第三話―ゾット―
・各話基本的に3000字くらいで文量をユルく書いていきます。
・更新は本編優先なので不定期です。
・本編で煮詰まったり、息抜きしたい時にちょこちょこっと書けるものが欲しくて書いています。
今回は本編執筆前にリハビリを兼ねて書きかけていた番外編を更新させていただきました。
イスペリアスクーンに住まう種族としての魔族は、伝承では世界に最初の支配階級種として生み出された種族とされている。
光が照らすことによって生じる影のように、この世界に誕生した魔族。
その在り様は様々で、一括りに魔族と言ってもその実さらに細かな分類がされる。だが、高位魔族には共通して持っている特徴も少なくは無い。
まず魔力の扱いに対して非常に秀でており、結界や特殊な陣などが張られていない場所への転移能力。
それぞれが『生存核』というモノを持っており、これを破壊されない限りは滅多なことでは死なない。
不死身に近い生命力と、絶大な力と魔力を用いて五百年前の戦争でも遊撃役として多くの魔族が活躍し、一部の魔族は伝説として人間やエルフに語り継がれるほどだった。
戦前は享楽的な者が多かった魔族だったが、大規模な戦争を経験したことにより闘争本能が目覚めたかのように、闘争心を駆り立てて仲間を集い人間やエルフたちと戦うことを選んだ魔族と、今まで通りに享楽的な生き方へとい戻る者。そして、中には人間たちに協力する変わり者もいたが、基本的には状況を静観してる者がほとんどだった。
魔族の棲家は、高位魔族は他種族が住んでいた城や遺跡、他にも洞窟蟻によって構築されたダンジョンなどに住んでいるものもいた。
だが、好戦的且つ他種族廃絶の動きを見せる魔族の一団は、戦後のどさくさに紛れて元々人間たちの領域だった大陸の中央西方から西端にかけての土地を占領した。
それから幾度と無く奪還しようとしてきた人間の軍を退ける内に、彼らに賛同する魔族も増えてゆき一大規模の軍団となっていった。
そして現在では他種族を廃絶しようとする過激派のような軍勢と、静観しつつどっちつかずの態度を取る元祖享楽主義の魔族に分裂したのだった。
荒廃都市ゾット。
五百年前の終戦後にここを治めていた暗愚の王は、魔族の甘言に乗った末にその領地、城、町、港、街道、森、山、湖、そこに住まう領民に至るまで全てを魔族に簒奪された。
昔は風光明媚な西の都と謳われる都市であったが、今は町には生ける屍となった死者が群れを成し、破壊され尽くした建物の残骸がそこかしこに転がっている。
瘴気によって大気は黒く染まり、上空は特に濃度が濃く太陽の光が僅かにしか通らないほどの高い濃度の瘴気が空を覆っていた。その中を時折、とてつもなく巨大な何かが瘴気の雲海を泳ぐように、瘴気の層から黒くギラつく光を放っている。
壊滅している町の先にそびえる城。
周囲が完膚なきまでに破壊され、そこに住まう領民も死んだ挙句にアンデットと化し、そこはまさに地獄絵図のような光景が広がる死の都市であるにも関わらず、そこにそびえる城だけはまるで空間から切り離されたかのように一切の痛みも汚れもなく存在していた。
それが不気味であり、同時にそこに今住んでいる者の正体を示唆していた。
「まったく、いつ来てもここは陰気で陰惨で陰鬱だ」
城内の大広間を一人の魔族が歩いていた。
「レグイエ様。本当にあやつ――いえ、あの御方とお会いに?」
「僕だって会いたいわけではないさ。でも、死霊術に関してあいつ以上に詳しい者など居ないからね。居たとしても、それこそあのレダくらいのものさ」
一人歩くレグイエと、その後ろから側近のハクシビルが宙に浮きながら巨大なガス状の体で随行していた。
レグイエがここゾットに訪れたのは、死霊術に長けたこの都市を支配する魔族の王に会うためだった。その理由は勿論、扇動者レダが召喚したあの黒龍について調べるためだ。
壁に掛けられた燭台で燃えるのは青い灯火。
まるでここで死した人間の魂を燃料にしているかのように、青白い火を燃やして通路を照らしている。
「しかし、快く協力して下さるかどうか……」
「大丈夫さ、この手の話にあいつは目がないからね。そして今起きている事態について、あいつも情報が欲しいと思っているだろうさ」
