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第十二話―邂逅―


 洞窟内は静寂に包まれていた。

 長い横穴は広く歩き易いもので、蝙蝠や魔物の糞どころか枯れ葉の一枚も落ちていない。その様子に戸惑いながらも、少女はたどたどしい歩みで洞窟の中を進んで行く。

 途中巨大な大広間に出た際は、大広間両端の壁に沿って鎮座する数十体の竜頭の石操兵(ゴーレム)を見た時は驚きで動きを止めたが、それらがまったく動く様子のないことに気づいた。

 それでも座っていてもなお見上げるほどに大きな巨躯を遠めに見ながら、少女は白い広間を進んでいった。平坦な広場と緩やかな階段が交互に続き、見上げれば天井が遠く感じるほどに高い。

 洞窟内は最初の扉を通過したところで、壁に簡素な燭台が規則的に並んで灯されていた。そしてこの広大な広間には部屋全体を灯すのに必要な光量を保つ篝火が焚かれている。


「……」


 その今まで訪れたことのない場所の雰囲気に少女は戸惑っていた。しかし不思議と恐怖はなく、最初は感じていた不安すらも薄れてきていた。

 この少女たちに対して常に悪意を向ける『生あるモノ』がこの洞窟内には存在せず、内部も汚れているどころかむしろ清潔なくらいで、少女がこんな場所に入ったのは山里にあった無人の礼拝堂くらいのものだった。


 荘厳ささえ感じる大広間を抜けて、少女は更に洞窟の奥地へと足を進めた。

 大広間を抜けて次の曲線を描く通路に来てから、肌に感じるほどに冷えた空気が流れ始め、その空気が不意に背中を撫でて一瞬体をビクりと震わせて緊張させた。

 痛みを感じなかったことで今の今まで傷のことを忘れかけていたが、再び背中の傷に恐る恐る触れると、傷の血は既に大部分が乾いているのか触っても血が指につくような感触はなく、痛みもやはり感じなかった。

 少女は今自分の背中が、自分の体がどうなってしまっているのか分からなくなり、足を止めて立ち止まり顔を俯かしそうになるが、そこで自分が抱いている幼い少女の顔が目に飛び込んできた。

 気を失ってから眠り続けるその寝顔は、穏やかといえるくらいに安らかなもので、その寝顔を見ていた少女は口元を引き締めて顔を上げ、再び歩みを再開した。


 大広間の最奥は入り口からうっすらとその概容が見えていたが、いざ間近に来てみるとそこには想像よりも遥かに大きな神殿のような造りの入り口が設置されていた。しっかりとした造りの上にドラゴンを模した彫像が要所要所に安置され、白亜の石床も全てがまるで最近改修されたばかりのように綺麗だった。

 その白亜の入り口から先にも、壁には等間隔で燭台が置かれて灯が灯されている。しかし、中の通路は途中でカーブしているらしく、その奥がどうなっているのかは分からなかった。


 入り口から先へと足を踏み入れた途端、息のつまりそうな感覚に襲われて少女は目を僅かに見開いた。

 魔力に対する素養がなければ気づかないものなのだが、少女にはその素質があり足が無意識に竦むような感覚に陥る。

 洞窟に入るときから分かっていたことだが、ここに棲む主はきっと少女が見てきたあらゆる存在よりも、恐ろしくて無慈悲な存在かもしれない。

 だがそれでも、少女はあの黒い龍の石像に心を奪われていた。

 短いようで長かった今までの生涯のなかで、少女は初めて祈りを捧げたいと思うほどに美しい偶像と出会った。人間を始めとするエルフや他種族たちが崇める神などには興味はなかった。

 何故ならばいくら祈ろうとも、少女は世界の全てから否定され続け、何処までも呪われたままだったからだ。


 だからこそ少女は、たとえ邂逅の末に死が待ち受けようとも、その歩みを止めはしなかった。

 奥地へと歩を進めるにつれ、少女が長年にわたって培ってきた気配を感じる六感が煩いほどに警鐘を鳴らしてきていた。


 ――これ以上進めば、死ぬかもしれない。


 そう教えてくれている自分の直感を意志で捻じ伏せ、少女は遂にそこへ辿り付いた。

 そこは広い部屋だったが、特に何があるというわけでもなく、閑散とした室内には先ほどのようなゴーレムがいるわけでもない。

 感じる気配そのものは以前として強く感じるが、それでも少女は警戒をやや緩めて部屋の奥に進み、次の部屋への境界を踏み越えた。

 足を踏み入れた場所は広間だったが、先ほど通ってきた白亜の大広間に比べればまだいくらか小さい場所で、磨き上げたような黒曜石の床が全面に張られ、灯された蒼い炎の灯が床に反射して光が拡散し、広い広間全体を朧気に照らし出していた。


