導入部7―狂乱する破滅の力―
・各話基本的に3000字くらいで文量をユルく書いていきます。
・更新は本編優先なので不定期です。
・本編で煮詰まったり、息抜きしたい時にちょこちょこっと書けるものが欲しくて書いています。
目の前で世界そのものを震撼させるほどの、力強い咆哮を上げる黒龍の姿に、レダは自分の不死呪法が失敗した事実に呆然とすると同時に、凄まじい力を漲らせて雄々しく咆哮を上げる黒龍の美しい姿に魅入られていた。
呪法を完成させ、それを維持しながら地上でこちらを見上げる者たちに対して口上を述べ、空に代弁する文字を綴っている最中に、突如として呪法との繋がりが断たれた。そしてレダが作り出した生物の遺骸をアンデットへと組み変えるために構築した不死呪法『死屍菌室』の黒い力場の中から、低い何かが鳴動する音が聞こえ始め、やがて死屍菌室の黒球が凝縮してゆき、最終的には呪法をかける前と何も変わらないドラゴンの死骸が現れた。
自らの呪法が失敗したのではないかと、レダは大いに焦った。
だが――事態はそんな生易しいモノではなかった。
突如完全に死んでいるはずのドラゴンの表皮に白と黒に輝く紋様が浮かび上がり、それは先ほどの低い音を再び上げながら――凄まじい輝きを放ちながら、神霊力を吸収し始めたのだ。この世界で恐らく唯一といっていいくらいに、純粋なマナを操ることが出来るレダは、その場にいた誰よりも目の前で起きている出来事がどれほど凄いことなのかを理解していた。
この世界にいる生物にとってマナは、決して必要不可欠な存在ではない。云わば後付けで付与された神からの贈り物のようなものだ。生態系の中で、この存在に大なり小なり依存する生物もいるが、基本的にはあれば凄く便利な酸素とは別の酵素ようなモノである。
それ故にその扱いは難しく、長年に渡ってこの世界に住まう者達はマナを自分たちにも扱える都合の良い形へと還元し、そして生まれたのが霊子であり、魔力だった。その為に神霊力そのものを利用することは不可侵的な領域とされ、地上世界に住む者たちには技術的に不可能だった。
卓越した魔法研究者であるレダでさえも、その一端を解き明かすのに莫大な時間を要した。だが、目の前のドラゴンの遺骸は、まるで世界に穴を空けたかのように貪欲にマナを吸収している。通常これだけのマナを吸収すれば、レダの知る限り如何なる存在であろうと自壊するはずだ。それはこのドラゴンが仮に生前の状態であっても変わりはしないと、レダの見立てでは思われる。
では、今このドラゴンの遺骸は生前で扱え切れないほどのマナを貪欲に飲み込みながら、一体どのような結末を迎えるのか――それがいち研究者として興味を惹かれないわけがなかった。
途中、この崇高なる事象に水を刺そうとしたエルフと魔族の王に対して、魔法を行使する者にとって最大の隙が生じるタイミングで必殺の攻撃を加えたのだが、それは人間の王によって邪魔された。人間の身で――それも剣一本でアレを相殺するとは、さすがは『剣聖』と謳われるだけのことはある。ただの馬鹿ではなかったようだ。
だが、レダの心配は呆気なく霧散することとなった。
両名の放った高位魔法は、ドラゴンの躯に直撃する前にマナを吸収してる力の干渉を受けて、それぞれ霊子と魔力に分解され、その上でマナに純化されて呆気なく吸収されてしまった。
――凄い……凄まじいっ!
