導入部5―王達の意思―
・各話基本的に3000字くらいで文量をユルく書いていきます。
・更新は本編優先なので不定期です。
・本編で煮詰まったり、息抜きしたい時にちょこちょこっと書けるものが欲しくて書いています。
世界の覇権を揺るがす大一番の戦いがもうじき始まるというところで、事態は急激に誰もが予想だにしなかった状況へと動き始めた。
大戦争の首謀者。
数十万の蛮族と数万の巨人を操り従えた支配者。
史上最高の死霊術士。
古の魔獣を使役する召喚術士。
魔法の心理に潜む闇。
世界を騒乱せし者。
禁区の主。
禁忌の名を持つ者。
挙げ出せばきりがないほどの逸話と二つ名を持ち、この世界においてある意味、誰よりも有名な人物かもしれない。種族を問わず、子供から大人までがその名を聞けば身震いをする。
世界の――全種族の敵、扇動者。
五百年前の戦いでは、レダがこんな風に大勢の前に姿を現すようなことはなかった。五百年前の戦いに参加していたシエナとレグイエは、突然現れた宿敵の以前とは違った行動に対し慎重に対応すべく様子を窺っていた。
『五百年前の戦いは私の負けだ。これは認めよう』
レダによって闇の帳を無理矢理に下ろされた空に、青白い巨大な光の文字が描かれて彼の言葉を綴っていく。その光景を見て、各軍勢にもかなりの動揺が走っているものの、各軍それぞれに優秀な副官や将軍が檄を飛ばしているようだ。
『だが、君たちは私を殺せなかったし――見つけられなかった』
見上げるほどに大きいレダの偶像は、大仰に腕を広げる。まるで自分の健在さを知らしめるかのようなその仕草に、軍にざわめきが起こる。
『だからこそ、私は敗れはしたが復讐を果たす機会があると判断した。そしてあの戦いの終結から五百年の月日が流れ、戦いの愉悦に目覚めて私という共通の敵を抜きで戦いを行おうとしてる君たちの前に、私は再び現れた』
そう言って巨大なレダは、右腕を上げて空を割って最初に現れたドラゴンの死骸を指差す。
『あれは異界より、私がこの世界に召喚したドラゴンの死骸だ。あのドラゴンは絶大なる力を持っている。生きていれば、私ですら制御できないほどにな――』
その文字を見た時、三人は同時にレダの異名の一つを連想した。
扇動者レダは――『史上最高の死霊術士』であること。
「はぁぁぁぁぁぁっ!」
レグイエが逼迫した声を上げて、空に両手をかざした。すると、空に浮かび上がっていた巨大なレダの体が捩れるように歪む。更にそこへシエナが両手を使い、まるで見えない弓を引くような仕草をした。すると、光の弦と白く輝く巨大な矢が生まれた。その鏃をレグイエの力で捩れ歪むレダに向かって、躊躇なく放った。
巨大な光の矢は闇を切り裂くように突き進み、捩れて身悶えするレダの頭部に直撃し、凄まじい光が明滅して周囲を白く染めた。
光が止み空を見上げると、そこにはドラゴンの死骸を包んだ卵型の被膜だけが浮いていた。
やったかと思ったが、その喜びは本当に一瞬のものだった。
出てきた時とまったく同じ要領で、空に開いた裂け目から巨大な黒い蒸気が噴出し、その気体が収束して再度巨大な姿へと戻る。
そして空にまた青白い文字が描かれた。
『さすが魔族とエルフを統治する者達だ。今の私が仮初の姿――幽精体であることを踏まえた攻撃をしてきたね。だが、残念ながらその程度の攻撃では、私の本体には届かないよ』
本人はまったく喋らないにも関わらず、文字は饒舌にレダの意思を示し続ける。その文字を見て、レグイエもシエナも悔しそうに表情を歪めるが、すぐに諦めることはせず対象を変えた。
レグイエを中心に半径十メートルの円形魔法陣が展開され、レグイエの白く美しい顔に深い皺が刻まれて悪鬼のような形相となる。右腕を肩と水平に伸ばす、足元の魔法陣からドス黒い魔力が呪紋となって顔を歪めた死霊と共に溢れ出す。
シエナは両腕をバっと開き、天と大地との繋がりを呼ぶ祝詞を詠唱する。彼女の周囲には、純然たる霊子が滞留し、その余波を受けて『空僻地』という名の不毛の大地が浄化され、小さな緑が芽吹く。輝きを放つ広げた両手と共に空中に浮かぶドラゴンの遺骸の上空から不自然なほどの輝きを放つ斜光が射し込む。
三軍とゼノン、そしてレダが見守る中で二人の英傑が儀式無しで放てる最大級の威力を持つ攻撃を放った。
