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漢字遊び  作者: 丸虫52
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しんしんと……

ずいぶん遅くなりました。こじつけの所もありますが、「へえ」と思ってくだされば幸いです。

 静かな船内。微かな機械の唸る音以外何も聞こえない。厚い装甲の丸い船窓から見える外は深々しんしんたる闇だ。

「先輩、何してるんですか?」

 能天気な奴の声がすぐ側で聞こえた。いつもは騒々しいくせに、こっちが一人でいる時にはほとんど音を立てずに近寄ってくる。

「うるさい。おまえの暇潰しに付き合っている暇はないんだ」

 刻々と変わっていく計器の数値を睨みながら答える。

「えー、冷たいなあ。僕としては、先輩の仕事に対する姿勢にすごく惹かれるんです。神に真信しんしんをささげた殉教者のごとくストイックな態度は、僕の真心しんしんを捧げるにふさわしいと――」

「うるさいと言っている。おまえの顔の横についてるのは飾りか? それともその頭の中は人語を理解出来ないのか?」

「いやぁ、これでも僕新進しんしん気鋭の科学者ですよ。何かお手伝いできないかと思って」

「それは知ってるが、自分で新進気鋭とかいうか? そういう馬鹿な所が信用ならないんだ」

 うるさく喋り続ける事でこっちの気を引いているのだとわかっているが、とうとう我慢しきれずに奴の方を向いてしまった。自分の心神しんしん薄弱にため息が出る。案の定、奴の嬉しそうな顔が目の前にあった。

「で、これ何です? 先輩は何を調べていたんです?」

 興味津々しんしんで奴が訊いてくる。

「新進気鋭の科学者様は、こんなものもわからないのか?」

 嫌味をたっぷり塗して言ってやると、奴はけろりとして、

「いやぁ、科学は駸々しんしんたる進歩をするものでしょう? それに僕は専門は生物の方だから、知らないことはたくさんありますよ」

 ……まったく、ああ言えばこういう。口の減らない奴だ。私は溜息をつくと計器を一つづつ指差した。

「深度計。水圧計。気圧計。水温計。ついでに酸素濃度計。ここは水深2000メートルの深海だからな、我々は酸素なしでは生きていけないし、外へ出れば水圧でペシャンコだ」

 ただ計器を眺めるだけの地味な仕事だから他の人は嫌がるが、私はこの静かな一時が好きだ。刻々と変化する数字は、自分が違う世界に来ていると実感できるし、何より自分の考えに浸ることができる。


 人間が地上以外に興味を持って、調べ始めたのはずいぶんと昔のことだ。宇宙と海は共通点がたくさんあった。真逆のことも多かったが、同じ技術で克服できる事だった。人はそれを少しづつ克服していった。

 深海探査船が建造されたのは、宇宙開発で身近な星が開発されつくしてからだった。人々はようやく母なる地球へ目を向けたのだ。

 そのころ私は、憧れていた人の元で働いていて、その人が行くというから同行したに過ぎなかった。しかし海底は、見たことも無いような珍しい形態の生物や、地上では想像もできない現象でそんな私をあっという間に虜にした。人類が発展を続けるためには、宇宙よりももっと海に目を向けるべきだったと私は思う。

 危険性は勿論ある。さっき奴に言ったように船外は高い水圧と低温、何より空気が無い。この船体にわずかでも傷があれば、即、生命に危険が及ぶ。しかも必要最小限のスペースしかない狭い船内は、閉塞感も半端ではない。テスト段階でも心身しんしん障害に及ぶものは大勢いた。逆に言うと、今ここにいるものはナイロンザイル並みの神経を持っているという事になる。


「先輩は船長の事を尊敬していて、深海探査船に乗り込んだんですよね」

 物思いに沈んでいた私は、いきなりかけられた声に驚いて奴の方を見た。思いの他真剣な顔で、こっちを見ていた。

「わかりますって、僕も同じ気持ちだから」

「なにを……」

「僕ね、ずっと前から先輩の事知ってたんです。女性として初めて本格的な深海探査船のクルーになったって話題になってたじゃないですか」

「いつの話だ? 十年以上前だぞ」

「さあ? とにかくテレビの中の先輩はそりゃあ凛々しくて、僕殆ど一目ぼれだったんですよね」

 予想外の言葉に私は思わず噎せてしまった。咳き込む私の背中を思いもかけない優しい手つきで撫ぜながら、

「純粋だったからそばへいく方法を考えて、深海生物の専門家になればいいと思いついて、やっと今こうして隣に座る事ができた。僕の気持ち、わかります? ほら、手が震えているんですよ」

 目の前に差し出された奴の掌は、汗ばんで微かに震えていた。

「その割にはずいぶん馴れ馴れしくて図々しかったじゃないか」

「だって船長は深い森のように森々しんしんとしていて足元にも及ばないし、しかも先輩は船長の信臣しんしんでしょう?」

「ん?」

「でもその内追い越しますよ。なんたって若いんです。蓁々しんしんと成長していきますから! そして先輩を惚れさせて見せます!」

 奴は握り拳で力説した。青臭い考えに思わず頬が緩んだ。

「お前が船長を超えるころには、私も歳くってババアになってる。おまえの対象は他に移ってるよ」

「そんな事は無い! 仮に先輩がお婆さんになってても、僕の気持ちは変わりませんよ、初恋を舐めないでください!」

「声がでかい。寝ている者の邪魔になる」

 私は唇に指を当て、静かにするように促した。

 若さっていい、可能性だけを信じていられる――奴の純粋さを羨みながら、私は船外に目を投じた。丸いガラスの向こうを、ゆっくりとマリンスノーが落ちていった。

何だか恋愛ぽくなってしまいました。本来は、おバカな新人と、生真面目なベテランの話だったんですが……。

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