大広間と抜けて大廊下を進むと、その先で地下へと続く階段が現れる。
地下から漏れ出てくる湿った空気に辟易しながら、レグイエは階段を降りていった。
ここはまるで墳墓の中のようだと、レグイエは毎度ここへ来るたびに思っていた。
町中にはアンデッドが彷徨い歩き、空には死霊が漂い、唯一外観がキレイな城の中は人どころか魔族の一人すらおらず、まるで地下に篭っている主を邪魔しないために在るようだ。
しばらく階段を降りると、その終端に巨大な扉があった。硬く閉ざされてはいるが、周囲が暗闇ということもあって扉の僅かな隙間からは紫色の光が怪しげに洩れていた。
「アビルゲリウ。レグイエだ」
レグイエが扉を強く叩いて声を上げると、しばらくして中から返事が返って来た。
「開いておるぇ」
何処か艶のある女性の声を聞いて、レグイエはやや憂鬱な気持ちになりながらも人間の髑髏で作られたドアノブを握るとそれを押して扉を開いた。
扉が僅かに開いた瞬間、中から紫色の靄が溢れ出し階段を駆け上がっていった。濛々と立ち込める靄に眉をひそめながらレグイエは中へと進んだ。
室内は出所の分からない光源によって照らされてはいるものの、先程の紫色の靄が依然として立ち込めており、目視では一メートル先の視界すらなかった。
「アビルゲリウ。この鬱陶しい靄を何とかしてくれないか? いつもと違って臭いはないが、やたらと濃くて鬱陶しいんだけど」
「クックックッ。今とても珍しい食人植物の栽培に凝っておってのぉ。これはそやつの成長を爆発的に促す香なんじゃ」
先程同様に妖艶な声だが、レグイエは鬱陶しそうに目を瞑る。
「用件は大体分かっておるぇ。お前の大事な大事な大戦を台無しにした黒い龍のことだろう?」
「――何か知っているのか?」
声だけ聞こえる高位魔族の言葉に、レグイエは瞳に銀光を浮べて虚空を睨む。その剣呑な雰囲気を放つレグイエの姿に、姿無き魔族は『クックックッ』と不快な笑い声を地下の室内に響かせた。
「詳しいことはワシもしらんぇ。アレは異なる世界に住まいし魔龍じゃて」
室内に『カツカツカツ』という硬く鋭いモノが石畳を叩く音が忙しなく響く。すると、濃い靄の中で巨大な陰影が蠢くのがうっすらと見え始めた。そして剣で地面を引っ掻くような音が連続して響き渡り、室内に立ち込める濃い紫色の靄を断ち割るようにして、それは現れた。
怪しげな濃霧を断ち割って現れたのは、妖艶な雰囲気を持つ女性だった。
露出した半裸の体に、黒と赤の薄く伸ばした皮製の服を纏い、露出した箇所も呪術的な紋様を描き、顔は口元以外を奇妙なマスクで隠し、目の部分すらも皮のベルトを幾重にも重ねたような装飾を施している。
そして何よりも彼女――アビルゲリウを異形たらしめているのが、彼女の腹部より下の下半身だった。ヘソから下部分には下腹部はなく、代わりに巨大な甲殻類のような異形の姿があった。
ゴツゴツとした体表を持つ蟹の様な姿。
それは見上げるような巨躯を誇り、左右に三本ずつ計六本の先端の鋭い足が地面を引っ掻くように歩いている。その巨大な甲殻類の本来であれば顔がある部分に、ヘソから上の上半身を生やしてアビルゲリウは妖艶な笑みを浮かべている。
天井の高い地下室の天井に届きそうなほどに巨大なアビルゲリウの姿を見上げて、レグイエは質問を繰り返した。
「そんなことはレダが自ら語っていたことの範疇だよ。もっと有益な情報が欲しいね。そう、たとえば死霊術士としての観点から見た情報とか、ね」
自分を異形を見上げても、まったく怯むことない若き魔王を見下ろして、アビルゲリウは黒いルージュを引いた唇をニヤっと笑みの形に変える。
「扇動者レダの死霊魔術は完璧だったぇ。私でもあそこまで損壊の激しくて、しかも神霊力的にカラカラに干からびた遺骸を復活させるのは不可能だろうねぇ」
魔力を操ることに関しては他種族に追随を許さない魔族の中でも、特に死霊術研究には並々ならない情熱と執念を注いできている。そのアビルゲリウにして『不可能』と言わしめるほどの秘術。
改めてレダの恐ろしさを感じながらも、レグイエの脳裏に過ぎるのはあの時の情景。
