機械仕掛けの神的なアレ
閉ざされゆく視界の中にも、黒く塗り潰された後にも、痛みはなかった。
ただ――凍てつく喪失感だけが、そこにはあった。
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「っ、うわあっ!!?」
「きゃっ!?」
跳ね飛び起きれば、深恵姫の声が左からやってくる。
遅れて噴出す汗の不快さに気づくより早く、周囲を見渡した和真は、そこが今朝、目覚めた寝室と知った。
「なっ、だ……夢、か?」
胸を失くし、鮮血に散らばった身体と両腕。
柔らかな陽を浴びても、冷えた心は和真を震わせた。
それでも、失われた胸に手を当てれば、返ってくる感触はしっかりとそこに在る。
「そっか……夢、だったんだな」
擦りさすり、自分の無事を確認した和真は、寝台の中でまたしても裸になっている事も知った。
(……って、またって訳ねぇだろ、俺。あれは夢だったんだから。こっちが現実……異世界だけどな)
妙な夢のせいで、混乱してしまった頭を整理する。
のぼせに酸欠に電撃。
二度ある事は三度ある。
そして三度目に来るのは正直。
だから和真はこの異世界を現実だと認めることにしたのだ――
夢の中で。
(……あ? 何だそれ?)
整理するはずの頭が、その考えに疑問を抱く。
異世界を現実だと認める過程はまだいい。
まだ判る。
だが、あれは夢、それも和真が死ぬ悪夢だったのだ。
だというのに、何故、自分の頭は夢の中の考えを肯定するのだろう。
まるで和真が既に、そう納得していたかのように。
ほっとする間もなく、再び鎌首をもたげる不安。
乾く喉を無理矢理鳴らせば、横合いから水差しが現れた。
「大丈夫ですか?」
水差しを持つ、ほっそりした手を辿れば、露出の少ない濃紺のワンピース姿の女が、心配そうな顔で和真を見ていた。
「あ、ああ。悪い。ありがとな、深恵姫」
「いえ。……え?」
礼を言いつつ、水差しを受け取った和真は、不可解だと言わんばかりの深恵姫の声を横に、水差しの吸い口を含むと、乾いた分を取り戻す勢いで中身を空けていった。
「ぷはっ! ふぅ。これで少しはまともに考えられる」
潤う口内に、唇を荒々しく拭う。
水差しを持っていく深恵姫の手があれば、それにもう一度礼を述べかけ。
「ど、どうしたんだ?」
胸の前に水差しを抱えたまま、深い藍色の瞳がじっとこちらを見ているのを知ったなら、和真の身体が大きく仰け反った。
「深恵姫、とは……」
「え……あっ! いや、これはその」
訝しむ視線と言葉を受け、大事なことに和真は気づいた。
(そうだよ、何言ってんだ、俺? 深恵姫ってのは、夢の中での名前だろ? 幾ら似ているからって、現実も同じな訳がないのに)
夢の中の人物の名前で、現実の人物を呼ぶとは、かなりイタイ奴だろう。
そう思って訂正を入れようとした矢先。
「ああ、もしかして長からわたくしのことをお聞きに?」
ぽんっと叩かれた深恵姫の手。
「あ、ああ」
(あれ? 同じ、なのか?)
納得したと言わんばかりの表情に気圧され、ついつい頷いてしまった和真は、「着替えをお持ち致します」と四つん這いで去っていく、形の良い尻を目で追った。
(可笑しい……)
深恵姫が着替えを持ってくる合間に、和真は不可解な彼女の発言を考える。
夢の中の深恵姫と同じ名を持つ、深恵姫。
容姿も仕草も同じなら、和真の中の不可解はより一層強くなっていく。
(予知夢? 異世界に来て、いらん能力身に付けた? って、それだと俺、これから死ぬんじゃね?)
しかもあの光景では、犯人は完全に長。
殺り方は今もって不明だが、凶器は杖だと判る。
魔法が存在する異世界らしく、魔法でどうにかしたのだろう。
召喚で浪費した、カスしか残っていないはずの魔力で殺られたと思えば、屈辱的なことこの上ないが。
とはいえ、そうして和真の召喚を指揮したであろう人物が、率先して彼を殺しに掛かるだろうか?
