異世界からの無茶振り その1
全てを夢で片付けようとする和真に対し、逃げ出した彼を捕らえさせた長は、白く長い眉毛をハの字に曲げて困ってみせた。
「いやはや。どうしたものでしょうか」
(それはこっちの台詞だっ)
のん気とも取れる長の発言に、和真は目を吊り上げて反論を試みるものの、轡を噛まされていては、声を発したところで意味をなさない。
しかも、縄で椅子にグルグル巻きにされているのだ。
暴れたところで疲れるだけ、という状況だった。
仕方なしに和真は長を睨むだけに留めると、せめて轡だけでも外せと、口をもごもごさせた。
逃走防止のために縄を打たれるのは、腹立たしくとも、理解できる。
だが、声まで封じる必要はないはずだ。
色々つっこみたい、増して怒鳴り散らしたい気持ちはあるものの、ここまでされる筋合いはない。
そんな意味合いを気配にまで漲らせたなら、逡巡数秒、長がちらっと和真の斜め後ろで控える甲冑を見た。
一つ頷いた甲冑は、手甲を嵌めたままで、器用に轡を外していく。
「ぶはっ」
完全に取れたところで、これ見よがしに大きく息をついた和真は、改めて長を睨みつけた。
「……で?」
普段の自分ならば絶対にやらない尊大な態度でそう言えば、小さく溜息をついた長がゆっくりと首を振った。
「春告の姫よ、どうぞお怒りをお鎮め下され。姫のお立場も考えず、強引に招いた非、忘れてはおりませぬ。しかし、どうしても我らには姫が必要で――」
「御託はいい。んな事より説明しろ。百歩譲ってここが夢ではなく異世界だとしても、だ。何で四人の女と交わるのが、世界のためになんだよ? つーか、何でその条件で俺が選ばれた? しかも姫って何だよ?」
未だ夢だろと思う心のまま和真がそう問えば、「夢ではないのですがなぁ」とぼやき混じりに、長は答え始めた。
**********
和真が召喚されたこの地を、リジェレイシカという。
リジェレイシカは何層かで構成される世界の内、主に人間が暮らしている層を指す。
で、遠い昔、このリジェレイシカで幅を利かせていた人間の王が、増長した人間によくある事をしたそうな。
つまりは、他の層への侵略である。
そして当然の如く、負けた。
層が一つ変われば世界観もガラリと変わるのだから、当たり前と言えば当たり前。
しかも、ただ負けたのではなく、とんでもない呪いまで受けるというオチ付で。
戦を吹っかけた相手の、ほとんど気まぐれ染みた呪いの内容は、それはそれは恐ろしいものだった。
末代まで祟るのではなく、末代自体を築けなくする――
要するに、極少数を除いて、ほとんどの男が生殖機能を失くす、そんな呪いだったのである。
まあ、生殖機能がなくなっても、性欲は名残のように存在しているそうだが。
だから最初、リジェレイシカの人間たちは、あまり深刻に考えなかった。
それどころか、簡単に快楽を得られると喜んでいる節さえあった。
が、時が経つにつれて、そんな悠長なことを言っていられないことに気づく。
まず顕著になってきたのが、女たちの冷ややかな反応だった。
若い内は男たち同様、夫や恋人と無制限に楽しんできた女たち。
しかし、女としての年輪を重ねるにつれて、快楽よりも母性を注ぐ相手を求めた彼女たちは、次第に何の成果も挙げられない男を卑下するようになっていく。
呪いが男にしか掛けられていないのも、女たちの蔑みに拍車を掛けていった。
呪われる前のリジェレイシカでは、子ができない理由を女だけに求めていたため、余計に男への風当たりは強かった。
かといって、子どもというのは女だけで作れるものでもない。
結果、呪いを免れた極少数の男を巡って、女たちの熾烈な争いが勃発。
しかもその争いに駆り出されるのは、母性よりも恋愛したい年頃の娘たちなのだから、事態は更に深刻化していく。
ある娘は、将来を誓い合った恋人との仲を引き裂かれた挙句、女たちに持ち上げられたせいで、でっぷり肥えた中年の妾として贈られ、またある娘は、類稀なる美貌と肢体を持ち合わせていたがゆえに、口直しとして胤ある男の下を巡らされた。
後を絶たない悲劇は、何もその主役を年頃の娘ばかりに求めた訳ではない。
精力的な青少年、それも相貌・肉体、どちらかでも優れてさえいたなら、彼らは決まって昼夜を問わず、女の相手をさせられるのだ。
それも恋愛感情を抱くには、あまりにとうの経った女たちの、自分と(一方的に)愛する人との子が欲しい、という本能のためだけに。
