転んだ先の悲喜劇
身を起こしたベッド下。
「きゅ~」という間抜けな音が聞こえそうな倒れ方をしている明澄姫に、和真はどうしたもんかと悩みながらゆっくり立ち上がった。
(思わず呻いちまったけど……とりあえず、コレを直すのが先だよな)
和真の目が見るともなしに見ているのは、明澄姫の足――の付け根から覗く、橙色のブツ。
膝立ちのまま後方へ倒れてしまったせいだろう、ギリギリ隠せていない位置まで、明澄姫のスカートは捲れ上がっていた。
(あとは、アレだ)
ついつい、晒された其処をまじまじ見てしまう自分の不甲斐なさを呪いつつ、視線を上にずらす和真だが、出会ってしまうのはまたしても橙色の下着。
倒れた拍子に明澄姫の巨乳が暴れたのだろう、修復不可能なほど、ドレスの胸部分だけが真っ二つに裂けていた。
ともすれば、完全に和真が襲ったような光景だ。
(だ、誰かが来る前に……とりあえず、こいつで)
明澄姫をガン見したまま、和真が手にしたのは後ろのベッドのシーツ。
隠すには惜しいと、なけなしの異性への興味に後ろ髪を引かれるものの、深恵姫の時のように自ら危険を招くつもりは毛頭なかった。
明澄姫の胸を揉んだ時にしても、アレが彼女を止められる最善の行為と信じたためであり、叩かれる予想さえ最善の一つならば、致し方なしと実行したに過ぎない。
だからこそ和真は、これ以上の面倒は御免と急いでシーツを剥ぎ取ろうとし、
「ん……」
「! やべっ」
目覚めの兆候か、身じろぐ明澄姫の姿に焦った和真は、思いっきりシーツを引っ張った。
しかし彼はすっかり失念していた。
目覚めた時に見た馬鹿でかいサイズのベッド。
それこそが今欲しているシーツの包むものだったことを。
かくして――
「っぐ!? なんで重っ、おわっ――んぶっ!!?」
「んきゅっ!?」
想像以上に重いシーツから嫌われた和真は、すっぽ抜けた手ごと、明澄姫に向かって身体を放り出され、受身を取る間もなく転倒。
顔面をザラザラした、柔らかくも硬さを感じるものに受け止められたなら、痛む身を起こそうとして伸びた左手を揉み揉み。
(……え? 揉み?)
憶えのある感触に左手を留め、それならと右手を上げようとすれば、何かが上で引っかかる。
腕を返してつっかえ棒らしきものを掴み、撫でてみたなら、すべすべした感触と「わ、我が君……」という明澄姫の戸惑った声が振ってきた。
完全に覚醒してしまった――明澄姫の声を聞き硬直した和真は、彼女の服装の乱れに自分は一切関係ないことを伝えるため、温かな暗闇からようやく顔を上げた。
「!!?」
そして混乱した。
まず目に入ったのは橙色を下地にした刺繍。
次に辿った上では、身を起こした明澄姫の右胸を鷲掴む自分の手、潤んだ若竹の瞳。
格好を保った状態で横を見やれば、最初に目にした橙色から伸びる内腿に、和真の指が覗いている。
そうしてもう一度、視線を明澄姫の胸にやった和真は、その色を確かめるように下着を擦ると、困惑と赤みを強める明澄姫を放って、目前の橙色を目に入れた。
倒れた明澄姫から覗いていた、二種類の橙色。
一つは左手の位置にあり、もう一つは顔半分を埋めた状態の目の前にあり――
(べ、弁明するってレベルじゃねぇぞ……)
「べびぼうびっ! ぼべば、ばばぼばばぶべっ」
「きゃうっ……! わ、我が君、何か仰るならせめてお顔を上げてからに! でないと私っ、ぁっやっ」
もごもご口を動かす度、ぐにぐに蠢く下着に包まれた温もり。
身悶える明澄姫は顔を上げろと言う割に、潤んだ瞳で和真を見つめており、彼が身を起こす手伝いをする気はないらしい。
どうやら明澄姫の中で、この格好は和真が望んだものとして処理されており、胸を揉んだ時と同じく受け入れてしまうつもりのようだ。
(冗談じゃねえ! 気を失っている奴でも平気で襲える変態と思われちゃ心外だ!!)
