第二話―ラフィリアエヴァーシア―
・各話基本的に3000字くらいで文量をユルく書いていきます。
・更新は本編優先なので不定期です。
・本編で煮詰まったり、息抜きしたい時にちょこちょこっと書けるものが欲しくて書いています。
イスペリアスクーンに住まう種族としてのエルフは、伝承では世界に三番目の支配階級種として生み出された種族とされている。人間以降は、ほぼ人間の亜種として作られた傾向にあると伝承の書には書いてあった。
エルフは森を愛し、森に愛されている種族だった。
それ故に常に森の中で過し、森の繁茂と共に繁栄してきた。
穏やかで知性が高く、気性も穏やかで非常に理知的な種族と言える。だが、それ故に高慢な者も多く自分たちが人間よりも優れているという考えから、人間に対して軽蔑的な態度を取る者がいるのも事実だった。特に五百年前の戦い以降、エルフと人間は数え切れないほど戦いを行ってきた。
戦後の世界では、大陸南部の大森林地帯へと戻ったエルフたちは、精霊魔法とそれを応用した魔法技術と独自の文明を発展された。そして、使役獣と呼ばれる人間では操れない獣を味方として、自然を奉ずる精霊魔法の真髄として、精霊を召喚することにも成功して魔法技術においては隆盛を誇っていた。
戦争においては、自らの基本領域が戦禍の中心となった北方から最も遠く離れた南部の大森林だったこともあり、実質的な領地の被害は人間と違い皆無だった。そこで大戦争から間を開けずに、疲弊した人間族に対し小競り合いから大きな戦争へと持って行こうとした矢先に、先の大戦争の首謀者である『扇動者』レダの側近が自分たちエルフ族の仲間であるダークエルフだったことが判明し、各種族から糾弾を受けて戦争どころではなくなった。
ダークエルフと縁切りをして、大森林から追い出したことを布告したが、同族から大罪人を出したことが判明してすぐに人間に対して攻撃などは出来るはずも無く、エルフたちは絶好の機会をダークエルフのせいで逸したという思いが強く、エルフたちのダークエルフに対する当たりは迫害と言っていいものとなっていた。
戦後の処理に関しては、人員の貸与と資材の提供はしたものの主導はあくまで人間族が行うことを辣腕のエルフ王が巧みに他種族を味方につけたことにより、エルフは戦後を空白期にせず精霊魔法の研究と新技術の開発に当てることができた。
だが五百年前の戦争と戦後の期間に、全ての支族を束ねて導いた偉大なる王の突然の死によって、エルフ族は指針を失った船舶のように混迷の荒海に突入することとなる。
全ての支族が王と認め仰いだ男の死によって、その王が現れたことで鳴りを潜めていた支族同士による諍いが目立ち始め、次代の王を選定するに際しエルフ国は大いに荒れようとしていた。
その事態を憂い、何よりも同族間で争いを起こして人間を始めとする他種族に付け入る隙を与えてしまうことを恐れた時の元老院は、前王の妻であるシエナリウナに夫である前王の意志を継いだ者として女王として立って欲しいと乞うた。
最初は頑なに断っていたシエナだったが『息子が築いた国を守って欲しい』と元老院に籍を置く義理の父に言われ、遂に決意を固めて戴冠した。
エルフの国。
ラフィリアエヴァーシア。
エヴァーシア大森林に築かれたエルフの王都。
木々を愛し、林を愛で、森に抱かれた霧深き古の都。
始祖古老エズリアによって建国されて以降、一度も所在地を移すことなくエルフ国家の中枢として在り続ける大森林の王国。
古来より森の恵みと森の知恵によって生計を立て、住居を建てる為に木を切ることはなく、食すために動物を殺すことはなく、森の覇者としてではなく森の賢人として在ることを望んできた。
森の賢人を自任するエルフは一部の特殊な木に対して、その成長に干渉し通常では考えられないほどに成長した木そのものを居住空間にして生活している。その方法は、霊子を伝達することにより樹木を一切痛めることなく内部に空間を作り上げる手法だった。
この樹木はエヴァーシア大森林にのみ存在し、世界に点在する森に住むエルフたちの多くは岩屋や石造りの家を建てて暮らしている。
周囲にそびえる数百メートル級の巨大な樹木の中でも、特に巨大で力強く根を張り広大な大森林地帯の中心に座する母大樹『ラフィリア』は、森の主にしてエルフたちの宮殿となっている。