レグイエを中心に、まるで地獄の蓋を開けたかのように無数の呪紋と死霊が大河のように溢れ出し、さながら地獄で流れる死者の河が逆流を起こしたかのように魔力の濁流となって直下からドラゴンの死骸へと突き進む。
後光を背負い周囲に浄化された地を形成したシエナが、その広げた両手を眼前で打ち合わせると、ドラゴンの死骸上空から射し込んでいた斜光が収束し、凄まじい光の極光が雲を穿って降り注ぎ、宙に浮くドラゴンの死骸へ向かって突き進む。
白い極光と黒い暗黒が同時に、ドラゴンの死骸を包む球状の入れ物に直撃する。
元々は神霊力という共通の力から生み出されながらも、まったく別の性質を持つ霊子と魔力をそれぞれの主体とした攻撃は、相反する二つの強大な力がぶつかり合い、相乗して凄まじい爆発と破壊を生み出した。
空中で起きた爆発は完全にドラゴンの遺骸を呑み込み、その余波だけで三軍を慄かすほどの威力と迫力を持っていた。
爆発の余波でわずかに、その巨大な偶像をブレさせながらもレダは一言も発することなく爆発する空間を、闇に覆われたフードの下から見ていた。
「うぉー……儀式もせずにこんな威力の魔法が使えるなんてなぁ。やっぱ単純な魔法技術では、人間はあいつらには勝てないわ」
空を朱に染めて大気を焦がして震わせる激震を肌で感じながら、ゼノンは頬を掻いて少し離れたところに佇み空を見上げる二人に苦笑した。だが、その二人が依然として険しい表情をしていることに気づくと、眉を顰めて再び空を見上げた。
白と黒の混ざり合った爆発の果てに朱に染まった煙が晴れると、そこには先ほどと寸分違わぬ光景が広がっていた。内に横たわるドラゴンは勿論のこと、そのドラゴンを包む不可視の入れ物すらも無傷に見えた。
今行使できる最大級の攻撃が齎した結果に、二人は険しい表情を浮かべていた。ゼノンも無傷という結果には驚いたが、特に悲観するようなことはせずに空をもう一度見上げる。
『ありがとう、御二方』
空に浮かび上がる青白い文字の真意を図りかねて、三人は表情を曇らせるが、その答えはすぐに分かることとなった。
周囲にまるで――巨大なステンドガラスがひび割れるような不快な音が木霊する。教会などに敷設されている荘厳なガラスが、戦火の熱によって割れる音を幾度となく聞いてきたゼノンには、ある意味馴染みの浅くない――だが、聞きたくもない音だった。
その音の出所を探すなど一瞬のことだった。
すぐにそこにいた全ての者が空中に浮かぶドラゴンの遺骸――正確にはそれを包み込んでいる球状の入れ物が割れていく音だということに気づいた。死んだドラゴンの巨大な体を宙に浮べていた不可視の入れ物は、やはり卵のような球状の形状をしていたようで、ひび割れたことによりその形状がはっきりと分かった。
『異界から躯とはいえ――ドラゴンほどの物体を持ってくることは骨が折れることでね。いささか頑強に作りすぎたせいで、どうやってアレを割ろうか悩んでいたところなのだよ』
その皮肉に満ちた言葉に、自分たちがレダに利用されたことを知って二人は歯噛みした。ゼノンは自分で作っておきながら自ら割ることができないとはマヌケな話だと思うと同時に、シエナとレグイエの攻撃を利用する狡猾なレダのやり方に単純に感心した。
割れた残骸は崩れ落ちる過程で空中で消え去り、支えを失ったドラゴンの遺骸は宙に浮かんだまま頭部の無い首と千切れた四肢、そして長い尾がダラりと垂れ下がっていた。外気に触れた遺骸からは腐臭などはせず、死んで間もない状態であることが窺えた。そして何よりも、もはや動くことなどあり得ない状態であるにも関わらず、見つめると知らず知らずの内に背に汗をかくほどの圧倒的な存在感を有している。
その異様に呑まれる人々の中で、一人だけ違う者がいた。
「レダさんよ。余たち人間にとっては、まさに世代を超えた有名人であるアンタと会えるなんて、何とも感動モノだと余は思っているぜ? だけどよ……」
重苦しい沈黙を暢気な口調で破ったのは、ゼノン=エレ=ウルダ=カイザルクその人だった。
直近にいる二人の王と、その遥か後方にいる各々の軍勢の注目を受けながらも、まったく気負う素振りなど見せることはなく。自分を見下ろすレダを見上げながら、ゼノンは言葉を続ける。
