初めての○○・改
小さな手に肩を押され、ベッドに沈み込んだ身体。
押し倒されたと気づく前にぺろっと舐められた前歯の感触を、和真は一生、忘れられないだろう。
勿論、悪い意味で。
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パタパタと軽い音が遠退いていく。
ベッドの上でしばらく呆然とそれに聞き入っていた和真は、ゾンビさながらの不自然な動きで上半身を起こすと、口元を押さえて項垂れてしまった。
(ディープ……今のは確かに、それだった)
あと少し反応が遅れ、噛み合わせが呆けたまま開いていたなら……
辿るはずだった未来に頭痛が起こる。
相手が深恵姫の時はまだ良かった。
年上の元・既婚者なら、まだ救いがある。
年上で元・既婚者なら、白い結婚でも和真より経験豊富だろう。
しかし、そんな深恵姫との初キスは長の説明すっ飛ばした暴挙のせいでリセットされ、代わりに初キスの相手となってしまったのは、灰心姫。
手を出したら犯罪、そう判断したばかりの相手だった。
それも深恵姫の時にはなかった深いキスの予感まで残して――ヤリ逃げされた。
「……しかも結局、奪われる方なのかよ、俺?」
されてどうこう言うつもりもないが、先に手を出され続けているのは、男としてどうだろう。
しかも、余裕で勝てそうな小さな女の子に、ベッドの上へ押し倒されてしまうとは。
異世界に来てからの出来事を振り返り、そのほとんどが女からのアプローチで為されてきたと思い出せば、益々和真の気分は落ち込んでいく。
色々と、立つ瀬がなかった。
「あのぉ」
するとそこへ遠慮がちに掛かる声。
「ああ?」
「ひゃっ、す、すみません!」
底辺の気分で返事をしたならその声の主、いつの間に入ってきたのか、褪せた朱色の短髪に青竹色の瞳の娘――明澄姫が慌てて頭を下げてきた。
腰を九十度に折り曲げての謝罪に毒気を抜かれた和真は、鬱屈する気分を払うように頭を掻いた。
「あー……いや、俺こそ悪ぃ。色々と……そう、色々と考え事があって」
「そう、でしたか。すみません、お邪魔して」
「いや、いいんだ。それよりもあんた、俺に用事があるんだろ? 何だ? 飯か?」
この寝室に戻る間際、長が告げた「朝食」を思い出して尋ねれば、戸惑う素振りで口元に手を当てた明澄姫が「いえ」と小さく首を振った。
「お食事にはまだ少し掛かるかと。そうではなくて、あの……ほっぺた、大丈夫でしたか?」
「ああ、平気だ。灰心姫がイイ物貼ってくれたからな」
(その分、悩ましいこともしてくれた訳だが)
情けないキスの件は他言無用と決め込み和真がそう言えば、明澄姫は「良かった」とほっとしたように胸へ手を当てた。
心配してくれた様子に和真はムズ痒い思いを抱いたが、明澄姫の手が押し当てられた胸にはそれとなーく視線を逸らしていく。
(明澄姫は見た目活発そうだと思ったんだが。性格が大人しいってか、優しいヤツ、なのか?……代わりに胸は随分と暴力的だが)
片やベッドに腰掛けている自分と、片やそんな自分の前にいる明澄姫。
どうしたって真ん前にくるのは、精神衛生上あまりよろしくない、大いにけしからん豊満なバスト。
爆乳と評しても過言ではない重量級だ。
ちょっとでも前のめりになろうものなら、もれなく顔が埋まることだろう。
(……もう少し、離れてくんねぇかな)
昨日の双子の胸責めが起因してか、巨乳に埋もれてウハウハより巨乳で窒息死のイメージが色濃い和真は、顔色を少しばかり悪くさせながらそんなことを思う。
対する明澄姫は和真の心を知らず、その場でくすりと上品に笑った。
「シルフィエナ様ったら、余程春告の君が気に入られたのですね」
「? しるふぃ……?」
「ええ。……あら? もしかしてシルフィエナ様、いえ、灰心姫からは何も?」
