逃避したい現実
これは遡ること数日前、日頃から女にガツガツしている友人の一人が、風木和真へ振ってきた会話の一端である。
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「あー、どっかにイイ女いねぇかなぁ? なあ、和真クン」
「……何でイの一番で俺に振るんだよ」
四、五人からなる友人の内、一番色んな意味で軽そうな少年が、和真の肩を叩いてきた。
不気味なほど白い歯を輝かせた少年は、すげなく払われた手を上げると、大げさに肩を竦めて表情を暗くする。
「そりゃあ勿論、決まってんだろ? こんなかでフリーの女に縁があんの、お前だけじゃん。アイツとアイツはまだまだ遊ぶ気のないお子ちゃま、あの野郎は天下の幼馴染様がいらっしゃる」
「天下の幼馴染……ああ、あの」
「そう、あの。昨日も夜這いされたらしいぜ? くぅ~っ! 羨ましい!」
「そぉかー? 同い年で魔女コス、しかもマント下は全裸の女なんて、丸っきり変態じゃねぇか。俺は奴に同情するね」
「何を言う! あんな可愛い子、滅多にいないってのに!」
「可愛ければ、多少――いや、かなりのイタさは目を瞑んのか?」
「応!」
「……俺はパスだな」
話題の映画を暇つぶしに見に来たはずなのだが、気づけば少年が指差した三人と、距離が開いていた和真。
これさえ詰めたなら、この鬱陶しい奴も諦める、そう思ったのも束の間。
早足を仕掛ける直前で再度ガッと肩を掴まれては、少年の鬼気迫る血走った眼にかち合い、喉の奥が引き攣るのを感じた。
「かーずまくぅん? 話を逸らすなよ。俺は他の誰でもないお前に言ったんだ。女紹介してくれって。姉と妹、幼馴染にいとこの若奥さん……ほぉら、近場だけでもこんなに」
「いや、若奥さんって。いきなりフリーじゃねぇし。人妻は駄目だろ、人妻は」
「いやいや、俺的には全然問題ない」
「お前に問題があるからな」
「そうそう……って、何言わせんだよぅ!」
振り被られる手。
やり過ごしても少年の追及は止まず、「で?」と期待に満ちた視線を送ってくる。
溜息をついた和真は、前を行く三人に目をやると、仕方ないと言った調子で少年を見ずに言った。
「紹介……してやってもいいが」
「おお!」
「ただし! 俺の話を聞いてからでも、して欲しいんだったら、だけどな」
「おお……?」
言いたい事が判らないのだろう、目を丸くさせた少年に、和真はもう一度溜息をつくと、おもむろに口を開いた。
少しだけ、遠い目を空に流しながら。
「とりあえず、お前が言った四人だが」
「うんうん」
「俺が一番オススメしない四人組みだ」
「うん――うん?」
「何でかってぇと、まずは俺の姉、明美。お前も会ったことがあるから判るだろうが、アイツはあの通り、外では理知的な才女を気取っている。が、休日の過ごし方は世間一般が認めるような女じゃない。下着姿で平気でうろつくわ、目の前でケツは掻くわ屁はこくわ、はっきり言っちまうと性別間違った中年オヤジだ。アイツと比べたら、親父なんか乙女に分類されちまう」
「親父より中年オヤジ……い、いやでも、あのプロポーションで下着姿ってのは」
「じゃあお前、この話はどう思うよ。初めて部屋に連れて来た彼女、イイ雰囲気でキスの一つでもしそうな予感。幸い、家には誰もいない。もしかしたらこのまま先まで、なんて柄にもなく甘酸っぱい気分に浸っていたら、うっすら開いていたドア。嫌な予感がして開けてみりゃ、出歯亀宜しく、デジカメ片手に現れる姉。いやー、思ったより早く帰って来れてさ。え、これ? 記念よ記念、貴重でしょう? 弟の筆下ろし」
「何か……悪ぃ」
視界の端で、友人の軽そうな頭が項垂れた。
これへ「いや」と短く返した和真は、続けて妹の話をしていく。
「次に俺の妹の詩織」
「ああ、詩織ちゃんね。あの子、可愛いよな? 俺らに挨拶するだけでも、顔を赤くして恥しがっちゃってさ。お前の後ろに隠れてお兄ちゃん助けて、みたいな?」
「……その陰で、延々呪詛吐いててもか?」
「は?」
「死ねから始まって、たとえばお前相手なら、軽い頭に羽でも生えて首が千切れちゃえばいいのに、あのピアスに重石をつけたらどれくらいの重量で千切れるかな、うふふ、とか」
「べ、別の人でお願いします」
