カエ・ル ~僕と蛙の話~
進行中の話が詰まった時にポチポチと書き進めてきた話です(現実逃避かもしれません)。
今回の話は、ファンタジー風味です。
春、生き物の活動が盛んになる季節。
僕は一年中で春が一番好きだ。音と色彩の無かった冬が終わって、一気にいろんなモノが還ってくる。空は明るさを、水は暖かさと水棲生物達を、土の上は草花の芽や花の色を、寒々としていた木々の梢は柔らかな新芽と清々しい風を。
僕が蛙と出逢ったのは、そんな春の日だった。
僕の家は村外れにあって、周りは家ではなく田圃が広がっている。
冬の間に乾いてひび割れたその田圃に春になると水が入って、冬眠から目覚めたカエルが卵を産んでいく。僕はその卵が孵って、オタマジャクシになって泳ぎだす瞬間を見るのが好きだった。一生懸命に体を捩って、ゼラチン質の卵塊からつるっと離れるところは、冬から抜け出す様子を体現しているようで思わず応援したくなる。
「ようし、もう少し! がんばれ!」
握り拳で応援していると、
「そんなものがそんなに面白いのか? 変な奴」
と言う声が聞こえてきた。
『変な奴』と陰で言われるのには慣れているけれど、面と向かって言われるとやはりカチンとくる。僕は顔を上げると、失礼な奴を探した。でも僕の周りは見渡す限りの田圃で、田植えにはまだ早いこの時期には農作業をしている人は誰もいなかった。
「気のせいかなぁ……」
僕は呟くと、視線を足元に戻した。
「おいおい、無視するなよ」
また声がして、僕はあたりをきょろきょろと見回した。
「こっちだよ、こっち。左足の所だよ」
言われた方を見ると、殿様蛙が一匹、僕の方を見ていた。その蛙は僕と目が合うと、器用に右腕を上げて挨拶した。
「よ」
僕の頭は今目の前で起こった事について行けず、フリーズしていた。
「おお~い、目ぇ、開けたまま寝たんじゃないだろうな?」
蛙が上げた腕を左右に振った。僕は2・3度瞬きをすると、
「わっ!」
と叫んでその場にひっくり返った。蛙が、喋ってる……!
「おい、大丈夫かあ?」
驚いて言葉にならない僕の側へ、蛙が飛び跳ねながらやってきた。
目を丸くしてそれを見ていると、蛙は後ろ足で立ち上がって滔々と語り出した。
「俺様の本当の姿は魔界の99人の魔王の一人、*#%&$+!!だ。本来なら、人間如きが目にできるものではないが、今日の俺様は気分が良い。特別におまえの望みを一つだけ叶えてやろう、ありがたく思えよ」
「ダメだ、僕よっぽど疲れてるんだ。幻覚と幻聴が聞こえる、家へ帰って寝よう」
僕は額に手を当ててふらふらと立ち上がると、蛙を無視してその場を後にしようとした。
「おい! 俺様を無視するとは失礼な奴だな。よ~し、見てろ」
蛙がなにやら喚いた。すると急に僕の視界が低くなった。
「どうだ、おまえと俺様の体を入れ替えてやったぞ」
声のする方を見ると、僕が仁王立ちで腰に手を当てて踏ん反り返っていた。自分の手を見ると、水掻きのついた蛙の手だ。
「嘘だろう……」
呆然と呟いた蛙の僕に、本当は蛙の僕は上機嫌で、
「俺様の言う事を信じるか? 望みを言ってみろ、何でも叶えてやるぞ」
と言った。蛙の僕は、僕の蛙を見上げて、
「いらないよ。悪魔との契約するなんて、後で酷い目にあうだけじゃないか。僕はそこまで馬鹿じゃない」
「なにおう。せっかく俺様が望みを叶えてやると言っているのに、その態度は何だ! それに『契約』ではない、『気まぐれ』だ」
僕の蛙は怒ったようだったが、ふと何かに気付いたようににやりと笑うと、
「ようし、それではおまえの言うとおりこのまま帰ってやろう」
どうぞ――と言いかけて、僕は気付いた。今の僕は蛙のままだ、これじゃあ家へ帰る訳にはいかない!