聞き慣れない名前に問いかければ、表情を固まらせた明澄姫が同じく固い声で尋ねてくる。
「ってーと、灰心姫ってのは、あいつの名前じゃないのか?」
「…………」
「明澄姫?」
返ってくる沈黙が重い。
自分の知らないところで何か不味い展開になっているのかと、心なし和真の身体が明澄姫から距離を取れば、明澄姫が引き攣った笑いを青褪めた顔に貼り付けた。
「あ、はは……い、いやですねー、春告の君ったら。あんなに仲良くしておいて冗談ばっかり」
「いや、冗談じゃなくて。っつーか、アイツって喋れるのか? 何の声も発さなかったが」
「え……いえまあ、私も灰心姫のお声を聞いたことはありませんが。と、いうことは――うはあっ!!」
「うおっ!?」
いきなり自分の頭を抱えて大きく仰け反る明澄姫。
危うく埋められるところだった鼻先を掠めつつ、襲う胸から逃れてベッドの上に倒れた和真は、触るだけなら柔らかいであろう物体の威力に、つんと来た鼻を押さえる。
と、鈍器になりそうな重量に慄く前に伸し掛かって来る、それ込みの重み。
「ぐふっ」
「ど、どどどどどどどーしましょう、どうしましょう!! 私、私、またやってしまいましたあ!!」
「ぅげっ、じょ、まっ」
深恵姫を縛るために帯を使った服は新しい帯で体裁を整えていたものの、そのせいで今、明澄姫に締められる襟首を与えてしまっていた。
更に下腹を跨がれガクガク揺さぶられた日には、ベッド上という状況も相まって、苦悶だけではない何かが和真の心に宿ってしまいそうだった。
(苦し、んだが……こう、擦られると、なんとも……)
どうやったらそうなるのか、明らかにスカート越しではない体温が和真の下半身をくすぐっている。
勿論、下着はつけているだろう。こちらとて服を着込んではいる。
それでもスカートの中で篭っていた明澄姫の熱を思えば、この状況では些か不味い感じの高熱が、和真の一部分に宿ってしまいそうではあった。
(く、そっ……し、仕方ない! 仕方ないんだ! これは、更なる悲劇を免れるための、いわば予防策であって――南無三!)
「ひやあっ!?」
首締めの危機よりも自分の変調を悟られたくない一心で、明澄姫のたわわな胸を鷲掴む。
途端に明澄姫は大人しくなったのだが、殴られるのを承知で事に及んだはずの和真は――
(や、やわらけぇ。想像以上にこれは……)
広げた指の間まではみ出る肉感。
重力に従い、和真の手を覆わんとする柔らかさは、彼に当初の目的を忘れさせてしまった。
むにむにと服の上でも楽しめる柔軟性に、和真の手は留まるところを知らず。
「……はっ!?」
と和真が我に返った時には、彼が明澄姫の胸を捉えてからそこそこの時間が経っていた。
(やっべ……って、そーいや、なんで明澄姫は何も……ぅあ)
長々豊かなバストを揉みしだき続けていた和真が、恐る恐る、本来ならば怒るを通り越してキレても良いはずの明澄姫を見上げれば、必死に耐えている姿がそこにはあった。
羞恥に薄く染まった頬の上では、快活そうな短髪に似つかわしくない、髪と同じ褪せた朱色の睫が、今にも涙を零しそうなほど小刻みに震えている。
(な、なんで? 俺が姫だからか? けどそれにしたって……)
深恵姫とは全く違う明澄姫の反応に戸惑いながらも、ようやく手を離した和真。
下からの支えを失い揺れる胸に併せて、青竹色の瞳をゆっくり開いた明澄姫は、そんな彼と目を合わせるやいなや、はっと息を呑んで膝を立たせた。
「も、申し訳ございません! 春告の君を下敷きになど――ぉおうきゃああっ!!?」
「おい!?」
和真の上から素早く退こうとしたのが災いしたらしい。
勢い良く持ち上がった上体はそのまま後方に傾ぎ、和真の視界から消えたと思えば、ゴンッという鈍い音を響かせた。
伸ばしはしたものの、助けられなかった手に導かれるようにしてベッドから起き上がった和真は、明澄姫の様子を確認し、
(げっ)
言葉を失った。