 少女はキョロキョロと首を巡らしていたが、不意に何かに気づいたかのように動きを凍りつかせた。そしてぎこちない動きでゆっくりと顔を上げていく。

 最初その存在に対する予備知識を備えていなかった少女には、巨大なそれがいったいどのような形をしているのかすら分からなかった。そのため全様についてはただ巨大なモノという漠然とした感想しか最初は認識出来ずにいた。しかし少女はもう一つ、その存在に対して強烈に感じた印象があった。

 その感じた所感はその存在――黒龍クロウシスケルビウスの眼と少女の目が合った瞬間に決壊することとなった。


 頬に伝う熱い涙にも気づかず、少女はそれを拭うことも忘れ黒龍を見つめた。


 薄闇の中に浮かび上がる黄金の輝きは、背筋が粟立つほどに美しかった。

 見続ければ吸い込まれてしまいそうな気持ちになるが、それでも少女はその鋭い光を放つ黄金の輝きから目を逸らすことができなかった。

 右の前肢に左の前肢を乗せて組むようにして鎮座し、もたげた首の先で黄金の瞳が少女を見下ろしていた。その圧倒的な存在感に呑まれながらも、少女はやはり次々と零れる涙を拭うこともなく、その存在を一心に見つめていた。


 少女が感じていたのは、恐怖ではなく、絶望でもなく、感嘆と憧憬だった。


 少女は目の前に鎮座する存在に心奪われていた。

 少女はこれほどまで『個』として完成された存在に出会ったことがなかった。

 少女は初めて『神』という存在を感じた。


 見上げたまま口をわずかに開け、黒瞳に映る黒龍の威容を呆然と見つめていると、その瞳に映る黒龍の瞳が僅かに細められた。


「娘よ。我が前に立ち、何を望む」


「……っ!」


 突然の呼びかけに少女は驚いて目を見開いた。

 その驚きが黒龍が喋ったことに対するものなのか、それとも他ならぬ自分に話かけられたことなのかが分からないほどに少女は動揺し、ただ目を丸くして口をパクパクと動かした。

 その様子を見て、黒龍は首を僅かに傾げる。


「苦難に満ちた半生を送ってきたのだろう? お前が望むならば、復讐を果たしてやってもいい」


 少女はクロウシスの言葉をほとんど理解することが出来ず、ただ困惑し同時に黒龍の言葉を理解できない焦燥感に平静を失い、顔を青くさせていた。

 そんな少女の脳裏に突然、恐ろしく鮮明な映像が浮かび上がってきた。


「――ぁっ?!」


 それはクロウシスが少女の脳に直接映像を送り込んだもので、少女はその衝撃に体を戦慄かせて、腕の中の幼い少女をギュっと抱きしめた。


 脳裏に浮かび上がるのは、今まで生きてきた中で受けてきた様々な仕打ちの数々。

 つまりは過去の記憶だった。

 人里に下りれば悲鳴を上げられ、凶器を持った人々に命を狙われて追われ、逃げる背には石を投げられた。それは種族を問わず等しく同様で、同源種族のエルフは勿論のこと、人間、その他の亜人間、精霊、妖精、種族を問わずあらゆる存在から疎まれ、姿を見れば概ね殺されそうになった。

 実際に怪我を負わさされたことも何度となくあり、今回追ってきた男達同様に懸賞金目当てに山狩りをして執拗に追わされたことさえあった。


 その時に感じた恐怖と悲哀、孤独と絶望。

 思い出したくない過去が脳裏で幾つもフラッシュバックし、少女は四肢から力が抜けてその場にへたり込んだ。それでも腕の中で眠る幼い少女だけは放り出さず、震える手で抱いていた。


「思い出せ。お前の命を脅かし、殺そうとした者たちのことを。その者達をお前が呪うというのならば、我がその呪となって全ての者達に等しく、お前が受けた苦痛を返してやろう」


 その言葉と共に少女の脳裏で、自分を蔑み襲ってきた者達が次々と燃え出し、苦しみにのたうち回りやがて灰になって消え去っていく。その映像を見て、少女はようやく目の前の黒龍が言わんとすることを理解し、もう一度呆然とした表情で自分を見下ろす存在に目を向けた。


「返答を聞こう。我が導きは入り口まで、我が前に立ったのは汝が意思」


 中空から少女を見下ろす黄金の眼が、その輝きを増して少女に決断を迫った。

 少女は目の前に鎮座するこの威容を誇りし存在が、何故自分にそんなことを突然問うのかが分からなかった。その存在そのものに対する恐怖は何故か薄かったが、今求められている決断には恐怖していた。