空を埋め尽くす暗雲に浮かび上がる巨大で複雑な闇光の紋様。天が叫び地が鳴動し、世界中から溢れ出る極彩色の極光が光の渦となって天へと昇り、ある一点に集中する。
通常、世界に溢れる神霊力は魔族であろうとも明瞭に視認することは容易いことではなく、魔力に変換する際に微光となって揺らめく粒子を見るのが限界と言えた。
だがあの時、魔法に対して最も適応が未熟な人間にすら見えるほどの形にマナを顕現させ、天に在りてその全てを吸い上げる存在。光の紋様を浮べる暗雲を背に、それが咆哮を上げれば世界が恐怖に震えているかのようだった。
生きとし生ける者全ての敵、扇動者レダによって異界より召喚されし黒龍。
何よりもレグイエが忘れられないのは、黒龍の眼だった。
猛り狂い血に飢えた野獣の眼光すらも、あの時の黒龍が放つ禍々しさに比べれば生温い。
魔族の王である自分が、あの眼光と正面から対峙した時に感じた感情。
それがレグイエには赦せなかった。
――敬愛せしあの方以外の存在に、そんな感情を抱くことは大罪と言える。
無意識に握った拳に力が入っていることを自覚し、レグイエはアビルゲリウに気づかれない様に小さく息を吐いて自身を落ち着かせた。
「――ともかく、レダの思惑を超えた何かが起こったのは確かだ。レダ自身も操っていると思い込んでいた黒龍に一撃を浴びて消し飛んだからね。と言っても、アレは魔法によって投影した幽精体だ。恐らくレダ自身は無事のはずだよ」
「あの冴えた極悪人にしては、些か間抜けな話ではあるけどもねぇ。でもまぁ、もっと単純に考えて良さそうなものなんじゃないかぇ?」
皮の装飾で目隠しをして、二通りの意味で目の見えない顔でレグイエを見下ろしたアビルゲリウは黒いルージュを引いた唇をニヤっと上げる。
「あの異界の黒龍は、扇動者レダなんぞ歯牙にも掛けないほどに超越的な存在だった――というだけの話じゃないかぇ? どちらにしろ、世界はやはり扇動者レダによって新たなる局面へと動かされたわけさね」
「……」
アビルゲリウの言うことは概ね正しい認識であり、レグイエもそのことは重々承知している。
英雄の三種族と謳われる三種族による大戦。
そこへ現れた大罪の使徒、扇動者レダ。
扇動者レダによって召喚された異界の黒龍。
レダの思惑を容易く打ち砕いた黒龍。
そして、黒龍の見せた埒外の力。
レダの思惑通りにいかなかったことはともかくとして、再び世界に大きな影響を及ぼすきっかけをもたらしたのは、やはり彼の大罪者だった。
英雄の三種族と謳われて世界の覇を争ってみたところで、未だに五百年前の宿敵の手の中で踊らされている錯覚に陥るほどに扇動者レダが落とす影は巨大だ。
「さぁて、それはともかくあの黒龍の行方はどうなんだぃ?」
「――現在も捜索は続けているよ。とはいえ、あのドラゴンが飛び去ったのは人間領の方向だ。それもかなり深いところまで行ったと推察されている。偵察に優れた幻影種が神霊力の消失で大きな打撃を受けているからね。捜索は残念ながらあまり捗っていないのが現状さ」
「幻影種は魔力の塊に思念が宿った二次生物だからねぇ。あの黒龍が行った全世界規模のマナ吸収で魔力に強制変換されて随分と打撃を受けたみたいじゃないか。フロムハルツが軍勢の大半を失ったと憤慨していて笑わしてもらったよ」
軍勢の大半を幻影種で構築していた魔王の名を出して、その時の様子を思い出しアビルゲリウがくつくつと笑うのを見て、目の前の女怪に勝るとも劣らない性格の悪さを持つ魔王の憤慨する姿を、レグイエは容易に想像することが出来てしまい失笑した。
「あの間近に居た僕の軍勢にも被害は出たさ。ここにいるハクシビルくらい高位の幻影種以外は、残らず光の粒にされたよ。決して小さな被害とは言えないさ」
「おやおや、魔王ともあろう者が随分お優しいことだねぇ。下級魔族――それも二次生物なんて軍勢の末端を囃し立てる有象無象だろうに」
含みのある笑いを漏らすアビルゲリウを一睨みすると、レグイエは腕を組んで憮然とした。
そしてこの最古参の魔族との会話を長引かせれば無用な苛立ちを募らせるばかりだと判断し、話をまとめようと用件の再確認をする。
