異世界の洗礼 その2
和真が入った湯殿は、脱衣所こそ銭湯に近い造りであったが、肝心の浴槽がある部屋は少々趣が異なっていた。
「まずは身体を洗う、のは良いとしても。どこで洗えばいいんだ、これ?」
薄い布の守りがあったとはいえ、全裸に近い二人の少女を、扉一枚隔てた向こう側に置いてきた和真は、幾らか落ち着いた頭で首を傾げた。
白い蒸気が視界を隈なく覆う部屋には、それに見合うだけの大きな浴槽がたっぷり湯を張っているのだが、洗い場らしきスペースがどれだけ見渡しても見つからない。
「一応、洗面器っぽいのと椅子みたいのは一組ある……ってことは、この湯を使って洗う、でいいのか?」
床と浴槽の境に風呂道具を認めた和真は、とりあえずそちらへ向かい、風呂桶よりも洗面器に近いそれで湯を汲んでみた。
手を入れれば、少し熱めの温度が感じられた。
何ともなしにそれを床に流してみたなら、一方向に流れていき、その先にある排水溝らしき網の中へ、湯が吸い込まれていった。
「……どういう世界観なんだ、ここ?」
自分の夢ながら判んねー、とぼやきつつ、どうせならシャワーがあれば楽なのに、と思う。
簡素な椅子に視線を移した和真は、おもむろに腰を下ろす、なんてこともなく、つるつるした床の上を滑らせた。
床より低い浴槽内の湯を使うのに、椅子はどうあっても邪魔にしかならないだろう。
(何でこんなもん、常備されてんだろうな?)
疑問は尽きない湯殿だが、ここで身体を洗わなければ、納得しない連中が外にはわんさかいる。
差し当たっては、脱衣所にいる二人だろうか。
「そーいやあいつら、あの格好のまんまなのかね? 城ん中は寒くなかったが、学ラン着てたしな、俺。湯気がある分、こっち来させた方が良かったか?」
和真は誰に言うでもなく一人ごちると、浴槽前に膝をつき、再び汲んだ湯で首から下を流した。
次いで「いやいやいや」と、浮かんだばかりの自分の案を笑いながら却下した。
「良くない良くない。たとえ寒かろうが、こっちに来たら、水蒸気ですぐにエロい感じになっちまうって。それに、本当に寒いなら何か着るだろ。ああでも、着るもんなかったら寒いかもなー。かといって、こっち来いっつーのもなー。完全に勘違いさせちまいそうだし」
温まる身体に少なからず罪悪感を抱きながら、やれやれと首を振る。
傍らでうっかり想像してしまった、双子の「エロい感じ」も、苦悩とともに払うつもりで。
すると。
「お優しいのですね」
背後から届く、静かな声音。
しかし、これを想像したがゆえの幻聴と捉えた和真は、「いやいやいや」と手を振ってなかった事にし、はっと気づいては濡らしていない頭を掻いた。
「そーいや、シャンプーとか、どこにあるんだろうな? もしくは石鹸……しゃーねー、あの二人に聞いてみっか」
湯を掛ける手を止めたところで、絶えず起こる蒸気は和真の身体を冷やさない。
このため、洗面器を局部に被せた和真は、立ち上がりつつ背後を向くと、一歩前に出ようとし。
むにっ。
「きゃっ」
「え?」
眼前が蒸気とは違う白に覆われ、両頬に滑らかな柔らかさを感じた。
しかしてそれも、束の間の事。
「きゃあっ!?」
「おおっ!?」
突然の接触に踏み出していた和真の足が動転し、着地を誤ってあらぬ方向へ着けば、同じく動転していた身体がぐらついた姿勢のまま、前方へと倒れていく。
「アロマ!」
手から離れ落ちた洗面器の音が、甲高い叫びと共に広い湯殿に響いた。
と同時に、身体が一瞬だけ静止したものの、倒れる事に変わりはない。
「くふっ」
どささっ、ともつれ落ちる音に続き、和真の頭が柔らかな白の上でバウンドしたなら、頭上から苦しそうな声がやって来た。
だが、和真にはそれが何なのか、確かめる余裕がなかった。
それと言うのも、湯殿には自分しかいないはずで、似た声質を持つ双子の少女は脱衣所にいるはずで、こんなところで自分と共に転ぶはずはないのだ。
しかも、事もあろうに和真の頭を、胸らしき箇所に押し付けた形で。
(……おいおい、冗談はよしてくれ?)
