導入部9―新たなる世界―
・各話基本的に3000字くらいで文量をユルく書いていきます。
・更新は本編優先なので不定期です。
・本編で煮詰まったり、息抜きしたい時にちょこちょこっと書けるものが欲しくて書いています。
世界を滅ぼすに足る威力を持つ容赦のない攻撃が、再びイスペリアスクーンに放たれた。
迫り来る破滅の力に対して、大地がまるで恐怖しているかのように揺れて、その地に住まうものたちは圧倒的な力の前に成す術も無く見守っていた。
黒い光の奔流が地表へと迫り、カイザルク王ゼノン、エルフの女王シエナリウナ、魔族の盟主レグイエの三人をその光が覆い尽くそうとした時、彼ら三人の王たちの前で空がまるでガラスのように割れ、割れた歪みから青い光が溢れ出した。その光と共に歪みの中から人影が現れ、その人影が手に持った杖を掲げると一瞬にして半径数十メートル規模の巨大な魔法陣が展開された。
黒龍――クロウシスの放ったこの世界を崩壊させるに足る威力を秘めた黒光の奔流が魔法陣へとぶつかった瞬間、恐ろしいほどの威力を持つ魔力と、それを受け止める高次元魔法障壁とが互いの秘めた魔力を削りあう甲高い音を上げて、大気がその接点から逃れるように吹き荒れ大地が軋みを上げて鳴動する。
見る者が無意識の内に畏怖するほどの漲る純然たる力を体現するクロウシスと、その黒龍が放つ世界が震撼するほどの威力を持つ魔法を受け止める存在に対して、この世界で一定の覇権を持ちし者達は成す術も無ければ、一切の手出しをすることさえ出来ずに次元の違う攻防を呆然と見守っていた。
天が裂けるような悲鳴を上げ、地が苦悶の唸りを上げるほどの力が拮抗する中で、永遠に続くかと思えた高次元魔力同士のせめぎ合いは――決着の時を迎える。
クロウシスの身体に埋め込まれている漆黒の宝玉が唸りを上げて輝き始め、膨大な量の神霊力が魔力炉へと供給され、それを純然な魔力へと変換したクロウシスが口腔から撃ち出している魔力の奔流へとそれを上乗せする。一回り見た目の太さと威力を急激に増した魔力の奔流に耐え切れず、遂に防御魔法陣にヒビが入り始め耐えていた杖を持った人影が展開している魔法陣ごと押され始める。
その場にいた約三十七万の三種族の軍勢が固唾を呑んで見守る中、クロウシスの放つ純然たる魔力の奔流が秘める威力に押し負けて、謎の闖入者が呑み込まれると思った刹那――その人影が現れた時と同様にその人物から青い光が溢れ出し、まるで空に出現した渦潮のように青光が螺旋を描いてクロウシスを包み込む。
クロウシスが放出する黒い魔力光に断ち割られながらも、青光の渦は回転しつつ黒龍を包み込み、やがてその全身を覆うほどの大きさとなる。その青く輝く渦を砕こうと、魔力を放出しようとしたクロウシスに異変が起こった。
青い光を放ちながら渦巻く螺旋の軌道を見ていた赫怒に満ちた魔眼が見開かれ、四肢に込められていた力が次第に抜け始める。そして放出していたブレスも徐々に終息してゆき、やがて一筋の残光を残して消えた。それと共に青光の渦もゆるゆる消え去り、後には異様な静けさと上空に留まる黒龍とその遥か下方で宙を漂う一人の男が残された。
激しい光の光芒が無くなったことにより、ようやく謎の闖入者の姿が明るみとなった。
年の頃は二十台後半の青年に見える。
空というよりは、海の色に近い濃い青色の外套を身に纏い、その下には魔法を操る者が着衣によく施す紋章が描かれたローブを着ている。ローブには先ほどの青い光の螺旋を彷彿とさせる白い『渦』が描かれていた。
頭を覆っているフードから青い髪が覗き、気を失っている顔には憔悴の色が色濃く出ていた。