その光景を目の当たりにして、レダは歓喜した。
地上に呆然と立ち竦む連中は、事象そのものは理解していても、それがどれほど凄いことなのかを理解することは出来ないのだろう。そう思うと、何と哀れなことかとレダは思う。
散々歓喜し、目の前で次々と起こる事象に目を輝かせていたレダだが――そこから始まった出来事には驚きや喜びを通り越して、そこにいる誰よりも早く事態を理解して――戦慄した。
ドラゴンの躯は、まるで今までの吸収は云わば『呼び水』か何かであったかのように、体表に浮かんだ紋様を激しく明滅させ、視界を白と黒の点滅が塗り潰して、暴風が巻き起こり、大気を空間ごと揺さぶるような轟音と共に、世界に突如として口を開けた奈落の底のように、今までとは比較にならないほどの勢いと規模でマナを吸収し始めた。
その余りに力に魔族勢からは存在を昇華されて、次々とマナへと純化されていく事態すら発生していた。レダが思うに――このドラゴンの躯は、まさに底無しの壊れた大器だった。
そしてそこにいた存在の全てを薙ぎ倒すほどの、マナの嵐が過ぎ去った後にレダが見たものは、生前の姿を――いや、レダが異界を覗くことで知っている姿よりも、禍々しい姿へと変貌した黒龍の姿があった。
「グォォォォォォォォォァァァァァァァァァァァァァァァっ!!」
聞く者の魂に直接的に畏敬を求めるかのような、凄まじい大音声に大気が震えていた。
理由はまったく分からないが、異界より召喚したドラゴンの死骸は自ら復活を遂げ、挙句にこの世界のマナを大量に吸収し、生前よりも強大な存在となった。
問題は――レダに服従しているかどうか、だった。
通常肉体が再生したところで、死んだ肉体からは魂魄は剥離し、二度と定着することはないとされている。あくまで死霊術の文献で得た知識であり、実際死んだことの無いレダには確証が持てる話ではないのだが、今まで死屍術や死霊術を行使して成功したにしろ、失敗したにしろ、その魂魄や精神が元に戻るようなことは一度としてなかった。
その経験則を信じて、レダは巨大な偶像の手を前へと突き出した。
『ゆけっ! 冥府より甦りし黒龍よっ! 我が敵を薙ぎ払えっ!』
意思を魔力で送りつつ、自分が何と命令したのかを地上の者たちに知らしめる為に、晴れ渡った空に文字を浮べた。
◇◆◇
禍々しい姿とは裏腹に、ゼノンを始めとする三人は空中で咆哮を上げた黒龍を力強く美しい存在と捉えていた。
凄まじい力に満ち溢れ、漆黒にギラつく鱗とや甲殻も美しく、凄まじい激情を表す黄金の瞳も魅入るほどに高潔な印象を持たざる得ない――ただ、その激情の正体は明らかに憤怒、赫怒といった凄まじい怒りに満ちていた。
呆然とその姿を見上げていると、レダの偶像が巨大な腕を大きく振りゼノンたちを示す。そして空に青白い文字で言葉が綴られた。
『ゆけっ! 冥府より甦りし黒龍よっ! 我が敵を薙ぎ払えっ!』
音の無い声に反応したかのように、黒龍は長い首をもたげてレダの偶像を睨む。そしてその黄金の瞳が眩い閃光を放ったかと思えば、突如としてレダの偶像が激しく歪み始め、その姿を収縮させてゆき遂には普通の人型サイズまでに縮んでしまった。
魔法に精通しているシエナとレグイエには、あれがレダの幽精体の本体であることがすぐに分かった。
「グォォォォォォォォォッ!」
そして黒龍は咆哮を上げながら、右腕に膨大な黒い魔力を集中させてレダへと突進して行き、人型サイズとなったレダをその拳で殴りつけた。
純粋なマナで構築されたレダの青白い障壁を、まるでガラスのように易々と砕いて人型のレダへと魔力を帯びた黒い拳が直撃すると、そこからマナ同士が衝突する眩い光と激しい衝撃波が生じて遥か地上にいるゼノンたちも衝撃波に晒されてよろめく。
光が収束すると、そこにはレダの姿は無く霧散したマナの僅かな輝きがキラキラと光っていた。
世界の宿敵である扇動者レダ――その偶像と幽精体をただの一撃で消滅させた黒龍は、口から黒い呼気を噴出して『グルルルッ』という唸り声を上げている。
まさか死んだということはないだろう――と、ゼノンとシエナ、レグイエは思う。五百年前の戦いとその間の出来事……その首謀者である存在が、こんなにも呆気なく死んだとは、当事者である彼らには受け入れがたい現実であると同時に、信じられないという複雑怪奇な心境だった。
そして何よりも、召喚した当人が居なくなっても目の前にいる黒龍は健在という事実が、彼らの上に文字通り重く圧し掛かっていた。
黒龍は破壊衝動に駆られた血走った瞳をゼノンたちに向けると、巨大な翼を大きく広げて再び咆哮を上げた。
◇◆◇
目の前に迫る純粋なマナによって精製された魔力を帯びた拳が、今までいかなる攻撃も凌いできた障壁をあっさりとブチ抜いて幽精体に直撃する瞬間に、幽精化の魔法を解除して意識を大陸北方の肉体がある隠れ家へと引き戻したのだが、それでもなお尋常ではない威力を秘めた一撃は幽精との接続を強制切断したレダの肉体にも及び、衝撃に部屋の後方へと吹き飛び積み重ねてあった魔道書の山を貫き、その後ろにあった巨大な書棚に激突して止まった。
しばらく引っくり返ったまま本の山に埋もれていたレダは、少しの沈黙の後に何とか意識を繋ぎとめて本を退かしながら立ち上がる。
