初めての○○
知らない内に、人の目に晒され続けてきた和真の裸。
かといって、観念して芋虫状態から脱するかといえば、そんな訳もなく。
「さあ姫、お着替えを」
ぐっと引かれる布団の端。
させるかと逆に引っ張った和真は、近くなった女の位置にも怯まず叫んだ。
「断る! つーか、自分でやっから、あんたは出て行ってくれ!」
「そうは申されましても、姫が異世界からお持ちになられた衣服と、リジェレイシカの衣服は着付け方からして違いましょう?」
宥める言い草に、昨日、知らぬ間に双子の手により着せられていた服が思い出された。
女の言う通り、確かにアレを一人で着るのは難しそうだ。
とはいえ、そんな事で折れる必要性は全く感じない。
「そ、そりゃまあ……けど、だからってあんたにやって貰う謂れはない!」
説得に回ったことで緩くなった手から布団を奪えば、そんな自分の失態に気づいた女が再び和真の布団を剥がしに掛かる。
「謂れなどなくて結構! わたくしがお着替えを手伝いたいだけですから! それとも他の女性にお任せになるとでも!?」
「だーかーら! 一人で着るっつってんの! あんたにも、他の誰にも手伝わせる気はねぇって!!」
「一人で? どういう風に?」
布団を剥ぐ力は緩まずとも、静かに尋ねる口調を受けて、和真の目が宙を泳いだ。
「……こ、根性で?」
「ふっ」
鼻で笑われた。
「根性でどうにかなるのでしたら、異世界から殿方をお呼びしたりしませんわ!」
「そ、それとこれとは話が別だろ!?」
「同じ事ですわ!」
「どの辺で!?」
段々無茶苦茶になってくる女の発言と、穏やかさをどこかに落っことしたギラギラした藍色の目。
肉食獣に狙われた草食獣の気分をたっぷり味わった和真は、それでも布団は手放すまいと身体を捻った。
「きゃっ!?」
と、反動で女が後ろに弾かれる。
男と女、その性差が起こす、腕力の違い。
枯れ木そのものの長をして「軟弱」と貶された和真の肉体だが、性別を忘れた訳ではない。
手練にも見えない女に、負けるつもりはなかった。
そして勝った。
(よし、このまま服を奪って逃走だ!)
奪う服とは勿論女のソレではなく、布団の引っ張り合いの際、寝台に放置された和真のための服だ。
勝っても動きづらい芋虫和真、それでも必死に服の元へ向えば、視界の端でゆらりと女が立ち上がった。
(ひっ)
思わず怯んでしまったなら、寝台の縁に膝裏をぶつけて、そのまま倒れ込んでしまう。
(くっ! やべっ!)
このままでは折角死守した布団が奪われる!
戦々恐々としながらも、しかしどうにも鈍い動きに、女がゆっくりと近づいてくる。
万事休す、それでも布団を離さぬようぎゅっと掴んだなら、倒れる和真の前まで移動してきた女が、これ見よがしに溜息をついてきた。
「……判りました。そこまで仰るのでしたら、仕方ありません。こういうことは普通、順序があるのでしょうけれども。姫のを先に見てしまったわたくしが、言える立場にはありませんものね」
「は? 何言って――」
女の言いたい事が判らず、和真が眼を丸くした、その時。
しゅるっ……と鳴った衣擦れの音。
女が服の前で何かをしたと気づけば遅く、あっけないくらい簡単に、濃紺のワンピースが床に落ちた。
「!?」
現れた黒に近い青のスリップに、和真の目が剥かれた。
レース調の裾からはショーツ下部がちらちら覗き、中から伸びるガーターベルトが、程良い肉付きの太腿を伝って薄手のストッキングを支えている。
と、続け様、肩紐に手を掛け脱ごうとする女の動きを知るや否や、惚けていた分を取り戻す早さで立ち上がった和真は、彼女の両手首を取って止めさせた。
「い、いきなり何してんだ、あんた!?」
抜かれた度肝に叫べば、目線一つ下にある頭が上がり、少し怒ったような女が頬を赤く染めていた。
近づいたせいだろうか、それとも布団のやり取りを経たせいだろうか。
年上の落ち着きがあった今までとは違い、若干幼く見える顔にたじろげば、和真の手から逃れた女が、離れるでもなく、筋肉量の乏しい両胸に手を添えてきた。
押されるまま寝台へ座れば、途端に高くなった女の顔が、ぐっと近づいたと同時に悪戯っぽく微笑む。
「やっと布団から離れて下さいましたね?」
「あ」
慌てていたとはいえ、再び――実感はないものの――女に晒してしまった裸の自分。
もう一度隠そうと動けば、布団を手繰る手に重なる手。
抗議に口を開きかければ――
塞がれる、唇。
(…………)
和真が心の中までピシッと固まってしまったなら、離れた女が閉じていた目を開けて、困ったように笑ってきた。
「御免なさい。初めてだとは聞いていたのですが、姫があまりに可愛らしかったものですから、つい」
「……つい?」
(つい、で初対面の男にキスするか? しかも可愛らしいって、何だ?)