 理解できない。

 分からないということは、それだけで恐怖だった。


「――ぁっっぐぅ……ぁ」


 やがて少女は口を戦慄かせると、俯き怯え始めた。

 静寂の立ち込める広間には、少女の呻き声が木霊する。


「何故怯える必要がある? それでは回答にはならない」


「ぁっぁ……ぅぁ」


 言葉にならない単語を途切れ途切れに漏らし、少女は焦点の合わない瞳を上げて揺れる視界に黒龍の姿を捉えると、何かを求めるように手を伸ばした。


「その手が求めるものは――復讐か?」


 黒龍の言葉に少女は顔を伏し、ブンブンと首を横に振った。

 言葉の意味は分からないはずだが、少女は黒龍の言葉を聞いてすぐにそれを否定し、差し出した手が黒曜石の床に爪を立て、先ほどの森での騒動で爪のいくつかが割れており、黒い床に赤い血の線が指によって引かれた。

 脳裏で繰り返される記憶の回想と、その登場人物たちの悲惨な末路を見続けてもなお、少女は懸命に首を横に振り続けた。


「そうか。復讐は望まぬか――ならば、ここでしばらく休んでいくがいい」


 今までと少し違う声音に少女が恐る恐る顔を上げると、そこには長い首を伸ばして少女の目の前にその巨大な竜頭を寄せた黒龍がいた。

 あまりのことに息を呑む少女を前にして、黒龍は裂けるような口の端を僅かに吊り上げた。


「心無垢にして心強き娘よ。汝らが背負わされし業は、かくも重いものだろう。だが、今はそれを忘れて我が元で仮初の休息を取るがいい。そして――」


 そこまでで少女の身体と精神は限界に達し、膝立ちの状態から崩れるように倒れ伏して、意識を完全に手放した。

 気を失った何もかもがボロボロの少女を見下ろし、黒龍は黄金に輝く瞳を優しげに細めて言葉を続ける。


「――お前が己を知り、世界を知り、真実を知った時、今一度問うことにしよう」


 小さな命二つを見下ろし、クロウシスがそう呟くと――。


「あー……何だな。何か童話にでも出てきそうなすげー悪いドラゴンを見た気がするわ」


「それは気のせいであろうな」


 広間の奥から出てきた青い魔道師然とした男、イーゼル=ベレイエは頭を掻きつつ皮肉を込めて言ったのだが、クロウシスはまったく動じることなく答えてきた。


「脈絡もなくダークエルフの娘を連れ込んだかと思えば、何いきなり最後の審判迫ってるんだよ。旦那、なんかやってること滅茶苦茶だぜ?」


 イーゼルはクロウシスの意図を測りかね、広間の黒床に倒れた二人の少女を見ながら頬を掻く。


「連れ込むなどと、少々言葉を弄しすぎだろう。これはこの者達にとって必要なことだったのだ」


「必要なこと……ねぇ。とりあえず怪我の治療は旦那に頼むわ。俺は適当な寝所をすぐ準備してくるからよ」


 そう言うとイーゼルは元来た通路へと身を翻して、二人が寝る場所を準備するために、この広間の奥にイーゼルが新しく増築した居住部へと向かう。その最中、首を僅かに捻りクイっと顔をだけで振り向き、視界の彼方に横たわる二人の少女を見る。 

 つい先ほど出来たばかりの真新しい傷だけではなく、体中に残る無数の傷痕と痣。横たわるその寝顔にあどけなさが窺えるだけに、一層痛ましく思える。

 生きた年月ならば、人間基準で言えば少女然とした見た目通りではないだろう。だが、長寿な種族とて精神的な年齢と見た目の年齢はほぼ同一といっていい。彼女らはただ気の長い気質と流れる時を人間よりも緩やかに感じてるだけなのだから。

 だからこそ、あの少女が今まで過してきた半生を思えば、それはまさに生きていることの方がよほど辛いものだっただろうと、容易に想像できるほどに過酷なものだ。まともな――否、一般的な精神力の持ち主ならばすぐに自ら死を望むだろう。


 そう考えた時、イーゼルの中で漠然と得心が得られた。


「あーなるほど。だから旦那はここまで来るかどうかを試したのか」


 それは人間からすれば傲慢とも思える行為であり、理解し難い価値観に基づいた行動原理。

 だがしかし、彼は他でもないドラゴンなのである。


「悪魔は契約を求め、竜は試練を与える……か。まったくいい趣味してるぜ」


 片手を上げて首を振ると、イーゼルは奥の間へと消えていった。


 広間にはダークエルフの少女二人と一柱の黒龍。

 少女は種族が背負いし死する運命の中で懸命に生き続け、その果てにここへ辿り付いた。

 そこへ居たのは、運命すら改変し得る存在。


 仕組まれた運命が一つ、転換の機会に沸く。

 蒼い月は、じきに沈むだろう。


  

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