「あっ」
心意気は立派ながら、勢い込んだ拍子に左手がぐにゅっと柔らかな肉を押し上げ揉み込んでしまう。
併せ、明澄姫が小さな喘ぎを上げ悩ましげな顔つきとなったなら、この場で反応すべきではない和真の一部分が元気な主張を開始しようとする。
男、和真此処に在り!――と言わんばかりに。
(待て待て待て!! 待つんだこの愚息! 俺はお前より先に、身体を立たせた――)
と、その時。
「……春告の君、長からの伝言で」
若さ弾ける分身を鎮めることに集中していた和真は、来訪を告げる軽いノック音に気づかなかった。
対する相手も返事を待つ気など端からなかったらしく、部屋の扉を開けると、無愛想な声で何事か言い掛け、和真と明澄姫の姿を見てだろう、続く言葉を一瞬で飲み込んでしまった。
その一瞬で、ぎこちない動きながらそっちを向こうとした和真。
それよりも先に明澄姫が来訪者の名を口にする。
「エルディ――っし、深恵姫っ! あぅ、私ったらまた」
「……明澄姫?」
「ひぃっ!? も、申し訳ございません、エル、じゃなくて、深恵姫!! わた、私、その、わざとじゃなくて、その、ついと申しますか、あの、えとっ……うぅ」
明澄姫が慌てて弁明に走るのを、冷えた眼差しで黙らせた深恵姫は、深い藍の瞳を和真へ向け、汚物を見るように眉を顰めた。
「…………」
次いで何か言いたげな唇が薄く開いたもののそこから出てくる言葉はなく、深いため息が落ちた。
どんな感情が込められているのか定かではないが、楽しいものでないことだけは分かる。
そうして一度唇を引き結んだ深恵姫は、和真たちから目を逸らすと、抑揚のない声で告げた。
「長が……朝食の用意ができたと」
言い終わりと同時に閉められる扉。
「…………」
「…………」
残された重苦しい沈黙に、二人はそれまでの騒がしさを忘れて互いに姿勢を正した。
手触りの良い絨毯の上、和真は正座、明澄姫は裂けた胸を片腕にスカートを直しながら横座り。
「え、ええと」
取り成すように殊更明るい声を上げたのは明澄姫だ。
誤解されても仕方のない状況だったとはいえ、誤解につぐ誤解を弁明できなかった和真は、沈み込んだ黒い瞳を彼女へ向けた。
「その、申し訳ございません、私のせいで」
「……あ?」
この雰囲気の中で愛想笑いをする明澄姫に怪訝な目を向けたのも束の間の事、下げられた頭に和真は目を丸くして困惑した。
謝られたからには何かしらの迷惑を和真が被ったことになるが、思い出しても明澄姫から受けた迷惑などベッドに押し倒されたことぐらいしかない。
他にあったその他諸々を考慮すれば和真の方にこそ役得――いやいや、謝る必要があるはずだ。
「いや……俺の方こそ悪かったよ。慌てちまったとはいえ、あー、その、なんだ」
既にやってしまったことだが、具体的に語るのは難しい。
こうして濁している間にも思い出してしまった感触が、和真の顔を羞恥に赤く染めていけば、同じように頬を染めた明澄姫が褪せた朱の髪を大きく振った。
「いえ! そんな……わ、私は別に、その…………春告の君にでしたら、何を、されても……」
「え」
「な、なんでもありません!」
肌が赤みを増していく度、小さくなっていく言葉。
最後の方が聞き取れず聞き返す和真に対し、身体ごと首を振った明澄姫は、収束不可能なほど真っ赤に染まった顔を俯かせ、空いている手で扉を指し示した。
「そ、それより、どうぞお食事に!」
「あ、ああ」
和真は勢いに圧されて立ち上がり、扉へ向かおうとして明澄姫を振り返った。
「そういや明澄姫は飯、食ったのか?」
「いえ。恐れながら私も春告の君と同じ食事の席に着くことを許されておりますので、まだ。それにまずは着替えませんと。こんなお見苦しい姿で春告の君のお食事にお邪魔するわけには参りませんから」
(そんな大層なモンじゃないんだが)
勿論、このまま一緒に食事などされては目のやり場に困りまくるだろうが、一々敬われているような自分の立場も居心地が悪い。
何とも言い難い表情で「そっか」と頭を掻いた和真は、そんな空気から逃げるように部屋を後にしようとし、
「あ、お待ちください姫!」
「ほふわっ!?」
無防備だった背中を抱き締められたなら、今度は何なんだと思いつつも、押し潰される房の感触に顔を真っ赤にしていった。