異世界からの無茶振り その2
ジジイこと長の話を要約すると、こんな感じである。
和真の前に召喚された異世界の男が、その役目を終えたのは今から七十年ほど前。
ゆえに本来であれば、次の異世界人召喚までには、三十年弱の猶予があった。
だがここで、ある一つの誤算が生じる。
その誤算というのが……
ある意味、人身御供と表すのが相応しい、術者の末裔である四人の容姿が、近年稀に見る優秀さだった、という事。
しかも、その美しさには重複が一切ないのだ。
これは男なら誰でもヤりたいはず――そう言ったのは、あの威厳たっぷりの王様風のオッサン。
あれで昔はかなりのごにょごにょだった、という長の話はすっ飛ばすとしても、そんなオッサンに逆らう者は誰一人としていなかった。
いや、最初はいたらしいが、オッサンの説得に渋々応じてしまったそうな。
何故なら、召喚される男にも好みのタイプがあり、件の七十年前の男が召喚された時の四人は、それはそれは男の好みにかけ離れた容姿をしていたらしく、達成までに三十年近くを費やした、と記録されているらしい。
そしてその三十年の間、またしても若者たちが犠牲になったそうで
だからこそ今、この時ならばいける、そう思っての判断だったという。
既婚者が混じっているのも、この中途半端でいい加減な判断のせい。
既婚者や他の四人の女は勿論の事、和真にとっても、非常に迷惑な話である。
しかも、迷惑はこれに留まらない。
長ことジジイがどこぞから託宣という、いかがわしい電波を受信して召喚された和真だが、じゃあ帰せ、といっても、帰すだけの力が残っていないらしい。
ただでさえ、百年掛けて召喚のための魔力を蓄えるところを、三十年弱も省略して使ってしまったせいで、力ある術師は皆、すかんぴんになってしまったそうな。
この世界には馬鹿しかいねぇのか!? と、憚ることなく和真が叫んでも致し方ないだろう。
とはいえ、元の世界へ帰るには元々、春告の姫――すなわち和真自身の魔力が必要となる。
無論、魔法とは縁遠い異世界人である和真には、魔力など最初から備わっていないため、この世界で手に入れなければならないのだが、その方法というのが、和真にとっては本末転倒、それどころか更に難易度上がって、四人全員を孕ませる事だった。
何でも、異世界の男と交わった四人の最初の子は、必ず純然たる力を持つ精霊になるため、そこから膨大な力という名の祝福が得られるのだそうで。
女孕ませて、その子どもに祝福させて、自分は元の世界にとんずら……。
エロゲーはエロゲーでも、鬼畜系かよ。
いかに長をボコろうとも、まだまだ純粋さを失っていない和真が、突きつけられた現実に声もなく膝を落としたのは言うまでもない。
ちなみに。
先程から散々姫姫言われているが、この世界における姫は、和真の知っている語彙で訳すと巫女などの神職を指すようだ。
彼が交わらねばならないという四人の女も、それぞれが姫――すなわち巫女の名を冠しているという。
姫と同義の巫女。
それは確か、神に仕える現世の穢れとは遠い存在のはずで。
だからこそ余計に和真が打ちひしがれても、仕方がない事なのかもしれない。
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話は判った。
しかし、納得したかと言えば、それはまた別の話。
そもそも和真はまだ、目の前にある生臭ファンタジーを現実として受け入れてはいなかった。
長に呼ばれて現れた、長よりも腰を曲げた禍々しい感じの老人が、おもむろに学ランの袖を上げて和真の腕へ鋭い刃を押し当てても――
「って、おい! いきなり何してんだよ!?」
危うく、極々自然に裂かれそうになった皮膚を庇い、自分の腕を抱いたなら、禍々しい老人が眇めた左目と、瞼を失くしたようにぎょろりとした右目で、和真の方を見つめてきた。
長相手ならば、幾らでもどつき漫才できた和真だが、この老人には言い知れぬ恐怖を覚えた。