思いつつ、起き上がりついでに左頬をくすぐる部位へ、手を押し当てる。
「ぁっ」
途端、返ってくる感触は張りのある柔らかさながらも、手の平の中心に硬い存在を主張しており、僅かならがらに上がった声の先を見やれば、潤んだ青の瞳が見つめ返してきた。
纏め上げられた赤みがかった茶髪は、確か――
「あ、アロマ、だっけ? な、何してんの、お前……?」
(いや、この場合の何してんのは俺か?)
「わ、悪いっ!」
目の前にいる人物が信じられず、しかし確かな感触に混乱した和真は、大急ぎで身を起こすと、甘い余韻にほだされそうな分身を庇い、尻を使って後退した。
視界を広くしてみれば、和真に触れられた右胸を庇いつつ、身を起こすアロマを、後ろからアルエが心配そうに支える図がある。
位置関係から推察すると、先程一瞬だけ静止したのは、アルエがアロマを助けようとしての事だったらしい。
麗しい姉妹愛。
しかし視点を変えれば、湯気に張り付く薄布一枚で絡む二人の、えもいわれぬ妖しい様。
和真は双子の美少女の間に漂う、一種異様な雰囲気に生唾をごくり呑みこむと、正座をして局所を伏せさせ、間に合わない部分を両手で隠しながら上擦った声を上げた。
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫か、ですって?」
と、ここでアロマを支えていたアルエが、鋭い視線を和真に向かって投げてきた。
「安否確認をするくらいなら、こちらへ来て、アロマへ手を貸すのが普通ではありませんこと!?」
(げげっ)
かしこまった態度はどこへやら、距離を置いた和真へ食って掛かってくるアルエ。
「あ、アルエ、私は大事ありませんから」
和真が引いたのを知ってだろう、胸を押さえていた手で、自分の身体を支えるアルエの肩に触れたアロマは、「ですがっ」となおも苛立つ双子の片割れへ、ゆっくりと首を振ってみせた。
これへ一瞬、悔しそうな顔をしたアルエは、首を振って何かを断ち切ると、複雑な表情を浮かべつつ和真へ頭を下げた。
「申し訳ございません。出過ぎた事を申しました」
「い、いや。あんたの言う通りだ。俺も悪いとは思っているんだ。ただ……」
「ただ?」
煮え切らない和真の言葉に、顔を上げたアルエが眉を顰めてくる。
訝しげなその視線から逃げるように、そそくさと背を向けた和真は、肩を小さく丸めて「ぐっ」と呻いた。
(い、言える訳ねぇだろ! ただでさえ、蒸気でエロい事になっているってのに、あんたがいきり立ったせいで、アロマの立てていた膝が若干崩れて、色々丸見えになってるぞ、なんて! それで近づけないなんて、言える訳が――)
「あの?」
(ひいっ!?)
ぺたりと背中に置かれた手。
恐怖映画の登場人物さながら、ぎこちない動きで和真が振り向けば、透け透けの服に気づいていない自然な顔つきで、アルエが気遣わしげにこちらを見つめていた。
「もしかして、どこかお加減が?」
「…………!!」
大人寄りの身体つきに、あどけなさの残る相貌。
背徳的な香りが匂い立つ場面に、ぶんぶんと音が出そうなほど首だけ振れば、困惑したアルエが「あら?」と小さく声を上げた。
「どうしました、アルエ?」
「それがどうも、お怪我をされているようで」
(け、怪我? 怪我なんて俺は別にどこにも……)
別の意味で痛くなりつつあるところはあれど、転んだ時にさえ傷はつかなかった。
――アロマというクッションがあったお陰で。
「うっ」
(く、くそっ! 静まれ、この愚息!)
危機的状況下、うっかり思い出してしまった柔らかさに、とある部分が硬さを覚えていけば、暴れ馬にしてなるものかと、封じ込める手にも力が入る。
せめて後ろの二人がいなくなってくれれば――そう思い、口を開こうとするが。
「は、ぐっ」
出てきたのは切羽詰った唸りだけ。
魅惑的な双子の美少女の存在もさることながら、心地良い蒸気の温もりが、落ち着こうとする和真の努力を無駄にしているせいだった。
(や、べっ、も、限界……!)
和真にとって何が不幸かと言えば、それは勿論、双子の美少女がそこにいたこと。
そして、彼女たちにとって何が不幸かと言えば、それは勿論――
「姫? どうされたのですか、姫?」
「姫、何が――あぅっ!?」
和真の身に何が起きているのか、知識としてあっても実際目にした事のない双子は、彼が必死に隠そうとしていたモノを怪我と勘違いして暴いた瞬間、その洗礼を受けてしまうのであった。