最悪の選択 その2
並んで迎える三人の中、またしても真ん中にいる緑のジジイ目掛けて突進した和真は、杖を取り上げるとリセット機能について問い質した。
すると最初は和真の横暴に驚いていたジジイ、悪びれもせず彼の話を肯定した。
何でも、召喚した姫にはそういう魔法を掛けるらしい。
ちなみにこの魔法、正式名称は”逆巻きの碑”。
仕組みは至ってシンプルで、対象者が事故や殺人等で死んだ場合、その日の朝まで時間が遡るのだという。
殺人の中には自殺も含まれるため、どう足掻いても姫は逃げられない、と長は笑いながら言った。
それがまた、和真を殺した時と同じだったため、思わず退いてしまえば、コホンと咳払いした長は首を振る。
フォローのつもりなのだろう、「姫を殺したワシは姫の中にしか存在しませぬ。ゆえに此処にいるワシと混同しないで頂きたい」と言って。
しかしそれは、和真に安心をもたらすものではなかった。
ジジイの説明を受け、杖を返すことは出来ても、和真の心は全く晴れない。
何せ長が言ったことはつまり、寝室に放置してきた深恵姫も、進んで下着姿になった深恵姫とは別人なのである。
勿論、和真の初めてのキスの相手も、彼女にはならないのだ。
(……どうしよう。すげぇ戻り辛ぇ)
かといって、第三者があの姿の彼女を見つけるのは、かなり不味い。
従って和真は、改めて紹介された二人の姫との会話もそこそこに、足早に寝室へ戻ろうとしたのだが――。
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「いてて……」
「…………」
腫れた左頬を押さえていれば、無言で差し出される白い布。
見た目湿布のそれには特有のニオイがなく、ひんやりとした感触があった。
熱のある患部に押し当てると、とても気持ち良い。
「おお。ありがとさん」
「…………」
礼を述べても何も言わない相手――灰心姫は、代わりにふるふる首を振ると、問答無用で白い布を奪ってきた。
かと思えば、くるっと反転させて、同じところへぺたり。
「おぉー」
途端に白い布方向へ消えていく熱と痛み。
頭まで冴えてくるソレに和真が「ふぃー」と息を付けば、
「あいたっ!?」
またしても問答無用で剥ぎ取られる白い布。
折角イイところだったのに、と恨みがましい目でついつい見やれば、無言と無表情を貫く相手は、自分の手をふっくらした左頬に押し当てると、両手で大きくバツを書いてきた。
「あーっと? 長く付けると駄目ってか?」
「…………」
こくこく頷く灰心姫。
写し取ったように「そうか」と頷いてみせた和真は、少し痛みは残るものの、だいぶ楽になった頬を擦りさすり。
「ありがとな。お陰でほぼ完治だ」
「…………」
笑って礼を言ったところで、灰心姫の反応は無に等しい。
それでも構わない和真は大きく伸びをすると、座っていたベッドの上に寝転がった。
和真が寝転がるベッドといえば勿論、朝に目覚めた寝室。
無駄に大きいベッドを泳ぐように再度伸びをした和真は、白い天井を映しながら、先程まで同じ光景を見ていたであろう人物を思い出していく。
その人物に、平手ではなくグーで殴られた頬を撫でながら。
「まさか水差しを壊してまで拘束をぶち切るなんてな……あの格好で人前に出られるわけねぇってのは判るけど、体裁を整えるためなら多少の危険も省みないって。顔に似合わず勇ましいっつーか」
長との会話を早々に切り上げ、寝室に戻ろうとした和真。
その足を止めたのは、後ろ手に縛られあられもない格好でベッドに転がっているはずの深恵姫だった。
ワンピースの皺は戻らないまでも、乱れた衣服をほぼ完璧に直した彼女は、固まった和真へつかつか歩み寄ると、その勢いで彼を殴ったのである。
そうして何も言わずに「ふーっ、ふーっ」と荒い息だけついては、尻餅をついた和真に強烈なひと睨みを浴びせ、広間に幾つかある扉の内、彼女の自室だという部屋へ篭ってしまった。
ご丁寧にも、カチャッと鍵の音を大きく響かせながら。
あれだけ怒りに身を任せつつ、一言も口にしなかったのは、和真に押し倒されたことを訴えるのが恥の上塗りと判断したからだろう。
そんな深恵姫の様子に、鬼の首でも取ったような顔で近づいて来たのは長。
腫れる頬も押さえられず呆然とする和真の右手へ、杖の先端を向けては何事か呟いてきた。
途端、焼け付く痛みが右手に宿れば、残ったのは三角に広がった紋様。
杖によって殺される記憶を引き摺り、身を強張らせていた和真に、長は得意そうな顔をして言った。
「これはどんな鍵でも開けられる術式ですじゃ。ささ、これを使って深恵姫の元へ! 一気に押し倒してヤっちまいなされ! 貧弱なボーヤには緊縛の術も、もれなくセットでお付け――」
「すんな!!」
正気に戻れたのは、長のお陰とでも言うべきか。
犯罪推奨の発言を拳で黙らせた和真は、一度だけ深恵姫が消えた扉を見ると、あてがわれた寝室へ戻っていった。
何故かついて来た灰心姫を伴いながら、伏したジジイの「も、もう少しで朝食ですじゃ」の声を背にしつつ。
(……それにしても、厄介な設定が付いたもんだな)
死ねばその日の最初からやり直し。
何とも都合良く聞こえるものの、体感した後では歓迎したくない設定だった。
今なら深恵姫に働いた狼藉をなかった事に出来る――とはいえ、そのためだけに死ねる崇高な精神とやらを和真は持ち合わせていない。
そもそも、悪い事をしたという意識はあっても、和真には腑に落ちない部分があるのだ。
死ぬ前の深恵姫は、自分から進んで脱いでいた、という部分が。
(今の深恵姫が前の深恵姫と違うっつっても、大本は俺が目覚める前にある。ってことは、俺が前と同じ行動を取ったら、やっぱりアイツは自分から脱いだってことだよな?)