「ともかく、あの黒龍について貴女は有益な情報はないわけだね?」
「無いねぇ。ただ、アレは私の見立てでは我らの敵ではないよ。もっと言えば、恐らく能動的に争う姿勢を示さないだろうねぇ」
「――どうしてそう思うんだ?」
アビルゲリウの言葉に一瞬言葉を失ってしまったが、まずはその根拠を聞こうと尋ね返すと、妖艶な女性の上半身を持つ魔王は闇が滞留する天井に視線をやり、何処か同族――否、同心を持つ者の心情を代弁するかのように皮肉も嘲りもなく答える。
「あのドラゴンは酷く疲れているのさ。戦いだの何だのという、そういったことを飽きるほどに経験し、幾千万の戦いの果てに死に尽くしたんだろうて。そしてそんな状況から不意の再誕。恐らく今頃あのドラゴンは心底うんざりして呼吸をしているはずさ」
そこでアビルゲリウはレグイエに視線を向けて、唇をニィっと笑みの形に吊り上げる。
「死んでいたかった者を棺桶から引きずり出したんだ。死人には大層迷惑な話じゃないかぇ? そして野望はおろか野心すらも潰えた状態で、自ら敵を作り出そうなんてバカはいないさね。それも周りにいる存在は自分よりも遥かに脆弱な存在ばかり、馬鹿馬鹿しくて敵対しようなんて思わないだろうねぇ」
暗に自分たち魔族――その王である自分たちさえも『脆弱』だと言われ、レグイエは僅かに感じた苛立ちを感情を含んだ言葉にしてしまう。
「自分が何よりも強大な力を持っているならば、何故他者に敵対しないと言える? 貴女の口振りでは、その気になればあの黒龍はこの世界を容易に征服できるような言い方じゃないか」
「――クハハハッ! レグイエ卿。坊やみたいな物言いはよしておくれ。お前だってあの黒龍の存在がそれほどのモノかなんて見当がついているだろうに。それにドラゴンは大きく分ければ二種類さね。傲慢で貪欲で攻撃的か、思慮深く怜悧で攻撃的か――おっと、最後の一つで同じ事になってしまったねぇ」
哄笑するアビルゲリウに坊や扱いされて更に苛立ちが募るが、自分でも先ほどの発言の程度が低いことは自覚している為に言い返すことはせず、小さく舌打ちをしてそっぽを向く。
「ともかく黒龍のことは、今は行方と動向だけ探ればいいじゃないか。それよりももっと建設的で大人の会話をしようじゃないか、司令官殿?」
「いちいち揶揄するような言い方は止めてくれ」
年長者からのからかいをムスっとした顔で突っぱねて、レグイエは頭上にあるアビルゲリウを顔を真っ直ぐに見た。その態度に女怪は笑みを深くする。
「神霊力の消失は全ての種族にとって大きな打撃となったことだろうねぇ。人間もエルフも魔力や霊子に大きく依存してきた。まぁ、あのデタラメな人間の王は鼻がいいのか勘がいいのか、違ったようだがねぇ」
カイザルク王のことを複雑そうに言うアビルゲリウに、レグイエも宿敵だが旧友とも言える男の顔を思い浮かべて苦笑した。
「ともかく、連中はこと戦いのことにおいて今回の出来事で大打撃を受けたはずさね。その点、我々魔族はマナを変換して行使する力には制限が掛かったが、魔力を自己生成できる点においては他種族に対して圧倒的に優位な立場にいるわけだねぇ」
アビルゲリウが何を言いたいのかは、当然レグイエにも分かっていることだった。だからこそ、無能だと思われでもしたら不愉快極まりないので、その後の言葉は先回りして引き継ぐ。
「分かっているさ。混乱に乗じて――というのは、やや僕の美学には反するけど、かと言って悠長に待ってやる義理だって無いしね」
レグイエの決意が既に固まっていることはアビルゲリウにも分かっていたことだったが、それでも尻を叩いて背中を押すのは老婆心というものだろう。
そんな最古参の魔王の心情を理解しつつも、素直に謝辞を述べるほどにレグイエは素直でなければ大人でもなかった。
「軍勢を再編し、侵攻を開始する。まずは我らが領地と隣接する人間領――オルム国を呑もう」
司令官の発した命令にハクシビルは臣下の礼を取り、アビルゲリウは孫を見るような――というには些か物騒な眼差しでレグイエを見ていた。
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