時には投薬までされて、無理矢理性衝動を引き出されながら。
願望・欲望入り乱れての惨状は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。
男女問わず、老いては若い肉を貪る姿は、そうして生まれる次代の子にまで、蝕まれる未来を約束していた。
そこにはもう、血縁の濃淡もありはしなかった。
あるのはただ、快楽を追い求める人間としての欲求と、絶える事を恐れる生物としての欲求のみ。
どちらの道を選ぶにしても、滅びはすぐそこ、目前まで控えていた。
だがしかし、ここに来て現れた一人の賢者が、呪われた地にある一つの術を授けた。
それが、異世界の血を招く、というものだった。
賢者は言う。
層を跨いだ呪いは強く、完全には解けないものの、異世界の血で呪いを司る点を貫けば、百年の実りは約束される――と。
呪いを司る点とは、層への侵攻を試みた王に乞われ、命じられ、脅され、唆され、二つの層を繋いだ術師の末裔、その女児四人。
果たして賢者の言葉に従い、招かれた異世界の血である男が、差し出された四人を貫けば、賢者の言った通り、リジェレイシカに住まう人間の営みは正常に戻ったという。
――これまた賢者の言った通り、百年間だけは。
**********
「そうそう、四人を貫くというのは、一夜で一気にという事でし――ぷぇはっ!?」
「…………」
嬉々として自分たちの世界の危機を語った長の顔面へ、和真は器用に運動靴を当ててみせた。
椅子に縛り付けられている状態では、威力はさほど望めなかったものの、思いも寄らない攻撃をまともに受けた老人は、面白いくらい大袈裟に引っくり返る。
が、これを終始睨みつけていた和真は笑うことなく、柄の悪い舌打ちをした。
「ちっ。ただでさえ反吐が出るってのに、どさくさに紛れて難易度上げてんじゃねぇよ」
「こ、これは異な!」
緑の長衣から干からびた足と異様に白いパンツを覗かせつつ、がばっと起き上がった長は、立つ時に使わなかった杖で床を突くと、力を込めて言った。
「無銭で極上の女が抱けるのですぞ!? それも四人も! 内三人は確実に処女!! もう一人にしても白い結婚だったと聞き及んでおりますというのに!!」
「そういう問題じゃ……おい? ちょっと待て? あんた今、一人は結婚って」
「ええ、そうですとも! し・ろ・い、結婚ですぞ!」
「威張り腐るところか、そこ!!」
「ふぐほっ!?」
鼻息も荒く近づいてきた胸を狙い、不安定な姿勢のまま頭突きをかました和真。
長共々倒れそうになるところを、後ろに控えていた甲冑が元に戻しては、べしゃっと床に伏したのは先程同様、緑のジジイだけ。
「あー、ありがとう……?」
(つーか、ジジイは助けなくいいのか?)
一応、助けて貰った手前、疑問に思うところは多々あれど、礼を述べたなら、甲冑が微かに首を振った。
礼には及ばない、これも任務だ、といったところだろうか。
(にしてもコイツ……なんか可笑しくね? いや勿論、格好はこれ以上ない変さだが……そうじゃなくて、妙にちぐはぐな感じが)
例えるなら、サイズの合わない着ぐるみを着せられた、貧弱アルバイターのような。
(っても、まあ、問題はこっちよりあっちだな)
甲冑からヒクヒク震える長へと視線を切り替えた和真は、頭突きを忘れたていで話しかけていく。
「なあ、おい、じーさん。あんたの考えは大体判ったよ」
(男ならハーレム目指せっつぅんだろ? 俺は御免だがな!)
「けどよ? 何だって既婚者まで引きずり出すんだ?」
(俺の周りの既婚者って言ったら、母親にいとこに、あと担任に? 何にせよ、碌な連中いねぇし。軽く叩いたぐらいで体罰だって騒ぐのに、今時いねぇだろ、階段下りる生徒に向かって、挨拶代わりにドロップキックかます教師なんて)
若干遠い目をする和真に対し、「ぐふっ」と出てもいない血を拭うようにして身を起こした長は、今度はきちんと杖を使って立つと、よろよろしながら深く息をついた。
「それがですな。実はまだ、先代の春告の姫が役割を終えてから、百年も経っておらず――」
「じゃあとっとと俺を帰せ」
「おぐっ!? な、何故縄が解けて?」
「知らん!」
話の途中で立てた席。
気づかなかった和真は、指摘されても逃げる事なく、とんでもない告白をし出した長の胸倉を掴んで揺すった。