一大決戦となるはずだった戦争から十日後。
想定外に早く帰還したエルフの軍勢を迎えたのは、神霊力――延いては霊子の消失によって様々な問題が噴出し大混乱に陥った王都だった。
肉体的に元々他種族に比べて非力なエルフたちは、自然に宿る霊子の運用に心血を注ぎ、長年の研究の末に他種族の追随を許さないほどに霊子魔法の扱いに長けた。
そして霊子魔法を生活の些細な部分にも取り入れて、自然とその扱いと概要が理解できるようにと国中に浸透させ、それが功を奏しエルフ一人一人の霊子魔法に対する資質や適正は大幅に上昇した。それによって、霊子魔法を主軸としたエルフの軍備力は大幅に向上し、様々な魔法を開発していった。
だが今回はそれが裏目に出てしまい、霊子を失ったことで国中が大混乱に陥っていた。
水や偏光さえも霊子で操っていたために、地下から水が汲めなくなり、木々の爆発的な成長によって自然光を取り入れることが出来ず、陽光を霊子魔法によって取り入れていたため照らす光さえも失っていた。
遠征前は霊子魔法によって取り入れられた太陽の光によって明るく照らされていた宮殿内は、今は薄闇に包まれていた。これは宮殿内だけの話ではなく、大森林全体が生い茂る大樹の分厚い枝の層によって空を閉ざし、今はその僅かな隙間から洩れ入るほんの僅かな斜光がエルフたちを照らす唯一の光源だった。
◇◆◇
元老院の会議室は重苦しい空気に包まれていた。
日中であるにもかかわらず燭台を並べて火を灯し、木々を焼く火を嫌うエルフにとっては忌々しい光ではあったが、それを消してしまえば大きなテーブルの対面に座っている人物の顔すら判別が難しいほどに暗くなってしまう。
「由々しき事態だ……神霊力が消滅し、霊子すらも無くなるなどと」
「あり得ぬことだ……」
「左様。俄かには信じられぬことだ、シエナリウナ女王陛下。今お話し頂いたことは真なのですかな?」
元老院に籍を置く支族の長たちが深刻な表情で、シエナから受けた報告の内容を吟味していた。
「全て事実です。扇動者レダの復活。異世界より召喚された黒龍の暴走。神霊力の消失。全て私はこの目で見て参りました。随行していた五万の兵も同様です」
テーブルの主席に着いているシエナが澱みの無い言葉で返すと、元老院の支族長たち七名はいずれも難しい表情で腕を組んだ。
「確かに十日前に巨大な地震と空を覆い尽くす雲と、それに浮かび上がった不気味な紋様を多くの者が見ておる。だがしかし、それも魔族たちによる大掛かりな呪法の類という可能性もある」
「左様。愚かな人間どもにはこのような真似は出来ぬだろうが、魔族であれば可能性はある」
「しかしその場にはレグイエ卿もいましたが?」
「ふん。『破界の座』レグイエか。奴は『都喰らい』の子飼いに過ぎぬであろう」
「レグイエ卿が恐ろしい力を持った魔族であることに変わりはありません。我々エルフ軍、魔族、そして人間。あの場にいた全ての者が一部始終を目撃しています」
澱みない声音で朗々と事実を話すシエナの落ち着いた態度に、元老院の一同は一度議論を止めて女王の表情を見ようとした。だが、一同からやや離れた主席に座る美しき女王の表情は、燭台に灯った火によって生まれた闇のヴェールに包まれて、その表情を窺うことはできなかった。
「霊子魔法が使えない以上、我々は現在の生活を変えていかねばなりません。まずは水と光についてです。水は現在も管理を行っている貯水地がありますので、閉ざしている水門を開放して水路を復旧させましょう。光は――」
「待て、シエナリウナ女王」
現在停滞しているライフラインの復旧についてシエナが提案しようとすると、それを遮って元老院の一人が声を上げた。
「貴女は我々に退化しろと言うのか。我々は霊子魔法の粋を極め、他種族の追随を許さず森の覇者となったはずだ! その我々に貴女は再び原初の暮らしに戻れと言うのかっ!」
「試練の時が来ているのです。そしてこの試練は我々エルフだけではなく、この大地に住まう全ての者に課せられているもの。この試練を如何に乗り越えるかが、今後の種族の運命を左右するのです」
異論を唱えた支族長の一人とシエナが睨み合い、室内には沈黙は訪れた。
そしてその沈黙を破ったのは、一人の支族長だった。