貧弱な全裸を晒す自分のどこに、キスをしたくなる可愛らしさがあるというのか。
とりあえず、今し方交わされた唇の感触が、女からのキスだとは処理出来た和真。
それでも動けずにいたなら、両頬が女の手に包まれていく。
コツンと合わされた額に瞳が惑えば、苦笑混じりに女が言った。
「もっと堂々として下さいな。肌を晒すことに慣れて下さいとは申しません。ですが、わたくしのような女が肌を晒すのには、少しは慣れて頂かないと」
「い、や……可笑しいだろ、それ。何で慣れる必要があんだよ。あんただって……あんただって嫌だろ?」
ここで更に、何が可笑しいのか深まる女の微笑み。
と同時に和真が知ったのは、雷公姫とはタイプが違うものの、彼女もかなりの美貌の持ち主だということだった。
青い光沢の黒髪は背中で緩く編み込まれ、飾る肌は新雪を思わせる淡い白。
吸い込まれそうなほど深い藍の瞳は、穏やかさの中にも芯の強さが垣間見える。
包容力を感じさせる胸は豊かさの中にも清楚を感じさせ、ワンピース越しでも目を引いていた尻は、下着になったことで更に綺麗なカーブを描いていた。
まるで母性の塊のような肢体。
対し、和真に触れた唇は、熟れきった果実のように膨らんでおり、静謐で納まるはずだった女の容姿を妖艶まで引き上げていた。
だというのに、和真が今まで気づかなかったのは、この女をそういう対象として見ていなかったせいだ。
女もそれを判っていたのだろう、生唾を嚥下する和真に合わせて唇を、今度は額へ寄せてきた。
「姫は本当に、お優しい方なのですね。お気遣い、痛み入ります。けれどご安心下さいませ。わたくしたちが肌を晒すは、これより先、姫の御前のみ。ですから、わたくしたちのせめてもの願いは唯一つ、姫がわたくしたちに飽きられぬ事だけ」
甘い余韻を残して身体を離した女は、不慣れな接触にぼんやりする和真の腕を引くと、高くなった彼の目を見上げて穏やかに目を和ませた。
「さあ姫。お着替えを。それともわたくしも全て脱いでからに致しましょうか?」
「!」
スリップの肩紐を持ち上げる素振りに、我に返った和真がぶんぶん首を振れば、くすくす笑った女が視界から消えて行く。
追えば寝台の上に置かれた和真の服へ手を伸ばすところ。
「そうそう。自己紹介がまだでしたね。わたくしは深恵姫。姫の召喚に伴い、愛する夫との離縁を、王命にて申し付けられた者ですわ」
「……え」
朗らかに、さらっと吐かれた過去。
昨日、長から聞いていた既婚者だったという相手を前にして、和真は言葉を失くして立ち尽くす。