少しでも隙を見せたり、ふざけたりしたなら、次の瞬間には胴体から離れた自分の首が転がっている、そんな想像が頭を過ぎる。
本当なら逃げ出したいところ。
それでも椅子に座っていられたのは、長とのやり取りの最中、自分を拘束していた縄を知らない内に解いてくれた、甲冑の姿があったからだ。
一応、和真を助けてくれるらしい甲冑が微動だにしないのだから、このそら恐ろしい老人も、無体な事はできないはず。
いきなり人の肌を裂こうとした相手だったとしても。
すると、警戒する和真をどう思ったのか、枯れ枝のような手ごと刃を袖へ隠した老人は、しゃがれた声の歪な歯並びにも関わらず、滑舌よく喋り出した。
「そう怯えるな、若人よ。わしはこの国の薬師。うぬがここで暮らすに当たり、その身体を調べるためにここにおる。血を採り、うぬの身体が何を受け付け、何を拒むか、知る必要があるでな。でなければ、ただの食事もうぬにとっては毒となろう。ささ、腕を出すが良い。なに、この刃は微量の血を採るためのもの。当てたところで薄皮一枚の傷もつかん。怯えるな、若人よ」
あまり大きくない声量にも関わらず、染み入るように届いた、不可思議な老人の声。
奇妙にも、信じたい気持ちにさせるそれを受け、和真はおずおずといった調子で、回収した腕を老人に差し出した。
「……本当、だな?」
「ああ、勿論だとも。姫の御身に傷を残しては、わしが刑に処されてしまうわい。……まあ、それも面白いやもしれぬが」
「おいっ!?」
「ひひひ。冗談じゃて」
「ったく」
全く笑えない冗談を吐いた老人に、つく悪態すら心許なく、近づく刃を知り、先にある痛みを察し、和真の顔が顰められた。
押し当てられる刃、その冷たさ。
ひゅっと竦む喉、皮膚の上を滑る一筋の鋭利。
「つっ」
実際痛い訳ではないが、一瞬だけ、皮膚下の肉を裂く感触に声が上がれば、刃文の輪郭をなぞるように朱が滲んでいった。
そうして刃が退けば、老人の言う通り、残された腕には傷一つ見当たらない。
驚いて老人を見たなら、にたぁっと笑った相手は何も言わず、用は済んだとばかりに部屋を出て行ってしまった。
狐狸の類に化かされた気分で老人の背を追っていたなら、ずずいっと視界に割り込んでくる、古めかしい杖。
「春告の姫! いかに姫といえど、我が妻は渡しませぬぞ!」
「……は? 妻?」
邪魔な杖を退け、声の主であろう長を惚け気味に見やれば、長い眉毛を吊り上げた長は地団太を踏みそうな勢いで怒り始めた。
「くっ、なんたる屈辱! いいえ、ワシとて判ってはおるのです! 彼女の隣に、自分は相応しくない。否! 彼女の隣には、何人たりとも立てぬと! いやしかし、それでも、それでもワシはあの人が欲しかった!」
「……ちょい待ち、じーさん。俺の聞き間違いじゃなきゃ、今、妻って言ったか?」
(女だったのか、あれ)
一人でハッスルするジジイに、冷静なつっこみを入れるが如く、重要な部分を確認する和真。
しかしジジイは何を思ったのか、恥らうように枯れた身体をくねくねし出した。
「はい、それはもう。正真正銘、ワシの妻ですじゃ。きゃっ、言っちゃった!」
「つーことは、やっぱ女だったんだ……」
気持ち悪いジジイを視界の外にはじき出した和真は、ジジイの妻が去った扉を再度見つめる。
と、ここでジジイが浮かれた声のまま言った。
「どうでしたか姫! 美人だったでしょう、我が妻は! 昔もそれはそれは美人でしたが、いやはやどうして、今の方が何倍も麗しい!」
「へー……」
まともに相手するのも馬鹿らしく、和真は気のない返事を返した。
が、ある事に気づいては、表情をピシッと固まらせてしまう。
(おいおいおい? ちょっと待て? 確かさっき、このじーさん言ってたよな? 四人の姫は極上の女云々って。それでこの審美眼ってことはまさか……?)
一夜で女四人と交わる――そんな話に乗った覚えはないものの、これから出くわすであろう件の女たちの容姿に思いを巡らせた和真は、言い知れぬ不安に苛まれ、長の妻に恐怖を感じた胸を握り押さえた。