彼は気を失ったまま空からゆっくりとした速度で下降し始めていた。
上空で下方を望むクロウシスには、先ほどまでの赫怒や憤怒といった怒りの感情はなく、ただ嵐が過ぎ去った後の海のように凪ぎ、頑強な理性と圧倒的な知性の光を灯した黄金の瞳が静かに周囲を見渡した。そして最後に自分の攻撃からこの世界を救い、その上で自分の理性を取り戻させた青年に眼を向けた。
クロウシスが視線を向けると、青年の身体を半透明の淡い光の球が包み込まれる。そして光の球は滑らかな動きでクロウシスの元へと空を昇ってゆき、青年を包んだ光の球をクロウシスが掴んだ。
光の球を掴んだクロウシスはもう一度地上をグルリと見渡すと、自分を見上げる全ての存在を確認した後、翼を大きく広げて力強く羽ばたき、東の方向へと恐るべき速さで飛び去った。
後に残された者達は呆然と黒龍が消えた東の空を見つめていたが、やがて一人の男が沈黙を破った。
「――ぷっくくくっ……あーはっはっはっ! いやぁー負けた負けた!」
真っ先に沈黙を破って大笑いし始めたのは、やはりと言うべきかカイザルク王国の王ゼノン=エレ=ウルダ=カイザルクだった。
ゼノンは黒龍が去った東の方角を見ながら、ニヤニヤと楽しそうに笑っていた。
そんなゼノンの様子に魔族の盟主であるレグイエが呆れたような表情で見ていた。
「ゼノン王、何でそんなに楽しそうなんだね。君は」
「だってよぉ。あの扇動者レダが出てきて、これから世界がまた大きな戦渦に呑まれちまうっ! って思っていたところに、レダなんて問題にならないくらい馬鹿でかい力を持ったドラゴンが現れて、そいつがレダをブチのめしちまった挙句に余たちを諸共殺そうとして、そこに更に謎の魔道師が現れてドラゴンのすげぇー攻撃を止めたと思ったら、そのドラゴンに連れ去られて飛んで行っちまったんだぜぇ? 余たちそっちのけで、あんなすげー戦いを目の前で見せられたらもう笑うっきゃないぜ」
その極めて適当ながらも実に的を射た総括にレグイエが呆れつつ嘆息していると、黒龍の禍々しい魔力に当てられていたエルフの女王であるシエナリウナが顔色を悪くしたままだが、何とか立ち上がって二人の下へと歩み寄った。
「レダは異世界から召喚した黒龍と言っていましたか……恐ろしいほどの――いえ、そんなちっぽけな言葉では言い表せないほどの力を持った存在でした」
黒龍の放っていた魔力の禍々しさと、赫怒に染まった黄金の瞳を思い出して、シエナは身震いを禁じえなかった。その様子にレグイエもまた、次元の違う強さを目の当たりにして大きなショックを受けた事に対して、まだ僅かに震える己の魂を落ち着かせていた。
「そういえばよぉ……俺は魔法の事は座学で居眠りしていた程度の知識なんだけど。あの黒いドラゴンが死骸から蘇る時に吸収していたのは神霊力だったんじゃないか?」
ゼノンのその問いに二人は頷き、黒龍が無尽蔵に吸い込んでいた虹色の光を思い出した。通常であればマナそのものを直接的に扱うことは、最高位魔族でも難しいことであり、エルフも長い研究を重ねてはいるがそれを能動的に行うことには成功していない。ましてや、あれだけの量のマナを扱うことなど、この世界に今まで居たとされるあらゆる魔法に長けた存在でもなし得なかったことだろう。
二人の頷きにゼノンは腕を組んで少し考えるように空を見た。
雲一つ無い空は、大気が澄み渡りこれ以上ないくらいに青く美しい空が広がっていた。その美しさは、ゼノンがつい数十分前まで見ていた空とはまるで違うものに思えた。
