う。以前パパの遺書を読んでいるところを見られた事があって、中に書いてあったたくさんの『愛』の字に満面の笑顔で自分を指差し、『愛蘭人』と書いた紙を見せた事があった。もちろん私は読めなかったが、気にせずにこにこ笑っていたのを思い出した。
年齢を訊いた時、パパが生きていたら同じくらいになっていただろうなとちらりと考えた。私とは本当に親子ほど離れていた。
その頃の私は人間不信だった。絶対に下心があると思ったから、それならと自己保身のために彼の手を取った。愛情などカケラもなかった。
ところが、彼との生活は私が考えていたものとまるで違っていた。
初日に彼は私を膝に座らせると、抱きしめて頭を撫ぜた。頭を撫ぜながら何か話していたが、私には何を言っているかわからなかった。いつの間には涙が出てきて、私は彼の腕の中で泣きじゃくっていた。一晩中、私が知らないうちに眠ってしまうまで、彼は私の頭を撫ぜ続けていた。
その後も、彼が私を力づくで抱くような事はなかった。
彼が与えてくれる愛情は、パパから貰ったものにとてもよく似ていた。私は十数年ぶりに愛しまれる心地よさを思い出していた。
彼と私の会話は、片言の英語と漢字のみの筆談。
彼は私の持っているパパの遺書を見たがった。何度も開いて読み返していたので、折り目のところの文字が消えてしまっている遺書を、彼は丁寧に開いた。
『君 父 愛』
彼がノートに書く。
『愛娘 遺 尊 想』
私は首を振って、
『悪娘 悪事 一杯 父 哀 泣』
『生 続 最大切 親孝行 君 良娘 彼 自慢』
「自慢……」
私が呟くと、彼はしばらく考えて、
『人生 長 未来 可能性 多 君 人生 希望>失望 僕 守 大船 乗 大丈夫』
私に向かって親指を立てて、ウインクをして見せた。私は少し笑ってしまった。
パパ、あなたの愛娘は、もう一度人生をやり直してみようと思います。あなたに貰ったたくさんの愛と共に。