――今のは危うく死ぬところだった。
幽精体には物理攻撃は通常無効なのだが、あんな恐ろしく密度の高い魔力を込めた一撃をまともに受けたら精神が崩壊――などという生易しいものではなく、蝋燭に灯った火を吹き消すように消し飛んでいただろう。
まったもって理解し難い事態だが、異界から呼んだドラゴンの死骸が謎の復活を遂げた上に、召喚者である自分の意にまったく従わない。それどころか殺そうとしたのだ。
いや、召喚したのはあくまで躯でしかないので、当然と言えば当然なのだが、それではあの黒龍が復活した理由――原因がまったくもって不明だ。高位の神族や魔族の中には、そういったことを自らしでかす存在がいるとは伝え聞くが、あのドラゴンはいくら強くても『生物』の域を出ていない以上は死んだらそこまで――ただの遺骸に過ぎない。
このような結果となったのは、恐らく第三者に何らかの干渉を受けた可能性が高い。
――許せない。
この五百年、耐え凌いできた苦労が水泡に帰してしまった。邪魔をしたヤツは子々孫々に至るまで呪い尽くしてやらねばとレダは心に誓った。
とはいえ、まずはあの黒龍だ。
随分と膨大な神霊力を吸収していたようだが、どれほどのものか――そう思って、世界に拡散しているマナの散布状況や濃度を調べる装置を起動させて、レダは完全に硬直した。
無いのだ。
通常薄い緑色で表示されるマナがまったく表示されず、大陸全体を現す地図にはただ一箇所を除いてマナが一切存在していない。
装置の故障だろう――そうかろうじて思い、装置のパネルに指を走らせて、唯一マナが存在する場所の正確な位置と、その一箇所存在するマナの総量を表示して、レダはフードの奥で目を見開いて体を震わせた。
――この世界に存在していた神霊力の全てが、あの空僻地の一点に存在している。
それはつまり、あの黒龍は――
この世界――イスペリアスクーンに存在した全てのマナを喰らい尽くしていたのだ。
レダは慄きながらも、慌てて遥か視の出来る装置に飛びかかり、自分の中に残るマナを送り込んであの空僻地の映像を目の前に展開し、あまりの驚きに台座から転げ落ちそうになる。
黒龍は翼を大きく広げ、両手と胸部――そして頭部に埋め込まれている漆黒の宝玉を眩く闇色に光らせ、血走った黄金の瞳には理性など一分も存在せず、レダがそこにいたならば恐らく震えで動けなくなるほどの純化したマナを体内の器官で、破壊に適した形へと再構成している。
その想像を絶する力の行使による余波だろう――レダがいる大陸北方の大地にも地震が起こり、周囲の実験器具や書棚がけたたましい音を立てて倒れて、様々な物が割れて壊れる音が鳴り響く。
その音はこの部屋の中だけの話ではない……レダは絶望的な表情で、映像を見ながら耳に聞こえる崩壊の音は――この世界そのものの音だ。
――あれが放たれれば、間違いなくこの世界は崩壊する。
それがレダの見立てであり、その予想に間違いはなかった。
◇◆◇
大きく翼を広げた黒龍は、咆哮を上げると両手と胸部、そして頭部にある宝玉を輝かせて膨大な魔力を収束し始めた。その力が周囲に与える影響は凄まじく、地鳴りが唸りを上げて大地を揺らし、空もあっと言う間に暗雲が立ち込めて雷鳴が鳴り響き始める。
紫電を纏ってバチバチと音を立てながら、体にある四つの宝玉から黒いオーラを立ち昇らせ、黄金の瞳には理性などは一切無く、見る者の心臓を止めんばかりの強烈な原始的な破壊と怒りの衝動をひたすらに発している。
その激烈な赫怒の感情の余波を受けて、感受性の高いシエナはその場に崩れ落ちて息を荒くし、レグイエも口元を押さえて眉間に険しい皺作っている。ゼノンもまるで幼き日に死んだ祖父と父に同時に叱られているくらいの衝撃を受けていた。
後方の軍勢も混乱の極みに達していた。
通常は喊声を聞こうが、大砲や魔法の爆音を聞いても落ち着きを無くさない軍馬と騎獣が、黒龍の咆哮を聞いてから落ち着きを完全に無くし、それを御しようとする兵士たちも種族に関係なく動揺が走っていた。
本能に忠実な魔族の軍勢にいたっては、特に確固たる忠誠を示していない低級な魔物を中心にすでに後退を始めていた。
黒龍が放つ四つの黒い輝きがその眩さを増すと、空を覆う雲に幾何学的な紋様が浮かび、それは怒涛の速さで広がりを見せ、いつしか地平線の彼方まで続く雲の全てに至っていた。
その紋様はこの世界――インペリアスクーンの世界全土の空に際限なく掛かった厚い雲に浮かび上がっていた。
――その日、世界に息づく全ての生ある存在が空を見上げた。
各地で突如として空を覆った厚い雲と、そこに浮かび上がる不気味な紋様。そして地震と地鳴りが起きて、全世界規模の天変地異は人々を恐怖させ、混乱の極地へと叩き落した。
世界を震撼させる空を覆った紋様は、現在黒龍が行使しようとしてる魔法を構築する未曾有の大規模魔法の単なる構成魔法陣でしかなかった。だが、この凄まじい規模の魔法陣によって放たれる魔法が齎すその威力が如何なるものかなど――もはや考えるまでもないモノだろう。
世界そのものが慄く中で、黒龍は一切の躊躇もなく――それを放った。
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