ついでに初キスも、やっぱり深恵姫になっていただろう。
選択肢いかんで状況が変わる、アドベンチャーゲームさながらの展開である。
(しかも前の時は冗談混じりだったかもしれねぇけど、全裸になるとか何とか軽々口にしていやがったし……あー、駄目だ! やっぱ完全に悪いって思えねぇ!! 愛する夫と離縁させられた、とか悲劇的要素があったとしても、そりゃ酷い話かもしれねぇけどよ、結局はそっちの都合じゃねぇか。こちとら、離縁どころか、関係全部いきなりぶった切られてんだぞ? 一方的に責められるって理不尽過ぎんだろ)
謝罪しようにも、和真が心から出来るのは手荒に扱ってしまった事に対してのみ。
考えようによっては、和真も知らない内に剥かれてしまったのでおあいこと言えるが、そもそも男女で違う感覚、そうでしたーで終わる話とは思えない。
しかも今の深恵姫は、裸に剥かれた時、和真は気がついていたと勘違いしているのだ。
どうしたって一方的に攻められるのは目に見えている。
「かといって、なあなあで納まるもんでもないよなー。深恵姫が姫である限り、絶対関わらなきゃならねぇし。たとえ俺とアイツの両方が嫌がったとしても、周りは許さねぇ……」
思い起こされるのは、昨日吐露された長――引いてはこの世界の者の胸の内。
四人の女を抱く異世界の男に対する思いは複雑でも、彼らにとっては必要なことなのだ。
「……そう思うと、なー。ここは、俺の方から謝るのが得策か」
(はっきり言や、役得なの俺だけじゃん?)
何度も言うが、女は苦手なのであって嫌いではない和真、両手を宙に伸べると、やや大きめのお椀状の形を作った。
深恵姫を押し倒した時、気は立っていたものの、感じた記憶は生々しく残っている。
無論、深恵姫の唇も、隙間の感触も、和真の全ては覚えていた。
一度は飲んだ生唾が、またしても口内に溜まっていくのを感じてしまう。
これを仰向けのまま飲み込んだ和真は、軽く息をつくと両手をベッドに投げ出した。
「ははっ。俺って思ってたよりチョロいな。もっと抵抗あると思っていたのに」
本人たちを実際前にして、自分がどう反応するかは判らない。
それでも姫たちを想像した和真の顔は、明らかに赤く染まっていた。
(深恵姫に、雷公姫に、明澄姫に……あ、けど)
順繰りに浮かんでは消えていた姫たちの姿。
しかし最後の一人が現れたなら、和真の気分は一気に下降する。
灰心姫――
今、手を出したら、想像だけでも捕まってしまいそうな少女。
しかも彼女は和真の妹・詩織(中学二年の童顔ツルペタ)より年下に見えた。
あと数年経ってからなら兎も角、今の段階で異性として見るのは、ロリコンでもない和真には無理があった。
と、そんな和真の心を察したタイミングで、ひょっこり視界の下から現れる灰心姫。
「おおっ!? あ、ああ、そうか、いたんだもんな、お前。悪ぃ、てっきりもう、あっちに戻ったもんだ、と……」
良からぬ想像を隠すように慌てて身を起こし、謝罪した和真。
相変わらずの無表情を貫く灰心姫は、構わず身を乗り出して近づくと――
(ふへ?)
深恵姫の柔らかさと弾力を覚えている唇に重なる、新たな感触。
肉厚とは言い難いが鼻先を擽る香りは、仄かに甘い。
和真がそれを何と理解する直前、魔方陣を描く至近の瞳が僅かに微笑んだ、気がした。