幼少期から高い城壁に囲まれた世界で暮らしてきたゼノンは、唯一遮るものがない何処までも突き抜けるほどに遥か彼方へと続く空ばかり見て育った。それ故に今自分が見ている空に違和感があった。
この空はあまりに美しすぎる。
――まるで今までそこにあって当たり前だった絶対的な何かが無くなったかのような空。
「おぃ。魔法に関してからっきしの余が言うのも何なんだけど。なんかおかしくねぇーか?」
そのゼノンの言葉に二人は眉を顰める。だが、この人間の王が持つまさに人間離れした天性の感覚と感性には幾度も痛い目に遭わせられているがために、無視することが出来ずに二人は同時に探知の魔法を展開した。
だが、ここで異変が起こった――いや、起こらなかったと言うべきなのだろうか。
レグイエの探知魔法は発動したのだが、シエナの探知魔法は発動しなかった。
その事実にシエナは僅かに動揺したが、もう一度探知の魔法に簡易術式を組むが魔法は一切発動せず、それどころか魔法を組む因子すら視認できなかった。
そのことから思い当たる原因について、シエナは考えたくなかったがその手にはジットリと汗をかいていた。
「……まさか、そんな――バカな」
探知魔法を発動させたレグイエが口を片手で覆い、信じられないという声で呻いた。
「おい、レグイエ。どうなんだ?」
「……」
ゼノンが問い、シエナが見守る中レグイエは探知の魔法を広域展開させるが、どうやら結果は変わらなかったらしく神妙な顔つきで探知魔法を閉じる。
そして苦渋に満ちた――というよりは、信じられないものを見て理解し難いという表情で口を開いた。
「ない……神霊力が無くなっている。それも完全にだ」
その言葉にゼノンは『は?』という表情をして、シエナはやはりという顔で顔を僅かに俯かせた。
「おっおいおい、余も半分は冗談だったんだぜ? いや、確かになんか空気がおかしいって言うか、いつもならあるはずのものがねぇーなぁーってさ」
「君のその魔物ばりの超感覚が何なのか解剖して一度確かめてやりたいところだけども、僕の魔力で出来る限り広範囲のマナ探知を行ったけど、少なくとも魔族、人間、エルフが生活している大陸南部にはもう一粒のマナも残ってはいない」
そのあまりに重大かつ突然起きた事態にゼノンは呆気にとられ、シエナも深刻な表情を浮べていた。
「け、けどよ……マナが無くなったのなら、なんでレグイエは魔法使えんの?」
「バカだな君は、我々上位魔族は少量の魔力であれば自己生成が可能なんだ」
「あ、そっか。それでシエナは使えなかったのか」
人間やエルフよりもマナに対して密接に生きてきた魔族は魔力の生成が可能であり、まだ僅かな魔法は行使が可能だが、人間やエルフはその範疇にあらず全ての魔力と霊子の源であるマナを失ったということは、事実上魔法を失ったも同然だった。
重苦しい空気の中で、ゼノンが突然ゴキゴキと肩を鳴らし始める。その表情は何処か吹っ切れていた。
「ま、無くなっちまったもんは仕方ねーな。返って来るもんならいいけど、全部あの黒いドラゴンが喰っちまったんだろ? 無事に戻ってくる保証なんてねーわな」
そのあっけらかんとした物言いに、二人は呆然としながらもここで立ち竦んでいても仕方が無いということには同意見だった。
「まったく、この世界で空気と同じくらい大事なモノが失われたというのに、君はなんでそんなに暢気な事が言えるんだろうね……」
「本当に……」
レグイエとシエナが苦笑する中で、ニィっとゼノンが笑うとこの場での区切りをつけることにする。
「とりあえず、このことは今は三人の間に留めておこうぜ。まぁ、当たり前にあって当たり前に使ってたモノが急にキレイサッパリなくなっちまったんだから、すぐバレるだろうけどよ」