「シエナリウナ女王。神霊力が消え去り霊子魔法が使えなくなるというお話ですが、他ならぬ貴女様が仰るならばそれは真なのでしょう。何しろ、貴女様は我らがエルフ族の中でも最高の霊子魔法の使い手だ。だが、そうであるからこそ、私には見過ごせない事実があるのですよ」
「何が仰りたいのでしょうか? ラシアン支長」
闇の帳の中に座するシエナに対して、何処か挑発するような含みを持った口調で語りかけて来たのは周囲の支長たちよりもかなり若い男だった。
シエナの問いかけにラシアンは薄い笑みを浮かべる。
「遠征の帰還時に『カロリア』が暴走したそうですな」
「――」
薄闇の中で今まで氷の彫像のように無表情だったシエナの表情が僅かに動いた。
「聞けば魔族と人間の王と共に、女王は戦地で既に神霊力消滅の事実をご存知だったとのこと。ならば、貴女様ほどの使い手が、森の魔獣と謳われるカロリアを御する精霊魔法が弱まることを予想できないはずがない。
それを見抜けていれば、カロリアの暴走によって多くの被害を出さずに済んだはずだ。違いますかな?」
ラシアンの問いに対してシエナは黙した。
魔獣カロリア。
巨森を喰らいし古の魔獣と言われ、貪欲なる食欲と凶暴性を持ち決して操ることができない魔獣と言われてきた。だが、シエナが編み出した精霊魔法の秘儀を使うことによって、地を這う天災とまで言われた魔獣を御することに成功し、エルフにとって強大な戦力となっていた。
だが、遠征からの帰還時にその魔獣を縛っていた秘儀によって編みこまれた手綱がその効力を失い、魔獣は野生に立ち戻りエルフ軍に牙を剥いた。
その可能性を予期していたシエナによって列の最後方を行軍していたカロリアは、突如手綱を握っていた巫女を振り下ろして食い殺し、今までの鬱憤を晴らすかのようにエルフ軍へ向かって猛然と走ってきた。
地響きと共に接近する魔獣に対して、殿を務めていた巨躯を誇る樹人族が防御姿勢で迎え撃ったのだが、それを蹴散らして後列に突っ込まれ、そのまま軍列を食い破られた。
埒外の力で暴れ回る魔獣を抑える為に、シエナは膨大な霊子を内包したエルフ国に伝わる神器とも言うべき『星撒きの弓』を使ってカロリアを撃退し、傷を負ったカロリアは地中へと潜り逃走した。
このカロリアの暴走によって約二千人の兵を失い、無傷で終えたはずだった戦争で犠牲を出してしまった。そのことはシエナ自身も非常に憂いていたが、例え制御が出来なくなるとしてもせめてカロリアをエヴァーシア大森林で野に放ちたいという思いがあった。
これはカロリアを思っての優しさなどという偽善ではない。
エヴァーシア大森林において生態系の頂点であるカロリアを失えば、森の生態系に多大な影響が出るためであった。それを分かった上でカロリアを戦場に出したのは、今回が大一番の戦いになるはずだったためであり、そして魔獣カロリアはたとえゼノンやレグイエであろうとも殺しきることが、まず不可能な魔獣だからである。
「……カロリアを逃がし、多くの兵を死なせてしまったことは遺憾に思っています。しかし、カロリアを失えば森に出る影響は計り知れないものがあります」
「女王シエナリウナ様。森に影響が出るのは事実だが、それは今日明日というものではありますまい。それならばカロリアをあの場で解き放ち、行軍に不安を抱えたままにするべきではなかった。違いますかな?」
「……」
沈黙したシエナに対してラシアンは僅かに口角を上げて笑みを浮べる。そしてゆっくりと席を立つと、周囲に座る他の元老院議員である支族の長たちの顔を見渡した。
「元老院に籍を置く賢人たちよ。我らが女王はとてもお疲れのご様子。しかしそれも無理のない話だ」
どこか芝居掛かった口調で両腕を開き、シエナを憐れむかのような口調で言葉を続ける。
「先王クエンティスはあまりに偉大な王だった。その意志を継ぎ完璧であろうと振舞ったシエナリウナ様の心労は如何ほどのものか……私の矮小な想像力では余るほどのものだったのでしょう。そして此度の世界に起きた急変――もはや女王一人の身には余るほどの事態が起こっているのだと、私は思います」
そこまでラシアンが言ったところで、シエナはラシアンの意図が分かった。いや、最初から分かっていたことだった。この男が饒舌に話し始めれば、決まって言うこととやる事は一つしかない。