(ない、って言い切れるほどでもねぇけど)
そこまでの信頼を長に寄せた憶えはない。
だが、仮にも長とよばれる者が、理由もなく和真を殺すかと問われれば。
(ない、って言い切れるほどでもねぇな、やっぱ)
思い返せば和真を除いても、ろくな扱いしか受けていない長。
ともすれば、長という名さえ、姫同様、別の意味を持つのではないかと勘繰りたくなるほどだった。
(……止めよう。あのじーさんのことを考えても仕方ねぇし。とりあえず、杖には要注意ってことで)
早々に考えから長を切り捨てた和真。
改めて考えるのは、深恵姫の言葉だった。
(あの話し振りからすると、やっぱり初対面、だよな。けど、何から何まで夢と同じってのは在り得るか?)
予知夢だというなら、在り得るのかもしれない。
だが、仮に予知夢だとしても、同じ未来を辿るとは限らない。
現に夢の中では水差しは現れていないのだから。
(試して、いや、確かめてみる価値はある、か)
和真の中で一つの結論が導き出された。
程なく「お着替えお持ち致しました」と入室してくる深恵姫。
促されて布団から這い出れば、深恵姫に全裸を披露してしまうものの、夢の中での経験が生かされてか、和真は堂々としたもの。
それどころか、余裕を持って、夢と現実とを比較し始めた。
(夢では確か、布団に丸まってたんだよな、俺。で、変な問答始めて……ああ、そうだ)
甲斐甲斐しく着替えをさせていく深恵姫の動きを感じながら、ふと思い立った和真はこんな質問を投げかけた。
「なあ、俺が素っ裸なのはジジイのせいなんだろ?」
「ジジイ……ああ、長のことですか? ええ。ですが服を脱がせたのは――」
「あんたなんだろ?」
「……え?」
丁度和真の下着を着け終わった深恵姫が、ふんどしのように垂れ下がる前で、跪いていた顔を上げた。
布越し、ふっくらした唇から零れる呼気が触れそうな気配に、心の隅が少しだけざわめくものの、表面はそのままで和真は続けた。
「で、他にも二人の姫が、俺の……その……見たんだよな?」
言ってしまえば反応してしまいそうな其処。
ついつい遠回しに照れて言ってしまった和真だが、聞かされた深恵姫にとっては、それも歓迎し難いことだったらしい。
「……何故それを? まさか、気がついていらしたのですか?」
徐々に染まっていく頬は怒りのためか。
考えようによっては、気を失っていたからこそ出来たことなのに、と非難されても仕方がないかもしれない――が。
(何だそれ。気がついてなかったら脱がせても罪悪感ないくせに、気がついていたら脱がさせたって怒るのか? 幾らなんでも理不尽じゃねぇか)
ふつふつ起こる怒りに、和真の眉間にも自然と皺が刻まれていく。
しかしすぐに解すと、またしても符合した夢の内容に意識を集中させた。
(俺の裸はジジイのせい。けど、脱がせたのは深恵姫で、他の二人の姫も見ていた、と。つーことは、やっぱりアレは予知夢……いや、待てよ?)
ここに来て、杖を翳した長の語りが蘇ってきた。
(雷公姫の電撃でも害せない姫、つまり俺。その後は確か、論より証拠、身を持って知れだとか何とか。で、いきなりジジイに害されちまった訳だが。なのに、次に目覚めたらベッドの上。しかも時間は巻き戻っている。これってもしかして……?)
ゲームと言ったら最近ではほとんど、格ゲーかシューティング類しかやって来なかった和真。
加えてやる場所と言えば、煩い親や何かと仕掛けてくる姉や妹のいないゲーセンばかりだったため、今の状況にぴったり当て嵌るゲーム機能をすっかり失念していた。
(そーいやジジイ、言ってたな。一夜明けた今となってはって。つまり一夜明かすのがセーブポイントで)
「……姫?」
押し黙った和真を訝しんでだろう、立ち上がった深恵姫が、和真の中では既に終わった話題を持ってきた。
「どうして何も仰らないのですか? 気がついていたなら、気がついていたのだとはっきり仰ったらどうです!?」
その声は最早、和真が気絶していた事実はないものとして処理し、気がついていたのに自分に脱がせたという非難に満ち満ちていた。
だが、和真に深恵姫の声は届いていなかった。
何せ彼は確信してしまったのだ。
殺される夢が夢ではなく現実で、だというのに生きて、同じ時間を繰り返しているこの状況が、どういう意味を持つのか。
(つまりこれは……リセットされたって事だよな)
もう一度、今度は最良の選択をするために。
リセットボタンは、和真の死。
胸糞の悪い気づきに遭い、和真は小さく舌打ちをする。