すっかり顔を青ざめさせた少年に、そうだろうとも、と頷いた和真は、疲れきった表情で薄く笑う。
「で……ああ、幼馴染だったな。幼馴染といえば、明日香か」
「お、おう! 元気だよなー、アイツ! 他にも結構狙っている奴がいてさ」
「元気過ぎるのも考えものだぜ? ちょっと遭う度に、空手部所属のパンチが、男相手だからって手加減抜きで炸裂」
「おふっ」
「あまりの痛みに怒れば逆ギレし、かと思えば泣き出して周囲の同情を誘い、結果、俺一人悪者」
「うわー」
「それでも対策としてどうにか回避を試みたなら、執拗に追ってくる暴力の波。空振りを経て鋭くなった一撃は、普通に喰らうよりも重く苦しく」
「……い、いとこは? 若奥様はどうなんだよ? 四人の中で唯一結婚しているだろ?」
軽くとも、友人の性癖は至極真っ当らしい。
そこにだけ光を見出した和真は、しかし、ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たると言いたげな振りに、憐憫の目を向けた。
「確かに清香姉ちゃんは、この中じゃ一番まともかもしれない。のほほんとした空気、溢れる母性、穏やかな性格」
「おおう。そうだろう、そうだろうとも」
「だがな、ああいうタイプが怒らせると一番怖いんだ。あれはそう、お前みたいな、いかにも軽薄そうな彼女の旦那が、当然の如く浮気した時だった」
「……どさくさに紛れて、扱い酷いじゃねぇか、お前の中の俺」
「清香姉ちゃん、笑ってたなー」
「ナチュラルに無視か。……ん? 笑ってたって?」
「ああ。笑って――旦那に色んなモン盛ってた」
「い、色んなモン?」
「そう。口に出せない色んなモンを。時には男として致命的になる薬なんかも、ちょちょいのちょいと」
「それって犯罪」
「知ってるかー? 犯罪って、バレなきゃ犯罪にならないらしいぜ? 清香姉ちゃんがそう言っていた……。そして旦那は自信を失くし、大人しくなったそうな」
「…………」
これにてお開き、と言わんばかりの節で締めくくれば、絶句した少年が項垂れた。
この様子に心の中で(勝った)と虚しく思った和真。
するとぽんっと叩かれた肩。
見やれば憐れむ目に迎えられてしまう。
「和真……お前、女運悪過ぎ」
「……ほっとけ」
軽く受け流しはしたものの、自覚している分、友人の言葉は和真の心にぐっさり突き刺さった。
女運が悪い、女難が続いている――そんなの百も承知だ。
それでも和真は生まれてこの方、そういう女に囲まれて育ってきてしまったのだ。
友人のように、女に夢見る、なんてことは在り得ない人生だった。
ちなみに。
そんな人生を語るくせに、彼が進んで彼女を作ったのは、偏に思春期特有の焦りからであった。
または日本人特有の、周りから置いてゆかれる状況への恐怖から、女を知らなければいけないと思ったのである。
そうして付き合い始めたのは、軽そうな友人をまんま女にしたような少女。
和真が半ば投げやりに「彼女欲しー」と青春していた時に、「遊んであげよっか?」と挑発的なことをのたまってきたのが切欠だった。
だというのに、姉の出歯亀に顔を赤くした彼女は、自分が処女だということを暴露していた。
勿論その後は、こちらも被害者なのに、ビンタを喰らって、はい、さよなら。
元凶の姉はここぞとばかりにそのシーンを撮り、”弟の初失恋”という映像ファイルを作ったとか、作っていないとか。
嗚呼、人生って、どうしてこうも、ままならないんだろう。
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走馬灯のように、今までの女難の数々を巡らせていった少年・和真は、脱走から程なく捕まった身体を引き摺られつつ、長と呼ばれていた老人の言葉にぽつりと零した。
「だってぇのに、何で俺? 結局、キスすらして来なかったっていうのに……」
(夢ならとっとと、マジで醒めてくれよ)
ほとんど懇願に近い形で空を仰いだ和真は、見慣れない白い天井に向かい、弱々しい声で吠える。
召喚された自分、その理由を。
「世界を救うために四人の女と交われとか、どこのエロゲーだ! 難易度高過ぎだろ……」
せめてこれが、あの友人だったら丸く納まっていただろうに。
そう思うと和真は、選ばれなかった自身の友人に対し、言いがかりに等しい殺意を覚えるのであった。