「私ども元老院の力を持って、シエナリウナ女王陛下の心身に重く重く圧し掛かった重責を取り払って差し上げ、休息の時を持っていただくのが忠臣としての配慮であり、男としての役割だと私は思います」
シエナを王の座から引きずり下ろすこと。
ラシアンが目的としているのはその一点だ。
そして王弟であったイシュヴェンを擁立しようとする。
夫の弟であるが、客観的に見てイシュヴェンは愚かで残虐で力弱き者を踏みにじろうとする。とても王の器ではない。だが、それはズル賢い者から見れば傀儡として操るにはちょうど良い駒となるだろう。
野心家で冷酷なラシアンと、愚鈍で欲に塗れたイシュヴェンによって夫の築き上げた国を喰い物にされるのが我慢ならなかったことも、シエナが女王として立つことを承諾した理由の一つだった。
「お気遣いは痛み入りますが、私は任期を全うするまではこの役目を自ら投げ出すことは致しません」
寿命の長いエルフ族は王を支族から選出し、三百年の任期期間が与えられる。この間に王が何らかの理由で亡くなった場合は、その近親者の中から選出され元老院の認可の元で残りの任期をまっとうし、適任者がいない場合は他の支族から選出される。
「貴女様が自らお辞めにならないのは勝手ですが、我々元老院七名の内六名以上が望めば、貴女をその身に余る重責から解いて差し上げることが出来ることをお忘れなく」
元老院の他の議員の前でそれを言ったのは、アピールであり釘を刺すためだったのだろう。
口元に笑みを浮かべたまま席に着くラシアンの顔を、何名かの議員がチラりと盗み見ていた。
シエナは心の中で深い溜息をつきながらも、表にはその片鱗すら見せることなく場をまとめる。
「元老院会議は一度閉廷します。水と光の供給は急務ですので、私の勅命にて復旧を開始させます。よろしいですね?」
議員たちは次々と頷き、先程シエナに異論を唱えた議員も渋々だが頷いていた。
「ではこれにて閉廷します。民に対する状況の公表は早い方がいいと私は思っていますが――」
「今までのことを考えれば、ここで霊子魔法が一切使えなくなったなどと言えば、恐らく一部の民は恐慌する可能性がある。しばらくは黙っておくことですな」
「左様」
その言葉にシエナはすぐに異論を唱える。
「民を騙せと言うのですか?」
「見解の相違じゃよ、女王陛下。騙すのではない、ただ黙しておればよいのだ。さすれば少なくとも我々が能動的に偽りを言ったことにはならんさ」
「左様。余計な情報を与えて騒がれるよりは、何も知らず小さく慌ててくれておる内に、我々で問題の根源を取り除けばよいだけのことよ」
「……」
押し黙ったシエナを残して議員たちは次々と部屋を退室していき、最後にラシアンが意味深げな笑みを浮かべて退室した。残ったシエナは扉の正面、黒檀で作られた見事な彫刻の施されたテーブルの先で静かに息を吐いて、窓に掛けられたカーテンをそっと開いて薄闇に閉ざされたラフィリアエヴァーシアの全景を静かに見つめる。
元老院の長老議員たちは、まだ事の重大性を分かっていない。
そのことだけでも頭が痛いにも関わらず、やはりラシアンがいらぬ野心を働かせようとしてきた。まったくもって度し難い男だと思うと同時に、魔法を失った自身の弱さが恨めしくもあり不安でもあった。
そしてそれはエルフ族全体にも言えることであり、魔法を失って最も種族として打撃を受けているのは魔族でも人間でもなくエルフなのだ。
正直今再び戦争になれば、エルフは大した抵抗すら出来ないのではないかと思える。
だが、そんなことはこの先に起こる出来事を思えば、実は些細なことなのかもしれない。
――議員たちは一体自分達が何に住んでいると思っているのだろうか?
母大樹ラフィリアを始めとする居住巨大樹は、大地に根ざした根から神霊力を吸い上げてその巨体を支えているのだ。
シエナはもう一度、窓から眼下に広がる広大な森林都市を見詰めた。
このままでは一年ともたずに巨大樹群は蓄えていた神霊力を失い、その自らの自重を支え切れなくなり、ラフィリアエヴァーシアの全てを道連れに倒壊するだろう。
――エルフは滅亡の危機に瀕しているのだ。
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