「同感だね。ここでいらない混乱を招くのは得策じゃない」
「……えぇ」
二人が頷いたのを確認して、ゼノンも大きく頷く。
「んじゃ、皆で撤退しようぜ。あれだけのモノを見て、今更誰も文句なんて言わねーだろ」
「あぁ、それじゃ僕は退散するよ」
「私も引きます。二人ともお元気で」
「おう」
そして三人の王は別れて、各陣地へと引き上げていく。
◇◆◇
「レグイエ様っ!」
陣地に戻ったレグイエを迎えたのは、悪魔の影を剥ぎ取ったかのような魔物――ハクシビルだった。
「ハクシビル話は後だ、軍を引こう」
突然の命令にハクシビルは黒い影を揺らして動揺するが、一連の事象が尋常なことではなかったことを思い出し、すぐに臣下の礼を取り命令に従った。
「はっ! では、各将軍に指示を出します」
「頼むよ」
優秀な部下の配慮に感謝しながら、レグイエは黒龍が飛び去った東の空を見上げ、あの絶大なる力を思い出し、そしてマナを失った世界での自分の手を見つめて、思わず溜息をついた。
◇◆◇
「義姉上っ! あれは一体なんだったのですかっ!」
シエナが陣地に戻ると、義弟イシュヴェンが凄い剣幕で耳にキンキンと響く声で問いただしてきた。その姿にそっと気づかれないように溜息をつきながら、シエナは口を開く。
「この世に在らざる存在です。詳しいことは王都に帰って、元老院にて説明します。今は軍を引き、この場を去りましょう」
「なにぃ!? 軍を引くだろ! 冗談じゃないっ! 何の為に我々は――」
なおも喧しく咆えるイシュヴェンを煩わしく思いながらも、これから訪れるであろう苦境の時代を思い、シエナは憂いの表情を浮べた。
◇◆◇
「陛下ぁぁぁぁぁぁぁっ!」
耳にドロップキックをかますような、腹の芯に響く声でゼノンを呼んだのは将軍ユギルだった。
「おーユギルっ! 見てたか!? 凄かったなぁー今まで見てきたどんな演目よりも余はハラハラしたぞっ!」
「バカ者っ! あんなことを演劇なんぞと一緒にして感想言うなっ!」
「いやぁーアッハッハッハ!」
「笑うなっ!」
陣地に戻ってきたゼノンにクドクドと説教をするユギルの話を適当に聞き流しながら、ゼノンはこれからのことを考えていた。
レグイエは元々種族的に優れているし、狡猾で抜け目が無いから上手くやるだろう。
問題はシエナだと、ゼノンは思う。
エルフから魔法が奪われたとなれば、かなり厳しいこととなる。まだ確定したわけではないが、この世界から魔法という概念は根本的に限りなく無いに等しいものとなったことを――ゼノンの勘が告げていた。
そして東の空を見上げた。
あの世界最強最悪の大悪党だったレダを一蹴して、全ての神霊力を喰らい尽くした黒龍。
今思い出してもゾクゾクした。
「いやぁー可愛い娘たちにいい土産話が出来たなぁ!」
「聞いているのか、ゼノン!」
「あー国王陛下を呼び捨てにすんなよ、ユギル」
「やかましいっ! 大体お前は――」
「いいじゃねーかよ、犠牲者なしで戦争が終ったんだぞ?」
「むぐっ!?」
賑やかな声を発しながら、軍を引き上げていく各陣営。
魔力を使った荷馬車が動かなかったりと、細かな異変が起こっているが、多くの者たちはこの世界から重要なものが消失したことをまだ知らない。
そしてやがて訪れる大混乱を前に、魔法と奇跡の源泉である神霊力を失った世界。
一度、大いなる力によって打ち砕かれた世界。
復活を遂げた黒龍が留まる世界。
これはそんな世界――イスペリアスクーンの物語。
お読みいただき、ありがとうございます。
ご意見ご感想はお気軽にお寄せください。
とても励みになります。
ありがとうございました。