「五百年も経って今更登場して、まるで未だに自分がお前たちの最大の敵ですって顔してるけどよ。今更のこのこと出てきてそんなこと言われても、もうお前なんざ過去の存在だぜ? 余に言わせれば、異界からデカいトカゲの死骸を持ち出さないと戦えないって言うお前さんなんざ、これっぽっちも脅威には感じないねっ。というか――」
剣帯に吊っていた長剣を抜き放ちブンっと振ると、先ほどまでとは別人のような鋭い眼光でレダを睨みつける。
「――いつまで余たちを見下ろしてるつもりだ、下郎が――。戦いたいなら相手をしてやる。ただし五百年前の続きなんかじゃない。その惨めったらしい報復欲に飢えた本性を曝け出して、醜い小物に成り下がったお前と『新たな』戦いをしてやる」
その物言いにシエナとレグイエは呆然としていた。
確かにゼノンは二人のように五百年前に直接的な戦闘をしていないが、伝え聞かされてきた伝承と目の前に現れたその異形と力は目の当たりにしている。だが、それでもなおこの人間の王は一切臆することなく、まるで王国に弓引いた矮小な小物の魔道師を相手にするかのような口上であの扇動者レダを扱き下ろしたのだ。
改めて目の前に立つ人間の王の背を見つめ、その勇壮さと肝っ玉の大きさに感心しつつも苦い思いを持ちながら、二人は目配せをして苦笑した。
『ふははははっ』
わざわざ笑い声までも文字にしたレダが巨大な顔を僅かに俯かせ、眼下で自分を見上げるゼノンを見下ろす仕草をする。
『噂通り勇ましいな、カイザルクの王よ。だが、君は分かっていない。君が今――デカいトカゲと評したこのドラゴンが如何なる存在か――ということを、分かっていないのだよ』
レダはまるで新しい玩具を――それも飛びっきりのお気に入りを、親しい友人に自慢するかのような大仰な仕草でドラゴンの遺骸を指指す。
『このドラゴン――いや、この黒龍神クロウシスケルビウスは、元居た世界で絶大な力を持つ神と魔王の双方を討ち滅ぼした末に死んだ魔性の龍。その躯から作る腐屍龍は、この世界にかつて味わったことの無い破壊と絶望を齎すだろう』
神と魔王を討ち滅ぼした魔性の龍。
ゼノンらはその言葉に衝撃を受けつつも、猜疑に駆られる気持ちもある――だが、空に浮かぶドラゴンの遺骸から伝わる不気味なほどの存在感が、それを真実だと告げているようだった。
『カイザルクの人間を代表せし王よ。私が脅威でないかどうか、お前の国と民が滅びる様を見ながらもう一度考えてみることだ』
巨大な偶像であくまで自分を見下ろすレダに、ゼノンは鼻を鳴らして手に持った長剣を真っ直ぐにレダの顔へと向ける。
「やれるものならやってみろよ。たとえ国が滅び、民が死に絶えようとも、お前は余が必ずぶち殺してやる。五百年前の先祖がやり残したことを引き継いで成し遂げるのも、後世の王の仕事だからな……それになにより第一に、国も民にも手出しはさせやしない。俺は戦場に立つのが滅法好きな王だからな」
ニヤりと不敵に笑うゼノンの横に、シエナとレグイエが並ぶ。
二人の行動にゼノンが驚いて二人の顔を交互に見ると、二人とも『立場的には微妙なところだが、個人的な意思では同調する』という類の笑みを浮かべていた。それを見たゼノンはへへっと笑って鼻の下を擦ると、改めて表情を引き締めてレダを睨みつけた。
『なるほど……少なくとも王たちの間では、共闘の意志は五百年前と変わらずというわけか。だが、それでこそ再び歴史の表舞台に立った意味があるというものだ。種族を各個撃破したのでは、面白みがないからな――』
その文字が空に記されてから消えるまでに、レダの巨大な偶像は両手をバっと開き胸の前で力を溜めるように両手の掌を内側に向け、その中心にはドラゴンの遺骸があった。
ただでさえ聳え立つかの如く巨大な偶像が両手を開くと、その姿はさらに大きく見えて迫力を増していた。
『――刮目せよ。我が愛しき怨敵たちよ。今ここに、この世界に破滅と混沌を齎す邪悪なる黒龍が降臨するのだ――我が忠実なる腐屍龍としてなっ!』
扇動者レダの偶像が広げた両手から放たれる黒い神霊力が、空中に静かに浮かぶ黒龍の躯へと注がれる。
――今ここに黒龍は復活の時を迎えた。
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