仕方ないので、僕は掌を反して下手に出る事にした。
水掻きのついた手を擦り合わせて、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした! 僕の態度が悪うございました。お願いですから元に戻してください」
頭を地面に擦りつけて頼むと、偉そうな僕の蛙の声がした。
「最初からそうしていればいいのだ。よしよし、今換えてやるぞ」
「ちょっと待った!」
僕は大切な事に気がついて、何か呪文を唱えようとした僕の蛙を遮った。
「何だ?」
「体を入れ替えてくれるのは良いとして、その代償に魂を渡すなんて――」
「阿呆! これは純然たる親切心だ」
「でもタダより高いものは無い、って言うよ? うまい話には裏がある、とも言うし。悪魔だって聞いたら、親切って言われても却って嘘臭い」
「貴様の疑り深いのも大概だな。好意だと言っておる」
「でも……」
「それ以上言うなら、このままにして置くぞ!」
「わああぁぁ! ごめんなさいぃぃ!」
僕の蛙の機嫌が悪くなりかけたので、僕は慌てて謝った。
しばらくして無事に体が元に戻った僕は、地面に座って蛙と話をしていた。
「じゃあ蛙は、お父さんに叱られて蛙の体に変えられたんだ?」
「うむ。ちょっとやりすぎたらしくて、『己が所業を省みて見ろ』と言われた」
魔王に父親って言うのも想像できないけれど、人間みたいに親に叱られたりするんだと思ったら何だか微笑ましかった。そんな気持ちが顔に出たらしい。僕に馬鹿にされたた思ったのか、蛙がムッとしたように、
「お前、何をニヤニヤしておる。俺様を馬鹿にしておるのか? それに俺様の名前は『蛙』ではない! ちゃんと*#%――」
「ごめんごめん、馬鹿にしているわけじゃないんだ。わかってるんだけどね、僕にはちゃんとした言葉として聞こえないんだ」
「なんと!」
蛙は自分の名前を認識してもらえないとわかって、ショックを受けたようだ。しばらく僕の方を見て、パックリと口を開けていた。僕は蛙に謝った。
「本当にゴメン。でも聞こえない言葉は発音できないんだ」
「……まあそれなら仕方あるまい。それで我が父上は、『地上に出て最初に出会った人間の望みを叶えたら、元の状態に返してやる』と言われてな」
うんうんと、頷きながら言う蛙を見ているとまた笑いそうになって、慌てて顔を引き締めた。
「それって悪魔って言うより、天使みたいじゃない?」
「悪魔と天使は同じようなものだ。住まいする場所が違うのと、姿形が違うだけだ。人間にとって都合のいい事が多いのが天使、都合の悪い事が多いのが悪魔、というだけだ」
「そうだよね。みんな受け取る側の都合だよね」
人間にだっていろんな人がいる、みたいなものだよね――僕は空を見ながら言った。春の空は色さえも優しく感じられる。
「ずーっと、こうしていたいなぁ」
僕は伸びをしながら呟いた。ゆったりまったり、空を眺めて一日過ごせたらいいなぁ……。
「難しい事ではない。意識をおまえ以外のものと同調させて、時間を代えればいい」
事も無げに蛙が言うので僕は動きを止めた。ゆっくりと蛙を見る。
「それって、相手の許可を取ってからじゃないよね? こっちの都合を押しつけるってことだよね?」
「いや、その、そういう方法もあるという話だ。別に押しつける訳じゃ……」
僕の雰囲気がかなり剣呑だったのか、慌てて蛙が言い訳をした。
「僕はそう言うの、嫌いだから」
「しかし、俺様はお前の望みを叶えないとずっとこのままでいなくてはならんのだ。何でもいいから、望みを言ってくれないと……」
蛙は心なしかションボリしたように、言葉尻の方をそもそと口の中で呟いた。なんだか幼児が拗ねているみたいだ。
「そうか、蛙は早く魔界へ帰りたいんだっけ」
僕が言うと、
「いや、そう言うわけではない。ただ、この体は乾燥してくると突っ張って動き辛くなるのがイヤなのだ」
体を捩りながら言った。まぁ、両生類だから乾燥には弱いよね。
「わかった」
僕は立ち上がると、蛙に向かって頭を下げた。
「話し相手をしてくれてありがとう。こんなにたくさん話をしたのは久しぶりだった。僕は話し相手に飢えていたから、とっても楽しかった。もしまた、地上へ出てくる事があったら、話し相手になってください」
蛙はポカンと僕を見上げていたが、納得したように頷くと、
「それがおまえの望みか。確かに叶えた」
言い終わると同時に、薄紫の煙が蛙を取り巻いて消えた。煙の中に一瞬、金色の大きな角を持った魔王の姿が見えたような気がした。
「さあて、僕も帰ろう」
宣言するみたいに声に出して言うと、僕は家へ向かって歩き出した。数歩歩いて、僕は自分が立っていたところを顧みた。でもそこにはもう蛙はいなくて、名残のようにゆらりと陽炎が立っていた。
前に『スンデイル』を書いた時から考えていた話です。ようやく整いました。